鈴木力の発言 (文教委員会)
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○鈴木力君 その世論調査の話になりますと、またいろいろな調査の方法や、あるいは調査の対象の範囲等もありますから、もちろん無差別にやったといういい方もありますが、調査の主体の解釈のしかたもいろいろありますから、これはそういう調査もあれば、あるいは過半数が反対だという調査もありますから、そういうことには私はきょう触れて問題を申し上げているわけではない。ただ、かりに二月十一日がいいといういい方の中にも、こういう記念日があるとすればということであって、しかもその人たちには、かつてやった祝日の概念をもってすればということになっていると思うのです。私がいま問題にしているのは、ほんとうに国民の祝日として質的に入り込むのか、入り込まないのかということを中心にいま考えておるわけであります。それが浸透しておったと思う、浸透していないと思う、こういうことの議論になりますと、これはまあ水かけ論になってしまうと思います。私はもし浸透しておったとすれば、そういう日がかりに法制的にないにしても、国民の生活の中には出てこなければならないはずだということを主張するのです。先ほど申し上げましたように、たとえば五節句というのは、これは法制上なくなっても、生活の中には切り離すことができないものにしみ込んでおる、こういうものと比べてみて、どうしてもこれは民族の祭典としてはなじんでいなかった、私はこういう考え方をもってお伺いをしたのであります。
もう一つだけお伺いをいたしますが、同じ観点なんですけれども、これは二月十一日がきまりましたからと言われればそれまでの話ですが、私は建国記念の日というものは何日ということにこだわらずに、建国記念の日というものに対する考え方の基礎としてもう一つ伺っておきたいのです。それは、国民になじむ、なじまないという水かけ論もありますけれども、たとえば、提案理由の説明の中に、二月十一日が生きておったころの話ですから、それは昔話だと言われると、私も昔話として伺いますが、「この日が明治初印以来七十余年にわたり祝日として国民に親しまれてきた伝統を尊重したからであります」、こういうことが提案理由には出されておったわけです。私はそのときに考えたのは、どうもこの法案の基礎が、今日の国民のどの層を対象にして政府は国民と考えているかという疑問を持ったわけです。明治初年以来、国民か祝日として親しんできた、かりにそれを認めるとしても、現在の日本の人口の中に、そう祝日として親しんできた人口が、人が、国民が大体何%いるだろう、そういうことを政府は配慮なさったか、なさらないか、お伺いいたしたいと思います。