馬場昇の発言 (文教委員会)

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○馬場委員 「元」と書いてございますが、岡本元会長、石川元会長代理のお二方には、非常にお忙しい中をおいでいただきまして、ありがとうございました。実は私どもは、元会長、元会長代理ではなしに、現職であられますときに、答申されました後に、この委員会で十分議論をしたいということで、この委員会でも要求したのですけれども、皆さんが答申されました大学審議会の法律を審議しておりまして、ついに私どもの要求が入れられなくてまことに残念でございましたが、きょうおいでいただきましたことには心からお礼を申し上げたいと思います。
 臨教審が非常に回数も多く、いろいろ精力的にやられたという努力については、私は心から敬意を表することができるわけでございます。
 先ほど会長も言われましたように、我が国の社会が成長社会から成熟社会になる、その百年の中で今大きく教育改革をしなければならないんだ、そういう意味で答申したんだ、二十一世紀に向かっての教育改革という意味で答申した。そういうことで言いますと、まさに歴史的な答申になるわけですよね。しかし私は、これが歴史的な答申であるとすれば、私たちの側からも、この答申に対してやはり歴史的な批判、評価というものをきちんとしておく必要があろうというぐあいに思うのですけれども、これはこの委員会の公式な機関では時間もございませんけれども、私は少なくとも二、三の点について私の答申に対する評価をまず申し上げておきたいと思います。
 率直に言って恐縮ですけれども、この答申というのは、結論からいいますと国民不在の教育改革論議であった、残念ながら私はこう言わざるを得ないわけでございます。
 その第一の理由といたしましては、まず国内外の教育の実態把握というもの、現状をどう認識するかという、国民と一緒にそういうことをする作業というのが非常に不十分であったと私は思います。また、例えて言いますと、今日の子供たちはどうなっておるのかという問題、あるいは子供たちが何を考えておるのか、学校は今どうなっておるのか、家庭教育や社会教育はどうなっておるのか、それを取り巻く地域社会はどうなっておるのかという、国民と一緒になっての現状の把握、分析というものが足らなかった、だから国民不在の教育改革論議になったんだ、私はこう思います。教育改革というのは、まずその実態把握、現状認識について国民のコンセンサスを得て、その上で改革をつくり上げるべきものだと私は思うからでございます。
 ちょうど、同時にアメリカでも教育改革を行っておるわけでございますけれども、御承知のとおりアメリカでは現状の調査というのを二年間くらいかかってやっているのですね。そして、その上に学力向上の処方せんという改革をやっておりますね。二年間実情調査に費やしておる。そういうことが行われなかった、不十分だったという点をまず私は感じておるわけでございます。
 次の問題としては、先ほどもちょっと議論になりましたけれども、この答申というのは、子供とか青年とか父母などの国民全体の期待にこたえてはいない答申だ、私はこう思います。先ほどもお話しございましたが、非常に苦しまれたというお話もあったのですけれども、現在の教育の最も深刻な病根であるところの校内暴力だとか、荒れる学校とか、いじめとか、偏差値万能の試験地獄だとか、学歴社会だとか、学校歴社会だとか、教育費貧乏と言われる財政の問題とか、こういう問題を国民は緊急に改革していただきたいという気持ちを持っておったわけです。だが、これに対してほとんどこたえていないわけでございます。
 さらに言うならば、この答申というのは、子供や親の側に立って考えたのではなしに、教育をする側に立った発想になっております。物言わぬ子供とか青年とかの苦しみが放置されてしまっておる、こういうような感じがいたします。
 私は、岡本さんがあるところでお話しになったのを聞いて非常に共鳴したのです。岡本さんはこういうことを言われました。今の教育に何といっても必要なものは、青少年にわかりやすい目標を持たせることであるということを岡本さんがあるところでお話しになったのを聞いているのですが、私は、この答申を見も限りにおいて、子供や若者、すなわち教育を受ける側に勇気をつけるような答申には全然なっていない、こういうような感じがするわけでございます。
 いま一つ、これはよく言われておるのですけれども、第一次の答申というのが東京都議会議員選挙の直前に行われた、第二次の答申というのは衆参同日選挙の直前に行われた、第三次の答申というのは地方統一選挙の直前に行われた、こういうことは何と弁解しようとも、やはり中曽根首相の政治戦略というものに臨教審が乗って答申をしたと言っても言い過ぎではない、私はこういうぐあいに思いますし、歴史的な答申であればまだたくさんの歴史的な評価をしなければならぬわけですけれども、時間がありませんので要点だけ私の評価をさせていただきたいと思います。
 そこで、質問に入るわけでございます。
 今の評価とかかわるわけですけれども、何といっても今問題なのは、学歴社会というものがある、さらにその学歴社会と同等に、あるいはそれ以上に学校歴社会というものがあるわけです。学歴社会、学校歴社会というものがあって、それに向かって受験戦争、入学試験地獄というのがあるというのは、これはもうだれが見ても当然のことでございます。だから、問題は、この学歴社会だとか学校歴社会というものをどう改革するかということなしには、それに向かって怒濤のごとく押し寄せておる受験戦争とか入学試験地獄を解消することはできないと私は思うのです。
 ところが、今度の臨教審というのは文部省だけではなしに内閣直属で行われておるわけでございますから、この学歴社会というのは皆さん方の答申によってはすべての官公庁あるいはすべての企業にも影響するはずであるわけですから、例えばこういうことはできなかったのか。学校でいいますと、受けさせる学校、例えば大学とか高校とか、そういうものに試験でランクづけをする、こういうことをやめるというようなことはできなかったのか。あるいは内申書を出すという、こういう学校のもう神聖にして侵すべからざる固有の権限だと今までしておったもの、ここにメスを入れることはできなかったのか。あるいは大学でいいますと大学の学校格差があるから競争も熾烈になるわけですから、大学の学校格差、高校の学校格差というものをなくすことがどうしてできないのか。さらに言いますと、大学で卒業証書なんかを出さないようにしたならば、学校ごとの卒業証書を出さないようにしたならば、学歴社会というものはなくなるはずでございます。こういうことはできなかったのか。さらに、出た場合には免許制度とか資格制度とかまた昇進制度だとか、いろいろ社会にはありますね、こういうものにメスを入れる。こういうことによって、社会と学校の共同の改革で学歴社会、学校歴社会というのはなくせるはずだ、そういうことこそ議論すべきではなかったか、答申すべきでなかったかと私は思うのですが、この点についてはどうですか。

発言情報

speech_id: 110905077X00419870904_015

発言者: 馬場昇

speaker_id: 10581

日付: 1987-09-04

院: 衆議院

会議名: 文教委員会