田口一男の発言 (社会労働委員会)
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○田口委員 私は、この判決を読んでみて、さっきから何回も言っておりますように、ボランティアというものに対する受けとめ方、これがさつきの刑事課長のお話では、五十一年に事故が発生して、それから慎重審議、約一年かかって起訴に持ち込んだ、それだけ慎重に検討したんだと言われているのですけれども、どうもボランティアというものに対する受けとめ方に大変な間違いがある、こう思うのですね。さっき言ったように、文部省の方の話によれば、ボランティアは善意の人がそれぞれの経験を生かしてということなんですが、端的に言ったらプロかアマかという解釈の違いだと思うのですよ。ところが、これはいまさら皆さんに申し上げるのは釈迦に説法かと思いますが、ボランティアとは本来微力な素人が力を合わせて行うところに意味がある。ところが、この事件で言いましたら、十一名の引率者がおるのに特定された女性一人が指導のプロと履き違えて、最高責任者というふうに断定をしたのじゃないか、恐らくこう思うのですね。そこで、被告は保母でありというふうなことを持ってくる。確かに保母であれば子供を扱うプロだと思うのです。十一人のうちで他の十人に比べたら、この田村さんという女性は子供を扱うにはなれておるプロかもわからない。しかし、ボランティアというのは本来そうじゃない。自分のそれぞれの経験を生かして何か地域に奉仕しよう、こういうことで奉仕したのが、たまたま検察の方の受けとめ方では、いやこれはボランティア指導のプロだ、十一人のうちでプロかアマかということを選別したら被告が一番プロに近い、プロだ、だからこいつをやってしまえ、まあ言葉はなんですがね、こういう受けとめ方をしているのじゃないか。
私は、そこで、ボランティアというものの意義について、定義といいますか、プロなのかアマなのか、ひとつ双方ともお答えをいただきたいのです。