予算委員会
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会
会議録情報#0
昭和五十八年三月十二日(土曜日)
午前十時二十六分開会
─────────────
委員の異動
三月十一日
辞任 補欠選任
井上 計君 田渕 哲也君
三月十二日
辞任 補欠選任
岩崎 純三君 田沢 智治君
塩出 啓典君 三木 忠雄君
市川 正一君 小笠原貞子君
沓脱タケ子君 立木 洋君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 土屋 義彦君
理 事
嶋崎 均君
関口 恵造君
長谷川 信君
藤井 裕久君
赤桐 操君
矢田部 理君
大川 清幸君
立木 洋君
伊藤 郁男君
委 員
井上 吉夫君
板垣 正君
大島 友治君
大坪健一郎君
長田 裕二君
梶原 清君
亀長 友義君
木村 睦男君
後藤 正夫君
坂元 親男君
田沢 智治君
田代由紀男君
田中 正巳君
谷川 寛三君
林 寛子君
藤井 孝男君
村上 正邦君
八木 一郎君
粕谷 照美君
勝又 武一君
瀬谷 英行君
寺田 熊雄君
山田 譲君
吉田 正雄君
和田 静夫君
太田 淳夫君
桑名 義治君
中野 鉄造君
三木 忠雄君
小笠原貞子君
田渕 哲也君
前島英三郎君
国務大臣
内閣総理大臣 中曽根康弘君
法 務 大 臣 秦野 章君
外 務 大 臣 安倍晋太郎君
大 蔵 大 臣 竹下 登君
文 部 大 臣 瀬戸山三男君
厚 生 大 臣 林 義郎君
農林水産大臣 金子 岩三君
通商産業大臣 山中 貞則君
運 輸 大 臣 長谷川 峻君
郵 政 大 臣 桧垣徳太郎君
労 働 大 臣 大野 明君
建 設 大 臣 内海 英男君
自 治 大 臣
国 務 大 臣
(国家公安委員
会委員長) 山本 幸雄君
国 務 大 臣
(内閣官房長官) 後篠田正晴君
国 務 大 臣
(総理府総務長
官)
(沖縄開発庁長
官) 丹羽 兵助君
国 務 大 臣
(行政管理庁長
官) 齋藤 邦吉君
国 務 大 臣
(北海道開発庁
長官)
(国土庁長官) 加藤 六月君
国 務 大 臣
(防衛庁長官) 谷川 和穗君
国 務 大 臣
(経済企画庁長
官) 塩崎 潤君
国 務 大 臣
(科学技術庁長
官) 安田 隆明君
国 務 大 臣
(環境庁長官) 梶木 又三君
政府委員
内閣官房内閣審
議室長
兼内閣総理大臣
官房審議室長 禿河 徹映君
内閣法制局長官 角田禮次郎君
内閣法制局第一
部長 味村 治君
内閣総理大臣官
房広報室長
兼内閣官房内閣
広報室長 小野佐千夫君
内閣総理大臣官
房総務審議官 手塚 康夫君
総理府人事局長 藤井 良二君
総理府統計局長 永山 貞則君
青少年対策本部
次長 瀧澤 博三君
警察庁刑事局長 金澤 昭雄君
警察庁刑事局保
安部長 大堀太千男君
防衛庁参事官 新井 弘一君
防衛庁参事官 友藤 一隆君
防衛庁参事官 冨田 泉君
防衛庁長官官房
長 佐々 淳行君
防衛庁防衛局長 夏目 晴雄君
防衛庁人事教育
局長 上野 隆史君
防衛庁経理局長 矢崎 新二君
防衛施設庁次長 森山 武君
経済企画庁調整
局長 田中誠一郎君
経済企画庁物価
局長 赤羽 隆夫君
経済企画庁調査
局長 廣江 運弘君
科学技術庁長官
官房長 安田 佳三君
科学技術庁研究
調整局長 加藤 泰丸君
科学技術庁原子
力局長 高岡 敬展君
科学技術庁原子
力安全局長 赤羽 信久君
環境庁長官官房
長 加藤 陸美君
環境庁企画調整
局長 正田 泰央君
国土庁長官官房
会計課長 金湖 恒隆君
法務省民事局長 中島 一郎君
法務省入国管理
局長 田中 常雄君
外務省アジア局
長 橋本 恕君
外務省北米局長 北村 汎君
外務省経済局次
長 妹尾 正毅君
外務省条約局長 栗山 尚一君
外務省国際連合
局長 門田 省三君
大蔵省主計局長 山口 光秀君
大蔵省主税局長 梅澤 節男君
大蔵省銀行局長 宮本 保孝君
大蔵省国際金融
局長 大場 智満君
文部大臣官房審
議官 齋藤 尚夫君
文部省初等中等
教育局長 鈴木 勲君
文部省大学局長 宮地 貫一君
文部省学術国際
局長 大崎 仁君
文部省管理局長 阿部 充夫君
厚生省公衆衛生
局長 三浦 大助君
厚生省児童家庭
局長 正木 馨君
社会保険庁長官
官房審議官 入江 慧君
農林水産大臣官
房長 角道 謙一君
農林水産省農蚕
園芸局長 小島 和義君
農林水産技術会
議事務局長 岸 國平君
食糧庁長官 渡邊 五郎君
通商産業大臣官
房審議官 斎藤 成雄君
資源エネルギー
庁長官 豊島 格君
資源エネルギー
庁石油部長 松尾 邦彦君
資源エネルギー
庁公益事業部長 小川 邦夫君
郵政省簡易保険
局長 魚津 茂晴君
労働省労働基準
局長 松井 達郎君
労働省婦人少年
局長 赤松 良子君
労働省職業安定
局長 谷口 隆志君
建設大臣官房会
計課長 牧野 徹君
自治大臣官房審
議官 田中 暁君
自治省行政局公
務員部長 坂 弘二君
自治省財政局長 石原 信雄君
自治省税務局長 関根 則之君
事務局側
常任委員会専門
員 桐澤 猛君
説明員
会計検査院事務
総局第二局長 竹尾 勉君
参考人
動力炉・核燃料
開発事業団理事
長 瀬川 正男君
日本銀行総裁 前川 春雄君
─────────────
本日の会議に付した案件
○理事補欠選任の件
○参考人の出席要求に関する件
○昭和五十八年度一般会計予算(内閣提出、衆議院送付)
○昭和五十八年度特別会計予算(内閣提出、衆議院送付)
○昭和五十八年度政府関係機関予算(内閣提出、衆議院送付)
─────────────
この発言だけを見る →午前十時二十六分開会
─────────────
委員の異動
三月十一日
辞任 補欠選任
井上 計君 田渕 哲也君
三月十二日
辞任 補欠選任
岩崎 純三君 田沢 智治君
塩出 啓典君 三木 忠雄君
市川 正一君 小笠原貞子君
沓脱タケ子君 立木 洋君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 土屋 義彦君
理 事
嶋崎 均君
関口 恵造君
長谷川 信君
藤井 裕久君
赤桐 操君
矢田部 理君
大川 清幸君
立木 洋君
伊藤 郁男君
委 員
井上 吉夫君
板垣 正君
大島 友治君
大坪健一郎君
長田 裕二君
梶原 清君
亀長 友義君
木村 睦男君
後藤 正夫君
坂元 親男君
田沢 智治君
田代由紀男君
田中 正巳君
谷川 寛三君
林 寛子君
藤井 孝男君
村上 正邦君
八木 一郎君
粕谷 照美君
勝又 武一君
瀬谷 英行君
寺田 熊雄君
山田 譲君
吉田 正雄君
和田 静夫君
太田 淳夫君
桑名 義治君
中野 鉄造君
三木 忠雄君
小笠原貞子君
田渕 哲也君
前島英三郎君
国務大臣
内閣総理大臣 中曽根康弘君
法 務 大 臣 秦野 章君
外 務 大 臣 安倍晋太郎君
大 蔵 大 臣 竹下 登君
文 部 大 臣 瀬戸山三男君
厚 生 大 臣 林 義郎君
農林水産大臣 金子 岩三君
通商産業大臣 山中 貞則君
運 輸 大 臣 長谷川 峻君
郵 政 大 臣 桧垣徳太郎君
労 働 大 臣 大野 明君
建 設 大 臣 内海 英男君
自 治 大 臣
国 務 大 臣
(国家公安委員
会委員長) 山本 幸雄君
国 務 大 臣
(内閣官房長官) 後篠田正晴君
国 務 大 臣
(総理府総務長
官)
(沖縄開発庁長
官) 丹羽 兵助君
国 務 大 臣
(行政管理庁長
官) 齋藤 邦吉君
国 務 大 臣
(北海道開発庁
長官)
(国土庁長官) 加藤 六月君
国 務 大 臣
(防衛庁長官) 谷川 和穗君
国 務 大 臣
(経済企画庁長
官) 塩崎 潤君
国 務 大 臣
(科学技術庁長
官) 安田 隆明君
国 務 大 臣
(環境庁長官) 梶木 又三君
政府委員
内閣官房内閣審
議室長
兼内閣総理大臣
官房審議室長 禿河 徹映君
内閣法制局長官 角田禮次郎君
内閣法制局第一
部長 味村 治君
内閣総理大臣官
房広報室長
兼内閣官房内閣
広報室長 小野佐千夫君
内閣総理大臣官
房総務審議官 手塚 康夫君
総理府人事局長 藤井 良二君
総理府統計局長 永山 貞則君
青少年対策本部
次長 瀧澤 博三君
警察庁刑事局長 金澤 昭雄君
警察庁刑事局保
安部長 大堀太千男君
防衛庁参事官 新井 弘一君
防衛庁参事官 友藤 一隆君
防衛庁参事官 冨田 泉君
防衛庁長官官房
長 佐々 淳行君
防衛庁防衛局長 夏目 晴雄君
防衛庁人事教育
局長 上野 隆史君
防衛庁経理局長 矢崎 新二君
防衛施設庁次長 森山 武君
経済企画庁調整
局長 田中誠一郎君
経済企画庁物価
局長 赤羽 隆夫君
経済企画庁調査
局長 廣江 運弘君
科学技術庁長官
官房長 安田 佳三君
科学技術庁研究
調整局長 加藤 泰丸君
科学技術庁原子
力局長 高岡 敬展君
科学技術庁原子
力安全局長 赤羽 信久君
環境庁長官官房
長 加藤 陸美君
環境庁企画調整
局長 正田 泰央君
国土庁長官官房
会計課長 金湖 恒隆君
法務省民事局長 中島 一郎君
法務省入国管理
局長 田中 常雄君
外務省アジア局
長 橋本 恕君
外務省北米局長 北村 汎君
外務省経済局次
長 妹尾 正毅君
外務省条約局長 栗山 尚一君
外務省国際連合
局長 門田 省三君
大蔵省主計局長 山口 光秀君
大蔵省主税局長 梅澤 節男君
大蔵省銀行局長 宮本 保孝君
大蔵省国際金融
局長 大場 智満君
文部大臣官房審
議官 齋藤 尚夫君
文部省初等中等
教育局長 鈴木 勲君
文部省大学局長 宮地 貫一君
文部省学術国際
局長 大崎 仁君
文部省管理局長 阿部 充夫君
厚生省公衆衛生
局長 三浦 大助君
厚生省児童家庭
局長 正木 馨君
社会保険庁長官
官房審議官 入江 慧君
農林水産大臣官
房長 角道 謙一君
農林水産省農蚕
園芸局長 小島 和義君
農林水産技術会
議事務局長 岸 國平君
食糧庁長官 渡邊 五郎君
通商産業大臣官
房審議官 斎藤 成雄君
資源エネルギー
庁長官 豊島 格君
資源エネルギー
庁石油部長 松尾 邦彦君
資源エネルギー
庁公益事業部長 小川 邦夫君
郵政省簡易保険
局長 魚津 茂晴君
労働省労働基準
局長 松井 達郎君
労働省婦人少年
局長 赤松 良子君
労働省職業安定
局長 谷口 隆志君
建設大臣官房会
計課長 牧野 徹君
自治大臣官房審
議官 田中 暁君
自治省行政局公
務員部長 坂 弘二君
自治省財政局長 石原 信雄君
自治省税務局長 関根 則之君
事務局側
常任委員会専門
員 桐澤 猛君
説明員
会計検査院事務
総局第二局長 竹尾 勉君
参考人
動力炉・核燃料
開発事業団理事
長 瀬川 正男君
日本銀行総裁 前川 春雄君
─────────────
本日の会議に付した案件
○理事補欠選任の件
○参考人の出席要求に関する件
○昭和五十八年度一般会計予算(内閣提出、衆議院送付)
○昭和五十八年度特別会計予算(内閣提出、衆議院送付)
○昭和五十八年度政府関係機関予算(内閣提出、衆議院送付)
─────────────
土
土屋義彦#1
○委員長(土屋義彦君) 予算委員会を開会いたします。
まず、理事の補欠選任についてお諮りをいたします。
委員の異動に伴い現在理事が一名欠員になっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。
理事の選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →まず、理事の補欠選任についてお諮りをいたします。
委員の異動に伴い現在理事が一名欠員になっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。
理事の選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
土
土
土屋義彦#3
○委員長(土屋義彦君) 昭和五十八年度一般会計予算、昭和五十八年度特別会計予算、昭和五十八年度政府関係機関予算、以上三案を一括して議題といたします。
─────────────
この発言だけを見る →─────────────
土
土屋義彦#4
○委員長(土屋義彦君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りをいたします。
昭和五十八年度総予算三案審査のため、本日の委員会に日本銀行総裁前川春雄君、動力炉・核燃料開発事業団理事長瀬川正男君を参考人として出席を求めることに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →昭和五十八年度総予算三案審査のため、本日の委員会に日本銀行総裁前川春雄君、動力炉・核燃料開発事業団理事長瀬川正男君を参考人として出席を求めることに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
土
土屋義彦#5
○委員長(土屋義彦君) 御異議ないと認めます。
なお、出席時刻等につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →なお、出席時刻等につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
土
土
粕
粕谷照美#8
○粕谷照美君 きのうの予算委員会で、井上委員の質問に対しまして文部大臣が答弁をされました。その御答弁に関連をいたしまして、最初に教科書問題について質問いたします。
私、手に入れました資料でこういうものがあるんですが、民主党政務調査会で発表されました中曽根代議士の教科書制度改革試案なるもの、大分古いものであります、民主党時代でありますから。これを拝見いたしますと、民主党の案は民編国管であるけれども、これを民編統一にした方がいいのではないかなどという、わりとソフトな感じで受けとめているわけですが、精神は無償ということも含まれているのではないかというような感じも含めまして、総理が教科書に並み並みならぬ深い関心を寄せていらっしゃることを思いまして、昨年の教科書問題に関連をいたしまして、検定の問題についてのお考えをお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →私、手に入れました資料でこういうものがあるんですが、民主党政務調査会で発表されました中曽根代議士の教科書制度改革試案なるもの、大分古いものであります、民主党時代でありますから。これを拝見いたしますと、民主党の案は民編国管であるけれども、これを民編統一にした方がいいのではないかなどという、わりとソフトな感じで受けとめているわけですが、精神は無償ということも含まれているのではないかというような感じも含めまして、総理が教科書に並み並みならぬ深い関心を寄せていらっしゃることを思いまして、昨年の教科書問題に関連をいたしまして、検定の問題についてのお考えをお伺いしたいと思います。
中
中曽根康弘#9
○国務大臣(中曽根康弘君) 民主党の時代ですから、昭和三十年前後ですね、それは。自民党の合同、自由党と民主党の合同が昭和三十年ですから、民主党というと、そのちょっと前、鳩山内閣ができる前ですね。そのころ、教科書問題の偏向が著しく論ぜられまして、いまよりもっとひどかったんです。
それで、あのころ日教組を飛び出した石井一朝さんという方が、その教科書の偏向ぶりを世の中に問う出版物をいたしまして、私もそれを拝見し、非常に驚いて、それで石井さんにも会いまして、教科書を全部自分も集めてみて読んでみました。すると、あのころの教科書はいまより非常にひどい左翼偏向ぶりの教科書でありました。そこで、あのころ三木武吉先生が民主党のリーダーの一人でありましたが、三木さんとも話をして、これは直さなければいけないというので、「うれうべき教科書の問題」というパンフレットを出したり、民主党の党内に教科書対策特別委員会というのをつくりまして、それでキャンペーンをやりました。それが動機になりまして教科書を見直そうということになって、そのころからいろんな検定や教科書制度に関する論議が巻き起こったのでございます。
そのころいろいろ検討しました中に、私もいろいろ勉強しまして、こういう議論もあったんです。いまのようなばらばらで、各地域で、小区域で採択しているというと、たとえば公務員が転勤する、あるいは農協の職員が転勤した場合に、隣の村へ行ったらもう教科書が使えない、また新しい教科書を全部買わなけりゃいけない、とてもこれでは経済負担にたえられないし、もったいない、だから昔のようにお兄らゃんの本を弟が使える、そういうふうにしてくれないかという要望もかなりありました。そこで、広域採択という問題が出てまいりましたし、ある場合にはそれは全国一本にしたらどうか、しかし全国一本にするについては編集が問題だから、それは民主的な編集委員会をつくって、そしてそれをある場合には議会がチェックできるような形にもして、そして編集委員会をつくって民主的な教科書をつくって全国一本にしたらどうか、またある人の中には、昔のような国営みたいな固定教科書にしたらどうか、しかしそうでないのがいい、アメリカそのほかの国みたいに自由につくらして採択するというやり方の方がいいじゃないかと、さまざまな議論が出ました。その中の一環として、たしか民編ということを私は当時言ったことがあると覚えております。
その後、いろいろそれが端緒になりまして、教科書制度をどうするかという問題が起こりて検定制度というふうになり、そしていまのような教科書制度に発展してきたと、こう思っております。
この発言だけを見る →それで、あのころ日教組を飛び出した石井一朝さんという方が、その教科書の偏向ぶりを世の中に問う出版物をいたしまして、私もそれを拝見し、非常に驚いて、それで石井さんにも会いまして、教科書を全部自分も集めてみて読んでみました。すると、あのころの教科書はいまより非常にひどい左翼偏向ぶりの教科書でありました。そこで、あのころ三木武吉先生が民主党のリーダーの一人でありましたが、三木さんとも話をして、これは直さなければいけないというので、「うれうべき教科書の問題」というパンフレットを出したり、民主党の党内に教科書対策特別委員会というのをつくりまして、それでキャンペーンをやりました。それが動機になりまして教科書を見直そうということになって、そのころからいろんな検定や教科書制度に関する論議が巻き起こったのでございます。
そのころいろいろ検討しました中に、私もいろいろ勉強しまして、こういう議論もあったんです。いまのようなばらばらで、各地域で、小区域で採択しているというと、たとえば公務員が転勤する、あるいは農協の職員が転勤した場合に、隣の村へ行ったらもう教科書が使えない、また新しい教科書を全部買わなけりゃいけない、とてもこれでは経済負担にたえられないし、もったいない、だから昔のようにお兄らゃんの本を弟が使える、そういうふうにしてくれないかという要望もかなりありました。そこで、広域採択という問題が出てまいりましたし、ある場合にはそれは全国一本にしたらどうか、しかし全国一本にするについては編集が問題だから、それは民主的な編集委員会をつくって、そしてそれをある場合には議会がチェックできるような形にもして、そして編集委員会をつくって民主的な教科書をつくって全国一本にしたらどうか、またある人の中には、昔のような国営みたいな固定教科書にしたらどうか、しかしそうでないのがいい、アメリカそのほかの国みたいに自由につくらして採択するというやり方の方がいいじゃないかと、さまざまな議論が出ました。その中の一環として、たしか民編ということを私は当時言ったことがあると覚えております。
その後、いろいろそれが端緒になりまして、教科書制度をどうするかという問題が起こりて検定制度というふうになり、そしていまのような教科書制度に発展してきたと、こう思っております。
粕
粕谷照美#10
○粕谷照美君 歴史はわかったんですけれども、そういう経過の中からこの検定の制度というものに対して、どのようなお考えを持っていらっしゃるかということを伺いたかったわけですが、時間の関係もありますので、昨日の問題に返りたいと思います。
それで、文部大臣の御答弁を速記を取り寄せようと思いましたけれども、取り寄せる時間的なゆとりがありませんでした。正確に御回答を、御答弁を私が認識するというわけにはまいりませんので、昨日の御答弁を文部大臣御自身から改めて言っていただきたいと思います。
この発言だけを見る →それで、文部大臣の御答弁を速記を取り寄せようと思いましたけれども、取り寄せる時間的なゆとりがありませんでした。正確に御回答を、御答弁を私が認識するというわけにはまいりませんので、昨日の御答弁を文部大臣御自身から改めて言っていただきたいと思います。
瀬
瀬戸山三男#11
○国務大臣(瀬戸山三男君) 昨日の井上委員の検定に関する御質問の答え、私も言葉そのものはよく記憶していないのでございまして、あるいは言葉遣いが違ってくるかもしれませんけれども、私の所信と言いましょうか、考え方は、きのうもきょうも変わらないという立場でお答えをしたいと思います。
といいますのは、昨日、いまもお話がありましたように、いわゆる北方領土四島をソ連が現在占領といいましょうか、占有といいましょうか、しておる状態の歴史的いきさつを、経過を井上さんが外務省に聞きまして、外務省から歴史的な事実をるる経過を述べられており、それに関連していまの小、中、高、義務教育教科書における北方四島の記述が、なぜソ連が現在占領しておって日本が四島返還を求めておるか、こういういきさつが記述が明瞭でないじゃないか、こういうお尋ねがあったわけでございます。
私も全部教科書見ておるわけではありませんけれども、教科書にも御承知のとおりいま種類が多うございますから、同じ部類についての記述も種種に分かれておるようでございます。二、三の記述を見てみますると、小、中、高と、いろいろ内容の記述の濃度といいましょうか、詳しい、簡単であるという程度の差がもちろんございますが、北方四島をソ連が占領しておって、占領といいますか、ソ連が占有しておって、それに対してわが国は四島の返還を求めておるという趣旨の記述はほぼあります。ありますが、そこに至るなぜそれじゃソ連が北方四島を占有して、日本がそれを返せ返せと言っているんだという、そのいわれと申しましょうか、歴史的な経過というものが必ずしも明瞭に書いてないのがある。それではおかしいじゃないか、国民はなぜ返せと言っておるか、あるいは日本の領土であるということの認識がよくわからないんじゃないかというお話がありましたが、そういう点がありますから、できることであれば、これは歴史的事実でありますから、そこまでわかるように教科書なら書いた方がよかろうと、これは私の考えでございます。
ただ、しかし御承知のとおり、教科書は昔と違いまして、国定教科書を文部省がつくるわけじゃありません。教科書会社、あるいは教科書をつくる学者その他の人が書かれたものを検定制度によってつくっておるわけでありますから、そうかといって文部省がこうこう書くとか、あるいは直せという簡単なものではない。でありますから、検定制度でいきますと、ここは明らかにだれが見てもというぐらいに、客観的に間違っておるとか、おかしいというところは何か訂正ということになる——修正ですか、修正の意見をつける、修正の意見をつけると、それを修正してこなければ検定は通らないということになっておるそうでございます。
もう一つは、そこまではないが、せっかくのことならばこういう表示がいいんじゃないか、その表示が間違いというわけじゃないけれども、もう少しならこの表示がいいんじゃないか、こういう場合があるそうでございます、審議会の検討の結果。その際には改善したらどうか、改善意見をつけるというもう一つの道があるそうでございます。でありますから、それ故善意見をつけて、なるほど教科書をつくる人たちがそう言われれば、その方がいいなと思えばそのように改善をして原本を直す、こういうやり方もあるそうであります。
私は、きのうの場合はいま書いてあることそれ自体が間違いということじゃなしに、ややいわれを書いておらないところが足らないような気がいたしますから、そういう改善といいますか、改善の方策があるのかどうか、検定の場合に検討さしてみたい、かようなことを申し上げたのがきのうのいきさつでございます。
この発言だけを見る →といいますのは、昨日、いまもお話がありましたように、いわゆる北方領土四島をソ連が現在占領といいましょうか、占有といいましょうか、しておる状態の歴史的いきさつを、経過を井上さんが外務省に聞きまして、外務省から歴史的な事実をるる経過を述べられており、それに関連していまの小、中、高、義務教育教科書における北方四島の記述が、なぜソ連が現在占領しておって日本が四島返還を求めておるか、こういういきさつが記述が明瞭でないじゃないか、こういうお尋ねがあったわけでございます。
私も全部教科書見ておるわけではありませんけれども、教科書にも御承知のとおりいま種類が多うございますから、同じ部類についての記述も種種に分かれておるようでございます。二、三の記述を見てみますると、小、中、高と、いろいろ内容の記述の濃度といいましょうか、詳しい、簡単であるという程度の差がもちろんございますが、北方四島をソ連が占領しておって、占領といいますか、ソ連が占有しておって、それに対してわが国は四島の返還を求めておるという趣旨の記述はほぼあります。ありますが、そこに至るなぜそれじゃソ連が北方四島を占有して、日本がそれを返せ返せと言っているんだという、そのいわれと申しましょうか、歴史的な経過というものが必ずしも明瞭に書いてないのがある。それではおかしいじゃないか、国民はなぜ返せと言っておるか、あるいは日本の領土であるということの認識がよくわからないんじゃないかというお話がありましたが、そういう点がありますから、できることであれば、これは歴史的事実でありますから、そこまでわかるように教科書なら書いた方がよかろうと、これは私の考えでございます。
ただ、しかし御承知のとおり、教科書は昔と違いまして、国定教科書を文部省がつくるわけじゃありません。教科書会社、あるいは教科書をつくる学者その他の人が書かれたものを検定制度によってつくっておるわけでありますから、そうかといって文部省がこうこう書くとか、あるいは直せという簡単なものではない。でありますから、検定制度でいきますと、ここは明らかにだれが見てもというぐらいに、客観的に間違っておるとか、おかしいというところは何か訂正ということになる——修正ですか、修正の意見をつける、修正の意見をつけると、それを修正してこなければ検定は通らないということになっておるそうでございます。
もう一つは、そこまではないが、せっかくのことならばこういう表示がいいんじゃないか、その表示が間違いというわけじゃないけれども、もう少しならこの表示がいいんじゃないか、こういう場合があるそうでございます、審議会の検討の結果。その際には改善したらどうか、改善意見をつけるというもう一つの道があるそうでございます。でありますから、それ故善意見をつけて、なるほど教科書をつくる人たちがそう言われれば、その方がいいなと思えばそのように改善をして原本を直す、こういうやり方もあるそうであります。
私は、きのうの場合はいま書いてあることそれ自体が間違いということじゃなしに、ややいわれを書いておらないところが足らないような気がいたしますから、そういう改善といいますか、改善の方策があるのかどうか、検定の場合に検討さしてみたい、かようなことを申し上げたのがきのうのいきさつでございます。
粕
粕谷照美#12
○粕谷照美君 改善にするのか修正にするのかということよりも、非常に文部大臣の御答弁は検定を強化していかなければならない、私もそういうふうに受け取って、これは問題だというふうに考えたわけであります。
それで、文部大臣にお伺いしますけれども、去年のあの教科書問題が文部省ではもう決着がつかなかった、そして最終的には八月二十六日の宮澤官房長官の談話で政府見解が発表されて、ようやく外交的な決着を見たわけであります。その経過から考えてみますと、検定を強化していく、しかもきのうは北方領土の問題に関連しての御答弁でありますから、北方領土のその部分に関してだけ検定を強化していくというようなことになれば、今度は韓国や中国ではないものを相手にして同じ状態が戻ってくる、教科書問題が。そういうふうな御心配はお考えになりませんでしょうか。
この発言だけを見る →それで、文部大臣にお伺いしますけれども、去年のあの教科書問題が文部省ではもう決着がつかなかった、そして最終的には八月二十六日の宮澤官房長官の談話で政府見解が発表されて、ようやく外交的な決着を見たわけであります。その経過から考えてみますと、検定を強化していく、しかもきのうは北方領土の問題に関連しての御答弁でありますから、北方領土のその部分に関してだけ検定を強化していくというようなことになれば、今度は韓国や中国ではないものを相手にして同じ状態が戻ってくる、教科書問題が。そういうふうな御心配はお考えになりませんでしょうか。
瀬
瀬戸山三男#13
○国務大臣(瀬戸山三男君) そういうふうにお耳に入りましたとすれば、私の真意とやや違いますから、言葉遣いが悪かったかもしれません。強化という考えは私は持っておりません。改善が強化ということになるかならないかは、これは受け取り方でございますけれども、さっき申し上げましたように、経過がわかった方が、かえってなぜ返還を求めるのかということが国民に理解が、返還を求めるということは私の見方では国民こぞっての、各党こぞっての御意見のようにも思いますが、そのことのなぜそういうことをするのかといういわれを、せっかく教科書に書くならばその方がベターではないか、こういう改善ができるものであればその方が、手続上そういうことができるかどうかはこれから検討させますけれども、そういうことを申し上げたので、強化という趣旨が私自身もわからないんですけれども、そういうことでございます。
この発言だけを見る →粕
粕谷照美#14
○粕谷照美君 質問が北方領土に限っておりましたから、私はその点についての心配を表明したわけでありまして、その他の部分についても、それでは全部全会派こういうことでいいから、それではこういうことをあれしなさいというふうに改善意見を出すということになれば大変なことになるのではないかというふうに考えているところでございます。
それで、文部大臣が修正意見、改善意見、この点について御自身は改善のように思っているとおっしゃるけれども、議事録に本当にそうなっているのかどうかを改めて私も点検いたしまして答弁を求めたい、つまりこの問題についてはあとは保留をしていきたいというふうに考えております。
次に、きのうの総理の日教組批判であります。私も日教組のまだ組合費を納めている組合員でありますので、はね上がりなどという言葉を聞きますと、とても容認できないというような気持ちでいっぱいなわけであります。
文部大臣、文部省が一九四六年に新教育指針を発表しているわけであります。そして、全国の教職員に、平和教育と民主教育の徹底と教員組合の結成を呼びかけているわけです。前の方の平和教育の部分については触れませんけれども、教員組合につきますと、教育が政党や外部の不当な圧力によってゆがめられようとしたり、教職員の身分や生活が不安定になろうとするときは、教員組合は団結の力をもってこれと闘い、あくまでも民主教育を守り、教職員の身分の安定を図らねばならないと、こういうふうになっているわけでありますね。いまの日教組の運動方針がけしからぬからなどというようなことは私はとんでもない話だと思います。まして、人事院勧告を踏みにじっておいて、そしてまた臨調方針の中で教育費がどんどん削減をされてくる、四十人学級を約束したにもかかわらずそれを実施しない。こういうことがあるときに、それを批判するというのは当然のことだというふうに思うわけであります。
まして、憲法についてさえ自由に、政治にタブーはないんだ、自由にお話しをしなさいと、文部大臣も九条についての論議を国会の中でやっていらっしゃるときに、教職員の団体が政治についての批判を許すことができない、法律違反ではないかなどというようなことは大変おどしにも似たような感じがしてならないわけであります。政府の政策に無批判に従うような組合ならよろしいということであったならば、その一九四六年の文部省の方針というものは全く何のために出されたのかということを私は指摘せざるを得ません。この点については、総理はきのう何かお示しいただいた森本真章氏の本などを読んでいらっしゃるようでありますから、答弁を求めないで意見だけにしておきます。
さて、質問をいたします。総理は予算委員会の質疑を通じまして改憲論者中曽根、政治にタブーなし、こういうことをおっしゃっておられました。そして、内閣としては政治日程に改憲の問題を上げていかない、こういうタカ派ぶりを示されると同時に、予算委員会の冒頭に嶋崎委員の質問に対して非常にソフトなムードの御答弁をなさっているわけであります。憲法はもう若者に定着をしたとか、いまの憲法に認められた自由や人権や福祉や国家の理念をこんりんざい放したくないという気持ちは婦人の層に非常に多い、こういうことを言っていらっしゃるわけです。これから国民の合意が必要だというようなことも言っていらっしゃるのを私は伺いながら、どちらが総理の本当の心なんだろうという気持ちがいたしました。よく読んでみますと、自由とか人権とか福祉とかいう言葉をおっしゃっていますけれども、平和とか、こういう言葉が入っていないんですね。そうすると、総理のお気持ちはあの憲法の中で平和の問題は一体どのように理解をしていらっしゃるのかということの疑問が出てまいります。そのことについての総理のお考えをお伺いしたいし、また文部大臣にお伺いしますのは、この憲法も教育基本法も非常に評価をされている、議事録を見ますと。それは当然のことだというふうに思いますけれども、その一方で少年非行が出てくる、校内暴力が出てくるのはということについての御説明の中に、教育勅語などを出してこられているわけですね。教育勅語を出してこられるその文部大臣の真意というものは、一体どういうことかということについてお伺いしたい。
この発言だけを見る →それで、文部大臣が修正意見、改善意見、この点について御自身は改善のように思っているとおっしゃるけれども、議事録に本当にそうなっているのかどうかを改めて私も点検いたしまして答弁を求めたい、つまりこの問題についてはあとは保留をしていきたいというふうに考えております。
次に、きのうの総理の日教組批判であります。私も日教組のまだ組合費を納めている組合員でありますので、はね上がりなどという言葉を聞きますと、とても容認できないというような気持ちでいっぱいなわけであります。
文部大臣、文部省が一九四六年に新教育指針を発表しているわけであります。そして、全国の教職員に、平和教育と民主教育の徹底と教員組合の結成を呼びかけているわけです。前の方の平和教育の部分については触れませんけれども、教員組合につきますと、教育が政党や外部の不当な圧力によってゆがめられようとしたり、教職員の身分や生活が不安定になろうとするときは、教員組合は団結の力をもってこれと闘い、あくまでも民主教育を守り、教職員の身分の安定を図らねばならないと、こういうふうになっているわけでありますね。いまの日教組の運動方針がけしからぬからなどというようなことは私はとんでもない話だと思います。まして、人事院勧告を踏みにじっておいて、そしてまた臨調方針の中で教育費がどんどん削減をされてくる、四十人学級を約束したにもかかわらずそれを実施しない。こういうことがあるときに、それを批判するというのは当然のことだというふうに思うわけであります。
まして、憲法についてさえ自由に、政治にタブーはないんだ、自由にお話しをしなさいと、文部大臣も九条についての論議を国会の中でやっていらっしゃるときに、教職員の団体が政治についての批判を許すことができない、法律違反ではないかなどというようなことは大変おどしにも似たような感じがしてならないわけであります。政府の政策に無批判に従うような組合ならよろしいということであったならば、その一九四六年の文部省の方針というものは全く何のために出されたのかということを私は指摘せざるを得ません。この点については、総理はきのう何かお示しいただいた森本真章氏の本などを読んでいらっしゃるようでありますから、答弁を求めないで意見だけにしておきます。
さて、質問をいたします。総理は予算委員会の質疑を通じまして改憲論者中曽根、政治にタブーなし、こういうことをおっしゃっておられました。そして、内閣としては政治日程に改憲の問題を上げていかない、こういうタカ派ぶりを示されると同時に、予算委員会の冒頭に嶋崎委員の質問に対して非常にソフトなムードの御答弁をなさっているわけであります。憲法はもう若者に定着をしたとか、いまの憲法に認められた自由や人権や福祉や国家の理念をこんりんざい放したくないという気持ちは婦人の層に非常に多い、こういうことを言っていらっしゃるわけです。これから国民の合意が必要だというようなことも言っていらっしゃるのを私は伺いながら、どちらが総理の本当の心なんだろうという気持ちがいたしました。よく読んでみますと、自由とか人権とか福祉とかいう言葉をおっしゃっていますけれども、平和とか、こういう言葉が入っていないんですね。そうすると、総理のお気持ちはあの憲法の中で平和の問題は一体どのように理解をしていらっしゃるのかということの疑問が出てまいります。そのことについての総理のお考えをお伺いしたいし、また文部大臣にお伺いしますのは、この憲法も教育基本法も非常に評価をされている、議事録を見ますと。それは当然のことだというふうに思いますけれども、その一方で少年非行が出てくる、校内暴力が出てくるのはということについての御説明の中に、教育勅語などを出してこられているわけですね。教育勅語を出してこられるその文部大臣の真意というものは、一体どういうことかということについてお伺いしたい。
中
中曽根康弘#15
○国務大臣(中曽根康弘君) 先ほどの私の答弁の中にいまよりもという言葉がございましたが、これは私の主観が入っている言葉でございますから訂正させていただきます。
それから日教組批判について、いままず御発言がございましたが、私は教職員団体というものは中立を守って、そして憲法と教育基本法のその精神そのままに教育に専心されることを心から熱望しておるものであり、大多数の学校の先生方はそういうお気持ちで一生懸命やっていただいていると確信しております。ただ、日教組のいろんな言動やらスローガンを見ますと、きのうも井上さんが御指摘になりましたけれども、私の言っていることはうそじゃないと思うんです。と申しますのは、たとえば昨年一九八二年の大会スローガンを見ますと「日米安保条約廃棄・非武装中立・非核三原則を堅持し、反核・軍縮・平和のたたかいをいっそう強め、」云々と書いてある。日米安保条約廃棄とか、非武装中立とはというのは、これは政治的な条項でございますね。教職員団体がこういうところまで踏み出すということはどうだろうか。闘いを強めなんという、闘争という言葉を使うから、やっぱり子供が暴力的になる傾向が出るんではないだろうか、何かそういう感じがするんですね、感じといたしまして。なぜ闘争とか闘いという言葉を先生がお使いになる必要があるんだろうか。そういうこともありますし、その運動方針を見ますと、やっぱり「日米安保条約の廃棄」、そうして「職場、地域から反核・反戦・軍縮の運動を強め」と、こう書いてある。職場ということになるとこれは学校ですわね、あるいは教員室ですわね。学校というものからこういう運動を強めということになると、これはどうだろうか。学校というものは教育基本法に基づいて子供たちを育て勉強させるところですから、その場所からこういうことをやられたら、これはPTAも困るんじゃないだろうかと思います。
あるいはさらに「また、反基地、反自衛隊、核兵器廃絶などの署名活動などの多様な運動と啓蒙宣伝活動を強化します。」と、こう言っておられます。反基地、反自衛隊というのは、これちゃんと法律で決められている自衛隊とか、あるいは安保条約で決められている施設、区域とか、こういうものに対するそういう行動をやろうとおっしゃっておる。これは明らかに政治的な行為ではないんだろうか、そういう疑問を持つわけです。臨調路線粉砕、行革臨調粉砕とか、あるいは中教審の反動化、反動中教審対決とか、そういうことも言っていらっしゃるようでございますけれども、こういうところを見ると、やっぱり問題があるんじゃないだろうかと、そういう気がいたすのであります。
日教組の組織の中でも、昨年の大会では日教組は政治闘争を強化するため○○党を支持して闘いますと、こう書いてある。政治闘争を強化するためということになると、これは地方公務員法との関係でどうだろうか、○○政党を支持しますということになると、これはいま言ったように、政党の弾圧とか、政党の介入という問題いまおっしゃったばかりですけれども、特定政党支持というのじゃなくて、あらゆる政党の中から自由に選択して、あるときにはこの政党がいいというときにはこの政党を支持する、あるときこの政党がいいというときにはこの政党を支持する、そういう自由というものがあってほしいのではないのだろうかという気もしますね。そういうようないろんな面から見まして、私自体は疑問を持っておるものなのであります。
それから、憲法の問題につきまして、私は平和国家の理想とか、あるいは平和憲法、あるいは第九条に盛られている平和主義の精神ということは強調しているのでございまして、決して忘れているわけではございません。それから、いまおっしゃいました人権とか、あるいは民主主義、あるいは自由主義、あるいは福祉国家の理念、あるいは国際協調主義、そういう問題は確かにいい原理であり、戦前の日本と戦後の日本を経験している私にとりましては、戦後はすばらしい時代になっておると思うのであります。日本歴史の中でも戦後の三十数年というものは特筆すべきすばらしい時代であると恐らく後世の史家から書かれる時代ではないかと思っております。それに果たしたいまの憲法の役割りというものも決して私らは無視するものではないのであります。
しかし、どんなものでも光があれば影があります。そういう意味において、いまの憲法についても学習し、あるいは検討する、この日教組のあれの中にも憲法学習という言葉がありますね。私あの言葉はいい言葉だろうと思うんです。そういう意味において自由にフランクな立場で物を考えていきたい、しかし、いまの憲法の果たした役割りや評価というものは、私は私としてやはり厳然と持っているということを申し上げたいのです。
この発言だけを見る →それから日教組批判について、いままず御発言がございましたが、私は教職員団体というものは中立を守って、そして憲法と教育基本法のその精神そのままに教育に専心されることを心から熱望しておるものであり、大多数の学校の先生方はそういうお気持ちで一生懸命やっていただいていると確信しております。ただ、日教組のいろんな言動やらスローガンを見ますと、きのうも井上さんが御指摘になりましたけれども、私の言っていることはうそじゃないと思うんです。と申しますのは、たとえば昨年一九八二年の大会スローガンを見ますと「日米安保条約廃棄・非武装中立・非核三原則を堅持し、反核・軍縮・平和のたたかいをいっそう強め、」云々と書いてある。日米安保条約廃棄とか、非武装中立とはというのは、これは政治的な条項でございますね。教職員団体がこういうところまで踏み出すということはどうだろうか。闘いを強めなんという、闘争という言葉を使うから、やっぱり子供が暴力的になる傾向が出るんではないだろうか、何かそういう感じがするんですね、感じといたしまして。なぜ闘争とか闘いという言葉を先生がお使いになる必要があるんだろうか。そういうこともありますし、その運動方針を見ますと、やっぱり「日米安保条約の廃棄」、そうして「職場、地域から反核・反戦・軍縮の運動を強め」と、こう書いてある。職場ということになるとこれは学校ですわね、あるいは教員室ですわね。学校というものからこういう運動を強めということになると、これはどうだろうか。学校というものは教育基本法に基づいて子供たちを育て勉強させるところですから、その場所からこういうことをやられたら、これはPTAも困るんじゃないだろうかと思います。
あるいはさらに「また、反基地、反自衛隊、核兵器廃絶などの署名活動などの多様な運動と啓蒙宣伝活動を強化します。」と、こう言っておられます。反基地、反自衛隊というのは、これちゃんと法律で決められている自衛隊とか、あるいは安保条約で決められている施設、区域とか、こういうものに対するそういう行動をやろうとおっしゃっておる。これは明らかに政治的な行為ではないんだろうか、そういう疑問を持つわけです。臨調路線粉砕、行革臨調粉砕とか、あるいは中教審の反動化、反動中教審対決とか、そういうことも言っていらっしゃるようでございますけれども、こういうところを見ると、やっぱり問題があるんじゃないだろうかと、そういう気がいたすのであります。
日教組の組織の中でも、昨年の大会では日教組は政治闘争を強化するため○○党を支持して闘いますと、こう書いてある。政治闘争を強化するためということになると、これは地方公務員法との関係でどうだろうか、○○政党を支持しますということになると、これはいま言ったように、政党の弾圧とか、政党の介入という問題いまおっしゃったばかりですけれども、特定政党支持というのじゃなくて、あらゆる政党の中から自由に選択して、あるときにはこの政党がいいというときにはこの政党を支持する、あるときこの政党がいいというときにはこの政党を支持する、そういう自由というものがあってほしいのではないのだろうかという気もしますね。そういうようないろんな面から見まして、私自体は疑問を持っておるものなのであります。
それから、憲法の問題につきまして、私は平和国家の理想とか、あるいは平和憲法、あるいは第九条に盛られている平和主義の精神ということは強調しているのでございまして、決して忘れているわけではございません。それから、いまおっしゃいました人権とか、あるいは民主主義、あるいは自由主義、あるいは福祉国家の理念、あるいは国際協調主義、そういう問題は確かにいい原理であり、戦前の日本と戦後の日本を経験している私にとりましては、戦後はすばらしい時代になっておると思うのであります。日本歴史の中でも戦後の三十数年というものは特筆すべきすばらしい時代であると恐らく後世の史家から書かれる時代ではないかと思っております。それに果たしたいまの憲法の役割りというものも決して私らは無視するものではないのであります。
しかし、どんなものでも光があれば影があります。そういう意味において、いまの憲法についても学習し、あるいは検討する、この日教組のあれの中にも憲法学習という言葉がありますね。私あの言葉はいい言葉だろうと思うんです。そういう意味において自由にフランクな立場で物を考えていきたい、しかし、いまの憲法の果たした役割りや評価というものは、私は私としてやはり厳然と持っているということを申し上げたいのです。
瀬
瀬戸山三男#16
○国務大臣(瀬戸山三男君) 私が国会答弁の中で教育勅語に触れたかどうか記憶はありませんが、これは後で触れたとおっしゃいますからちょっと触れますが、私はこういうふうに考えております。
いまの教育は、まあ粕谷さん専門家であられますけれども、憲法が昭和二十二年に施行されると同時に、昭和二十二年に教育基本法が制定、施行されておりますが、憲法の精神に従って、憲法の精神を据えて平和な民主的な福祉国家をつくるように教育をする、こういうふうな趣旨が書いてあると思うんです。私は率直に言ってこれは非常にすばらしいことだと思っておるんです。といいますのは、これは憲法のこと、いま総理からいろいろお話になりましたが、重複して恐縮でございますけれども、いまの憲法は、これはいつの憲法でもそうなんですけれども、曲解されたり誤用されたりして間違ってくるんですけれども、そういう過去の長い歴史の経過、苦い経験等を踏まえてこういう憲法になっておるわけですが、大きく人類とまでは言いません。日本国民全体が私は平和を望む、人間というものはそういうものなんです。平和を望みながら争いをするという不思議なところがあるんですけれども、とにかく日本国民は、私は全部が平和な社会でありたい、平和な国でありたいということを望んでおると思います。
でありますから、この日本国憲法が、こんりんざい将来みずから進んで戦争をするようなことをしてはならない、こういうことを決めて、いわゆる平和主義という憲法になっておると思います。これはすばらしいことであると同時に、そのためには、よく言われますように、個人の人権の尊重をするとか、それはそのもとになるのは自由である、したがって、国民が構成しておる国でありますから、国民が相談して国の進め方をするという、主権在民と言われておりますが、こういういわゆる平和であるとか、自由主義であるとか、あるいは民主主義であるとか、基本的人権を尊重する、世界の中の日本としてもう一つつけ加えますと、国際協調の精神で国をつくる、この憲法の精神というものはすばらしいことだ、また、こうでなくちゃならない。それを教育によって、子供は何も知りませんから、そういうことをよく教え、納得させて、将来そういう国をつくり得る国民にしなければならない。これは私は教育の基本法に書いてあるねらい、書いてあってもなくてもそれが正しい道だと思っておるんです。
ただ、私がこういうことを言うと、またここから議論になるかもしれませんけれども、そういうふうに教育が進んでおるのかどうかということについては私は疑問を持っておるということでございます。もう憲法施行以来三十五年余り過ぎましたが、そこまでもし一生懸命になって教育の使命に徹して三十五年もこの教育を進めておったらば、率直に言いまして私ども過去には余り経験がなかったんですけれども、白昼堂々と自動車で乗りつけて、時によって連日銀行強盗や金融機関の強盗が横行するという時代、そして子供を捨てたり親を殺したりする時代、それがいま言われておりますように小・中学校あるいは高校から、小学校までいっておりませんけれども、中学校の子供が校内暴力から校外暴力、あるいは学校の先生をたたくとか、学校の先生が刺すとか、私に言わせると非常にすさまじい社会である、あらゆる面で倫理が荒廃しておる、こういう状況にはならないんじゃなかろうか。私は、憲法第三章、人権の規定が、国民の資格から四十条まで書いてありますけれども、あれを本当に教えていただいておりますれば、私はこういうふうにならないと思っておるんです。
ところが、これはまあ反動だと思います。戦前の、これまた別な意味ですさまじい社会でございましたから、その反動だと思いますが、個人の尊厳、平等、これは結構でありますけれども、そのために相互の尊重という憲法のすばらしいまた根本原則、この点が欠けて、教え方といいますか指導の仕方が欠けており、国民の自覚が欠けておったんじゃないか。
教育基本法の基本を申し上げて恐縮でありますけれども、自発精神を養成する、自他の敬愛と協力を養成するのが教育の目的であると書いてある。自他の敬愛ということが徹底的に指導されておったらば、横浜市の山下公園に行って第三者を殺したりけ飛ばしたりするようなことはないし、学校をたたき壊すということもないし、あるいは町田の忠生中学校で先生をなぐったり先生が刺したりするということは、これはまあ世の中ですからいつの時代でもたまにはいろんなのがおりますけれども、このごろのように国を挙げて心配するような社会にはならないんじゃないかと思うんです。
こういう点を、これは私は学校の先生方だけの責任だとは言いません。いろんな原因がありますけれども、いまや国民全体が本当に憲法の精神を大事にするのならば、真剣にこれから先のことを考えて、全部が考えて、改善といいましょうか、そういうことのない社会、すばらしい社会をつくるために前進すべき時期じゃないかという率直な考えを持っておるわけで、そこで教育勅語に触れられましたから、私、前もどこかでどういうことを言ったか余り記憶しておりませんけれど、教育勅語に触れますと、これまた古い人間の昔に帰るのだとすぐおっしゃいますけれども、私はそういうばかなことは考えておりませんが、教育勅語の中に、父や母を大切にしなさいと、きょうだいは仲よくしなさい、夫婦は本当にそれこそ仲よくしなさい、友達は相信じて仲よくしなさい、みずからを持して余り妙なことをしなさんな、「恭儉己レヲ持シ」というのはそういうことだと思う。博愛衆に及ぼしなさいと、学を修め業を習い、知脳を啓発しなさいと、徳器を、道徳的人間になりなさいと、社会、公共福祉を考えなさい、公益を重んじなさいと、そういういわゆる国の法律、憲法を重んじなさいと書いてあるのですが、これはどこが悪いのだろうかというのが私の考えでございます。
この発言だけを見る →いまの教育は、まあ粕谷さん専門家であられますけれども、憲法が昭和二十二年に施行されると同時に、昭和二十二年に教育基本法が制定、施行されておりますが、憲法の精神に従って、憲法の精神を据えて平和な民主的な福祉国家をつくるように教育をする、こういうふうな趣旨が書いてあると思うんです。私は率直に言ってこれは非常にすばらしいことだと思っておるんです。といいますのは、これは憲法のこと、いま総理からいろいろお話になりましたが、重複して恐縮でございますけれども、いまの憲法は、これはいつの憲法でもそうなんですけれども、曲解されたり誤用されたりして間違ってくるんですけれども、そういう過去の長い歴史の経過、苦い経験等を踏まえてこういう憲法になっておるわけですが、大きく人類とまでは言いません。日本国民全体が私は平和を望む、人間というものはそういうものなんです。平和を望みながら争いをするという不思議なところがあるんですけれども、とにかく日本国民は、私は全部が平和な社会でありたい、平和な国でありたいということを望んでおると思います。
でありますから、この日本国憲法が、こんりんざい将来みずから進んで戦争をするようなことをしてはならない、こういうことを決めて、いわゆる平和主義という憲法になっておると思います。これはすばらしいことであると同時に、そのためには、よく言われますように、個人の人権の尊重をするとか、それはそのもとになるのは自由である、したがって、国民が構成しておる国でありますから、国民が相談して国の進め方をするという、主権在民と言われておりますが、こういういわゆる平和であるとか、自由主義であるとか、あるいは民主主義であるとか、基本的人権を尊重する、世界の中の日本としてもう一つつけ加えますと、国際協調の精神で国をつくる、この憲法の精神というものはすばらしいことだ、また、こうでなくちゃならない。それを教育によって、子供は何も知りませんから、そういうことをよく教え、納得させて、将来そういう国をつくり得る国民にしなければならない。これは私は教育の基本法に書いてあるねらい、書いてあってもなくてもそれが正しい道だと思っておるんです。
ただ、私がこういうことを言うと、またここから議論になるかもしれませんけれども、そういうふうに教育が進んでおるのかどうかということについては私は疑問を持っておるということでございます。もう憲法施行以来三十五年余り過ぎましたが、そこまでもし一生懸命になって教育の使命に徹して三十五年もこの教育を進めておったらば、率直に言いまして私ども過去には余り経験がなかったんですけれども、白昼堂々と自動車で乗りつけて、時によって連日銀行強盗や金融機関の強盗が横行するという時代、そして子供を捨てたり親を殺したりする時代、それがいま言われておりますように小・中学校あるいは高校から、小学校までいっておりませんけれども、中学校の子供が校内暴力から校外暴力、あるいは学校の先生をたたくとか、学校の先生が刺すとか、私に言わせると非常にすさまじい社会である、あらゆる面で倫理が荒廃しておる、こういう状況にはならないんじゃなかろうか。私は、憲法第三章、人権の規定が、国民の資格から四十条まで書いてありますけれども、あれを本当に教えていただいておりますれば、私はこういうふうにならないと思っておるんです。
ところが、これはまあ反動だと思います。戦前の、これまた別な意味ですさまじい社会でございましたから、その反動だと思いますが、個人の尊厳、平等、これは結構でありますけれども、そのために相互の尊重という憲法のすばらしいまた根本原則、この点が欠けて、教え方といいますか指導の仕方が欠けており、国民の自覚が欠けておったんじゃないか。
教育基本法の基本を申し上げて恐縮でありますけれども、自発精神を養成する、自他の敬愛と協力を養成するのが教育の目的であると書いてある。自他の敬愛ということが徹底的に指導されておったらば、横浜市の山下公園に行って第三者を殺したりけ飛ばしたりするようなことはないし、学校をたたき壊すということもないし、あるいは町田の忠生中学校で先生をなぐったり先生が刺したりするということは、これはまあ世の中ですからいつの時代でもたまにはいろんなのがおりますけれども、このごろのように国を挙げて心配するような社会にはならないんじゃないかと思うんです。
こういう点を、これは私は学校の先生方だけの責任だとは言いません。いろんな原因がありますけれども、いまや国民全体が本当に憲法の精神を大事にするのならば、真剣にこれから先のことを考えて、全部が考えて、改善といいましょうか、そういうことのない社会、すばらしい社会をつくるために前進すべき時期じゃないかという率直な考えを持っておるわけで、そこで教育勅語に触れられましたから、私、前もどこかでどういうことを言ったか余り記憶しておりませんけれど、教育勅語に触れますと、これまた古い人間の昔に帰るのだとすぐおっしゃいますけれども、私はそういうばかなことは考えておりませんが、教育勅語の中に、父や母を大切にしなさいと、きょうだいは仲よくしなさい、夫婦は本当にそれこそ仲よくしなさい、友達は相信じて仲よくしなさい、みずからを持して余り妙なことをしなさんな、「恭儉己レヲ持シ」というのはそういうことだと思う。博愛衆に及ぼしなさいと、学を修め業を習い、知脳を啓発しなさいと、徳器を、道徳的人間になりなさいと、社会、公共福祉を考えなさい、公益を重んじなさいと、そういういわゆる国の法律、憲法を重んじなさいと書いてあるのですが、これはどこが悪いのだろうかというのが私の考えでございます。
寺
土
寺
寺田熊雄#19
○寺田熊雄君 中曽根内閣も小・中学校の学校内の暴力問題をこれ国家的な問題として取り上げるということでありますが、この対策をあなた方がお立てになるとしましても、一体その子供たちの学校の中の暴力がどういう原因で起こるかという原因を、まずあなた方が確められませんと有効な対策というのは立てられませんね。これはもう当然の原理ですが、私は文部大臣がこの問題の原因の一つに、占領軍の政策があるというようなことをおっしゃったことを新聞で読んだのですが、占領軍の政策、御承知のように憲法、それから教育基本法、六・三制等を考えても、なぜ占領軍の政策がこの問題の原因なのかとうてい理解できないので、その点ちょっと説明していただけませんか。
この発言だけを見る →瀬
瀬戸山三男#20
○国務大臣(瀬戸山三男君) いま心配されております子供の非行、校内暴力その他について、しばしば衆議院でもここの委員会でもその原因について申し上げましたが、いろいろあるわけでございます。もし言えとおっしゃれば言いますけれども、いろいろあるということだけにしておきます。
その中でいわゆる占領政策的も関係があると、私はそれを信じて疑わないわけです。全部が占領政策のもとだなんということは考えておりませんけれども、占領政策にも原因がある。その占領政策をいいとか悪いとかということを言っておるのじゃないのです。あの当時とすれば、私は率直に言って、これはまた異論がある方もあるかもしれませんけれども、当然だったと思う。なぜかというと、あれほどの大戦争をしまして、アメリカとの関係も四年余り大戦争をいたしまして、日本の国に対する理解が非常に足らなかった、日本の国内のいろいろな問題について。それの理解が足らなかったのはあたりまえであります。日本も諸外国に対する理解が非常に不足しておりました。その関係で、日本全体がこういうふうに非常に好戦的な、いろいろな部面で、教育から社会から組織からそういうふうになっておるのだというような誤解をしてもこれは不思議でないわけです。そういう意味で、御承知のとおり占領政策はあらゆる日本の歴史、風土といいましょうか、歴史から習慣、社会制度、教育、あらゆるものをこれを全部撤廃させるといいますか、取り外す、破壊するといいましょうか、白紙の状態にしなければならない。そして新しい諸制度をアメリカが連合国を指導してつくった。これはあの当時としては、私率直に言ってやむを得ない、その当時の状態から言いますとやむを得ないことであったと。そこに抑圧されておる人権があるとか、自由が抑圧されておるとか、いろいろな考えがありますから、いわゆる自由と人権、平等の思想が徹底的に普及されておる、これも私は当然であるというふうに思います。
ただ、その受け取り方が残念ながらわが国に、わが国にといいましょうか、国民に十分でなかったと私は考えておるのです。御存じのとおり、学校教育等においても、歴史、地理、道徳、一切そういうことは、過去の歴史など教えてはならないということになったわけであります。道徳教育は、道徳という科目といいますか、教育が学校教育に復活しましたのは昭和三十三年からでありますが、これも背のように修身とか道徳という特別のものじゃなくて、社会科その他で人間の道を教えるようになっておるわけでございますが、そういうことで、個人の尊厳を主張する余り、人権を主張する余り、人のことを——占領軍の指令には、アメリカ流の国につくれということが書いてある。アメリカ民主主義を唱道して、私に言わせるとアメリカ好みの国にしなさいというふうに占領指令はなっておる。反動からそう来ておると私は思うのでございます。
そこで、憲法にはそういうことは書いてないのです。私が憲法はすばらしいと言うことは、あの憲法に書いてある自由あるいは基本的人権、これはどういうことが書いてあるかと言うと、まあ寺田さんは専門家であられるから細かいことは申し上げませんが、私に一口に言わせると、人間は生きなければならない、これが第一義であります。生きるために自由がある、生きるためにいろいろな作用、働きといいましょうか作用が、これは憲法が与えたのでも何でもありません、生命には必ずそれが備わっておる。でありますから、生きる道を抑えたり、断ったり、制限したりしちゃいけないということが憲法の自由の規定であるし、あるいはいわゆる人権規定である。でありますから、それはどういう意味だと言うと、自分が生きるということは人を生かすことだ、生命の発展のために書いてありますから。私は非常に残念なのは、いまの教育で、私は教育現場知りませんからわかりませんが、生きることを教える場合には、人を生かすことを教えなければ平和な社会、平和な世界ができないと思う。憲法第三章の規定は、全部私に言わせるとわが身をつねって人の痛さを知れと、自分が嫌なことを人に強制するなと、三十何条書いてありますけれども、中身はそれだけのことだと私は思いますが、そういうふうに教えておるだろうか、どうだろうか。自分の権利は主張する、自分の自由は主張するけれども、人の自由は余り考えない、人の権利は考えない。社会連帯精神が非常に薄れておる。これがいまの社会の非常に妙なかっこうになっておる原因ではないか。占領政策がそうさしたと私は言っていないのですけれども、占領政策にも原因があるというのはそういう意味であるということをぜひ御理解願いたいと思います。
この発言だけを見る →その中でいわゆる占領政策的も関係があると、私はそれを信じて疑わないわけです。全部が占領政策のもとだなんということは考えておりませんけれども、占領政策にも原因がある。その占領政策をいいとか悪いとかということを言っておるのじゃないのです。あの当時とすれば、私は率直に言って、これはまた異論がある方もあるかもしれませんけれども、当然だったと思う。なぜかというと、あれほどの大戦争をしまして、アメリカとの関係も四年余り大戦争をいたしまして、日本の国に対する理解が非常に足らなかった、日本の国内のいろいろな問題について。それの理解が足らなかったのはあたりまえであります。日本も諸外国に対する理解が非常に不足しておりました。その関係で、日本全体がこういうふうに非常に好戦的な、いろいろな部面で、教育から社会から組織からそういうふうになっておるのだというような誤解をしてもこれは不思議でないわけです。そういう意味で、御承知のとおり占領政策はあらゆる日本の歴史、風土といいましょうか、歴史から習慣、社会制度、教育、あらゆるものをこれを全部撤廃させるといいますか、取り外す、破壊するといいましょうか、白紙の状態にしなければならない。そして新しい諸制度をアメリカが連合国を指導してつくった。これはあの当時としては、私率直に言ってやむを得ない、その当時の状態から言いますとやむを得ないことであったと。そこに抑圧されておる人権があるとか、自由が抑圧されておるとか、いろいろな考えがありますから、いわゆる自由と人権、平等の思想が徹底的に普及されておる、これも私は当然であるというふうに思います。
ただ、その受け取り方が残念ながらわが国に、わが国にといいましょうか、国民に十分でなかったと私は考えておるのです。御存じのとおり、学校教育等においても、歴史、地理、道徳、一切そういうことは、過去の歴史など教えてはならないということになったわけであります。道徳教育は、道徳という科目といいますか、教育が学校教育に復活しましたのは昭和三十三年からでありますが、これも背のように修身とか道徳という特別のものじゃなくて、社会科その他で人間の道を教えるようになっておるわけでございますが、そういうことで、個人の尊厳を主張する余り、人権を主張する余り、人のことを——占領軍の指令には、アメリカ流の国につくれということが書いてある。アメリカ民主主義を唱道して、私に言わせるとアメリカ好みの国にしなさいというふうに占領指令はなっておる。反動からそう来ておると私は思うのでございます。
そこで、憲法にはそういうことは書いてないのです。私が憲法はすばらしいと言うことは、あの憲法に書いてある自由あるいは基本的人権、これはどういうことが書いてあるかと言うと、まあ寺田さんは専門家であられるから細かいことは申し上げませんが、私に一口に言わせると、人間は生きなければならない、これが第一義であります。生きるために自由がある、生きるためにいろいろな作用、働きといいましょうか作用が、これは憲法が与えたのでも何でもありません、生命には必ずそれが備わっておる。でありますから、生きる道を抑えたり、断ったり、制限したりしちゃいけないということが憲法の自由の規定であるし、あるいはいわゆる人権規定である。でありますから、それはどういう意味だと言うと、自分が生きるということは人を生かすことだ、生命の発展のために書いてありますから。私は非常に残念なのは、いまの教育で、私は教育現場知りませんからわかりませんが、生きることを教える場合には、人を生かすことを教えなければ平和な社会、平和な世界ができないと思う。憲法第三章の規定は、全部私に言わせるとわが身をつねって人の痛さを知れと、自分が嫌なことを人に強制するなと、三十何条書いてありますけれども、中身はそれだけのことだと私は思いますが、そういうふうに教えておるだろうか、どうだろうか。自分の権利は主張する、自分の自由は主張するけれども、人の自由は余り考えない、人の権利は考えない。社会連帯精神が非常に薄れておる。これがいまの社会の非常に妙なかっこうになっておる原因ではないか。占領政策がそうさしたと私は言っていないのですけれども、占領政策にも原因があるというのはそういう意味であるということをぜひ御理解願いたいと思います。
寺
寺田熊雄#21
○寺田熊雄君 正直に申しまして、あなたの言い方だということはよくわかりますけれども、ちょっと占領政策が日本の固有の道徳なり、文化を破壊したようなことなんでしょうか。どうもあなたのおっしゃることではそういうふうに思われないのです。修身教育をやめさしたということだけが教育に関係しておっしゃったように思うのですが、親に孝行をしろとか、お父さんお母さんを大事にしろとかいうようなことは、笹川何がしなる者がしょっちゅうテレビで言っておりますが、ああいうことを言ったからといって親に孝行になるものでもないので、修身教育を廃止したからどうこうという問題じゃないと思うのですね。それよりも私はむしろ一般社会の、やはり学園も縮図だと思うのですね。一般学園が、大人に対する子供たちが信頼感というものを持っておれば、ああいう問題は起きないと思うのですが、政治に対する信頼感というのは子供たちの大人に対する信頼感のやはり象徴的なものだろうと思うわけです。ところが、一国の総理大臣が収賄という、聖徳太子以来公務員として最も忌むべきものとせられておるような行為をする、それを責任を追及しようとしても、中曽根総理以下自民党の皆さんが必死にそれを守るというような、およそ世間の常識とかけ離れたような行動、それをおとりになってはとうてい子供たちの大人に対する信頼感なんてのはわかないでしょう。そういう政治倫理が地に落ちた社会、それをずっと持って、維持していらっしゃる以上は、その縮図である学校の中に子供たちの倫理などというものが生きる道理がないのですよ。どうでしょう、この点、総理と文部大臣のお答えを伺って私の関連質問を終わりますから。
この発言だけを見る →瀬
瀬戸山三男#22
○国務大臣(瀬戸山三男君) 先ほどえらい長く申し上げて恐縮でありましたが、私はそれだから学校教育だけがだめだと言うのじゃないのです。あらゆる社会がそういうふうになっておる、それの縮図であります、まさに。でありますから、政治家といえども最も身を持さなければならないというのが私の立場でございます。
この発言だけを見る →中
中曽根康弘#23
○国務大臣(中曽根康弘君) こういうような事件が起きたことははなはだ遺憾な事態でございます。御本人もはなはだ遺憾であるという意思表示はしていると思います。しかし、裁判が係属状態のもとにおかれまして、三権分立のもとに日本の統治権が行使されている、こういう状況のもとにおいては、やはり被告には被告の権利もあり、人権の保障は憲法でもなされ、刑事訴訟法そのほかにおきましてもしかるべく保障はなされておるわけでございます。そういう意味はおいて、国会は立法者でありますが、法の運用や適用というものについてまた人一倍関心を持っていなければならぬと思っております。また、一面において政治責任、あるいは道義的責任という問題も国会においてはまた追及さるべき要素もございますが、その間の判定をどういうふうにするかということが問題になっておりまして、そういう点から見てもこれはかなり克明に、そしてまた厳正に法を解釈していかなければならぬ、後世にも響く民主主義上の基本的な問題にも絡む面もあると思っておるのであります。そういう意味からも、私たちは私たちの考えを自由民主党の名前において議院運営委員会その他において述べておるのでございまして、そういう基本的認識というものをぜひ御理解いただきたいと思う次第であります。
この発言だけを見る →寺
粕
粕谷照美#25
○粕谷照美君 文部大臣、私はいろいろなお話をする時間がありませんが、NHKが先日伊那谷小学校の授業の実際を録画して放送しておりました。あれを見まして私も本当に心から感動したわけですけれども、大ぜいの人たちからそういう言葉が出てまいりました。徳目を入れて、たとえば私のように、修身で、博愛でナイチンゲールが犬の手当てをしたということを習うよりは、あの伊那谷小学校の授業を見て、あるいはそれを習った子供たちの方がもっともっとすばらしいものを体得しただろうということをつけ加えまして、以後の分については文教委員会に譲りたいと思います。
それで、総理も拓大の総長、理事長などというのをやられまして、私学には大変関係の深いことがあるわけでございますけれども、ことしの私学経常費助成のマイナスは六十五億円でありますね。官民格差をなくしていこうという場合に、私学の助成金を少なくしていく。そして格差をなくするためにはどうするかと言えば、国立あるいは公立の授業料を上げていく、入学金を上げていく、こういうことになるわけですけれども、大変問題は逆転をしているのではないかという気持ちでいっぱいです。私学助成については、私どもも経常経費の二分の一を補助をするというところまでいかなければならないという考え方を持っているわけですが、そういう中で、九州産業大学の事件が新聞で発表になりました。そしてそのことが臨調の中で問題になったということでありますが、九産大事件というのは一体どういうことかということについて御説明をいただきたいと同時に、私学に対する総理のお考えを承りたいと思います。
この発言だけを見る →それで、総理も拓大の総長、理事長などというのをやられまして、私学には大変関係の深いことがあるわけでございますけれども、ことしの私学経常費助成のマイナスは六十五億円でありますね。官民格差をなくしていこうという場合に、私学の助成金を少なくしていく。そして格差をなくするためにはどうするかと言えば、国立あるいは公立の授業料を上げていく、入学金を上げていく、こういうことになるわけですけれども、大変問題は逆転をしているのではないかという気持ちでいっぱいです。私学助成については、私どもも経常経費の二分の一を補助をするというところまでいかなければならないという考え方を持っているわけですが、そういう中で、九州産業大学の事件が新聞で発表になりました。そしてそのことが臨調の中で問題になったということでありますが、九産大事件というのは一体どういうことかということについて御説明をいただきたいと同時に、私学に対する総理のお考えを承りたいと思います。
瀬
阿
阿部充夫#27
○政府委員(阿部充夫君) お答えをいたします。
九州産業大学は学校法人中村産業学園が設置をしている大学でございますけれども、昨年の十一月以来補助金の不正受給があるのではないかというような点を含めまして、管理運営面で種々問題のあるということが新聞等によって報道をされたわけでございます。文部省、それから補助金の交付に当たっております私学振興財団両者協力をいたしまして、以来本件についてその実態の把握に努めてまいりました。その結果、教員数の虚偽報告によりまして、補助金の不正受領があったということを初めといたしまして、幾つかの点で運営上の問題点が発見されたわけでございます。
このうち、補助金の不正受領につきましては、五十二年度から五十六年度までの五年間につきまして、事務職員を教員として偽る等のことによりまして、毎年二十名程度の教員について不実申告をしていたというようなことで、五年間累計いたしますと一億六千万円余りを過大に受領していたものでございます。私学振興財団におきましては、このような事実に基づきまして、去る二月三日、学校法人に対しまして過去五年間に交付いたしました補助金の過大交付分のみならず、相当部分を含めまして約二十六億円の返還を命じ、また、文部省といたしましても、同日、理事長及び学長代理の来省を求めまして、理事体制の刷新等を含めまして行政指導を行ったわけでございます。
その後、同学園からは補助金の返還が行われまして、さらに、文部省の指導に対します検討の結果につきまして、去る二月の二十六日に理事長から回答がございました。
回答の内容は、基本的には文部省の指導に従うというものでございますけれども、理事体制の刷新等にかかわる部分につきましては、文部省の指導の趣旨に十分沿ったものとは認められないということで、再度検討を指示いたしておるところでございます。
以上でございます。
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このうち、補助金の不正受領につきましては、五十二年度から五十六年度までの五年間につきまして、事務職員を教員として偽る等のことによりまして、毎年二十名程度の教員について不実申告をしていたというようなことで、五年間累計いたしますと一億六千万円余りを過大に受領していたものでございます。私学振興財団におきましては、このような事実に基づきまして、去る二月三日、学校法人に対しまして過去五年間に交付いたしました補助金の過大交付分のみならず、相当部分を含めまして約二十六億円の返還を命じ、また、文部省といたしましても、同日、理事長及び学長代理の来省を求めまして、理事体制の刷新等を含めまして行政指導を行ったわけでございます。
その後、同学園からは補助金の返還が行われまして、さらに、文部省の指導に対します検討の結果につきまして、去る二月の二十六日に理事長から回答がございました。
回答の内容は、基本的には文部省の指導に従うというものでございますけれども、理事体制の刷新等にかかわる部分につきましては、文部省の指導の趣旨に十分沿ったものとは認められないということで、再度検討を指示いたしておるところでございます。
以上でございます。
中
中曽根康弘#28
○国務大臣(中曽根康弘君) 私学が日本の教育界に果たしておる役割りは非常に大きいと思います。私学はみんな創立者を持ち、あるいは伝統的精神、校風というものを持っておりまして、ユニークな人材を日本の社会に送ってまいりまして、政治社会にも経済社会にも、文化社会にも医学におきましても、あらゆる面において日本を支えておる有力な人材を供給してきたところでございます。
従来、ややもすれば官学偏重の嫌いがありましたが、私学振興財団等もできましてそのバランスが回復しつつあることは私は適当なことであると思って、できるだけその面についても今後努力していくべきであると思っております。
ただ、私学に対する補助金交付が行われましてから、だんだんまた安易になってまいりまして、そしていまのような不正受給、補助金を受けるというような問題も起こってきましたし、また、ほかの大学におきましても、当然もらえるものだというような形で、ある場合にはいろんな仕組みまで変えたりしてやっている面がないとも言えません。そういう点はいろいろ監察を強化して、りっぱに一生懸命やっているところはますます助長していきたい、悪いところは直さしたい。しかし、制度全体としてはいい制度でございますから、財政の許す限りわれわれもこの面について積極的思考を持つべきであると思っております。しかし、一般に今度の予算編成についてマイナス五%シーリングというものを設定してやりましたために、私学の皆さんにも多少御迷惑をおかけしていることははなはだ遺憾でございますが、財政事情が許せばできるだけ努力してまいりたいと思っております。
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ただ、私学に対する補助金交付が行われましてから、だんだんまた安易になってまいりまして、そしていまのような不正受給、補助金を受けるというような問題も起こってきましたし、また、ほかの大学におきましても、当然もらえるものだというような形で、ある場合にはいろんな仕組みまで変えたりしてやっている面がないとも言えません。そういう点はいろいろ監察を強化して、りっぱに一生懸命やっているところはますます助長していきたい、悪いところは直さしたい。しかし、制度全体としてはいい制度でございますから、財政の許す限りわれわれもこの面について積極的思考を持つべきであると思っております。しかし、一般に今度の予算編成についてマイナス五%シーリングというものを設定してやりましたために、私学の皆さんにも多少御迷惑をおかけしていることははなはだ遺憾でございますが、財政事情が許せばできるだけ努力してまいりたいと思っております。
粕
粕谷照美#29
○粕谷照美君 文部大臣、問題は、この不正受給が五年間全然わからなかった、新聞発表でようやくわかった、会計検査院が五十二年、五十六年、検査をしている、なぜわからなかったんですか。私学振興財団、ここになぜわからなかったか。現場の教師になぜそれがわからなかったのか、ここのところについてお伺いしたいと思います。
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