藤原道子の発言 (社会労働委員会)

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○藤原道子君 私、思いがけなく、議会といたしましては初めてのようなこの感謝の会をお持ちいただきまして、まことにありがとうございます。
 私は、終戦後初めて衆議院に出まして、自来ずっとつとめさしていただきましたが、皆さま御案内のように、うちが没落いたしまして、尋常五年の中途退学、十一から印刷女工をいたしまして、夜学に行ってやっと尋常小学校だけを卒業した者でございます。
 無学な私が大正十四年から社会運動に飛び込みまして、そして議員になってきょうまでつとめさしていただきましたが、実は、私が参議院に回りますときの公約が社会保障制度の確立、これが私の公約でございました。ところが、まだ社会保障があまりいわれていないときでございましたので、社会保障などは夢物語だ、あんなものができるもんか、だまされるな、街頭演説でまで攻撃を受けましたが、おかげさまで私は当選いたしましたので、自来、このことが、ほんとうに社会保障が実施されるまで私はがんばるんだと、こういうつもりで、無学ではございますが、いろいろな施設を視察したり、いろいろいたしまして、おかげで、今日では、厚生省にしろ労働省にしろ、社会保障を相当取り上げてきたということで、私はほんとうにうれしく思っております。
 実は、私は、去る六年前の選挙のときに、当選して二日目に心筋硬塞を起こしまして、そのとき、ああ、もうこれでやめよう、——手銭手弁当の応援で、七回の選挙でたった二千万円も使っておりません。皆さんの手銭手弁当の応援のおかげで議員生活が続いたんだから、議員である限りは皆ざまに感謝の気持ちを込めても国会活動をしなきゃならないと。で、無理をいたしまして、肝臓、心臓、じん臓が悪くなりました。肝心かなめのところが悪いんだから、もう議員をやめたほうがいいと医者から注意もいただきましたのでやめる決意をいたしました。けれども、やめましても、私は、社会保障関係の仕事は何とか命のある限りやっていきたい。これが御支援いただいた皆さま、そして私のようなわがままなばばあを委員会でもずいぶん好意をもっておつき合いをいただきました方に感謝の気持ちでも、命ある限り働く決意をいたしておりますが、全国から反対はございますけれども、やめたあとでも働くことで反対の方にはお報いをいたしたい、こう考えております。私のような無学な者で、そしてわがままなばばあに対しまして最後にこんな表彰状までいただきまして、泣きたいほどうれしゅうございます。
 実は、二十五周年の表彰をいただきましたときにも、何といいますか、超党派で祝賀会をやっていただきまして。衆参両院の議長さえ御出席をいただきました。衆議院の代議士の方も全党の方が御出席いただいて、お祝いをしていただいたのも議会始まって初めてだということでございましたのに、この委員会でこんな感謝のおことばをちょだいしまして、何ともお礼の申しようがございません。実はきょう、こんなしゃれたかっこうで参りましたが、これは二十五周年のときにやはり社会労働委員会でお祝いにいただきました。私はおしゃれじゃございませんが、これもお祝いにいただいたものでございますから、それをあわせましてきょうは感謝の気持ちでやってまいりました。
 こんなに最後の日まで御厚情いただきましたことを心から感謝いたしまして、今後も皆さんと御一緒に、院外ではございますけれども、できるだけのことをしたい、こう考えております。まことにありがとうございました。(拍手)

発言情報

speech_id: 107214410X01419740530_002

発言者: 藤原道子

speaker_id: 16070

日付: 1974-05-30

院: 参議院

会議名: 社会労働委員会