吉田法晴の発言 (石炭対策特別委員会)

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○吉田委員 法律家ではないし、それから鉱山保安関係についても実務に携わっておられぬから、常識的な答弁をされるのも仕方がないと思いますが、もう少し具体的に話をして、お考えいただきたいと思います。
 さっき理事会で決議についてお話ございましたが、鉱山保安法及び関係法規の再検討を行うというふうにございますが、このことは、いま鉱山保安の責任者が行政上は通産大臣ですから、立地公害局長だけでなしに、やはりあなたたち、あるいは大臣も責任を持っておられる。大臣が責任を持っておられるということは、政務次官も責任を分担しておられるということだと思いますが、鉱山保安法にこうなっておるから、さっき読み上げましたあれから言いますと、現場の責任者あるいは中間の責任者の責任しか問われない、こういうことになります。それで、人一人の命が地球よりも重いということはお認めになりました。これは民主主義の原則でありますから当然であります。ごく最近、戦争前までは、炭鉱以外のところでは人一人の命が相当、尊重されましたが、法制上は、あるいは規則上、制度上は炭鉱でも、人一人の命はやはり地球よりも重いということになっております。ところが、細目に至りますと、そうなっておらぬ。そこに問題があるのだと思うのです。そこで、鉱山保安法あるいは関係法規の再検討を願いたいという事情は、私はどこにもあると思います。そしてもしも、いま頻発しております大規模な鉱山事故が絶えないと、私は新政策あるいは新石炭政策に見合う人員の確保はできなくなる、こう信じて疑いません。
 そこで問題になるわけですが、一番、近い例を引きますと、これは裁判上ですけれども、飛騨川事件というのがあります。従来、行政には過失はないと言われている。ところが、あの飛騨川事件は、御承知のようにバスが山津波に流されて、あの、はんらんした飛騨川の中にのめり込んで、百名近い人命が奪われました。そこで、この人命の責任はだれが負うべきか。私は結果責任、さかのぼって検討されることだと思いますが、再び、ああいう事件を起こさせないために、国は責任がある、道路管理上、責任があった、こういう判定をいたしました。これは画期的な裁判だと私は思います。同様のことは、これは民事上の裁判等を通じてですが、鉄道線路に入った人は、鉄道なり軌道なり、それは専用軌道だから入ってきた者が悪いとされてきた。ところが、だんだん人命の尊重から、向こうの方の土手に子供が上がってきた、あの子供は線路の中に入ってくるかもしらぬ、そこで入ってきたらブレーキをかけられるように速度を落として、もし入ってきても、その子供をひかないようにする責任がある、こういう、いわば過失の推定あるいは交通関係の運転手さんに責任を課してまいりました。そしてそれが業務上過失ということに裁判上でもなっておるわけです。ですから本当の過失から、だんだん義務も考えられるようになる、あるいは過失も推定され、あるいは最近は擬制をされているとまで言っていいと思います。
 そうなっておるのに炭鉱だけは、あの三池炭鉱の爆発であれだけの人を殺しても、あるいは山野では有罪になりましたけれども、それも争い得るというのは、やはり炭鉱においては人命の尊重というのが、あなたもいま認められたように、民主社会において新憲法のもとにおいて、人一人の命は地球よりも重いと考えられているようには考えられていない証拠だ、こう思います。違いましょうか。民事的な責任のことを言われましたけれども、民事的な責任と刑事的な責任は、人の命を大事にする点からは同じです。それを制度上、あるいは政治上、行政上と言ってもいいですが、責任を負っておられるのは、私は通産省だと思う。
 通産行政の中から生産行政と保安行政とを分けろという話は、この前もありましたが、私は何らかの構想か必要だと思います。そこまではいかないにしても鉱山保安法上、この手紙が指摘をしておりますようなことが現にある。それはどこにあるのか、こういうことをお尋ねをし、そして改革をしていただきたいと思うのですが、具体的な法律のたてまえになりますから、条文を引いて指摘を申し上げる前に、立地公害局長も来ておられますから、専門家の意見も多少、聞きながら御意見を承っておきたいと思います。

発言情報

speech_id: 107604589X00619751217_023

発言者: 吉田法晴

speaker_id: 22988

日付: 1975-12-17

院: 衆議院

会議名: 石炭対策特別委員会