吉田法晴の発言 (内閣委員会)
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○吉田委員 そうは思いませんというだけでは、納得がなかなかいきかねるところですが、具体的に危険を指摘をしたところでありますが、応酬を繰り返しても、しようがありませんから、先に進みます。
先ほど引き合いに出しました三笠宮の「帝王と墓と民衆」の中にも、終戦直後、天皇の戦争責任という問題が取り上げられたことがあるがということばがあったと思います。それは、御自分で「最初に当面した最大の問題は、皇族という身分に止まるかどうかという問題であった。当時は天皇退位の問題や戦争責任の論議などがあったので、すくなくともわたくし自身の心の中では、それは、じつに真剣な問題であった。」ということばの中にも、あらわれております。
最近の国民の心情からいえば、少ないと思いますけれども、しかし、さっき次長が言われましたように、正月の参賀のときにさえ、かつては石が飛んだということがあって、それで警備で守ろうとしておられますけれども、私は、警備で守るよりも、その辺については、そこが皇室民主化の最大のかぎだと思うのでありますけれども、いわば憲法のいうとおりに、昔の天皇制に返すのじゃなくて、国民の象徴としての天皇、民主化された天皇として、国民に親しまれる天皇になられるように御援助申し上げることが、内閣にしましても、あるいは宮内庁にしても、必要だと考えるのですが、そこで、二つの点を尋ねたいわけであります。
一つは、これは、もうすでになくなりましたが、みずからキリスト教の独立伝道者と申しておりますが、村田大造という人がおりました。これは、極端な人といえば、それまででございますけれども、国民の中に、どこかこういう考えを持っている人もおるという意味で引き合いに出します。適当なところがございませんから、私は、その趣旨をくんであれをいたしますが、村田大造という人は、八十二でなくなりましたが、男の子を二人持っておった。そして、その男の子が、戦争中、天皇陛下のお召しによって、一銭五厘のはがきで前線に出ていった。そのむすこも、クリスチャンだったから、戦争で死ぬことを欲しなかったけれども、前線にかり出されて、どこかわからぬところで戦死をしていった。そしてまた、戦死をしたあとの戦没者に対する弔慰金は、われわれのところは四千円もらったけれども、東條大将や何かは何万円という、弔慰金の大きな差もある。こういうこともございますが、そういう二人の男の子を、二人とも戦争でなくした。そして、戦争に召集されたのは、天皇のお名前で召集されたと考えておるだけに、戦争責任という問題について、しりのしりまで言っておりました。そういうことについて、どういうぐあいに考えられますかが一つ。
それからもう一つ、国内的には済んでおるようでございますけれども、先ほど申し上げましたように、先年の訪欧の際には、イギリスの女王の口から、二国の間には好ましいことばかりではなかったという御発言があったということです。それからまた、オランダで、復員軍人同盟の天皇御訪問反対のデモがあったということも先ほど申し上げました。こういう天皇陛下の、初めて外国に出られた機会における対外的な発言の機会は、イギリスの女王の発言に対する御発言としてもあり得たのではなかろうか。それから、そういう意味では、国際的に戦争と戦争犯罪に対する反省というものが、われわれ全体にあるのだろうかどうか。このことは、イギリス女王の口から出た、あるいはオランダで、復員軍人の中からデモがあったということだけでなしに、この間、田中首相がインドネシアあるいはタイ等に行かれた際にも、私は、最近の経済的な、エコノミックアニマルとしての日本のあり方、経済的な進出のあり方だけではないものがあるような気がします。
先ほどインドネシアについては触れました。これはオランダの兵隊だけではないと思います。戦後、日本に来て、日本人との友好を拡大するために、恩讐を越えて他国に来て、そのとき世話になった人たちとの間に交流、交歓をした人もございます。その心境はりっぱなものだと思いますけれども、これは、国として、あるいは政治としても、あるいは皇室のおそばについておられる宮内庁としても、御説明があってしかるべき問題だと思いますから、御答弁をいただきたいと思います。