小山一平の発言 (決算委員会)
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○小山一平君 福島県耶麻郡熱塩加納村の集落移転事業は、昭和四十八年度、四十九年度の二カ年事業として同村の小屋、村杉、背戸尻の三部落から二十戸が集団移転をいたしまして新たに新崎団地をつくりました。
去年の一月一日の新聞、福島の地方版はこの新崎団地について大きな報道をいたしました。「新天地で正月だ」という大きな見出しで「過疎から脱出した二十戸」「赤い屋根、サッシ窓 工場勤めに意欲燃やす」、こういうような見出しもつけまして新年度を迎えた集団移住の人々の夢に満ちた記事が報道をされました。
一方では、同じ一月一日の新聞で、村当局の強い勧誘にも耳をかさずに村杉部落に一軒残った山口さんという方、この夫妻についても大きく取り上げられました。「新天地に背向け土に生きる」という大きな見出しと「春迎える笑顔に人間の年輪」「百姓は田んぼが命」、といった見出しで、山口さんについて詳細な記事が掲載され、特に「百姓が、田んぼを捨ててなにが出来る」という山口さんの百姓哲学とも聞こえる談話が大変印象的でございます。
こうして過疎地域のともに長い集落社会を形成してきた農民がそれぞれ異なった道を選んだのでありますが、新年を迎えてわずか半年たった六月二十六日付の同じ新聞は再び新崎団地の人々と山口さんの生活について次のように報道をいたしております。「「バラ色」どころか「イバラの道」」「就職口なく耕地なく出費がかさむ〃文化生活〃」「残った一軒はゆうゆう」、こういった見出しで集団移転をした人々の厳しい生活の実感と悠々としている山口さんの生活ぶりを報じたのであります。この村における場合は雪深い僻地農民集落が今日的農業のもとでは収入も少ない、交通不便による子供の通園、通学問題医療問題、衛生、文化、環境整備の立ちおくれ等によって過疎化が進みました。村当局も財政力が弱い上に投資効率の低い高上がり行政の地域として村の行財政の重荷となるのは当然でございまして、ここに集落移転の計画が進められたものと思います。この新崎団地の集落移転は二十戸の中で四戸が移転をしてもぜひ農業をいたしたいという希望を持ち、十六戸は農業を全然やめて職業の大転換を図るという出発でございました。営農希望者の四戸は村当局のあっせんで平均七反ないし八反の畑を借地をし、たばこ栽培をやっております。
これにも問題がありますので後に触れることにいたしますが、十六戸は村が誘致をすることになっていた工場で男も女も若い者も年寄りも全員が工場で働くことによって農業より高く安定した収入が得られ、より豊かな生活を築くことができるという構想であったのであります。ところが深刻な不況によって村が誘致することになっていた工場が来なくなりました。計画は根底から御破算になって新聞が報じたような事態に陥ったのであります。離農資金を三十七万円もらい、家族が二人あれば一人十万円ずつ月給を取っても二十万円になる、三人家族ならば三十万円になる、四人家族なら四十万円になる、こういうことであったようであります。現在、若い者はそれでも喜多方市などの工場に就職できた者もありますが、多くは土建会社の土工の臨時雇いとして働く以外に道はないのであります。賃金も女の人で一日二千二百円、男で三千二百円程度、月収にして女が四、五万円、男が七、八万円にすぎないのであります。
さらに働きに出られない者は、あるいはまた仕事が見つからない者は内職をやっておりますが、夜なべまでやっても一日千円にも満たない内職、しかもその内職はとだえがちである、こういうありさまに陥っております。その上、前に農業をやっていた当時の借金、農業近代化資金等でございますが、これが大体五、六十万円ありまして、毎年十二月には年賦返済金として十五万円ぐらいを支払うことになっているし、移転に際して住宅金融公庫からおおむね一戸当たり百八十万から二百五十万円の借り入れをいたし、毎月、月賦返済をしております。農村生活から完全な都市型消費生活者になった現在では、山の生活と違って、ただの物は空気だけであって、すべてが金が必要で、とにかくどうにもならない苦しさであると訴えているように、毎日現金がなければ生活が不可能でございまして、その生活の厳しさは非常に深刻であり、不安、動揺に明け暮れております。全面的に職業転換を考えた人々の中に、こうした事態から十戸が農業に戻りたい、こういう希望が強く出てきておりまして、村有地を貸してほしいと申し入れています。
そして聞くところによると、万一工場ができないようなときには村で土地を心配をして、百姓で生活できるようにするという、こういう約束があったはずではないか、貸さないと最初から言われればここへは出てこなかった。したがって、この事業はペテンではないかと主張をいたしているありさまであります。また村当局は、そういうときには農用地を心配してやると言ったのであって、必ずやると約束したわけではない。したがって決してペテンなどではないと言っております。こういうことですから、部落の人々と村当局の間には非常な不信と混乱がいま深まろうとしています。もとの部落の畑にはキリを植えたそうです。たんぼはそのまま放置されて荒廃をいたしております。中には、いよいよとなったらもとの部落へ戻ることを考えまして、いまでもときどきもとの部落へ行って家の掃除や手入れをして、ある者は農具は何一つ手放さずに大事に保管をし、手入れをしているとも言っております。さて、この集落移転事業について、この事業を推進をされている立場からどういうふうにお考えですか。