鍛冶清の発言 (文教委員会)
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○鍛冶委員 鍛冶清でございます。公明党を代表して御質問を申し上げたいと思います。
きょうは、参考人の皆さんには本当にありがとうございました。私は、時間が限られておりますので、各参考人の諸先生に最初にもう質問をずっと私の方から端的に申し上げますので、お答えの方も時間をにらみながら、配分をしながらひとつ端的にお答えをいただければ、こういうふうに思いますので、よろしくお願いをいたします。
最初に上寺先生にお尋ねをいたしますが、先生には、教育大学で教えていらっしゃるという立場で、また総まとめをしていらっしゃるという立場でのお尋ねです。
社会科の免許を取るまでに、各免許を取ることを志しておる学生の皆さんはいろいろな単位を取りながら積み重ねていくわけですが、その単位の取り方というのは各人まちまちかもしれませんけれども、そういう単位を積み重ねて免許を取った人が社会科の教員として高等学校に行って教えるという際に、こういうところが具体的に心配だというようなことがございましたら、ひとつお話しをいただければと思います。
次に、上田参考人に二つお尋ねをいたします。
上田先生はお話の中で、伺っておりましたら社会科は現在はベストとも思われないというふうにおっしゃいました。改善すべき点はあるということは否定はしない、こういうお話もございました。先ほど答弁の中でも若干お触れになってはいたようでございますが、その改善すべき点というのはどういう点を具体的にはお考えなのか、またそれを改善するにはどういうふうな形でやればできるとお考えなのか、これはひとつ端的にお願いをいたしたいと思います。
それからまた、先ほど最初のお話の中で、社会科が今度は分離したということで再編成になっておりますが、これはもとへ戻すというような表現でお話がございました。大変失礼な申し上げ方かもわかりませんが、歴史を見ますと、歴史というのはいろいろな経験を経ながら、もとに戻るというのではなくて前へ前へ進んでよりよい方向に実際には進んでいっているというように私は思っておりまして、これは分かれていくということがもとへ戻る、それがすぐ戦前に戻るというような考え方に使われておることが多いわけですが、私はそうではないのだろうということは思います。
一つのことを、仮に同じ結論に達しても、最初はこれはだめだと思っても、議論を重ね、いろいろなことを試行錯誤する中で結局もとへ戻ってみたらそれの方がよかったという場合もあるということも、私も体験の上から、これは教育の方面じゃありませんがいろいろございます。そういった点で、もとへ戻すということの表現をなさっておったのですが、そういう表現というのはどうなのかなという疑問を私は持っておりまして、これに対してお答えいただきたいと思います。
高橋参考人に二点お願いいたします。
社会科はいい面、悪い面がある、それはいい面は生かしながら悪い面を直しながらというようなことでおっしゃいました。私も同感でございますが、このいい面、悪い面というものについて、ひとつ端的に具体的にお答えをいただきたい。悪い面はどうしたらいいのか、これもひとつお答えをいただければと思っております。
それから、歴史的に見てのお話を伺って大変参考にさしていただいたわけでございますが、社会科四十年の歴史の中でいろいろ議論がされてきた。そういう中で、教科改訂に伴っての確かに免許改定という流れのような形に今なってはおりますが、その間にいろいろなことはあったとは思いますけれども、今回の改定は私どもは賛成という立場で、よりよい改定になっているなというふうには思っておるのですが、先生のお立場から見て、いろいろ議論がある中で、こういう議論がある中で、もう一遍指導要領を改訂するまで、各先生のお話を聞いていても社会科の中でもかえられるんだというようなお話もあったりする議論もございましたが、タイミングとして今回の指導要領改訂で分離したということは適当な時期であったのかどうか、それについて何かはっきりとしたお考えがあればお伺いしたいと思います。十年先に改定をしてもいいのじゃないかという方もいらっしゃるかもわかりませんので、そういう点の御意見があればお聞きをしたいと思います。
それから土屋参考人に二点お願いをいたしたいのです。
先生のお話、最初にお伺いした中で、今回こういうふうな改定になるわけですが、その中で学問的に見ても人的に見てもですか、何かそういうのがそろってないから無理であろうというような趣旨のお話があったと思います。私はやはりよりよいものをするためには、いないからこそ、ないからこそやるべき問題がある、やらなきゃいかぬという場合もあるのではないか、それがいろいろな物事を前進さしていく。今までそろっているものの中で、新しいものがあってもやれないからだめだというふうな形での議論というものはかえって創造性とか進歩的に前進していく、改善していくという考え方をそぐのではないかなというふうに思うのですが、その点、いかがでございましょうか。
それからもう一つは、実際にはこの前も免許法の議論の中で、文部省とのやりとりの中で言われておったのですが、高校に行きますと、実際的には社会ということでくくられてはおりますが、実際には各分野に具体的に分かれて担当がついておやりになっているというふうなお話も私は伺いました。そういう現実を見ると、四十年の歴史の中でそういうふうな形に高校はあるのが一番ベターであろうという中でやっておるのであろうというふうにも思いますし、そういう面から見れば、今回のような形で一歩前進して専門的にも進化し、また総合的にも考えていくという形をとっていくということは必ずしも悪いのではないのではないか、こういうふうに思いますが、その点、いかがでございましょうか。
以上、私の質問はまとめて最初に申し上げました。各先生方よりよろしくお願いいたします。