中山正暉の発言 (建設委員会)
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○中山(正)委員 どうぞひとつ万全の御処置をおとりくださるように、この際自由民主党の一議員としてもお願いを申し上げたいと感じると同時に、たとえば駿河湾地震に対する予知とかそういうものはわりに関東関係は多いのでございますが、中部地区、たとえば名古屋中心地区、それから大阪を中心にした——大阪も慶長年間に大きな地震が起こっております。私の近くにもそのときの碑が残っております。「嘉永七甲寅六月十四日子刻大地震、市中一統驚き、大道川端にたたずみ、ゆり直しを恐れ、四、五日心もとなく夜を明しぬ。」「同十一月四日辰刻大地震、前に恐れ明地に小屋懸、老小多く小船に乗、翌五日申刻大地震、家くづれ、出火も有、恐敷有様漸治る頃雷の如くひびき、日暮頃海辺一同津浪」とこの碑に書いてあるのでございますが、慶長年間にも、謹慎中の加藤清正が太閤秀吉に呼ばれて急遽出てくるというような大地震がありましたし、それから宝永四年にも東南海道地震、それから安政元年に東海道、南海道地震、それから昭和二年に奥丹後地震、昭和十一年に河内地震、それからこれば戦争中、私も小学校の校庭に逃げ出したことを覚えておりますが、これは戦争中で情報を一切伏せましたから、その大地震のことが軍部によって情報を全部遮断されましたので一般にはわからなかった。いま覚えておりますのは、校庭で空を見たら空にオーロラのような光が光ったのを私は記憶をいたします。それが、日本が運命が変わりかけた昭和十九年、山本五十六が死んだころでございます。それから、昭和十九年の後、昭和二十一年の南海道地震。こういう大きな地震が近畿地区、中部地区にもあるわけでございます。
ところが、地震予知体制というのはもう皆無でございます。こういうところ、大都会に対してはこれはもうもちろん、九州あたり、福岡あたりもそうでございましょうが、裏日本の方は、わりに小さな地震と言うと語弊がある新潟地震なんかもありましたが、福井地震その他ありましたが、そういうところに対する、それぞれの地域に対する地震対策というのはお考えでございましょうか。特に特別立法なんかを考えていらっしゃるかどうか。