木島喜兵衞の発言 (本会議)

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○木島喜兵衞君 ようやく本格的な審議に入ったばかりであり、その中ですら多くの問題点が浮き彫りにされ、さらに審議が進むならば一そう多くの矛盾が露呈するであろうことをおそれて、自民党が強行採決をせざるを得なかった本法案に対し、日本社会党を代表して、反対の意見を申し述べます。(拍手)
 田中総理が小選挙区制を執拗に提出しようとしたものは、自民党の危機意識に出発していることは、すでに言い古されております。
 国民の意識は急激に変革しており、高揚された国民の政治、社会に対する意識は、生活を破壊させつつある政府を批判し、抗議し、抵抗し、その政府・政党から離れるのは当然であります。その国民の意識の変革を、選挙の仕組みによって危機を脱せんとする発想は、一方において国民の思想を権力によって統制せんとする思想と連なり、そのことは、根本において教育の権力支配を意図することとなるでありましょう。(拍手)
 教育は、本来、未来を準備するものであります。あすはきょうの延長線上にあるのではなく、新しい価値観が創造されつつ発展するものである限り、その未来の創造をになう人間形成こそ教育の本質でなければなりません。
 保守といわれる自民党は、あすをきょうの延長線上に置きたいとするのは当然であり、その背後にある財界もまた、今日の経済成長の延長線上にあすを置きたいでありましょう。そして、そのためには、教育による新しい価値観の創造を好まないのが当然でありますから、本来的に教育の本質と矛盾するだけに、逆に教育を通して国民の思想統制をはかろうとする発想に立たざるを得なくなるのであります。(拍手)いわゆる筑波大学法案はまさにその発想に出発したものであり、なればこそ自民党は、多くの質疑を残し、多くの問題点を残して強行採決をせざるを得なかったのであります。
 以下、若干の問題点を指摘したいと思います。
 その第一の問題点は、管理運営の方式であります。
 筑波大学は、新しい管理制度によって研究、教育を支配し、大学の自治と学問の自由を侵害するものであるという点であります。
 学外者を含め得る副学長制や参与会あるいは人事委員会の新設は、大学の管理運営の集権化をはかり、効率化をねらう、いわば大学の合理化政策であります。
 いま、産業界のみでなく、日本の社会全体をおおっておる資本の論理、産業社会の合理化、能率化の思想は、人間性を喪失せしめ、著しく人間疎外を生みつつあるとき、人間性を養う教育をその資本の論理によって支配せんとする発想は、まず非難されねばなりません。
 と同時に、学外者を管理の中枢に入れる道を開き、教官人事を学部教授会から人事委員会にその権限を移したことは、人事権への管理者の介入であり、管理者の拒否権によって教官の学問、思想、信条の自由が侵害されるおそれが十分にあるのであります。
 また、学外者を入れる副学長、学外者のみの参与会は、学長と文部大臣によってのみ任命されるならば、その危険性は一そう拡大するのであります。この危惧は現実の問題として大きな疑いを持たざるを得ないことが起こったのであります。
 筑波大学に医学部がつくられますが、その母体である東京教育大学に医学部がなく、専門的な準備ができぬために、国立大学の新設の場合の慣行によって、東京医科歯科大学を中心として五大学医学部がその準備に当たり、この五大学医学部長会に文部省は医療担当副学長の選考を依頼し、その結果、昨年十二月埼玉医科大学の落合学長を推薦することになり、文部省に報告されたのであります。しかるに、今年三月中旬ごろに、東京教育大学福田理学部長が落合学長に、自民党から副学長にA氏を推され困っている、五大学医学部長会できめた副学長人事はたな上げしてほしい、このことは奥野文部大臣も了承していると電話をし、また面会して同趣旨のことを言っているのであります。このことについて、文教委員会は、参考人として出席した福田教授に聞きましたが、それを否定をしました。奥野文部大臣もまた否定をしました。それは当然であって、もし肯定したとするならば、大学の自治は完全に否定されることになり、この法案は、したがって筑波大学は吹っ飛ぶことになるからであります。われわれ野党は、関係者を証人あるいは参考人として招致することを要求しましたが、自民党の強い拒否にあい、野党委員のみで落合教授の証言を求めたのであります。そしてその証言は、その事実を全面的に認められたのであります。落合教授は、医学関係の新構想の中心人物であり、文部省や福田教授と同列の人でありながら、新構想に反対の立場に立つ野党のみの証人として出席したものは、民主的に、専門的にきまった基幹人事まで政府や自民党によって左右されるならば、この大学の出発から自治は失われることに対する怒りからであったのであります。(拍手)
 両当事者の一方が否定し、一方が肯定したとき、その証明はきわめて困難であります。しかし否定した人は、否定しなかったらこの法律は成立せず、新構想大学はできないという立場の人であり、肯定した人は、新構想をつくりつつも、大学の自治をより高い次元に考えて肯定したとするならば、そのどちらに信憑性を置くかは明らかでありましょう。もし事実とせば、新構想大学は、大学の自治の否定に始まり、自民党による学問の自由の侵害に始まる自民党の支配大学といわれてもいたし方ないでありましょう。(拍手)
 明治以来、大学の自治は、学問の自由は、人事に対する権力の介入の排除により守られ、築かれてきたのであります。その歴史にかんがみ、教育基本法第十条は「教育は、不当な支配に服することなく」、とうたい、自治は教育にとってかけがえのないものとしているとき、管理の集権化による教官人事を通しての教育研究の支配のねらいは断じて許さるべきものではありません。(拍手)
 第二の問題点は、研究と教育の分離の問題であります。
 今日の大学問題は、大学進学率の上昇からきたる大衆化と同時に、教育水準を維持向上せしむるところの二律背反の両立が中心課題であります。国民の三割が大学に進学するいま、その大衆化は学力の低下のおそれを十分に持っております。だから、大学は学問の精髄をきわめるのでなく、就職の手段として企業の要請にこたえる程度のものであればよく、科学技術の進歩から求められる高い水準の研究者の養成とは分離すべきだとする研究と教育の分離は、学力低下に合わせた低水準に大学を置かんとするものであり、そこでは教育は学問の体系に従って行なわれるものではなく、そしてそのことはもはや大学ではあり得ないのであります。大衆化に対応する人的、物的な条件整備を怠り、大学をあるべき大学から引きおろし、大学教育を崩壊せしめた反省から、いまこそ大衆化に対応した大学への大幅な国家投資こそ必要なとき、その反省もなく安易に研究と教育を分離する構想に強く反対するものであります。
 第三の問題点は、筑波大学構想は、あたかもその母体である東京教育大学の自主的な意思決定に基づくもののごとく装いをこらしながら、政府主導型の構想であるということであります。
 東京教育大学は、筑波移転に端を発して、予想を越える混乱、混迷の中にあります。新構想は、評議会決定といわれておりますけれども、文学部、教育学部、体育学部は最終決定をしておらず、また、全学教官の四割強の反対の中できめられたものであります。この問題をめぐり、学長不信が五つの学部中四つの学部から出されて以来、大学の最高の意思決定機関たる評議会はいまだ開かれておりません。
 かかる中で中教審路線を強行しようとする文部省は、管理者を取り巻く一定の教官と強行したところに、大学の自治の否定に始まる大学の混乱は拡大をしているのであります。制度は……

発言情報

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発言者: 木島喜兵衞

speaker_id: 24764

日付: 1973-06-29

院: 衆議院

会議名: 本会議