曾禰益の発言 (文教委員会)

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○曽祢委員 私が心配するほどでなくて、選択制にすれば、聞く方、話す方にも相当のことができるかもしれぬし、賛成の父兄なり子供がおれば結構ですけれども、どうも私はその点がまだ心配なんです。
 そこで、私は実は英語教育の改善について御質問申し上げるのは、去年から計算すると二回目なんです。去年、海部文相のときの一般質問におきまして、むしろ諸悪の根源は大学入試にあり、大学入試でクイズ番組みたいなものを出すものだから、あそこの入試にパスすることに専念すると、学校で余り真っ当に、聞くこと、話すことまでやっているのはまだるっこいというので、いま町の書店に行くとどんどん英語の特訓の、いわゆる私設の教科書みたいなものばっかりがよく売れるといったようなことになりがちだと思うのです。そこでこの前の国会におきましては、諸悪の根源である大学入試を、今度は共通一次試験をやるからそれを機会にあそこでひとつ英語のあれを直していったらどうだということを申し上げたわけですが、これは後で申し上げるが、そっちの方は、実は私が素人で、なかなかむずかしいのだ、大学一次入試制度の改善というのは、やはりあれだけの大量のものをこなすということになると、一人一人ディクテーションや何かで語学能力を試すということなんかとてもできっこないのですね、個々面接でもやる一部二次試験になれば別だけれども。むしろ大量生産、大量消費的な第一次共通試験ということになると、偏向教育と言うと悪いけれども、いまの英語教育のゆがみが直らないような出題になる可能性が非常に強いではないかというような悲観的な結論になると思うのです。
 いずれにしても、英語教育を抜本的に改善するとすれば二つ方法が考えられる。一つはいま申し上げた大学入試の面から、これは第一次共通試験が大量だからやはり依然としてむずかしいということはあるけれども、それを機会にあそこから直していくという方法がまだあり得ると思うのです。それから第二の面は教育課程の方から、現にやっておられるオーソドックスのメソッドのほかに、いわゆる四十九年から起こっている、われわれの現在の同僚の衆議院議員の平泉君が提案されたような、中・高における英語コースそのものの内容をもう思い切って変えたらどうだ、中・高における英語教育の内容を、読むこと、話すこと、いわゆる実用英語式にして、訳読中心とは別のものをつくろうじゃないか、この二つのアプローチがあると思うのですね。
 そこでまず第一の入試センター、大学の入試の方は簡単ですから後回しにして、先にこの平泉試案というものに関連して御意見を伺いたいと思うわけでありますが、皆様御承知のように、四十九年の四月に当時の参議院議員だった平泉氏の出された試案というものを私なりに消化して申し上げるならば、要するに、私が冒頭に申し上げたように、日本の中・高のあれでは全くむだだ。そこから先は、ぼくは当時から必ずしも賛成したわけではないのですが、国民の五%、六百万人ぐらいの英語の実用能力者だけを養って、もう英語は本当に選択科目にしてしまえ。実際は必修以上のウエートがあるのだけれども名前は選択科目になっていく。思い切って五%の本当に英語の能力ある者だけつくることにして、あとは事実上中・高の必修の課程から全部やめてしまえという。これは余りにも革命的であって、私、必ずしもそのときから賛成しているわけではありません。またこれに対しては、上智大学英文科の渡部昇一教授を初めとして、特に英語を専門に勉強され、また教えられている方からの相当強い反発があったということは御承知のとおりです。
 そこで最近になりまして、これは平泉氏から聞いたのですが、五%、六百万人の最も実用的英語を選択でやるコースだけにしろということは撤回いたしまして、今度の第二次案では、この英語については中・高・大学を一貫した新コースの英語教育をつくっていく。中・高は各県に少しずつ設けていくのですけれども、五カ月ずつでたとえばE1、E2、E3、E4というふうに六段階に英語の力のグレードをつくりまして、各段階でテストをした上で進学させる。これはむろん任意コースであります。それで一方において在来の事実上の必修の英語コースはそのままにしておいていい。片方は任意だ。しかし、なるべく試験的に各府県に一つか二つぐらいずつそういう任意コースを置いて競争でやらしたらどうか。そうすると新幹線と鈍行と並べているようなもので、提案者から見れば、一緒にやっているうちにだんだん新幹線のコースの方に乗ってくる人が多くなるだろう、こういうような趣旨だと思うのです。
 いずれにいたしましても、その案のさらにエッセンスと思うところは、このE1、E2、E3、E4、その他の英語の力の格づけは日本だけでやらないのです。国際的の水準がいろいろありますから、たとえばアメリカなんかで通称TOEFLと言っている、ああいった国際的な英語の実力試験のあれがありますから、ああいうものと比較対照できるようなグレードをつくってやっておけば、それをパスしたらアメリカでも通用する、OEFL第何級を通ったと言うこともできるようなものにやったらどうだ。これは「ボイス」の五月号に出ておりますから、私は別に金を出して皆さんに差し上げることはしませんから、任意にごらんになれば大いに参考になると思うのです。要するに、各コースのクラスの編成は二十五名程度の少数でびっしりやる。できるだけ多くの外国人を招聘する。そのほかに、この特別コースの担当を希望する教員には海外を含む研修の機会を与える、こんなふうにする。
 さらに、外国語習得の基本的な条件として、正しい方法で一千時間内外を集中的に投入して、それで勉強させる。私はこれが一つのポイントだと思うのです。中学、高校で週三時間程度ちんたらちんたらやっていたって、実力をつけるのは非常にむずかしいですね。先ほども例に申し上げたので恐縮ですけれども、旧制高校の特訓教育というのは一週十二時間ぐらい詰めてやるのですね。ことに、英語の場合はちょっと違うかもしれませんが、フランス語やドイツ語みたいな、日本人から見るととっつきにくい文法のやつは、やはり何だかんだ言ったって結局は暗記ですよね。思い切って初めのうちに、フランス語ならフランス語の動詞の変化だとか、こいつはやはり自分でうんとこさ詰めて、学校の方も十二時間ぎゅうぎゅうしごいて、それで二年間やると相当、少なくとも読む力というものは出てくる。ぼくらもとにかくフランス語の原書でモーパッサンの小説なんか、その時分にはポルノなんかないものですから、モーパッサンの「女の一生」なんかで伏せ字のところがあるのですが、あそこをひとつ読んでやろうと思って、一生懸命二年間勉強してそこを鉛筆で書き入れたものです。そのくらい実力がつくのです。それはやはり集中してやらなければだめですよね。週三時間六年間とか八年間やったって、これはほとんど何にもならないのです。だから課外で特別に勉強しなければだめだ。ちんたらちんたらやっているのが一番悪いのです。ある程度集中して学校でやってやるのですよ。外で金をかけてやるなんてとんでもない。そういうようなことを言っているのだろうと思うのです。あるいは私なりの解釈で間違っているかもしれませんが、そういったようなことをやれば、とにかく町の書店の書架が英語の特訓雑誌であるいは教材で埋まっている、あるいは町にはんらんしている英会話の個人教育、どんな先生か知らぬけれども、いまの大学に通っている学生なんかがちょっといいかげんな英語を教えて金を取るなんていうのは実に恥ずかしいことなんで、何のために国が中学、高校であれだけの力を入れて教えているのか、これはよほど反省していかなければならぬと思うのです。
 そういう意味において、平泉試案は平泉君からお聞きになるのがあれだと思うのですけれども、そういったような意見、私はそれに触れて、いままでの学習指導要領では、悪いけれども、文部省の段階で学者を集めて作文をつくって、それは学校まで行くけれども、学校から先に父兄のところまで行くと、先生、とんでもない、それよりか特訓教育をやってくださいということで事実上行われていない、一向に改善が進まない、この現実を何とかどこかで打破する勇気を持ってやっていかなければいかぬと思うのです。これは民族の将来のために、若い者にむだな時間を使わないようにさせる、この意味でひとつ、平泉試案に対する御意見まで伺おうとは思いませんけれども、そういう貴重な一つの前向きの意見もあるので、この際、学習指導要領で五十六年からやるのはできているとか、あるいは小川教授からレポートが出ているじゃないかとか、それじゃだめだと思うのですね。私は同僚の委員にもお訴えをしているのですけれども、立法府においてもこの問題をじっくり、国民の教育の基本の一つなんだから、英語教育に関する文教行政についてひとつ継続審議的な気持ちでやっていこうじゃないかということを申し上げて、かなりの御共鳴も得ているような次第なんです。文部省におかれてもひとつ文相を初めとして、ぜひひとつ英語教育の問題をもう一遍取り上げていただきたいと思うのです。御意見を伺いたいと思います。

発言情報

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発言者: 曾禰益

speaker_id: 12807

日付: 1978-04-21

院: 衆議院

会議名: 文教委員会