グレゴリー・クラークの発言 (国民生活に関する調査会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○参考人(グレゴリー・クラーク君) 上智大学のグレゴリー・クラークです。
きょうおたくの国民生活調査会の参考人としてお招きいただきましてありがとうございました。私のコメントがお役に立てれば幸いだと思いますけれども、残念ながら言葉の問題もあるし、もう一つ、日本は長くて、通算で十五年ぐらいなんですけれども、心の中でもう半分日本人のようになってしまったかもしれません。客観的に国際化問題を見ておれるかどうかちょっと疑問を時々持っております。
ただ、日本に参りまして日本人の中で生活して、一つ非常に私にとって不思議な現象がよく目につきます。私、日本に来る前に長い間中国のことをやっておりました、オーストラリアの外務省の中で。我々の目から見て中国は非常に排他的社会です。けれども中国はそんなに外国で批判されていません。中国人のいわゆる排他性は我々欧米人の目から見て納得できるものなんです。中国と比べれば日本は非常にオープンな、開かれて、国際的と言ってもいい社会なんです。にもかかわらず、日本はよく批判されておるだけではなくて、外国人よりも日本人は自分自身に対してもっと批判的ではないか。国際化という言葉は日本人がつくった言葉なんです。外国にはないんです。英語に直すのは非常に難しいんです。インターナショナラィゼーションは英語ではほとんど意味はないんです。
さっき申し上げたように、外国人の目から見てある意味では日本人はもう既に非常に国際的な民族なんです。まず外国の文化に対して全く壁がないんです。何でも取り入れられる。技術だけではなくて、外国の思想とか服装、言葉、英語の三割、四割ぐらいもう日本語にちゃんとそのまま入ってしまったんです。それで日本人は英語の言葉を非常にうまく使っています。料亭へ行くと御飯を頼む、レストランへ行くとライス。畑の中ではエンドウマメ、缶詰へ入れるとグリーンピースとなるわけです。そういう微妙なニュアンスの上に英語の言葉をお使いになって、とにかく私は非常に感心しております。日本の経済活動、日本の商社、日本の輸出、全世界の隅々まで入ってしまって、外国でどんどん工場もつくって、ある人によると、外国人の目から見て、日本人はもう既に十分国際的なんです。もっと国際的になれば困るんではないかという話もあります。
それで、ある意味では外国人に対しても非常に開かれてオープンな面もあります。例えば、おたくの調査会の参考人としてお招きいただきました。これは日本だけができるんではないかと思います。外国だったら、外国人が参考人として、まあないとは言えないんですけれども、非常に珍しい。もっと珍しいのは、外国の場合は政府と関係のある委員会のメンバーになることは不可能なんです。もう原則上できません。けれども、私もう四回、五回ぐらい大蔵省、通産省、労働省に呼ばれて、政府に対してアドバイスを出すために委員会のメンバーとして半年ぐらい活動させていただきました。途中でいろいろ資料もいただきました。場合によってはマル秘もついていたんです。驚きました。これは外国では全く不可能なことなんです。
日本人は、いわゆる外国のお客様に対して非常に親切であるし、場合によって外国よりも親切である面もあります。外国の特派員が自由に日本の役所に入ったり、日本の会社に入ったり、取材もできます。もちろん記者クラブのメンバーになるのは不可能なんです。あるいは非常に難しいんですけれども、記者クラブ制度は日本だけではないんです。イギリスもあります、ロビーという制度。これはアメリカ人の記者も参加できないんです、イギリス人の記者しかできないんです。
私は、前は日本の対外直接投資の研究をやっておりまして、オーストラリアで、研究のためにオーストラリアの会社にいろいろアンケート調査を出したんですけれども、返事がほとんどなかったんです。日本の会社は丁寧に私の質問に答えてくれまして、私初めて日本人のいわゆる独特な国際性に驚きました。
けれども、確かにその反面では国際的ではない面は存在しています。まず、よく外国で厳しく批判されています難民に対しての態度なんです。外国の労働者に対して、外国の教授に対して、私は私立大学だから大丈夫なんですけれども、国立大学はまだ不思議なぐらい排他的なんです。外人という言葉は非常に丁寧に使われていますけれども、外人の方とか外人様なんですけれども、場合によって丁寧ではないんです。特に修学旅行の子供の使い方は丁寧ではないんです。いや、その言葉自体に問題があると思います。外国人という言葉を英語に直せばフォーリナー。これは問題ないんです、外国人は。けれども、外人は、外の人、英語に直訳するとアウトサイダー。アウトサイダーは非常に冷たい、そして原則として使うべきではない言葉なんです。
もちろん外国人よりも外人と言う方がごろがいい、簡単ですけれども、例えば日本人はジャパニーズでしょう、英語で。ジャップという言葉を使えば日本人はすぐ怒っちゃうでしょう。外務省の場合も抗議も出すんですよ。だけど、ジャップに悪い意味を持っているのは、これはアメリカだけなんです。私の国オーストラリアではかえっていい意味なんです。親しい意味なんです。けれども、日本人は非常に気にしていますから、日本人の前でジャップという言葉は絶対使わないんです。逆に、我々外国人は外人という言葉は余り気に入らない面が多いんですけれども、日本人は平気で使っています。これは小さなことなんですけれども、国際的ではないんです。
あとは、いわゆる外国人登録証問題、いつも携帯しなければなりません。これは大変なことだ。登録証制度自体は別に悪いことではないんです。指紋押捺も別に悪いことではない、私の方から見て。アメリカでも同じようにやっています。けれども、いつも持たなければいけない。これは日本だけと言ってもいいんです。それで、ちょっとだけ買い物に出るにも持たないと、警察の方からとめられれば大変なことになってしまうんです。日本では余り知られていないんです。一度そういうふうにされれば、日本に対して悪い印象を持つ外国人が多いんです。
最後は、いわゆる国籍問題。日本国籍を取るのは非常に難しい。最近まで日本の国籍を取れば名前も変えなければならなかったんです。グレゴリー・クラークという名前をやめて鈴木太郎さん。高見山さんは渡辺大五郎さんになって、これは外国でかなりコメントされました、なぜ渡辺大五郎さんにならなくちゃいけないのか、ジェシー・クハウルアでとてもいい名前ではないか。
私も、日本人のいわゆる変則的な国際性の前に長い間困っておりましたけれども、このごろその理由がわかってきまして、客観的な理由が存在しております。日本人の国家意識は根本的に外国人とは違うんです。外国、これは欧米だけではなくてほかの民族、インドとかアラブ、中国、韓国。
国家の意識はその国の思想、文化。それで、一度その国の思想、文化、イデオロギーが自分の身につけば自分はその国の人のメンバーになれる。フランスは一番極端な例なんです。顔色とか全く関係なくて、ちゃんとフランス語を覚えれば、フランスの文化を持てば、あなたはもうフランス人です。アメリカも同じです。アメリカはもうちょっとイデオロギー的な国家意識なんです。アメリカの国旗の前に誓いをすればもうアメリカ人です。オーストラリアも同じ国家意識です。
日本はそういうイデオロギー的、文化的な国家意識はないんです。日本は非常にそういう意味で例外的な国と言ってもいいんです。日本の国家意識は一つのグループなんです。一つの家族、クラブ、チーム、村と同じ。メンバーになるためにそのグループの中に入らなければなりません。日本語で仲間入りという言葉があるでしょう。文字どおり日本の仲間に入らないとメンバーになれない。だから、日本人はある意味で自然に外の人に対して排他的です。もちろん、お客様として入れば全然問題はない。私の家族も全く同じです。文化に対しては排他的ではないんです。私の家族の意識は文化にはないんです。外の人に対して排他的。けれどもお客様に対して排他的ではない、もちろん親切にやっています。けれども、知らない人が急に私の家族のメンバーになりたければ、私もちろん排他的なんです。ごめんなさい、出てください。それを例外的に認めれば、いわゆるその人は養子にならなければいけないんです。その場合は、もちろん名前も変えなければなりません。鈴木太郎という名前をやめてクラークという名前、これは全く日本と同じと言ってもいいのです。
けれども、そういう国家意識は非常に珍しいことなんです。国家意識だけではなくて、日本人の価値観も、人間関係とか、甘えの構造とか、思いやりとか、全部いわゆる家族的価値観、そういう価値観の上に一つの国家をつくるのは、ある程度東南アジアもちょっとありますけれども、日本だけと言ってもいいんです。ほかの民族、中国、韓国、もちろん家族の中では日本人と同じなんですけれども、国家の次元、政治の次元、あるいは会社の次元、いわゆる英語でセカンダリーグループ。家族、村はこれはいわゆる英語でプライマリーグループ、第一次的なグループ。セカンダリー、第二次的。その第二次的なグループではエモーショナルな価値観ではなくて、いわゆる合理主義、原理原則的な価値観を使っています。結果として、外国人は我々の仲間に入るのは、これはいわゆる一つの原理原則の上でやっています。それで、原理原則、その基準を満たせればもうどうぞ、別にエモーションの上ではなくて。日本人の場合はエモーションの上にメンバーにならなければなりません。結果として、いろいろ外国人の目から見てわけのわからないひずみ、矛盾が簡単に生じてきます。
例えば、日本人の韓国人、朝鮮人、台湾人に対しての独特な意識が外国で厳しく批判されています。私、この間たまたま取材されまして、例の総理大臣の発言の後で日本人のいわゆる排他性に対して外国の意識が急に高まってきまして、そのインタビューの中では、私は王監督の話をさしていただきました。あの人は台湾人でしょう。日本国籍を断っておられるらしいんです。自由に取れますけれども、台湾人に残りたいんです。にもかかわらずあの人は完全に日本人扱いです。英語でエモーショナルウェーブレングス、情緒的、心的な波長に乗って、もう完全に日本人扱い。け,れども、そのエモーショナルウェーブレングスに乗らなければ、もう原理原則がなくて排他される。これはある程度避けられないんですけれども、外国では厳しく批判されています。
同じように中曽根総理大臣、名前を言ってしまいましてごめんなさい、の発言についてもう一つの大きな誤解は、日本人は人種主義だけではなくて、非常にレーススペリオリティー、人種優秀主義、これは外国人に説明するのに非常に難しいんです。外国の場合は、自分の国はほかの国よりも偉い、知識程度でも。もちろん知能程度だったら絶対そういう話はできないです、英語でインテリジェンス。けれども、総理大臣は多分インテリジェンス、知能ではなくて知識程度。知識でも、自分の国はほかの国あるいはほかの民族よりも偉いということ、それでも禁物なんです。逆に自分の国はほかの民族よりも低い、それも禁物なんです。原則として国家のアイデンティティー、文化なんです。どこの文化が偉いか、どこの文化が低いか、それは言えないんです。言うべきではないんです。
けれども、日本人の国家意識は、文化ではなくて、さっきの家族、チームと同じ。そのチームは絶えずほかのチームと自分の実績を比べています。結果として、自分より実績のいい民族に対して素直に劣等感を認める。最近まで我々外国人の目から見て不思議なことがありましたよ。世論調査の中では、日本人はアメリカに対して劣等感を持っていると素直に認めていたんです、五割、六割、あるいはヨーロッパに対して。これは外国で考えられないことなんです。逆に、自分の実績がほかの民族よりもいいと思えば同じように素直に認めておられる。だからアジアに対して、ほかのアジアの民族と比べれば、実際客観的に日本人の実績はなかなかいいと私も認めています。それで日本人は素直にそういうふうに言っています。けれども、これは外国人の目から見れば許せないことなんです。
だから、そういう違う国家のいわゆるアイデンティティー、国家意識の現象の前にどうすべきか。いろいろ言われていますけれども、ある程度仕方がなくて、数の上で日本人よりも多いいわゆる非日本人の考え方、やり方は国際的である、日本人のやり方は国際的ではないという評判になって、ある程度外国人の前に違う国家意識が必要ではないかと思います。外国人の国家意識はある程度勉強せざるを得ないのではないかと思います。
それで、日本人の国際意識をどういうふうに高めるか、いわゆる国際化教育について、時間余りないですけれども簡単に触れさせていただきたいんです。今、外国との交流、外国人との接触、外国の文化の勉強とかいろいろ進められていますけれども、私の目から見てその効果は非常に薄いんです。私から提言させていただければ、量よりも質、質のある外国との交流が必要なんです。だから、観光客とか使節団とか、そういう表面的な交流よりも、長期的な外国滞在、留学生、ホームステーが一番理想的なんです。逆に、外国人が日本に来て、短い時間ではなくて長い間日本の社会の中に住みついて、ゆっくりして日本人の独特な価値観を勉強させていただければ幸いだと思います。特に留学生の受け入れ態勢は御存じのようにまだ十分にできていない。けれども、それよりも、日本で勉強したければ、決まった勉強、どこかの大学に入らないと、どこかのコースに入らないと、登録しないとビザがもらえません。
私、自分の経験から申し上げれば、十八年前に初めて日本に来まして、一年ぐらい日本の経済の研究をやっていました、大学のお金で。それで、日本の社会の魅力とかおもしろさを感じまして、私の国に戻ってもう一度日本に行くためにビザを頼んだんです。それで、ビザを取るのにはもちろんなぜ日本に行きたいか理由を書かなければなりません。それで私、日本の社会、日本人、日本の言葉の勉強をするために一、二年ぐらい日本に行きたい、必要あれば自分自身のお金で行きたい。すぐ断られましたよ。日本語では何と言うんですか、門前払いされてしまった。
同時に、私と同じ大学で、徳島県の江戸時代の歴史、蜂須賀藩の研究をもう二十年前からやってきました。今でもまだやっています。その人は日本語が余りできないんですけれども、ビザを頼みましてすぐビザをもらいました。それだけではなくて、日本政府から補助金ももらいました。その人はまだ蜂須賀藩の研究をやっておられます。今でも日本語ができないんです。字は読めますけれども言葉はできないんです。日本人に対して興味がないんです。あの江戸時代の歴史しか勉強してないんです。そういう極端な受け入れ態勢は、御存じのようにいろいろ矛盾を生じています。結果として、特にアジアからの学生は半分ぐらい反日感情を持って国に戻っています。これも不思議なことなんです。
戦争前の日本は、もっと外国の学生に対して寛容だったんです。外国の文化に対しては寛容ではなかった、排他的。もっとそういう意味で欧米的、非日本的だったんです。けれども、外国人に対してはもうちょっと自信を持って取り入れている。周恩来は一年ぐらい留学生として日本に来まして、全然勉強してなかったらしいんです。京都の方で何か浪人生活をして、ガールフレンドをつくって、結果としてあの人はもう最後まで親日派でした、中国では。一度そういう日本の社会の中に入れば反日的にできないと思いますよ、日本の社会の魅力を一度感じれば。けれども、その次元に入るのは非常に難しいんです。学生の中では一、二割、三割しかできないと思います。
もう一つ、時間がほとんどないんですけれども、言葉の問題でちょっと一言させていただきたいんです。もし今の日本が国際的ではない面があれば、その理由の半分以上は今の英語教育制度だと思います。今の日本の英語教育制度によって語学の奇形児を日本の学校で、日本の政府の金でどんどんつくっています。日本人には特別な問題があります。外来語が多くて、若いときから間違った発音が頭の中に入る。もう一つ、日本人の学生の独特な感受性は非常に強い。学校に入って十二歳から勉強始めれば、一度悪い形で、間違った形で英語の勉強をすれば、後で直すのは不可能なんです。言葉は数学と違って非常に心理的なものなんです。悪い、間違った英語が頭の中に入れば直すことは非常に難しいんです。
今、英語教育は御存じのように欠点はある程度知られています。直すために外人教師とかLLもうちょっと使いましょうとか、これも無理なんですよ。初めから正しい方法、特に日本の場合は、目ではなくて、教科書ではなくて、正しい耳の訓練を徹底的にしないと、後で悪い教育の結果を直すことは非常に難しい。幾ら外国の教師を使っても、もちろんコストは高いですが。外国人教師よりもテープレコーダー使えばどうですか。はるかに安い。日本はいいテープレコーダーつくっていますから、輸出しなくてもうちょっと国内で使えば。私の日本語は全部テープレコーダーから覚えてきまして、もちろん不十分な面がありますけれども、習い始めたのは三十歳。三十歳になってもだれでも言葉の能力持っています。もちろん大人になるともうちょっと努力しなければなりませんけれども、耳から勉強する。後で目を使えば結構なんです。けれども、初めは目から覚える。後で耳を幾ら訓練してももう遅いんです。
だから問題は、英語教育問題プラスいわゆる受験英語問題。大学に入るために信じられないぐらい難しい英語の試験を受けなければなりません。結果として、日本の若者が英語に対しての印象、感情は非常に悪いんですよ。うちの大学でも、みんな英語が上手だと言われていますけれども、必ずしもそうではないんです。英文学部の方はもちろん積極的にやっていますけれども、私の感じとして、日本の大学の学生は半分以上はもうアレルギーになりまして、あの人たちにとって英語は嫌です、しゃべりたくないんです。英語嫌だけではなくて、外国人の顔も嫌なんです。外国人の顔見て、またその悪い思い出ばっかり頭の中に浮かんでしまうんです。
だから、その間違った英語教育制度を早くやめて、もし新しい制度をつくることになれば、小学校から毎週一時間、二時間、発音、歌、外来語の悪い影響をなくすためにできるだけ若いときから正しい発音を教える。簡単なんです。英語でワン、トゥー、スリー、日本のテレビでワン、ツー、スリーでしょう。若いときにワン、ツー、スリーではなくてワン、トゥー、スリーと教えれば、それで頭に入る。そのぐらいの英語教育をすれば、大学になって、十八歳になって集中的に六カ月ぐらい、あるいは一年ぐらい英語を教える、耳から。というのは、十八歳になって、もう英語の必要性もちゃんとわかっているんです。自分の将来のために英語の必要性もちゃんとわかっている。そうすれば意欲的に勉強する、これも非常に大事なんです。消極的に、受験のために英語を勉強すれば、もうこれはアレルギーの根源なんです。
それでもう一つ、もうこれで最後なんですけれども、私、日本の国際化を見て、日本人の努力を見て、もちろん非常に高く評価しています。けれども、世界は英語だけではないんです。英語はもちろん国際言葉になりましたけれども、英語だけではない。フランス語、スペイン語。日本の商社、日本の会社、自動車メーカー、例えば、全世界で工場をつくっています、事務所をつくっています。それで、フランス語、スペイン語を上手にできる人はいないんです。だから、会社の中でそういう教育を行わなければなりません。大学の時点で外国語の教育に集中すれば、英語だけではなくて、まあ英語を例えば六割、七割。それでほかの言葉、スペインとかフランスとか中国語、韓国語を専門的に教えることは可能となるんです。もちろん、中学校と高等学校でほかの英語以外の言葉の教育は不可能なんです。私もちろん承知しております。だから、これからの日本の国際化の中で、私の判断では、言葉の問題は問題の内容の七割ぐらいではないか、言葉の問題が克服できれば、ほかの問題は簡単に解決できると思います。言葉の問題を解決しなければ、ほかの問題は、特に日本人の独特な国家意識の中では解決できないではないか、かえって将来ますます悪化すると心配しております。
ありがとうございました。(拍手)