伊賀定盛の発言 (建設委員会)

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○伊賀委員 そこで私は、この戦後三十年の道路行政を振り返る意味で、法体系というものを年代別に並べて考えてみたのでありますが、ちょっと私の考え方を申し上げますと、二十年代に道路に関係して法律が七本、三十年代に十六本、四十年代に十本、五十年代に入りましてから一本、合計三十三本の法律が戦後公布されております。
 そして二十年代の前半は、たとえば昭和二十三年に道路の修繕に関する法律、法第二百二十八号に見るように、いまだ戦後処理で混沌としておりまして、修繕がもっぱらであった、こういう見方ができます。
 それから二十年代後半に入りますと、新道路法の制定が昭和二十七年にございまして、これを法体系から見ますと、基本的なものないしは総論的なもののはしり、前兆が出てきております。
 そして、三十年代前半になりますと、法体系の整備に入りまして、たとえば、三十一年道路公団法、三十二年高速自動車国道法、同三十二年国土開発幹線自動車道建設法、三十三年道路整備緊急措置法、三十四年首都高速道路公団法、こういう形で法体系の整備に入って、いまだ完了はしておりませんが、そうして法体系の整備に入りかけた。
 三十年代後半になりますと、三十七年阪神高速道路公団法、三十八年にはわずか百キロ未満でありましたけれども高速道路の供用を見る。こういうことで、三十年代後半には、いわば道路法に関する法体系の整備を完了したということが言えます。
 同時に、今度は、総論に対する各論、基本法に対する特別法、全国規模に対する地方的なもののはしりが出てくるのでありまして、たとえば、三十年代後半になりますと、踏切道改良促進法、共同溝の整備等に関する特別措置法、奥産道路法等の、特別法的なもののはしりが出てくるわけであります。
 そして、四十年代に入りますと、各論的なものあるいは地方的なものは、法体系は整備完了したと見て差し支えはないと思うのであります。
 ですから、これを一口で言いますると、三十年代から四十年代にかけまして、修繕から本格的な道路整備に入って、総論的なもの、基本的なものからさらに各論的なものにと波及をして、そして四十年代には合計三十三本の道路法に関する法体系の完了を見て、今度は五十年代に入るわけでありますが、五十年代は、たとえばいま問題になっております道路整備特別措置法の一部改正、こういう形で出てきておるわけであります。
 そこで、三十年来の道路行政の反省の上に立って、五十年代は道路行政はどうあるべきか、こういうことをひとつ伺いたいと思うのでありますが、これはもう、いや、お金さえあれば何ぼでもやりますという答弁では私は満足できないのでありまして、これは道路局長から、ひとつ適切なお話を、三十年の道路行政の反省とともに伺いたいと思います。

発言情報

speech_id: 108404149X00719780322_008

発言者: 伊賀定盛

speaker_id: 15946

日付: 1978-03-22

院: 衆議院

会議名: 建設委員会