内閣委員会

1974-02-19 衆議院 全76発言

⚠️ 発言のコピー・転載時は出典元URL(kokkai.ndl.go.jpおよびkokkai-data.com)を必ず残してください。改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

会議録情報#0
昭和四十九年二月十九日(火曜日)
    午後二時三十四分開議
 出席委員
   委員長 徳安 實藏君
  理事 加藤 陽三君 理事 小宮山重四郎君
   理事 中山 正暉君 理事 服部 安司君
   理事 上原 康助君 理事 大出  俊君
   理事 中路 雅弘君
      大石 千八君    笠岡  喬君
      近藤 鉄雄君    旗野 進一君
      三塚  博君    吉永 治市君
      川崎 寛治君    吉田 法晴君
      和田 貞夫君    鈴切 康雄君
      受田 新吉君
 出席国務大臣
        国 務 大 臣
        (総理府総務長
        官)      小坂徳三郎君
 出席政府委員
        内閣官房内閣審
        議室長兼内閣総
        理大臣官房審議
        室長      亘理  彰君
        内閣総理大臣官
        房総務審議官  佐々 成美君
        宮内庁次長   瓜生 順良君
        皇室経済主管  野本 松彦君
 委員外の出席者
        内閣委員会調査
        室長      本田 敬信君
    —————————————
委員の異動
二月十五日
 辞任         補欠選任
  鈴切 康雄君     竹入 義勝君
同日
 辞任         補欠選任
  竹入 義勝君     鈴切 康雄君
    —————————————
二月十四日
 官公労働者のストライキ権回復に関する請願
 (井岡大治君紹介)(第一八五六号)
 同(井上泉君紹介)(第一八五七号)
 同(小林進君紹介)(第一八五八号)
 同(兒玉末男君紹介)(第一八五九号)
 同(上坂昇君紹介)(第一八六〇号)
 同(神門至馬夫君紹介)(第一八六一号)
 同(佐々木更三君紹介)(第一八六二号)
 同(佐藤観樹君紹介)(第一八六三号)
 同(佐藤敬治君紹介)(第一八六四号)
 同(佐野憲治君紹介)(第一八六五号)
 同(佐野進君紹介)(第一八六六号)
 同(斉藤正男君紹介)(第一八六七号)
 同(阪上安太郎君紹介)(第一八六八号)
 同(楢崎弥之助君紹介)(第一八六九号)
 同(成田知巳君紹介)(第一八七〇号)
 同(野坂浩賢君紹介)(第一八七一号)
 同(竹内猛君紹介)(第一八七二号)
 同(竹村幸雄君紹介)(第一八七三号)
 同(原茂君紹介)(第一八七四号)
 同(日野吉夫君紹介)(第一八七五号)
 同(平林剛君紹介)(第一八七六号)
 同(広瀬秀吉君紹介)(第一八七七号)
 同(福岡義登君紹介)(第一八七八号)
 同(藤田高敏君紹介)(第一八七九号)
 同(古川喜一君紹介)(第一八八〇号)
 同(細谷治嘉君紹介)(第一八八一号)
 同(馬場昇君紹介)(第一八八二号)
 同(阿部未喜男君紹介)(第一九三二号)
 同(赤松勇君紹介)(第一九三三号)
 同(井上普方君紹介)(第一九三四号)
 同(石野久男君紹介)(第一九三五号)
 同(石橋政嗣君紹介)(第一九三六号)
 同(板川正吾君紹介)(第一九三七号)
 同(稲葉誠一君紹介)(第一九三八号)
 同(岩垂寿喜男君紹介)(第一九三九号)
 同(大柴滋夫君紹介)(第一九四〇号)
 同(金瀬俊雄君紹介)(第一九四一号)
 同(金子みつ君紹介)(第一九四二号)
 同(川崎寛治君紹介)(第一九四三号)
 同(川俣健二郎君紹介)(第一九四四号)
 同(河上民雄君紹介)(第一九四五号)
 同(木原実君紹介)(第一九四六号)
 同(久保三郎君紹介)(第一九四七号)
 同(久保等君紹介)(第一九四八号)
 同(久保田鶴松君紹介)(第一九四九号)
 同(小林信一君紹介)(第一九五〇号)
 同(坂本恭一君紹介)(第一九五一号)
 同(島本虎三君紹介)(第一九五二号)
 同(松浦利尚君紹介)(第一九五三号)
 同(安宅常彦君紹介)(第二〇〇九号)
 同(阿部昭吾君紹介)(第二〇一〇号)
 同(阿部助哉君紹介)(第二〇一一号)
 同(上原康助君紹介)(第二〇一二号)
 同(小川省吾君紹介)(第二〇一三号)
 同(勝澤芳雄君紹介)(第二〇一四号)
 同(勝間田清一君紹介)(第二〇一五号)
 同(角屋堅次郎君紹介)(第二〇一六号)
 同(金丸徳重君紹介)(第二〇一七号)
 同(田口一男君紹介)(第二〇一八号)
 同(田中武夫君紹介)(第二〇一九号)
 同(田邊誠君紹介)(第二〇二〇号)
 同(高沢寅男君紹介)(第二〇二一号)
 同(高田富之君紹介)(第二〇二二号)
 同(楯兼次郎君紹介)(第二〇二三号)
 恩給、共済年金受給者の処遇改善に関する請願
 外一件(八田貞義君紹介)(第二〇二四号)
同月十八日
 官公労働者のストライキ権回復に関する請願
 (柴田健治君紹介)(第二〇六七号)
 同(島田琢郎君紹介)(第二〇六八号)
 同(嶋崎譲君紹介)(第二〇六九号)
 同(清水徳松君紹介)(第二〇七〇号)
 同(下平正一君紹介)(第二〇七一号)
 同(多賀谷真稔君紹介)(第二〇七二号)
 同(江田三郎君紹介)(第二〇九三号)
 同(枝村要作君紹介)(第二〇九四号)
 同(大出俊君紹介)(第二〇九五号)
 同(大原亨君紹介)(第二〇九六号)
 同(太田一夫君紹介)(第二〇九七号)
 同(岡田哲児君紹介)(第二〇九八号)
 同(岡田春夫君紹介)(第二〇九九号)
 同(加藤清政君紹介)(第二一〇〇号)
 同(加藤清二君紹介)(第二一〇一号)
 同(木島喜兵衞君紹介)(第二一〇二号)
 同(北山愛郎君紹介)(第二一〇三号)
 同(塚田庄平君紹介)(第二一〇四号)
 同(辻原弘市君紹介)(第二一〇五号)
 同(土井たか子君紹介)(第二一〇六号)
 同(堂森芳夫君紹介)(第二一〇七号)
 同(中澤茂一君紹介)(第二一〇八号)
 同(中村茂君紹介)(第二一〇九号)
 同(中村重光君紹介)(第二一一〇号)
 同(芳賀貢君紹介)(第二一一一号)
 同(長谷川正三君紹介)(第二一一二号)
は本委員会に付託された。
    —————————————
本日の会議に付した案件
 皇室経済法施行法の一部を改正する法律案(内
 閣提出第一二号)
     ————◇—————
この発言だけを見る →
徳安實藏#1
○徳安委員長 これより会議を開きます。
 皇室経済施行法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。吉田法晴君。
この発言だけを見る →
吉田法晴#2
○吉田委員 皇室経済の問題に関連をしてお尋ねをいたしますが、総務長官は、あるいは御存じないかもしれませんけれども、私は、福岡県選出の衆議院議員ですが、前に、参議院議員を十三年、副議長もいたしました松本治一郎という先輩がございます。たいへん、その近くでいろいろ指導もいただきましたし、また影響も受けています。この松本治一郎という人は、全国で三千部落、三百万の未解放部落の部落民の解放のために、その生涯をささげました。
 で、戦前から、あの福沢諭吉さんが言われました、人の上に人をつくらず人の下に人をつくらずということを彼も信条といたしました。そして、この未解放部落の部落民、その生涯をかけて解放のために努力をした未解放部落の部落民は、いわば身分差別を受けてまいりました。憲法の上でいいますと、なくなっておるはずなんです。なくなっておるはずの身分差別というものが残っておって、それは、総務長官の別の任務でございますいわば同和行政、特別措置法もできております同和行政という問題で総務長官にお取り組みをいただいておる。ところが、それは、憲法上はなくなっておるはずでありますが、実社会の上では、特に就職の自由、あるいは教育の自由あるいは結婚の自由等に至りましては、今日もなお悲劇を見、あるいは自殺をする等の現象が、これは一、二にとどまりません。そういう傾向が最近ふえつつある。
 原因は、二つあると思うのですが、一つは、これからお尋ねをいたします明治憲法に戻そうとする動きと関係があると思うのが一つ。それからもう一つは、経済的に、本会議でも資本主義の弊害というものが指摘をされたと思いますけれども、その生産性あるいはコストを安からしめる、国際的な競争のために労働の二重の組織があります。これは、予算委員会で多賀谷君も取り上げたところでありますけれども、本雇いと下請、孫請という、これは、いわば労働の中における差別だと思います。私は、そういうものが根拠になっておると信じております。
 ここで、関連をして聞こうとしますのは、人の上に人をつくらず人の下に人をつくらずという民主主義が人の上に人をつくろう、したがって、人の下に人をつくろうとする差別の再生産、復活につながるのではないか、こう私は考えますだけに、お尋ねをするわけでありますが、その前提として、同僚議員からも、先日お尋ねがございましたけれども、新憲法のもとで人間天皇を宣言されて、そして神さまでなしに、人間として、国の象徴としての天皇の地位というものがきめられたと思っておる。ところが、それをもとに戻そうとする動きがある。
 その一つに、この間お話がございましたけれども、宮内庁の側近といいますか、役人の問題があるのではないか、私は、こう考えます。ここに「日本史上の秘録」として閑院氏の本がございますが、その中にこういうことばがございます。「宮内官僚や側近の人々となると、皇室の尊厳と、安泰とを祈念する忠誠心が、良い意味にも、悪い意味にも作用して、民主化を一層困難なものにする。事実私の知る限りにおいては、宮中の慣例やご事情が、社会性という観点からみて、ずいぶん特殊な考え方や、形式や、雰囲気などをとっているものが、少なくない。いわば封建的というか、旧式というか、堅苦しいというか、または過度に保守的というか、あるいは事大的というか、旧態依然たる感がある。民主的という線からは、ほど遠いと思う。そういう点は、将来一般社会と変らないものに改革ありたいと、念願するが、急には困難であろう。宮中あるいは皇室の社会的民主化ということは、私は実に前途遼遠だと思う。」と、これは新憲法になり、人間宣言をされて間もなく書かれたものだと思いますが、この閑院純仁殿下ですか——もう殿下ではありませんが、この方の書いた「日本史上の秘録」の中にも、そういうことが書いてございます。
 私も、かつて宮中を参観さしてもらったことがございますが、そこでこういうことを見ました。平生はたんぼではございませんが、堀の水をくみ上げて、わずか何坪かのたんぼらしいものがつくってあって、そこで、つくられたお米を賢所に供えられるということがあると聞いて、もし、ほんとうに農民の苦労をお察しになろうというならば、地方で農民の苦労を見られたらいいと思うし、また、さらに自分でお手植えになりたいというのならば、もっと国民の生活に接した形式になさったらどうですかとお尋ねしましたら、前から賢所の大儀というものがあって、それは前々からやっておるからという、そのときも、瓜生次長であったかと思いますが、お答えがございました。
 民主主義のもとで、人間天皇を宣言されて、そして象徴としての天皇になられて、その皇室の民主化のためには、大英断がなければなるまい、あるいは明治の初年に、山岡鉄舟氏が明治天皇の御養育係をしたという話も伝わっておりますが、どうも質問をしたり、聞いたりしておりますと、宮内庁の、これは端的に言って官僚ということになると思いますが、お偉い方々の頭の中には、やはり昔からこうやっているからということが、閑院純仁殿下ですかの書いているようなことが、やはり私にもひしひしと感ぜられる。実は、この民主化のためには、その側近からというか、あるいは宮内庁の長官、次長その他、これはほんとうに頭の切りかえが必要なのではなかろうかと感じてまいりましたが、いかがでしょうか。
この発言だけを見る →
瓜生順良#3
○瓜生政府委員 われわれに対して、反省をもっとすべきではないかという点が主眼点かと思いますが、私も、吉田先生御承知のように、ずっと古くから宮内庁に入っていたものではありませんが、それでも昭和二十八年の暮れからあそこへ入っております。この新しい憲法下における天皇の地位というものが大きく変わっており、その線に沿って、新しい時代に即応する皇室のあり方でなければいけないということを私なりに考えながら、つとめてまいってきておるつもりでございます。
 要は、憲法第一条にも、天皇の象徴という地位は、国民の総意に基づくというふうにありますので、その国民の総意というのが那辺にあるかということを勉強をすることにつとめてまいっておるつもりであります。直接には、皇室のことに奉仕いたしておりますが、根本的には、やはりわれわれは全国民への奉仕者であるということを腹の底に十分おさめて、全国民の期待に沿うようにやらなければいけないと思って努力をしておるつもりであります。
 ただ、古いこと、これもわれわれ、そのままを踏襲するようには考えておりませんけれども、その中で伝統的にやられたことでいいことは、ずっと踏襲していったらどうか。いま、ちょっと例におあげになりました米をおつくりになっておるようなこと、これは、やはり踏襲したほうがいいだろうというふうに考えておるわけでありまして、これは農民の苦労を知られるということと賢所へのお供えになるお米なんかをおつくりになる、少量でありましても、やはりいいことだろうというふうに考えておるわけでありますが、なお、前からのやり方でどうかと思う点は、改めることには努力しておるつもりであります。
 元の閑院宮さんがお書きの本、私も目を通しておりますが、終戦後のような事情のことを書いておられるわけで、そういう点については、われわれも十分に反省を——そういう点の意見もあるということを承知して、新しい時代に即応する御奉仕ということ、そういうものに心がけなければならないと思って努力をいたしておるつもりであります。至らぬ点のある点は、今後も大いに反省して、よりよくいたしてまいりたいと思っております。
この発言だけを見る →
小坂徳三郎#4
○小坂国務大臣 お答えを申し上げますが、知は、率直に申し上げて、現在の天皇は憲法にいうところの象徴であってほしい、また、そのような形で、民主的な社会における象徴としていていただきたいという考えでおります。
この発言だけを見る →
吉田法晴#5
○吉田委員 この間からの質疑を聞いておって、やはり皇室の尊厳あるいは紀元の問題についても、総務長官は厳粛な問題と言われました。のぞくべからずではございませんけれども、ああいう考えを聞いておって、やはり干犯すべからずという、明治憲法のことばを思い出し、知らず知らずの間にそういう考えになられるのではないかといった感じがするのです。
 これは、前にも聞いたことがございますが、ちょっといま見出せませんけれども、「帝王と墓と民衆」という三笠宮殿下の御著書がございます。偶然このごろまたある雑誌がこの本を引き合いに出して、三笠宮とだれかの対談がございました。今月号に載っておるのですが、そこで私ども、やはり同じように、この本もときどき引き合いに出るなという感じがするのですが、人間天皇になられ、自分たちも自由に町へ出ることができるようになった、そのときに、自由に町へ出られての食事等もたいへんおいしかったということがございました。ところが、それがだんだんそうでなくなって、警備も厳重に、だんだん昔に返りつつあるということについての若干の嘆きもこの中に書いてございます。そうしますと、皇族自身の中にも、あるいは皇室にもあるのじゃないかということが考えられますが、こういう点については、これはどう考えられますか。
この発言だけを見る →
瓜生順良#6
○瓜生政府委員 そのいまごらんになっております記事、私も最近読みまして承知いたしておりますが、最近、また警備が少し厳重になって、それに対する嘆きのことばのあるのも承知いたしております。その中にちょっとありますのは、警察として、何か事件が起きると、それからあとどうしても厳重になっていく。最近では、坂下門事件があったりして、また厳重になった。坂下門事件と申しますのは、両陛下が昭和四十六年の秋、ヨーロッパへ御旅行になります三日ばかり前ですか、あそこの坂下門を突破して乱入された事件があります。御訪欧反対というようなことですね、そのことがあってから、また少し厳重になったのは事実であります。
 われわれとしましては、警察のほうに対して、その記事にも書いてありますけれども、宮内庁としては、あまり厳重にならないように、必要最小限度にしてほしいということをいつも言っておりますけれども、警察は警察としてのお立場がありまして、事故のないようにというようなことから、幾らか厳重になったという点があります。それからいっとき厳重になりましたが、すぐまた最近はだいぶ緩和しております。そういう点はございます。
 しかし、われわれのほうの立場としては、警察のほうに常に申しますのは、この警備は必要最小限度にしていただいて、それで国民と皇室とが密接に親愛を深めてまいられるようにありたいわけだから、あまり必要以上の警備はしないようにということは希望いたしておるのであります。今後もそういうつもりでまいりたいと思っております。
この発言だけを見る →
吉田法晴#7
○吉田委員 いま、言われました事件が起こってから云々というのは、今月号の雑誌に書いてある。本の中にはそれはございません。もう一ぺん読む必要はないと思いますが、「終戦後わたくしの生活環境は激変した。が、わたくしは楽しかった。三十になってたった一人で町をあるく楽しみをはじめて知ったわたくしは、運命のふしぎさをかみしめながら、だれにも気づかれずにコツコツと町をあるいてみたものである。」云々、これは歴史研究、特にメソポタミア文化についての勉強、オリエントの歴史を勉強するに至った経緯が書いてある。雑誌には、そういうことは書いてございません。
 そういう経過あるいは事件警戒ということもございますが、問題は、本質的に旧憲法時代の天皇を人間天皇として、象徴天皇としてどういうぐあいに実現をするか、この問題は大仕事だと思います。ところが、それを、いままでの考え、あるいはいままでの伝統でやられると、ともすれば、やはり旧憲法時代の天皇というものを想像をして、それに戻すような作用になるのではないか、こういうことを申し上げておるわけです。その一つとして、私は、旧憲法時代の天皇制復活への傾向があるのではないか、危険があるのではないかと考えるのですが、端的にあらわれております例を一、二引いて、御所見を承りたいと思うのです。
 ことばとしてあらわれておりますのは、大森空幕長が防衛大学で式辞を述べられた。これは昭和四十五年三月二十一日、防衛大学の卒業式において、学校長式辞として大森さんが言われた。短い文章ですから読みますが、「わが祖国の防衛は父祖の手によって立派に受け継がれてきました。そういう意味からすれば、自衛隊は旧陸海軍からその良い伝統と遺産とを引き継ぐべき立場にあります。旧軍人と自衛官との関係についても同じことです。嘗て本校には、旧軍人は先輩とは考えないという雰囲気がありました。陸士、海兵と、本校とは設立の経緯や教育方針等を異にしています。厳格な意味における先輩といえないかもしれません。しかし、最近においては、同じ使命につながる先輩、後輩としての親愛感が芽生えてきたことは当然のことながら喜ぶべき傾向であると私は考えます。諸君の目標である新しい時代の軍人像を考えるには、旧軍人像はどうであったかを知ることが大切です。明治以来終戦に至る間の軍人像を一概に論ずることは極めて難かしい問題ですが、それが明治十五年の軍人勅諭を離れて考えられないことは何人も異論のないところと思います。軍人勅諭には忠節、礼儀、武勇、信義、質素の五つの徳目が掲げられています。私は、これらの徳目は今なお軍人の基礎的資質であると考えます。」、こう述べられておる。これは、軍人勅諭があげられておりますし、軍人勅諭の中での精神といいますか、徳目でいまの自衛隊員を教育しようという気持ちがあらわれておるという意味で私は重要だと思うわけです。
 それからもう一つ、これは防衛大学での学長の式辞ではなくて、昭和四十七年、おととし十二月発行の防衛大学同窓会会報であります。「卒業生諸君に期待して」と海将石田捨雄氏が書いておられます。「去る五月十八日、私は唯一人の現役自衛官として、赤坂御苑における春の園遊会に、お招きを受け出席した。あらかじめ定められた御苑内道筋に沿い、招待された人達がお待ち申し上げる中を、天皇、皇后両陛下は島式部官長の御先導で、ゆっくりと、そしてところどころで被招待者にお声をお掛けになりながら、お廻りになった。陛下は、制服に身を固め緊張して挙手注目の敬礼をしている私の前にお立ち止りになった。島式部官長が、「海上幕僚長でございます。」と御紹介申し上げると、」、これから読み上げようというおことばをいただいた。そして感激して、これは私が一人いただいたことばでなくて、海上自衛隊だけでなくて、自衛隊全体に賜わったものだと考えるから、ここに書くと書いてある文章であります。おことばで、「隊員はしっかりやっているだろうね。」石田海将が「はい、隊員はみんな一生懸命やっております。」「防衛のことはいろいろ苦労があるだろうね。」「有難いお言葉をいただき感激に堪えません。お言葉を隊員に伝えたいと思います。」「士気を落さないようね。」「ありがとうございます。」ということばが、この文章の巻頭に載っておるわけであります。「そこで私は」、これは石田海将の自分のことばです。「そこで私はこの際次の二点を特に望みたい。それは、「術科の鬼になれ。」ということと、「真の愛情をもって隊員を導こう。」ということである。」と、その文章の精神をあらわしております。
 これらを紹介いたしますと、おことばをいただかなかったということになっておりますけれども、世俗に伝えられております増原防衛庁長官がおことばを賜わったという内容と通ずるものがあることを感じます。事実であるかどうかということは、私は、ここでせんさくしておるのではない。幹部自衛官が、幕僚長を含んで、総理大臣あるいは大臣が侍立をしているのかどうか知りませんけれども、直接天皇陛下にお目にかかっているという事実も聞きます。そうすると、昔の軍人勅諭で自衛隊の教育をしようという傾向が復活しつつあり、そして自衛隊のいわば最高責任者は、いまでいいますと防衛庁長官、それから総理大臣でございますけれども、やはり天皇の軍隊というものを復活しようという動きがあるのではないか、こういうことを心配せざるを得ません、三つのことばを通じて。
 そこを、私は問題にしておるわけでありますが、こういうことについて、これは軍人勅諭の復活あるいは教育勅語の復活だけでなくて、天皇のもとにおける自衛隊、軍隊が復活しておるのではないかということを心配するのは、これは杞憂でございましょうか。古い考えを持っておられます宮内庁の、先ほど申し上げました古い伝統、古い考えでもし宮内庁のえらい人たちが処しておられるとするならば、杞憂でないものになるのではなかろうかと考えるのですが、いかがでございましょうか。
この発言だけを見る →
瓜生順良#8
○瓜生政府委員 私たちは、現行憲法の第九十九条で憲法を十分順守しなければならないことは、深く承知をいたして仕事に当たっておるわけであります。したがって、旧憲法時代と同じようなことを考えてはいけないということは十分承知しておるつもりでございます。
 いろいろ何かおあげになりました例については、それぞれ非常にどうかと思うような表現がその中にあります。その点は、私もそう思います。しかし、それを、ここで私どもの立場で討論するのも、ちょっとどうかと思いますので遠慮いたしますが、しかしながら、この新しい象徴としての天皇、人間としての天皇の姿が、何といいますか、単に古い伝統の上だけに立っておられたのではいけないので、古い伝統は軽視はできないが、やはり皇室のずっとありますのも、古い歴史の上をずっと貫いてきておられる点にまず根本があると思いますから、その点は無視してはいけないと思いますが、新しい国民の心と結びついていかなければ、これは国民の期待に沿わないことであり、また皇室の基盤である国民の総意に基づくという点にも反するわけでありまするから、そういう点は、今後、われわれが仕事をする上においては、十分に考えてまいりたいと思っております。
この発言だけを見る →
小坂徳三郎#9
○小坂国務大臣 お答え申し上げます。
 吉田委員のただいまの御心配は、私は現時点ではないものと考えております。また、同僚である防衛庁長官も、前回の予算委員会におきまして、非常に明確に、そうした懸念のある御質問に対して、教育その他も十分注意して努力しているということを答えておられます。たまたま、ただいま御指摘になりました二名の方々の御発言は、いささかどうかと思うなという点もございますが、一つの気持ちをあらわしたのではないかというふうに私は思います。
 また、先ほどから御指摘の、宮内庁における職員諸君が、いまだにまだ古い感覚で行動しているのではないかという御指摘がございましたが、私、もしもそういう事実に気がつきましたらば、よく先方の諸君とも話して、民主憲法下における皇室のあり方、天皇さんのあり方、こうしたものについて、世人に誤解を与えないようにということによく注意したいと思っております。
この発言だけを見る →
吉田法晴#10
○吉田委員 こういう話を聞いたり見たりいたしました。これは、いまの天皇陛下が皇太子のときであったと思うのですが、閲兵をしておられて雨が降ってきた、一時間ほど立っておられたけれども、台からおりられたら、靴のあとが微動もしないで残っておったというお話。
 また、その当時、それからちょっとあとですけれども、福岡県出身の土岐と申しますが、大膳頭か何かをいたしました人が、郷里に帰ってまいりました。親御さんの御不幸に帰ってこられて、火ばちの前にすわったら、一時間でも二時間でも姿勢をくずさずにすわっておる。たいへん感心——感心は、どっちの感心かわかりませんけれども、感心をいたしましたり、驚異の目で見たりしたことがございます。
 瓜生さんも、前から知っておりますし、前からまじめな人であったことは、間違いございませんけれども、宮内庁に入られて、この間から答弁を聞いたりして、その話を思い出すような態度をときどき見受けたりするのであります。なるほど、新しい憲法のもとにおける皇室であられるように宮内庁次長としてはつとめておる、あるいは宮内庁長官としては努力しておるというお話でございましたけれども、何かこう謹厳といいますか、あるいは厳粛な感じ、その厳粛なり謹厳なりというものが、神さまであった当時のしきたりが、そのまま引き継がれておるという感じを持つのは、これは誤解でしょうか。誤解であれば幸いだと思うのです。これは感じで申し上げることでございますから、答弁は要りません。
 それからもう一つは、これは国内問題ではなくて、このごろ問題になっております外遊の問題と関連をいたしますが、外遊の際に、この前は、いまの福田大蔵大臣が御同行をされました。いわば、ニクソンの訪中にしても、あるいは対外政策にしても、内政の失敗をおおい隠す努力があるのではないかと思ったりしますが、もし、日本の内政における失敗を、天皇御外遊等によっておおおうとする意図があるならば、あるいはそういうものが作用するとするならば、私は、もってのほかだと思うが、今度のアメリカでのお話に関連をして、新聞記事を見ておりますと、ニクソンが訪日をして、そのあと天皇の御訪米を実現したいという意図が——新聞の解説の中には、やはり天皇が元首としてアメリカを訪問される、元首の相互訪問という記事がございます。これは正式なものであるとは思いませんけれども、少なくとも新聞が、そういうぐあいに受け取ろうとしていることは、これは否定することができないのではないか。
 この二つの問題がございますけれども、これらの問題について、まず総括的に、総務長官として、あるいは宮内庁次長として、どういうぐあいに考えておりますか承りたい。
この発言だけを見る →
小坂徳三郎#11
○小坂国務大臣 お答え申し上げます。
 やはり天皇の地位は、日本国の象徴であって、日本国民統合の象徴でございます。主権の存する日本国民の総意に基づいて、このような地位が与えられておるということと、もう一つは、憲法四条にございますように、国事行為のみを行なっておるけれども、国政に関する権能を有していないとわれわれは考えます。
 なお、憲法七条における天皇の国事に関する行為については、内閣の助言と承認を経て行なうということでございますが、やはり天皇が象徴であるということ、ですから、天皇が元首として外に向かって行動するという意味ではないと私は思います。
この発言だけを見る →
瓜生順良#12
○瓜生政府委員 外国のほうからは、まあ、日本の天皇も元首相当というふうに見ておるようであります。これは、やはり憲法の条文の解釈に何か——憲法第七条に外国の大使、公使を接受する、相手から信任状を受けられるのが天皇になっていらっしゃる、内閣の助言と承認によるわけですけれども。しかしながら、こちらから積極的に働かれるのではないわけですね、受けられるだけで。ですが、その点だけを見ると、ちょっと元首のような形に見える。
 それからもう一つの点は、国内なりあるいは国外に向かって、国を代表して行政権を総攬されるとかいう点はないわけですけれども、しかしながら、立法、司法、行政という三つの国内の機関のうちで、陛下は、単なる儀礼的な行為ではありますけれども、国会の召集とか解散というのはなさるわけです。それから行政のほうですと、総理大臣、これは国会で推薦されるのを任命されるのですけれども、親任式というので、形の上では任命される。それから司法のほうの最高裁長官、これも、やはり親任式というので任命される。形の上で、儀礼的ではありますけれども、一応国家の最高の地位におられる。そういうようなところもありまして、外国からは、やはり日本の国の公的な最高の人として日本の天皇を見られる。そういうようなことから、外国の国王なり大統領の方が、自分と対等の地位にやはり陛下がおられるというふうに考える、権限はお持ちじゃないけれども、形の上で。そういうことがあると思います。
この発言だけを見る →
吉田法晴#13
○吉田委員 総務長官のほうからは、外国から元首と考えられるかもしらぬけれども、日本の場合には象徴天皇、元首としては法律上取り扱っておると思わぬという否定的なお答えがあったと思います。瓜生さんのほうは、その辺が少しはっきりしませんが、象徴であり、あるいは国政上の権限はないけれども、対外的には元首と同じように考えるかもしらぬ云々ということで、その辺が少しあいまいでございましたが、もうちょっとはっきりお願いします。
この発言だけを見る →
瓜生順良#14
○瓜生政府委員 これは、私だけが言っているのじゃありませんですが、昨年、いろいろこの問題が国会で討論された際に、問題になりました際に、法制局のほうでいろいろ研究された、それを聞いておるのを、実は申し上げたのであります。
この発言だけを見る →
吉田法晴#15
○吉田委員 国事行為についても、国政上の権限がないという憲法の、いま文章は持っておりませんけれども、先ほど総務長官が引き合いに出されたようなあれがついておること、それから外国の元首が来られて羽田に着かれたときに、閲兵その他の行為の際にも、いろいろ配慮がなされておるようであります。
 ところが、昨年ですか、一昨年ですか、訪欧の際に、その当時の福田外務大臣が随行をしたということ、私は、まあ、そのときの福田大臣の外交にも、彼自身の思惑というものがあったと思うけれども、外遊にどういう意味を持たせるかという意味で——これは、外国から見れば、いまお話しのとおりに、元首と思いがちなということもありましょう。そういう際に、現職の大臣が随行をするということは、どうであろうかと考えます。
 それから、この間のキッシンジャーとの間に話があったとかなかったとかということになりますが、その事実を、ここでせんさくをしてもしかたがないと思いますが、日米共同声明の中に入り、あるいはそれを確認をするといいますか、話が出た場合に、新聞に書いてありますような、ニクソンの訪日、それから天皇の訪米というものが、双方の元首の相互訪問というように考えられたとしても、——新聞記事には、そういう元首ということばが使われておりましたけれども、使われたとしても、それは、やはりなかなか否定しにくい。そういういわば政府の扱い方に、やはり問題があるのではないかと私は思うのです。
 あたかも政府が、元首であるがごとく、対外的にもそういうかっこうにする。現職の外務大臣がついていく、あるいはニクソンの訪日といわば引きかえにといいますか、相互的に天皇がアメリカを訪問される。それにも、その相互訪問についての、たとえば儀礼的な、先般のように、イギリスの皇室なら皇室に会われる、親善を深められるという程度ならとにかくでありますが、それが政治的に利用されるといいますか、意味を持たせるということになれば、やはり憲法の精神には反するのではないかと私は思うのです。
 それが、元首の訪問であるかどうかという理解の問題と、それから政府のかかわり方に私は問題があると思うのですが、お二人、どういうぐあいに考えられますか、それぞれからひとつ御答弁を願いたいと思います。
この発言だけを見る →
瓜生順良#16
○瓜生政府委員 天皇陛下が外国を御訪問になるのは、これは儀礼的な御訪問であります。それで、何か特別の政治上の交渉をされるとかなんとかいうようなので総理大臣が行かれるのなんかとは、全然違うわけであります。ほんとうに儀礼的であります。
 また、外国の国王なり大統領で、ほんとうに象徴的なところもありますけれども、象徴的であるとともに実権を持っておる方もある。アメリカの大統領ですと、最高の地位にあって、儀礼的な、象徴的な面とともに実権も持っておられるわけですけれども、その儀礼的な面においては、日本の天皇陛下と相通ずるものを持っておられる。そういう意味での、時によると、先方の元首級の人が見えれば、また御答礼というようなこともあったりしている、そういうふうに解釈をいたしております。
この発言だけを見る →
吉田法晴#17
○吉田委員 総務長官、私の心配と意見についてどう考えられますか、承りたいところですが……。これは、政府をここでは代表されると思いますから……。
この発言だけを見る →
小坂徳三郎#18
○小坂国務大臣 天皇の外国旅行、訪問ということが、私は、純粋に言って、これは日本の象徴としての天皇が儀礼的に相手国を訪問するのであって、そこに、いろいろな政治的な意味を付加するなんていうことは、これは厳に慎むべきことだと思います。
 また、しかし、天皇の外遊ということは、これは決して私的な行為ではないわけでございまして、そのために、特に内閣の閣議の決定というようなことを経て、外遊していただくことになっているわけでございます。したがいまして、内閣の閣議によって御訪問をきめるということと、それが、その内閣の持つ国内的ないろいろな問題の解決とか、国際的な問題の解決に利用するというふうなかかわり合いがあってはならぬというふうに私は思います。
この発言だけを見る →
吉田法晴#19
○吉田委員 先年の、米国は入っていなかったと思うのですけれども、ヨーロッパ御訪問等についても、儀礼的だとおっしゃる。なるほど儀礼的でしょうが、同行をした外務大臣は、これは政府を代表して、対外的には任務を持っておりましょう、日本とイギリスあるいは日本とオランダとの間にですね。その現職の外務大臣が随行する天皇の御訪問が、純粋に儀礼的なものたり得るか、こういうことにこれはなってまいります。
 それから、この間は、日本の外務大臣がアメリカに行って、話をしたとかせぬとかいう話になるのですけれども、やはり二国間の外交関係の中に、天皇陛下を利用しようと思っているのか思っていないのかわかりませんけれども、客観的にはそういうことになるのであります。
 ひとつ、あとでお尋ねをしたいと思っておることですけれども、たとえばオランダに天皇陛下が行かれるときに、オランダで、これは反対デモといいますか、デモがあったという話です。戦争中に、オランダというか、インドネシアに日本からの侵略がありました。そして、あすこの白人俘虜を、日本に連れてきて、強制労働をさせました。これは鉱山だとか港湾、私は、鉱山におって知っておるのですけれども……。そうすると、オランダ人の中に、対日感情といいますか、戦争中の日本の軍といいますか、あるいは日本の行為についてのやはり感情が残っておる。それが、天皇のオランダ訪問を機会にして出たんだと思うのです。あるいは最中ではなく、前であったと思いますけれども、出た。そうすると、日本から考えますと、儀礼的で、オランダの王室との間の親善を深めるために訪問された。しかし外国人から考えますと、必ずしもそうも考えないところがございます。
 それに対して、政府が外交の関係にもし利用をしたり、あるいは外交関係の中において、ニクソンの訪日、それに対する天皇陛下の訪米といったようなことを計画し、あるいは閣議決定で行かれる、こういうことをいま言われますけれども、それには、やはり政治が、外交が関係せぬというわけにいかぬじゃないか、そのことを言っているところであります。
 外務大臣が随行をしたり、あるいは政治的に意味のある訪米をもし推進するとするならば、あるいは元首の相互訪問ととられたり、あるいはアメリカの対日関係の調整という問題があったり、あるいは日本の政府の対米関係の調整といったものにこれを利用しようとしないにしても、実際に日米関係の中に天皇が入られるということになるとするならば、象徴天皇は、国事には形式的に参加をされるけれども、それは内閣の責任でやる、あるいは象徴的な、儀式的なことだけをやられるんだという憲法の精神を越えて、昔の明治憲法下での天皇の地位のような動かし方になるのではないかということをお尋ねをしているわけであります。重ねて、総務長官の御答弁を願います。
この発言だけを見る →
小坂徳三郎#20
○小坂国務大臣 ただいまのお尋ねでございますが、私は、前回のヨーロッパ御訪問のことは、純粋に儀礼的なものだと思います。
 福田外務大臣が随行いたしましたのは、やはり訪問される各国々に、日本大使館その他がございますが、そうしたところが、先方の政府といろいろ交渉して、エンターテーンメントその他の準備をいたしておるわけでございますので、そうしたことの手落ちのないこと、また、それの万全を期して、御訪問が意味あるようにするという意味で、私は、外務大臣が随行するのは、当然のことではないかというふうに考えます。
 それから、同時にまた、ただいま、憲法四条あるいは七条あるいは八条、いろいろとあるけれども、いまのやり方は、それを空洞化しようとしているのではないかという御質問でございますが、私は、決してそんなものではないし、また、その空洞化をはかろうとするようなことは、むだなことであると考えます。やはり現在の民主主義社会における象徴としての天皇、この地位を大切なものだと私は考えております。
この発言だけを見る →
吉田法晴#21
○吉田委員 そうは思いませんというだけでは、納得がなかなかいきかねるところですが、具体的に危険を指摘をしたところでありますが、応酬を繰り返しても、しようがありませんから、先に進みます。
 先ほど引き合いに出しました三笠宮の「帝王と墓と民衆」の中にも、終戦直後、天皇の戦争責任という問題が取り上げられたことがあるがということばがあったと思います。それは、御自分で「最初に当面した最大の問題は、皇族という身分に止まるかどうかという問題であった。当時は天皇退位の問題や戦争責任の論議などがあったので、すくなくともわたくし自身の心の中では、それは、じつに真剣な問題であった。」ということばの中にも、あらわれております。
 最近の国民の心情からいえば、少ないと思いますけれども、しかし、さっき次長が言われましたように、正月の参賀のときにさえ、かつては石が飛んだということがあって、それで警備で守ろうとしておられますけれども、私は、警備で守るよりも、その辺については、そこが皇室民主化の最大のかぎだと思うのでありますけれども、いわば憲法のいうとおりに、昔の天皇制に返すのじゃなくて、国民の象徴としての天皇、民主化された天皇として、国民に親しまれる天皇になられるように御援助申し上げることが、内閣にしましても、あるいは宮内庁にしても、必要だと考えるのですが、そこで、二つの点を尋ねたいわけであります。
 一つは、これは、もうすでになくなりましたが、みずからキリスト教の独立伝道者と申しておりますが、村田大造という人がおりました。これは、極端な人といえば、それまででございますけれども、国民の中に、どこかこういう考えを持っている人もおるという意味で引き合いに出します。適当なところがございませんから、私は、その趣旨をくんであれをいたしますが、村田大造という人は、八十二でなくなりましたが、男の子を二人持っておった。そして、その男の子が、戦争中、天皇陛下のお召しによって、一銭五厘のはがきで前線に出ていった。そのむすこも、クリスチャンだったから、戦争で死ぬことを欲しなかったけれども、前線にかり出されて、どこかわからぬところで戦死をしていった。そしてまた、戦死をしたあとの戦没者に対する弔慰金は、われわれのところは四千円もらったけれども、東條大将や何かは何万円という、弔慰金の大きな差もある。こういうこともございますが、そういう二人の男の子を、二人とも戦争でなくした。そして、戦争に召集されたのは、天皇のお名前で召集されたと考えておるだけに、戦争責任という問題について、しりのしりまで言っておりました。そういうことについて、どういうぐあいに考えられますかが一つ。
 それからもう一つ、国内的には済んでおるようでございますけれども、先ほど申し上げましたように、先年の訪欧の際には、イギリスの女王の口から、二国の間には好ましいことばかりではなかったという御発言があったということです。それからまた、オランダで、復員軍人同盟の天皇御訪問反対のデモがあったということも先ほど申し上げました。こういう天皇陛下の、初めて外国に出られた機会における対外的な発言の機会は、イギリスの女王の発言に対する御発言としてもあり得たのではなかろうか。それから、そういう意味では、国際的に戦争と戦争犯罪に対する反省というものが、われわれ全体にあるのだろうかどうか。このことは、イギリス女王の口から出た、あるいはオランダで、復員軍人の中からデモがあったということだけでなしに、この間、田中首相がインドネシアあるいはタイ等に行かれた際にも、私は、最近の経済的な、エコノミックアニマルとしての日本のあり方、経済的な進出のあり方だけではないものがあるような気がします。
 先ほどインドネシアについては触れました。これはオランダの兵隊だけではないと思います。戦後、日本に来て、日本人との友好を拡大するために、恩讐を越えて他国に来て、そのとき世話になった人たちとの間に交流、交歓をした人もございます。その心境はりっぱなものだと思いますけれども、これは、国として、あるいは政治としても、あるいは皇室のおそばについておられる宮内庁としても、御説明があってしかるべき問題だと思いますから、御答弁をいただきたいと思います。
この発言だけを見る →
瓜生順良#22
○瓜生政府委員 第一の関係で、村田大造さんの息子さんが戦死されたことに関連して、これは、国民全般の一つの例としてのことでございますが、天皇陛下とされましては、あの戦争につきましては、当時、軍国主義的な国家情勢があって、そのために、心ならずもああいう戦争となり、非常に心を痛め、残念に思われて、その犠牲者に対しては、いまも胸を痛めておられるわけでありまして、それは毎年の戦没者追悼式の際にも述べておられます。将来のために、再びこういう戦争があってはいかないし、永遠の世界の平和を望むということは、常に申されておるのであります。そういう点は、われわれも十分に承知いたし、その点で、われわれの仕事においても、遺憾のないようにいたしたいと思っております。
 それから第二点の、外に対する関係でありますが、これは、いま昭和四十六年の秋、ヨーロッパに行かれたときの例を引かれたのでありますが、英国の女王との晩さん会の際に、女王のほうでは、必ずしも好ましいときばかりでなかったということを言われたのですが、こちらの天皇陛下からのごあいさつに、それがなかったという点が、当時、英国の新聞でも問題になったということを聞いております。実は、別の機会の、ウェストミンスターのときには、それについて、ちょっとおっしゃっておったわけですけれども、しかしながら、女王の晩さん会のときには、どちらかというと、明るい思い出ばかりをおっしゃっていた。それで、英国の女王のほうの関係と、ちょっと合わなくて、あとから考えると、批判の余地はあると思います。しかしながら、これも、いまの陛下のお立場上、政治的な御発言を避けて、儀礼的であられなくてはいかぬ点もあるのですから、その発言のなさり方は、なかなかむずかしい点があると思います。
 そういう意味で、対外的な関係についても、儀礼的なお立場におられるだけにむずかしい点はありますけれども、ときには、おりに触れて、そういう問題も述べられておることもあるわけでありますが、将来についても、そういうことは検討すべきことかと思っております。
この発言だけを見る →
小坂徳三郎#23
○小坂国務大臣 天皇のいろいろな御発言や、その他を、われわれ慎重にいつも拝見しておりますが、やはり戦争のこと、そしてまた、戦争犠牲については、非常に深く心を痛めておられることがわかるわけでございます。
 また同時に、特に国会などでよくおことばがありますが、日本国憲法の定めに従ってということを、いつも言われておるわけで、この日本憲法の中には、かつての軍国主義時代と違って、憲法九条をもって戦争をしないという国是、また平和国家としていくのだということ、国内政治においては、民主化をどんどん進めるのだ、そして議会制度、議会主義を守って国の政治を行なっていくのだというわけでございまして、そうしたことが、いつもおことばの中に入っている点、私は、そうしたこと全般から見まして、天皇のお気持ちというものに敬意を表しておるわけでございます。そのように私は考えておることを申し上げておきたいと思います。
この発言だけを見る →
吉田法晴#24
○吉田委員 どちらからも、オランダの話はございませんでしたが、英国での話は、晩さん会のときには出なかったけれども、別の機会にはそういうあれがあったという。戦後、初めての天皇御外遊の際のことですから、戦争中の責任、あるいは戦争犯罪についての反省、あるいは謝罪をされるのに適当な機会ではなかっただろうかという意味で、これは、あとからの話ですけれども、いろいろ論議をされた。そういう点について、御自身については、いま言われるように、たいへん御自責の念がおありだとか、あるいはこの間、御成婚五十周年記念の際にも、全国を回られるのにわらじばきで回りたい、そういうお気持ちであったということがいわれております。しかし、先ほど来、宮内庁のおえら方の問題について、責任を問うておるわけですから、最初の外遊の際に、そういう問題についても、いわば御援助申し上げる点について欠けるところがあったのではないか、こういうことを申し上げたわけであります。
 昔のような無答責という姿勢では、民主主義的な、あるいは錯綜しております国際関係では、なかなか通らないのではないか。そして、そのことは、オランダでの訪和反対のデモになっただけでなしに、先般、田中首相が東南アジアに行かれた際にも、最近の日本の実情が、昔のことを思い出させるだけに、東南アジアの諸国に対してかけた迷惑についての反省が対外的には十分表明されていない。賠償はやられたかもしれない、あるいは経済援助はやられたかもしれない。しかし、日本で起こっておることはどういうことなのか。対外的には、やはり軍隊の復活、それも、先ほど申し上げましたような昔の天皇の軍隊が復活しているとわれわれにも考えられる。外国から見れば、これはタイムスにも出ましたように、日本の軍国主義復活といったものが心配されるのと、過去の反省の上に立って、新しいアジアの友好関係、善隣関係を打ち立てようという点が見えないところに、私は、最近のああいう事件が起こるのではないかと考えますだけに、この場を過ごしておけばいいという問題ではないこととして、側近の宮内庁のおえら方に、それから内閣の、この場では総務長官が最高の責任者でございますので、総務長官にお尋ねをしておるところでございますから、もっと誠意をもって、これからの問題として御答弁をいただきたい。
この発言だけを見る →
小坂徳三郎#25
○小坂国務大臣 オランダの場合は、たいへん恐縮でございますが、私自身も、オランダに参ったときに、会う人ごとにたいへん非難を受けました。戦後でございます。これが一回だけではなく、もうずっと長く続いておるわけでございまして、オランダの日本に対する感情は、前の戦争で非常に悪くなっているということは、すでにだれでも体験している点ではなかったかと思います。
 陛下がいらっしゃる前に、そうした問題を少しでもゆるめ、そして、もっといい状態にしておくという努力、これは、やはりインドネシアの独立ということとからんでおると思いますが、そうしたような関連について、十分配慮をしなかったのは、政府としても、十分反省をした点だと思います。
 先般の、田中総理の東南アジア訪問におきましても、日本の、今日までの経済進出の姿勢が、一般大衆にきわめて悪い印象を与えていたということが如実に示されたわけでございます。総理は帰ってまいりましてから、閣議で数度、この問題についての、今後の日本の経済協力というもののあり方、そうしたものについての反省を繰り返して申しておりますし、先般も、経済界との懇談の席におきまして、強くこの点についての反省を求め、今後は、政府とまた民間は、こうした一般の大衆が不愉快だと思うようなことはやめようじゃないか、今日までやってきたものにいいものもあったけれども、しかし、悪いものもあるという事実を率直に認めて、今後の経済的な協力あるいは外交関係すべてを、もう一回ここで練り直そうではないかということを呼びかけておりました。
 そうしたことに関連して、今度新しく、また、そうした問題を、十分に政治活動の中で表現するような組織もつくるというようなことにまで政府は対策を進めておるわけでございます。御了承いただきたいと思います。
この発言だけを見る →
吉田法晴#26
○吉田委員 元号の問題については、同僚議員から、ずいぶん質問がございましたから、いわば、手続の問題といいますか、あるいはその他については、もう重複を避けます。
 ただ、これは、私の意見も含めますけれども、元号の問題についての、いままでのいろんな意見、それから新しい憲法のもとにおける皇室の民主化、そういうものを考えると、私は、当然に、いわば憲法的な制度として、憲法的な観点から考えるならば、天皇の一代の名称と、それから元号、歴史的な番号というものは切り離さるべきだと思います。そういう意味においては、国際的に使われておる西暦を使うのが、新しい憲法の精神ではないかと考えますが、手続的には、いろいろ論議をされますけれども、手続の問題を抜きにして、結論だけを承りますが、総務長官、いかがでしょう。
この発言だけを見る →
小坂徳三郎#27
○小坂国務大臣 先般も、皆さまにお答え申し上げたとおり、この問題は、きわめて厳粛な問題であるということを私は考えております。
 なお、本委員会におきましても、諸委員の皆さま方から、いろいろの御意見も出ておりますし、また、われわれ自体としましても、元号についての世論の動向等も、世論調査等をいたしておりますが、引き続いて、今後、慎重に検討してまいりたいという考えでございます。
この発言だけを見る →
吉田法晴#28
○吉田委員 前の答弁を繰り返されたのですが、厳粛な問題と言われるのですが、厳粛な問題というのは、どういう意味か私、わかりませんけれども、古い明治憲法時代の元号の問題と新しい憲法下における元号の問題とは、これは別だと思う。厳粛な問題だと言われる意味が、ようわからぬのですが、古い考えでなければ、厳粛な問題でも何でもないし、ことしを何年と呼ぶか、西暦何年と呼ぶか、あるいはまさか日本歴史が二月十一日に始まって云々というものを——紀元の日というのは、きまっておりますけれども、日本暦皇統何年ということでもないでしょう。厳粛な問題というのが、理由がわかりませんけれども、それと暦年の問題とは別の問題じゃないか。新しい民主憲法のもとにおいてきめるのならば、国際的に通用する暦年、それ以外にないのではなかろうかと考えられますが、どうでしょうかということです。
 厳粛の意味と、それから世論を聞きながらきめたい——制度的には、公式制度連絡調査会議ということですが、実際に、これは、そこにかけるという姿勢もない。慎重に云々ということで、じんぜん日を送られますか、いかがでしょう。
この発言だけを見る →
小坂徳三郎#29
○小坂国務大臣 お答え申し上げますが、これは、一つの実例として、小学校、中学校及び高等学校の教科書においては、昭和四十三年八月に、文部省の初等中等教育局長が通知を出しまして、教科用の図書検定基準実施細則によりまして、日本の歴史の紀元について、重要なものについては、年号と西暦が併記されなければならないというふうにしているわけでございます。
 したがいまして、ただいまのお話のように、こうしたことについては西暦を使う、また併記をするということは、すでに行なわれておることでございます。
 それからもう一つは、厳粛なことと申しますのは、やはり象徴である天皇の生命の問題とか、あるいはその他のきわめて重大な変化ということを意味しますから、したがいまして、われわれとしましては、そうした国民の象徴である天皇の身分の、あるいは生命についての大きな変化ということ、これをあらかじめ予測して、また、あらかじめこれをどうするかという問題については、いまのところは、すぐ取りかかることがなかなかむずかしい、心情的にきわめてむずかしいということを申し上げている意味でございます。
この発言だけを見る →
← 戻る