井上一成の発言 (外務委員会)

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○井上(一)委員 外務大臣に、提案になるかもわかりませんし、あるいはぜひそういうことも検討し実現していただければ非常にありがたいと私は思うのですけれども、ただ単に難民あるいはその一定の条件が備わった者ということに限らずに、時あたかも国際児童年である、アジアの子供たちが何らかの理由で両親を亡くしたり、保護を受けることが非常に不可能な状態に置かれている、そういう子供たちを引き取ってまとまった環境の中で小学校にも中学校にも、そしてときには高等教育も、その中で技能訓練、職業訓練を受けて、その子供たちが日本で学びあるいは日本で受けた教育が自国に帰ったときに大いに役立つ、自分の人生の基礎は本当に日本で培ったんだという誇りを持てるような施設、そういうものをつくるべきではないだろうか。
 ただ単に難民ということだけにとらわれるのではなく、そして家族という形の中で位置づけるのではなく、戦争によって両親を亡くして孤児になった子供たちもおるでしょうし、あるいは失業、病気その他でいま申し上げたような両親あるいは保護をしておる保護者がなくなっていく、そういうことを考えれば、国際児童年ということだけにとらわれなくても、いま難民問題とかアジアの抱えるいろいろな問題を考えたときに、もういち早くそういうことに取り組まなければいけない。学校もそうだと思うのです。そしてそういう形の中で日本の子供たちもそこで一緒に学べる、そういう中から、日本語の習得ということを生活を通して身につけるということが一番早いと思うのです。限られた教室の中で語学を教わるということもときには必要かもわからないけれども、そういうことを考えればぜひそのような、これは私の持論ですけれども、物事の最初は情熱的な発想、熱い胸から受けとめて事が始まると思うのです。それをいかに理性的に科学的に分析し対応していくかということが政治だと私は思っているのです。
 そういうことを考えたら、いまの日本、ただ単に金をそれだけ使うんだ、あるいは予算を計上するんだということだけに事を済ましてはいけない。あるいはもし善意の発想から受け入れをしようという慈善的な発想の形の中だけで頼り切ってもいけない。当初はそうであったとしても、政府自体がアジア諸国との心の触れ合う対等の連帯を深めるというならば、まさにそのあかしとして児童に対する一つのそのような施設をぜひつくるべきである。国が国の金で、そして国がみずからの運営でそういうことをすることが一番望ましいと私は思うのです。そういうことが政治ではないでしょうか。そういうことが心の触れ合う外交ではないでしょうか、こういうことを申し上げたいのです。
 このことについては、本当に精力的に世界を駆けめぐって日本の自主外交を推し進めていく園田外務大臣にぜひそのような実現方を私は心から強く希望するわけでありますし、そのためにも、私もそのことについては社会党の国会議員として私なりに十分協力していかなければいけないし、むしろ与野党がそういうことを目標を一にして世界の日本、アジアの日本としての位置づけを明確にするためにもそのような外交を推し進めていくべきである。やるとかやらないとかいうことで終わるのではなく、あるいはそういうことを私は答弁の中に求めているのではありません。私の考えておるそういうようなことが実現できるように取り組んでいただけるようなお考えを少しでもお持ちであれば、その実現方に外務省が先頭に立って大平内閣の一つの施策のあらわれとしてぜひ実現をしていただきたいということであります。大臣から大臣なりのお考えを聞かしていただきたいと思います。

発言情報

speech_id: 108703968X01419790601_012

発言者: 井上一成

speaker_id: 4575

日付: 1979-06-01

院: 衆議院

会議名: 外務委員会