瀬戸山三男の発言 (予算委員会)
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○国務大臣(瀬戸山三男君) 私が国会答弁の中で教育勅語に触れたかどうか記憶はありませんが、これは後で触れたとおっしゃいますからちょっと触れますが、私はこういうふうに考えております。
いまの教育は、まあ粕谷さん専門家であられますけれども、憲法が昭和二十二年に施行されると同時に、昭和二十二年に教育基本法が制定、施行されておりますが、憲法の精神に従って、憲法の精神を据えて平和な民主的な福祉国家をつくるように教育をする、こういうふうな趣旨が書いてあると思うんです。私は率直に言ってこれは非常にすばらしいことだと思っておるんです。といいますのは、これは憲法のこと、いま総理からいろいろお話になりましたが、重複して恐縮でございますけれども、いまの憲法は、これはいつの憲法でもそうなんですけれども、曲解されたり誤用されたりして間違ってくるんですけれども、そういう過去の長い歴史の経過、苦い経験等を踏まえてこういう憲法になっておるわけですが、大きく人類とまでは言いません。日本国民全体が私は平和を望む、人間というものはそういうものなんです。平和を望みながら争いをするという不思議なところがあるんですけれども、とにかく日本国民は、私は全部が平和な社会でありたい、平和な国でありたいということを望んでおると思います。
でありますから、この日本国憲法が、こんりんざい将来みずから進んで戦争をするようなことをしてはならない、こういうことを決めて、いわゆる平和主義という憲法になっておると思います。これはすばらしいことであると同時に、そのためには、よく言われますように、個人の人権の尊重をするとか、それはそのもとになるのは自由である、したがって、国民が構成しておる国でありますから、国民が相談して国の進め方をするという、主権在民と言われておりますが、こういういわゆる平和であるとか、自由主義であるとか、あるいは民主主義であるとか、基本的人権を尊重する、世界の中の日本としてもう一つつけ加えますと、国際協調の精神で国をつくる、この憲法の精神というものはすばらしいことだ、また、こうでなくちゃならない。それを教育によって、子供は何も知りませんから、そういうことをよく教え、納得させて、将来そういう国をつくり得る国民にしなければならない。これは私は教育の基本法に書いてあるねらい、書いてあってもなくてもそれが正しい道だと思っておるんです。
ただ、私がこういうことを言うと、またここから議論になるかもしれませんけれども、そういうふうに教育が進んでおるのかどうかということについては私は疑問を持っておるということでございます。もう憲法施行以来三十五年余り過ぎましたが、そこまでもし一生懸命になって教育の使命に徹して三十五年もこの教育を進めておったらば、率直に言いまして私ども過去には余り経験がなかったんですけれども、白昼堂々と自動車で乗りつけて、時によって連日銀行強盗や金融機関の強盗が横行するという時代、そして子供を捨てたり親を殺したりする時代、それがいま言われておりますように小・中学校あるいは高校から、小学校までいっておりませんけれども、中学校の子供が校内暴力から校外暴力、あるいは学校の先生をたたくとか、学校の先生が刺すとか、私に言わせると非常にすさまじい社会である、あらゆる面で倫理が荒廃しておる、こういう状況にはならないんじゃなかろうか。私は、憲法第三章、人権の規定が、国民の資格から四十条まで書いてありますけれども、あれを本当に教えていただいておりますれば、私はこういうふうにならないと思っておるんです。
ところが、これはまあ反動だと思います。戦前の、これまた別な意味ですさまじい社会でございましたから、その反動だと思いますが、個人の尊厳、平等、これは結構でありますけれども、そのために相互の尊重という憲法のすばらしいまた根本原則、この点が欠けて、教え方といいますか指導の仕方が欠けており、国民の自覚が欠けておったんじゃないか。
教育基本法の基本を申し上げて恐縮でありますけれども、自発精神を養成する、自他の敬愛と協力を養成するのが教育の目的であると書いてある。自他の敬愛ということが徹底的に指導されておったらば、横浜市の山下公園に行って第三者を殺したりけ飛ばしたりするようなことはないし、学校をたたき壊すということもないし、あるいは町田の忠生中学校で先生をなぐったり先生が刺したりするということは、これはまあ世の中ですからいつの時代でもたまにはいろんなのがおりますけれども、このごろのように国を挙げて心配するような社会にはならないんじゃないかと思うんです。
こういう点を、これは私は学校の先生方だけの責任だとは言いません。いろんな原因がありますけれども、いまや国民全体が本当に憲法の精神を大事にするのならば、真剣にこれから先のことを考えて、全部が考えて、改善といいましょうか、そういうことのない社会、すばらしい社会をつくるために前進すべき時期じゃないかという率直な考えを持っておるわけで、そこで教育勅語に触れられましたから、私、前もどこかでどういうことを言ったか余り記憶しておりませんけれど、教育勅語に触れますと、これまた古い人間の昔に帰るのだとすぐおっしゃいますけれども、私はそういうばかなことは考えておりませんが、教育勅語の中に、父や母を大切にしなさいと、きょうだいは仲よくしなさい、夫婦は本当にそれこそ仲よくしなさい、友達は相信じて仲よくしなさい、みずからを持して余り妙なことをしなさんな、「恭儉己レヲ持シ」というのはそういうことだと思う。博愛衆に及ぼしなさいと、学を修め業を習い、知脳を啓発しなさいと、徳器を、道徳的人間になりなさいと、社会、公共福祉を考えなさい、公益を重んじなさいと、そういういわゆる国の法律、憲法を重んじなさいと書いてあるのですが、これはどこが悪いのだろうかというのが私の考えでございます。