秋田大助の発言 (本会議)

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○副議長(秋田大助君) 本日表彰を受けられました他の議員諸君のあいさつにつきましては、これを会議録に掲載することといたします。(拍手)
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   木村武雄君のあいさつ
 永年勤続議員として、特に院議をもって表彰を受けましたことは感激に堪えません。厚く御礼申し上げます。
 私が初めて国会議員になりました年は昭和十一年二月二十日でありまして、その直後が若手軍人のクーデターともいうべき二・二六事件であります。そして、その翌年の七月七日に支那事変が始まって、それが大東亜戦争にエスカレートして、第二次大戦に拡大して、日本が敗戦を迎えたのですから、真の激動期で、正に日本が噴火山上に乗り上げた時でした。
 私の師匠は石原莞爾先生で、先生は卓抜した軍事的天才でしたから、この戦争の将来を予告して、私に、このままで推移すれば日本は日清戦争以前に逆転すると警告されましたが、大度の傾く時には一本の支え等は物の数でないことをしみじみと体験しました。それだけに、政治家も学者も役人も、一犬虚を伝えて万犬が吠え出した時の弱さもまたありありと見せつけられたのです。そうですから、国家民族の支えとなるのは一握りの層や個人等ではない、やはり国家の底辺にうずくまる国民以外にはないと考えましたので、国民に根をおろした政党による議会政治に強い執着を持ちまして、議会制民主主義の確立に最後の御奉公をしてみたいと決意しております。
 しかし、その道は近きにあるものの如くに見えてあまりにも遠いことに、いまさらながら慄然としております。しかし何人かが果たさねばならない大使命でありますので、各位の御援助と御理解によって、その日の到来に懸命の努力を続ける覚悟です。
 ここに、改めて同僚各位に心からなる感謝を申し上げて、謝辞といたします。
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   佐々木良作君のあいさつ
 このたび、院議をもって、国会議員二十五年の在職の故をもって、永年勤続議員の表彰を受けましたこと、身に余る光栄と存じ、感謝にたえません。
 私は、夏以来少しく健康を害し、ために思わざる余暇を得て、新憲法施行第一回の参議院議員として始まった私の政治生活を顧みる機会を持ったのでありますが、昭和二十二年以来現在まで二十七年間、電力事業に復帰して道草を食った二年間を除いてちょうど二十五年間は、花々として過ぎ去って、さながら疾風の如くであった感をいだくのであります。今日の喜びもまた決して私のものではなく、先輩、同僚並びに郷里選挙区の皆様、格別各種の運動や政治活動に苦労を共にした同志諸君のたまものであることを痛感いたし、これらの人々を想い浮かべて感無量のものがあります。
 さてしかしながら、急速度に驚異の成長をとげたわが国経済も、昨今ようやくにして曲がり角にきた観を呈し、加えて突如として起こった石油危機の痛打を受けて、一挙に昭和元禄の夢は破られ、新たなる困難がわれわれの前に展開して参りました。
 この時にあたって、私共の過ぎ去った政治歴の功を称えられることは、誠に忸怩たる感を強くするのであります。
 私は、かつて敗戦の混乱の中で新憲法の理想に若い胸をふくらましながら初登院した最初の記憶を想い浮かべながら、ここに思いを新たに、今日の政治困難に断固として取り組む決意を自らに申し聞かせ、謝辞といたします。
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   橋本登美三郎君のあいさつ
 私は、このたび院議をもって衆議院在職二十五年の永年勤続表彰をいただきました。まことに感激にたえません。これはひとえに、今日まで御指導、御鞭撻を賜わりました先輩、友人各位、並びに変わらぬ御支援を送っていただきました郷党の皆さまのおかげでありまして、共に今日の栄誉を分かち合いたいと思うものであります。
 二十五年の私の議員生活の歴史は、まさに日本の敗戦の苦しみとの戦いに始まっております。当時、今日の繁栄をだれが想像できたでしょうか。日本国民の英知と勤勉性、わが民族の優れた能力が、この国力と豊かな暮らしを生み出したことはもちろん、各国の理解と協力も見のがすわけにはいきません。
 私も、二十五年間の議員活動の努力の中で、多少でも国家、国民の皆さまのためにお役に立つことができたものと、小さな誇りを感ずるものであります。
 確かに、わが国は経済大国といわれ、戦前とは比較にならぬ、“物”の豊かさを味わうことができました。しかし“心”の豊かさについて私たちは全力を尽くしてきたでしょうか。「近ごろの若いものは……」ということではなく、自分自身を省みて、恥かしい思いがいたします。
 大学、高校もたくさんでき、小、中学校の格差も是正され、教育施設は立派になりました。しかし、文教制度とは、これだけではありません。人間形成に最も大事なもの”心の教育”が焦点からはずれているのではないでしょうか。幼い心の芽を延ばす教育といわれ、それぞれの幼い芽が、それぞれの肥料と、育てる者の思いやりを必要とするのに、おとなの勝手な思想で肥料を与えるあやまちを犯してはこなかったでしょうか。
 私たち議員は、資源の乏しいわが国にあって「人こそかけがえのない財産である」と承知していながら、その人を育て、磨きあげるための充分な努力をしてきたかどうか。いま二十五年の表彰を受けながら、このことに深く思いをいたすものです。
 経済政策のあやまちは是正できます。しかし教育政策の失敗は許されません。教育の失敗が現実のことになったら、日本民族に対して、また日本文化を継承する者として、申しわけないだけではすまされないことだと思います。
 私は、これからの議員生活において、このことに力点を置き、全力を尽くす決意であります。
 今日の栄誉と感激を深く肝に銘じ、心を新たにして政治と取り組む覚悟であります。この佳き日に、関係各位に心から感謝いたします。
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   佐藤榮作君のあいさつ
 このたび、私が院議をもって、在職二十五年の表彰を受けましたことは、まことに光栄と存じ、感謝にたえません。これもひとえに多くの先輩、同僚、特に有権者各位の変わらぬ御指導、御声援のたまものと、心から謹んで御礼申し上げます。
 私が政治に志しましたのは、国破れて山河ありという言葉が、まさに実感をもってせまった焦土にあって、なんとか祖国を以前のような、豊かでりっぱな姿に復興させたいと、一途に念願いたしたからであります。
 それから今日まで、国民の皆さんのなみなみならぬ御努力によって廃墟はよみがえり、奇跡といわれるほどの繁栄をなしとげ、世界の経済大国に躍進いたしました。戦争で失われた国土も、沖繩、小笠原は返還され、あと北方領土を余すのみであります。物質的な復興については、こうしておおむね所期の目的は達成されたといってよいでありましょう。
 しかしながら、今日、戦争によって損われた心の回復はなかなか容易でなく、創痍いまだい、えずの感を深くいたします。その荒廃は、教育、犯罪、公害その他、社会のすみずみに及び、あわせて、国際的なわが国の評価の面でも好ましからざる声があることは、先刻御承知のとおりであります。
 さらに、今年は中東戦争に端を発して、わが国には致命的なエネルギー問題が深刻化するに至りました。まさに内憂外患あわせ来たるの感があります。
 一国の富の繁栄が永遠に続くものでないことは、すでに人類の長い歴史が証明いたしております。これからのちの日本の指標は、国小なりといえども、心豊かで普遍的、国際的な説得力のある人材、思想、文化を生み出し、世界の国々から精神大国と尊敬をかちうる道ではないかと思っております。
 このときにあたり、私は再び初心にたちもどり、始めをたずね終わりに反る覚悟を新たにして、なおいっそうの御奉公をいたしたいと存じます。
 以上、いささか所信の一端を述べ、国民各位の御支持、御高導を衷心よりお願い申し上げて、私のごあいさつといたします。
 ありがとうございました。
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   床次徳二君のあいさつ
 本日ここに、衆議院の院議をもって、永年勤続議員として表彰せられました。まことに感激の至りであります。これ偏に先輩、同僚各位の御指導と選挙民各位の御支援のたまものでありまして、心から感謝申し上げます。
 私が初めて衆議院議員として当選いたしましたのは、昭和二十四年一月であります。まだ占領行政下にありまして、国民ひとしく何よりも祖国再建の必要を痛感しておるときでありました。破壊と困難と窮乏に堪えて、ついに独立を達成し、経済の繁栄と生活の向上の途へと前進し、特に奄美大島の返還、沖繩の復帰などを実現することを得まして、まことに感慨無量であります。
 しかしながら、現下の国情を顧みまするとき、内外頗る多事であり、理想とする政治の実現にはなおほど遠く、教育を刷新し、国民生活を安定し、福祉国家を建設するために、今後さらに大きな努力を要するものと存じます。
 私は、微力ではありますが、今日まで身につけた経験をもとに、各位の御指導、御鞭撻のもとに一層の努力をいたしまして、憲政に尽くし、民心の伸張のため政治家としての本分を完遂いたしたいと存じます。
 ここに重ねて御礼を申し上げると共に、従来に変わらない御指導を心よりお願いいたしまして、御挨拶といたします。
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   大橋武夫君のあいさつ
 このたび、永年在職議員として院議をもって表彰を賜わりました。まことに身に余る光栄で、感激のほかはございません。
 私は、この二十五年間、この表彰に値する何の功績もないことをまことにお恥かしく存じます。ただ、選挙民各位の御支援と同僚各位の御厚情により本日の光栄に浴することのできましたことを、深く感謝するばかりであります。
 今後は、もとより微力ではありますが、私の最善を尽くし、国家、国民のため一身を捧げ、もって本日の栄誉に対する感謝の誠を表わしたいと存じます。
 つきましては、この上とも、従来に変わらぬ御指導、御鞭撻を心からお願いいたします。
 ありがとうございました。
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   長谷川四郎君のあいさつ
 このたび、私が永年在職議員として、御丁重な表彰を賜わり、まことに感激のきわみでございます。身に余る光栄と深く感謝申し上げます。
 初めて私が本院に議席を得ましたのは、戦後間もない、混乱いまだ落着かない時でありました。日本国民が味わったことのない敗戦であり、この体験を知らない我が国の国民にとっては仮借のない真の激動期でありましたが、よくこれを克服して、世界に誇る新生日本国に再生することができました。二十五年間の過去を振り返るとき、感無量のものがあります。
 本日この栄誉ある日を迎えることができましたのは、ひとえに諸先輩、同僚諸賢の御指導のたまものでありまして、特に選挙区の皆様の長年にわたる御支持によるものであります。ここに謹んで深甚なる感謝の意を表します。また、うちにおいては家族の者に人知れぬ苦労をかけました。
 この表彰を受けました以上、議会制民主主義の進展と郷里の発展はもとより、日本国繁栄のため、今後さらに一層の努力を傾けることをお誓い申し上げまして、謝辞といたします。
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   西村直己君のあいさつ
 このたび、本院在職二十五年にあたり、院議をもって御丁重な表彰を賜わりましたことは、身に余る光栄と存じます。
 これ偏に、同僚各位並びに郷党の皆様の御支援、御鞭撻によるものであり、心から感謝に堪えません。
 顧みまするに、私が本院に初めて議席を得ましたのは、まさに敗戦から立ち上がらんとする昭和二十四年一月であり、爾来、四半世紀、この間、復興、独立、経済成長を目指し、日本国民は大きく発展して参りました。
 しかし他面、それに伴う多くの歪みも残され、これらの解決もまた、今日内外の大きな政治課題であります。換言すれば、今日、国を挙げて歴史の大きな転換期に立っておると申しても過言ではありません。
 ここに、今日の感激を肝に銘じ、議会人として初心に返り、微力ながら、日本国の繁栄と国民の福祉のため、議会政治の伸展に一身を捧げ、最善を尽くす所存でございます。
 所信の一端を申し述べて、謝辞といたします。
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   前尾繁三郎君のあいさつ
 ただいまは、私の本院の在職二十五年に対し、院議をもって御丁重な表彰をしていただきましたこと、まことに身に余る光栄と存じますとともに、心から御礼を申し上げます。
 今日にいたるまでには、二十五年間は実に長い感じもいたしましたが、今振り返ってみますと、全くあっという間に経ってしまったような気さえいたすのであります。まことに感慨無量のものがあります。もとより浅学非力の私が今日あるのは、全く先輩、同僚各位の御指導、御鞭撻に加えて、選挙区の各位の変わらざる御支援のたまものでありまして、感謝のほかはありません。
 顧みますと、私が初めて本院に議席をもちましたのは、まだ占領下の混沌たる時代でありました。当時私は、わが国は福祉国家というよりは、むしろ道義ある文化国家を理想とすべきものと考えておりました。しかし、完全雇用と国際収支の均衡だけはわが国の最少限度の要請でありますから、懸命に経済成長によってこの二つの国家的要請の達成に努力したのであります。しかし、その反面、公害問題をはじめ国民の福祉を犠牲にしたことは否定できませんし、道義必ずしも正しいとはいえないと思います。かくして、これからは道義ある福祉国家の実現に邁進すべきものと考えておりました折柄、現在のような物価騰貴と石油危機を迎えたのであります。
 したがって、この表彰を機として決意を新たにし、時局の乗り切りに微力を尽くしたいものと存じております。今後とも従来以上の御指導と御鞭撻を賜わりますことをお願い申し上げ、勝手ながら御礼の言葉にかえさせていただきます。
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   久野忠治君のあいさつ
 このたび、本院の院議をもって、二十五年の永年勤続に対し丁重な表彰の御決議を賜わりましたことは、私の身に余る光栄であり、深く感謝の意を表したいと存じます。
 これひとえに、諸先輩、同僚諸賢の並々ならぬ御指導、御鞭撻のたまものであり、とりわけ長年にわたる郷土選挙民各位の心暖かい御支援、御厚情によるものであり、この機会に改めて衷心より厚く御礼申し上げます。
 いま、表彰を受けるに際し、壇上で静かに目をつむると、四半世紀にわたる私の議員生活のいろいろな思い出が走馬燈のように走り去って行きます。
 思えば、私が本院に初めて議席を得ましたのは、昭和二十四年一月の戦後間もない混乱の最中であり、民心は動揺し、国民生活は貧困のきわみでありました。このような戦後の混乱と廃墟の中から一日も早く立ち上がり、平和国家の建設に邁進することが我々に課せられた責務であると確信し、若輩にして浅学非才の身をも顧みず、政治の道に志を立てたのであります。自来、戦後の復興と新生日本のいしずえを築くために、新しい国土の建設、民生の安定向上、次代の日本を背負う青少年の育成等の諸問題にとりくみ、政党人として、また議会人として、国政の発展に微力をささげてまいりました。
 幸い、戦後四半世紀余にして、国民各位の努力により、わが国は今や世界有数の経済大国にまで発展し、国際社会に重要な地位を占めるに至りましたことは、まことに欣快に堪えないところであります。
 また、私は、わが国の国際社会に置かれた立場に深く思いをはせ、思想、制度の相違をこえてあらゆる国々との友好視善関係を確立することがわが国の国益に資するものと確信し、昭和三十年以来、数度にわたって中国、ソ連を親善訪問し、さらに昨年一月には、万難を排して北朝鮮を訪問いたしました。幸いにも、昨年九月、田中首相の中国訪問によって、日中国交正常化がなしとげられ、さらに本年五月には、私が通信行政を主管する郵政大臣として、日中海底ケーブル敷設に関する合意文書に署名することができましたことは、私の生涯の記憶として残るものと存じます。
 ひるがえって、わが国の現状を見るに、一見繁栄の中にも多分に不安定な要素が包蔵されており、石油危機に端を発した物資の不足、物価の高騰等、国際的にも国内的にも、きわめて憂慮すべき様相が現出しております。
 私は、今こそ初心に立ちかえり、民生の安定と真の世界平和の確立に最善の努力をいたす覚悟であります。今後とも、相変わらずの御指導、御鞭撻を賜わりますようお願い申し上げます。
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   福永健司君のあいさつ
 本院在職二十五年に及びたるの故をもって、ここに院議をもって表彰を賜わり、光栄の至りに存じます。
 この間、何かと御指導、御援助をいただいた先輩、同僚の各位並びに終始変わらぬ御愛情をもってお育ていただいた選挙民の皆様に衷心より感謝申し上げます。
 この四半世紀、思えば大いなる変転の連続でございました。苦難をこえて今日に至った我が国の来し方をかえりみて深い感懐を禁じ得ません。この時に処しての政治生活、見方によっては概ね辛酸の集積でありました。政治家の宿命を思わざるを得ませんが、その故にこそ生き甲斐もあったと思います。
 桑港講和会議に国会代表として出席した際、私は国の独立ということのよろこびと厳しさを身にしみて感じました。今、世界三十数億の人々の見まもる中で、平和に徹して繁栄と福祉をはかる日本民族ひたむきの努力には全く頭が下がると共に、国土狭く資源の乏しい国民が激動する世界の中で生きていく途のけわしさを忘れてはならないと思います。私は、十数年前から列国議会同盟執行委員を仰せつかっておりますが、効果的な国民外交の一典型として、議会外交一層の展開にもこの上とも努力いたしたいと存じます。
 六年あまり前、強烈な心筋梗塞に襲われて絶望視され、いわば三途の川のほとりから引き返してきたという特異の体験を持つ私は、もうどこで身を捨てても惜しくはないわけでありますから、ここという必要の時には拾った命を投げ出して悔いはないと考えております。
 何とぞこの上とも、御指導、御鞭撻のほどお願い申し上げます。
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   塚原俊郎君のあいさつ
 このたび、私が本院在職二十五年になりましたことに対し、院議をもって表彰されましたことは、身に余る光栄であります。心からお礼申し上げます。
 これひとえに、先輩、同僚の御指導と郷里の皆さまの多年にわたる御支援のたまものであり、尊敬する父母の鞭撻によるものであります。深く感謝申し上げます。
 私が初登院いたしましたのは、まさに日本が敗戦の焦土から立ち上がり、復興へ向けて力強い一歩を踏み出した時期でありました。議会制民主政治に対する国民の強い期待を考えて、身が引き締まる思いがしたことを、今も鮮やかに思い出すのであります。
 以来二十五年、わが国民の勤勉と英知は、平和経済大国日本を達成しました。私自身を顧みる時、はたして国民の付託にこたえ得たかどうか、いささか面はゆい思いを禁じ得ないのでありますが、国民の絶えざる支持によって責任政治を遂行して参りました私どもの基本路線は、国際的にみても誤りはなかったものと自負いたしております。わが国民の戦後史は、世界の歴史に光彩ある一ページを書き加えたものと信じております。
 私の議会政治家としての念願は、内に国民福祉の向上充実であり、外に平和国家日本が国際社会において光栄ある地位を占めることでありました。これを達成する方途は、議会政治をほんとうに国民のものとし、議会を話し合いの場として確立するほかはないと考え、微力を尽くして参りました。
 いま、石油危機という、戦後日本にとって最大の困難に遭遇し、国中が右往左往しているかにみえます。確かに高度経済成長政策には反省を加え、安定成長への大転換をはからなければならない時を迎えていることは事実であります。
 しかし、あの荒廃を乗り切った国民のエネルギーは、必ずや新しい時代と新しい生き甲斐を生み出すでありましょう。国民は自らの英知を信ずるべきであります。
 国民の望む政府と国民のための議会政治がある限り、何ものも恐れるに足りないのであります。
 私の初登院以来初の大転換期を迎えるにあたって、在職二十五年目を迎えた使命感がふつふっと身内にたぎり立つのを感じております。今後とも、政治家としての初心を忘れず、わが国の発展と充実に全力を傾注する決意であります。
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   河本敏夫君のあいさつ
 このたび、本院の院議をもって、二十五年の勤続に対し丁重な表彰を受けました。まことに身に余る光栄で、感激にたえません。
  私が初めて本院に議席を得ましたのは、昭和二十四年の一月であります。自来わが国は内外において幾多の重大事件に出会いましたが、その中でも特に国の運命将来を左右するような大事件が二回起っています。
  その一は、昭和二十五年六月の朝鮮事変であります。敗戦後約五年間は、わが国再建の方向が不明確なまま経過いたしましたが、この時以来、自由主義諸国の強力な一員として、また米国の友邦として、さらにアジア諸国の先進国としての進路が確定したと申しても過言ではありません。
  この時以来の急速な経済再建により、産業構造も、戦前の繊維工業、雑貨工業等の軽工業より、重化学工業へと転換をなし得たのであります。
  その二は、今回の第四次中東戦争であります。この戦争を契機として発生した石油問題は、現在のわが国産業構造の一大転換を必要としております。今後は資源確保及び環境保全を考慮しつつ、新しい進路を求めなければなりません。
  困難な問題ではありますが、有能な日本民族は、必ずこれを解決して前進を続けるものと確信いたします。
  微力ではありますが、今後とも議会政治の発展と、新しい国づくりに努力をいたしたいと存じます。先輩、同僚各位の御指導を切にお願い申し上げます。
  なお、過去二十五年間、たゆまない御支援をいただきました選挙区の各位に、衷心より御厚礼申します。今後一層の御鞭撻を賜わりますようお願い申し上げます。ここに、改めてお礼申し上げ、御挨拶といたします。
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   關谷勝利君のあいさつ
  私は、ただいま院議をもって永年勤続議員として表彰せられました。
  これ偏に、先輩、同僚各位の御指導、御援助と、選挙民の熱狂的な御支持によるものでありまして、感激のきわみであります。
  今後とも、一層の御指導、御鞭撻を賜わりますよう御願い申し上げまして、御挨拶といたします。
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 議員請暇の件

発言情報

speech_id: 107205254X00119731201_015

発言者: 秋田大助

speaker_id: 15883

日付: 1973-12-01

院: 衆議院

会議名: 本会議