堀江正夫の発言 (外交・総合安全保障に関する調査特別委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○堀江正夫君 ぜひとも、極めて厳しい情勢下を総理の御見識とリーダーシップによって対処していただきたい、このように願ってやみません。
次に、我が防衛政策の基本であります専守防衛について若干お伺いしたいと思います。
この用語は、総理が防衛庁長官のときつくられたものであります。総理が防衛庁長官のときつくられたこの専守防衛の意味については、四十五年に初めて出されました防衛白書の中ではっきりと書かれております。時間の関係上、私はその内容を要約して申し上げますと、万一の場合は戦略守勢によって国土防衛に徹する、したがって保有する防衛力の質も星も、さらにこれを運用する場合も自衛の範囲に限る、こういったものでございます。
いろいろ私は調べてみたわけでございますが、戦略守勢と言っておられますが、特に自衛の範囲内の自衛力の運用について、当時、中曽根防衛庁長官が具体的にどのように考えられておられたかは必ずしもはっきりすることができませんでした。
自来、今日まで衆参両院のいろいろな場で、この専守防衛が具体的に何を意味するのかということが論じられてまいりました。そして、その論議の中で具体的な枠が次々とはめられてきたわけでございます。この中で、自衛の範囲内の量と質につきましては、大体政府は一貫した方針で貫いておられまして、大きな基本的な問題はありませんけれども、問題はその運用についての考え方なのであります。
以下、今日までの議論を通じて、逐次、政府によって枠がはめられてきましたこの運用についての若干につきまして、軍事的な合理性という観点からの私の意見も交えて申し上げてみようと思うわけであります。
その第一は、相手が武力攻撃を行う以前に我が先制的な攻撃を行うことはできないということ。このことは、開戦後といえども、実際に我を攻撃する、大きな被害が出ると認定される場合以外は不可であるとされている点であります。この後段は、バルチック艦隊を要撃した日本海軍の行動の例示に対して当時政府が示されたものであります。これはいわゆる自衛権発動の第一原則の、我が国に対する急迫不正な侵害があった場合という根拠に基づくものと思います。
しかし、このことは例えば我が航空力が必然的に、開戦後、極めて短期間で壊滅的な打撃を受けることを覚悟せざるを得ないということにもなるわけであります。また、開戦後の武力行使につきましてもこのような拘束を受けるとすれば、まともな作戦の遂行は極めて困難になると考えられるところであります。
その第二の運用上のはめられた枠は、他国の領空、領海、領土での武力行使はいけない、相手の国内の基地は開戦後といえども攻撃できない、武装機による偵察もできないという点であります。もっとも、法理論的には、座しておれば死を得たざるを得ないような場合に、ほかに手段がなければその基地をたたくことは、憲法の趣旨から自衛の範囲と考えて差し支えないと。これは三十一年に政府が出された見解でございますが、これもその後の論議の中で、だからといって、このような能力を平素から持つことは許されないとされているわけであります。
考えてみますと、そのような万一に処する能力を持たない。まして、そのような訓練もできないわけでございます。どうして死活存亡の関頭に立って自衛の目的をそれて達成できるのだろうか、こういう疑念を抱かないわけにはいかないわけでございます。
さらに、第三の枠でございますが、これは公海、公空から相手の領海、領空に向かってミサイルを発射する目的で公海、公空に行くことも建前としては不可であって、この場合、日本の領域からの発射を含み、その行動は憲法九条の自衛の範囲がどうかを検討し、判断することが必要であると、このようにされておることであります。
この第二と第三につきましては、侵害の排除は必要最小限度の力の行使にとどめるという自衛権発動の第三原則によるものかと思うわけでございます。このような具体的な枠による拘束というのは、結局目隠しで相手と戦えということになるのじゃないかと思います。また、追尾攻撃をしていま一歩で撃滅できるかもしれないというときに回れ右をしなければならないということにもなろうかと思います。火事は降りかかってくる火の粉を消すだけで消すことができるのだという錯覚の上に立っておるとしか考えられないわけであります。かつて専守防衛を双葉山に例えられた官房長官がおられましたが、双葉山は受けて立った後、自分が腕組みをしたままで相手が倒れたわけではないわけであります。私は、この第二と第三の拘束というものは、戦術行動として勝つことの道をみずから封じたものと、このようにも思えてなりません。
以上、従来の政府の具体的な見解の幾つかを申し上げたわけでありますが、これらは自衛行動というものを軍事的な合理性というものを無視して、みずから極めて困難というよりも、その達成をほとんど不可能にしておるということを私はあえて指摘をさしていただいたわけでございます。
かつてある官房長官が、軍事的には大変難しいかもしれない、しかし我々はこのような選択をしたのだ、難しいが手段を尽くしてやらなければならないのだ、こういう趣旨を私の質問に対して答えられたことがございます。確かに予算を必要なだけ投じたり、兵力や装備を画期的に充実強化することによって、ある程度これらの枠による不利というものはカバーすることができる面もないわけではないと思います。しかし、これらの拘束による基本的な不利、欠陥というのは、軍事力の本質から決して抜本的に救済できる性質のものではない、私はそう思っております。
大変長々と申し上げたわけでありますが、専守防衛はあくまでも我が憲法下、日本の防衛政策の基本であることを私も確信をしておる一人であります。この精神を貫かなければならないことは言うまでもないわけであります。ただ、この我が憲法下の自衛行動の範囲についての解釈は自衛というものの原点に立って、その目的が達成されるように具体的に軍事的な合理性との接点が探究されなけりゃならないのじゃないか。そうでないと、自衛隊そのものがあるいは絵にかいたもちになりかねないし、国の存立を危うくすることにもなりかねないのだと深く憂うるわけであります。特にきょうこの席で私がこの問題を取り上げましたのは、もちろんこれは極めて重要な問題であるからでありますが、同時に、私が申し上げましたこの内容というのは、ほかの政治家にはなかなかわかってもらえないけれども、総理には十分に御理解いただけるのじゃないか、また当時の防衛庁長官としてお考えになった場合、内容と現状とは大分隔たりがあるのじゃないかなと、そのような懸念も持つからであります。どうかこれについての総理の具体的かつ率直な御見解を承りたい、このように思います。