嶋崎譲の発言 (文教委員会)

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○嶋崎委員 最後に、いずれまた議論をさせていただきますが、いまの大臣の答弁、筑波大学の人事委員会がどういうメンバーで、その人たちが専門領域を発令し、業績を評価できる能力があるのかないのか、これをはっきりさせないといかぬと思うのです。だから、全学的な調整で、たとえばこういう講座やこういう研究の科目は要るが、こっちはいまのところ調整しようというようなことの調整として、たとえば研究科目とかそれから教官の定員とか、そういうことについての調整はあり得ると思います。しかし、実際にこの人間がその科目にふさわしい研究業績があるかどうか、教育ができるかどうか、そこまでを判断する能力は人事委員会というものはないと私は思います。というのは、多数決で決まりますから。たとえば梅さんのような場合でも、牛島教授は要ると言っている。ところが、人事委員会では要らぬと言うのですから。そういう姿を一つとってみてもわかるように、筑波大学で問題になっておる人事委員会というのは、大学の研究業績を本当に判定して、発令し得るようなそういう権限まで持たせたら大変なことになってしまう。その事態がいま起きておる。
 たとえば、大臣ひとつお調べ願いたいのは、外人教師のかわりに入った筑波大学のいまの外人教師の中に、本当に外国語を教える能力のある教官がそろっているのかどうか、これは大問題だと思います。たとえば、フランスで大学を卒業して、日本に観光旅行でビザで来ている、それが講師になっております。単に大学を出て、フランス語をしゃべるというなら、中学生だって高校生だってできますよ。しかし、外国語の教官としてフランス語を筑波大学の学生に教える能力があるかどうか、そういうことについての判定なしに非常にイージーな人事が行われております。ですから、いま中国語以外の外国人教師、これを全部一遍点検していただきたい。そうすると、梅さんがパージを食って、ほかの外人教師はよろしいという根拠がどこにあるのか。これは大学内部の問題ですから、大学が決めたことについて干渉はできません。しかし、人事委員会というものが、本当に研究経歴や業績やそういうものを判定した上で人間を採用しているのかどうかということについては、非常に疑問の節があります。ですからそういう意味で、私はかつてここでも質問しましたが、筑波大学のタイプは、東京大学と京都大学のどの辺の学長の給料かと聞いた。そうすると中間だと言うのです。筑波大学というのは日本の総合大学の最高大学ですよ。その最高大学の外国人教師が、フランスの大学を出て、教職の経歴やそういうものもなくて、観光ビザで来ている者を、観光ビザを切りかえて、そして授業を教えているということを認める人事。そして片一方では、日本籍を持った中国人が、非常にすぐれた教育者としての能力があるにもかかわらずパージを食っている。どう見てもいまの人事委員会のあり方というのは、ここで文部省が非常にきれいな説明をいっぱいしましたけれども、私が危惧したとおりの事態が現実に起きています。ですから、それだけに大臣は簡単に学部割拠主義、それは確かにありましょう。しかし、学部割拠主義があったって、学部を前提にして調整することができるのであって、何も学部を解体する必要はないわけであります。だから、大学の改革のあり方にはいろいろなタイプの改革があっていいわけであって、したがって筑波のようなタイプは非常に危険性をはらむタイプの大学の管理運営だと私は思います。ですから、一般的に全学的な調整という意味で、総合的な管理運営や人事の機関を設けるということ、それ自体は新しいタイプであっていいと思いますが、それには相当慎重な人間の配置と選考と運営が行われなければならない。ところが筑波は、新しい新しいと言いましたけれども、最悪の古い危険なタイプとして機能していると私はにらんでいます。材料を挙げれば山ほどあります。
 たとえば、ほかの大学から移ってくる人事なんかについても、学会で十分な業績のあると思われる人が筑波に移っているのかどうか、そういうことについても、かつて私の学会にいたメンバーから見て、一流の筑波大学に行かれる業績、その個人を言いませんけれども、そういうふうに判定していいかどうか疑問な方が大変重要なポストを持っておられるとか、そういうことがかなり見受けられるように思います。ですから、いま大臣のおっしゃった、人事委員会というものが学部割拠主義に対抗して大学をよくしていくというタイプの管理運営たり得るかどうか。というのは、日本の大学というのは、ぼくは思うけれども、やはりポリティカルカルチュアに合わせて大学の制度や運営というものを考えていかないと、そしてまた教官の持っているビヘービアを頭に置いて考えていかないと、ただ新しいタイプを制度的につくりさえすれば新しくなるというものではないと思う。永井大臣は社会学者ですから、プロセス論もやっていらっしゃるでしょうし、私は制度論ですけれども、制度論とプロセス論を考えて、日本の今日の大学の伝統を生かす大学改革というのは何かというふうに考えると、筑波のようなタイプは、新しいように見えるけれども、果たして日本のカルチュアに合っているのかどうか、そういう点について私は大変疑問を持つわけでございます。そういう意味で、人事委員会というのは、筑波のようなタイプはあり得るということは言えるけれども、いまの日本の大学の現状で、ああいうタイプのものをほかにもつくっていくようなことをしたら、マイナスに機能することが多くて、よく機能することは少ないというふうに私は思うのでございます。
 そういう意味で、今度学部というものを前提にした大学院大学というものの考え方について、この法の改正について、また理事会に諮って議論をさせていただきたいと思います。きょうは筑波に関連して、新構想大学という問題で、教授会と人事委員会という管理運営に関連しての問題点だけを指摘して、終わらせていただきます。

発言情報

speech_id: 107505077X00819750418_031

発言者: 嶋崎譲

speaker_id: 860

日付: 1975-04-18

院: 衆議院

会議名: 文教委員会