小島静馬の発言 (文教委員会)
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○小島委員 この問題につきましていま非常に前向きな、もう本年の十月から数十名を実施に移すのだというふうな具体的な計画をお示しいただきまして非常に意を強くいたした次第でございますが、これはやっていく上でいろいろ問題が出てくると思うのですよ。やり方でもってまた実際中身が非常に違ってくると思うのです。
そこで、実はこんなことでいろいろ資料を集めている間に、ある意味では驚くべき事実を私は一つ発見をいたしました。それは、私の住んでおります静岡県の教育委員会から実はけさ私のところへ電話で資料が入りました。文部省の方にも早速申し上げておきましたので、当時の実情がどうなっているかということを御調査を願いたいわけでございますが、それは、戦前におきましてすでにこういう制度を日本で取り上げておったのではないか、そう思われる資料が入手できたのでございます。
それは外国人英語教師でございますが、実は大正八年にすでにこの制度が始まっておりまして、県内で言いますと静岡商業、ここでは給与月額二十円、それから榛原中学、これはもちろん旧制でございますが、給与が月額五円でもって、教授嘱託の身分で外人英語教師がおったのでございます。これを出発点といたしましてその後どんどんふえておりまして、昭和六年までずっと続いております。いま申し上げました旧制静岡商業、榛原中学に加えまして、浜松一中、現在の浜松北高等学校であります。沼津中学、これは現在の沼津東高校。それから韮山中学、これは現在の韮山高等学校であります。掛川中学、現在の掛西。富士中、現在の富士高。下田にございます豆陽中学、現在の下田北高校であります。それから榛原中学、これは現在の榛原高校でございます。こういった県下の名門旧制中学が一斉に外人英語教師を、月の給与が二十五円ないし三十五円で雇い入れている事実がございます。そして昭和七年にそれらの中学から外人教師の在職が一斉になくなっております。その理由については昔のことでございますので定かではございませんが、当時の旧制中学の管理というのは国が行っていたはずでございますので、静岡県でこういうふうに県下の有力校に全部外人教師が張りつけられておったという事実から見ますと、恐らく全国的にその記録が残っているのではないだろうか、あるいは国が指導助成の策としてやっておったのではないか、そういうことが類推をされるわけであります。戦争が近づきまして、昭和七年から昭和十五年までの間にはこれらの学校の先生は消えまして、ひとり清水市立商業学校にのみ外人教師が在職していた記録が残っております。昭和十六年は開戦の年でございまして、それ以後は消えたわけでございます。まだ、けさ資料を手にしたばかりでございますので、文部省の方ではお調べになっておらないと思いますが、何か思い当たる節がございませんでしょうか。