文教委員会

1989-11-29 衆議院 全268発言

⚠️ 発言のコピー・転載時は出典元URL(kokkai.ndl.go.jpおよびkokkai-data.com)を必ず残してください。改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

会議録情報#0
平成元年十一月二十九日(水曜日)
    午前十時開議
 出席委員
   委員長 鳩山 邦夫君
   理事 麻生 太郎君 理事 臼井日出男君
   理事 北川 正恭君 理事 鴻池 祥肇君
   理事 船田  元君 理事 中西 績介君
   理事 鍛冶  清君 理事 中野 寛成君
      青木 正久君    梶山 静六君
      岸田 文武君    工藤  巌君
      斉藤斗志二君    杉浦 正健君
      渡海紀三朗君    中村正三郎君
      二階 俊博君    長谷川 峻君
      鳩山由紀夫君    平泉  渉君
      松田 岩夫君    渡辺 栄一君
      江田 五月君    上坂  昇君
      嶋崎  譲君    馬場  昇君
      有島 重武君    市川 雄一君
      伊藤 英成君    石井 郁子君
      山原健二郎君    田川 誠一君
 出席国務大臣
        文 部 大 臣 石橋 一弥君
 出席政府委員
        文部政務次官  町村 信孝君
        文部大臣官房長 國分 正明君
        文部大臣官房総
        務審議官    佐藤 次郎君
        文部省生涯学習
        局長      横瀬 庄次君
        文部省初等中等
        教育局長    菱村 幸彦君
        文部省教育助成
        局長      倉地 克次君
        文部省高等教育
        局長      坂元 弘直君
        文部省高等教育
        局私学部長   野崎  弘君
        文部省学術国際
        局長      川村 恒明君
 委員外の出席者
        参  考  人
        (兵庫教育大学
        長)      上寺 久雄君
        参  考  人
        (都留文科大学
        長)      上田  薫君
        参  考  人
        (明星大学人文
        学部助教授)  高橋 史朗君
        参  考  人
        (神戸大学教育
        学部助教授)  土屋 基規君
        文教委員会調査
        室長      多田 俊幸君
    ─────────────
委員の異動
十一月二十九日
 辞任         補欠選任
  青木 正久君     中村正三郎君
  斉藤斗志二君     鳩山由紀夫君
  渡辺 栄一君     二階 俊博君
  佐藤 徳雄君     上坂  昇君
  塚本 三郎君     伊藤 英成君
同日
 辞任         補欠選任
  中村正三郎君     青木 正久君
  二階 俊博君     渡辺 栄一君
  鳩山由紀夫君     斉藤斗志二君
  上坂  昇君     佐藤 徳雄君
  伊藤 英成君     塚本 三郎君
    ─────────────
十一月二十七日
 文化政策の拡充等に関する請願(小沢貞孝君紹介)(第六八九号)
 同(緒方克陽君紹介)(第六九〇号)
 同(小渕正義君紹介)(第六九一号)
 同(渋沢利久君紹介)(第六九二号)
 同(田口健二君紹介)(第六九三号)
 同(玉置一弥君紹介)(第六九四号)
 同(土井たか子君紹介)(第六九五号)
 同(中村茂君紹介)(第六九六号)
 同(永井孝信君紹介)(第六九七号)
 同(楢崎弥之助君紹介)(第六九八号)
 同(野口幸一君紹介)(第六九九号)
 同(前島秀行君紹介)(第七〇〇号)
 同(松前仰君紹介)(第七〇一号)
 同(村山喜一君紹介)(第七〇二号)
 同(青山丘君紹介)(第七八三号)
 同(新井彬之君紹介)(第七八四号)
 同(石田幸四郎君紹介)(第七八五号)
 同外一件(上田利正君紹介)(第七八六号)
 同(緒方克陽君紹介)(第七八七号)
 同(大橋敏雄君紹介)(第七八八号)
 同(長田武士君紹介)(第七八九号)
 同(北橋健治君紹介)(第七九〇号)
 同(草野威君紹介)(第七九一号)
 同(坂上富男君紹介)(第七九二号)
 同(田口健二君紹介)(第七九三号)
 同(中島武敏君紹介)(第七九四号)
 同(永井孝信君紹介)(第七九五号)
 同(伏屋修治君紹介)(第七九六号)
 新学習指導要領撤回に関する請願(中島武敏君紹介)(第七八二号)
は本委員会に付託された。
    ─────────────
本日の会議に付した案件
 教育職員免許法の一部を改正する法律案(内閣提出、第百十四回国会閣法第四九号)
     ────◇─────
この発言だけを見る →
鳩山邦夫#1
○鳩山委員長 これより会議を開きます。
 第百十四回国会、内閣提出、教育職員免許法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本日は、本案審査のため、参考人として兵庫教育大学長上寺久雄君、都留文科大学長上田薫君、明星大学人文学部助教授高橋史朗君、神戸大学教育学部助教授土屋基規君、以上四名の方々に御出席をいただき、御意見を承ることにいたしております。
 この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお聞かせいただき、審査の参考にいたしたいと存じます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 上寺参考人、上田参考人、高橋参考人、土屋参考人の順にお一人十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えいただきたいと存じます。
 なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願います。
 それでは、上寺参考人にお願いいたします。
この発言だけを見る →
上寺久雄#2
○上寺参考人 上寺でございます。
 私の立場は、免許法改正が予定どおり進展しますことを期待いたしまして御意見を申し上げたいと思っております。
 御意見を申し上げる前に、私と社会科の関係についてお話を申し上げて、その立場から、高等学校の二つの教科に発展的分立をする、そういう立場のことについてお話を申し上げてみたい、こう思っておるのでございます。
 私自身は、小学校教師から始めまして、昭和二十二年に学習指導要領一般編の試案が出ましたころは小学校の教師をしておりました。翌年、二十三年ごろになりまして、ある県下、私、広島県でございますが、広島県で最初の社会科の公開授業をやったものでございます。それから、昭和二十六年から三十九年にかけまして、附属中学校におりまして、社会科担当の教員として就職をしておったわけでございます。その間、中学校における社会科は、特に道徳教育との関係で非常に問題になった時期でございます。
 それから後、昭和三十四年から三十五年にかけまして、ある女子高校の教員をしておりました。そこで世界史を教えておったわけでございます。これは、ちょうどそのころ高等学校の教科の統合あるいは整理が行われた時期でございまして、世界史のあり方についていろいろ検討のなされておった時期でございます。
 それから後、昭和三十七年以降、大阪市の教育研究所に就職をいたしまして、そこで現場に近いところでいろいろ研究に従事したわけでございます。それから教員養成大学に参りまして現在に至っておるわけでございます。
 その間、道徳教育並びにそういう教科教育につきまして研究もさしていただいたわけでございます。これが、職歴からまいりました社会科と私との関係でございます。
 もう一つは、私の学問研究の方から考えまして、新教育の根源であるとされておりましたアメリカのジョン・デューイの研究、これが私の研究でございました。社会科も、ジョン・デューイの発想からかなり理論を得ておる、こういうふうに考えられておるわけでございます。
 しかし、彼の教育課程論から考えますと、ハイスクールになりますと教科を発展的に分立させる、こういうような立場が出てくるわけでございます。もちろん、中学校課程まではソーシャルスタディーズの立場から、社会科的発想で社会科学に基づく教科を履修させる、こういう立場であったわけでございます。彼は一九三八年には「ホワット・イズ・ソーシャル・スタディー?」こういう本も書きました。その当時、ソーシャル・スタディーズがアメリカで非常にもてはやされておった時代に「ソーシャル・スタディー」という論文を書きまして、限界を明確にする、こういう立場をとったわけでございます。
 そういうような職歴並びに研究歴から考えまして、私は社会科に対しては非常に愛着を持っておる者の一人でございます。しかし、愛着を持っておるがゆえに、高等学校になったらこれはやはり分立をして、それぞれ独立をしていく立場に向かうべきではないだろうか、こう思っておるのでございます。
 高等学校で社会科の発展的分立と私は申し上げましたけれども、地理歴史科と公民科に独立をした教科をつくる、こういうことに対してのよりどころを何点か申し上げてみたいと思うのでございます。
 一つは、教育課程の発展的系列でございます。幼稚園では領域がございます。そこでいろいろ人間関係とか環境の問題を扱います。それから、小学校になりまして生活科が低学年で出てまいります。そこでは従来言われております社会科的なものと理科的なものとを一緒にした総合的な学習をする。これは経験主義あるいは生活主義によりどころを持った、そういう教科でございます。三年生になりますと、それが社会科と理科に分かれていくわけでございます。それから、中学校になりますと、社会科という枠の中でそれぞれの歴史的分野とか地理的分野、さらには公民的分野という分野に基づいてそれぞれがある種の系統を持って授業を進めょう、こういう立場をとるわけでございます。それが高等学校になるに至ってやはり地理歴史科と公民科に分かれて、そうしてそれぞれが教科としての一つの主体性を持って、そうして学習をさせる、こういうことに発展をしていくわけでございます。
 もちろん生活科、社会科、基本的には総合的な学習でございます。さらには経験主義、生活主義からだんだん系統主義へと発展をしていく、そういう流れにあるわけでございますが、それを高等学校になったらやはり社会科学的よりどころと同時に、人文科学的よりどころ、ころいうものをあわせて支えていく、こういう立場から二つに分立をしていくわけでございます。
 そういう発展的分立を支持する理由として、一つは系統性の問題でございます。児童生徒はだんだん発達をしてまいります。その発達に即していわゆる教育課程もだんだん深化していかなければならないだろう、こういう立場で、言うならば教育的要請でございます。
 二番目は、専門性の深化でございます。これは、学問的な専門性を持ちながら、だんだん児童生徒の発達に即して、そうして研究あるいは教育が深められていく。これは学問的要請でございます。
 三番目は、現時点におきます時代的な要請、一つは特に国際性を持った国民を養成するという立場でございます。そのために特に世界史的な、全世界が歴史的発展をいかにしておるか、こういう立場をきわめることによって国際性の深化ができるのではないか。
 もう一つは市民的、国民的な立場からの要請でございます。市民であることを通して日本国民であること、これを明確にすることによって世界の人類の平和を培っていくんだ。先ほどのものが国際性からの要請であるとするならば、今度は市民的、国民的要請として時代的要請の立場がとれるのではないかと思うのでございます。
 その次は高等学校の性格でございます。高等学校は完成教育を一方でやります。そこで先ほどの完成という立場から二つの時代的要請にこたえる、こういう問題。それからもう一つは、ある意味で高等学校から大学へといういわゆる通過のための過程の任務を担っておるわけでございます。これが大学教育へのつながりを持っておる。初めの完成教育は中学校の学習との継続関係を持っておる。それから後の大学へのつながりといたしましては教育、研究との継続、こういう立場がとれるのではないだろうか。そのためには学問的発展ということを考えておかなければならない。そういうところから地理歴史系の科目として世界史、日本史、地理、その中の世界史を一つの必修にしていこう、こういう立場が出てまいりますし、公民系統の方で現代社会、倫理、政治経済、そういう中から一科目四単位の必修が出てくる、こういう立場になるのではないかと思います。
 もう一つの私の立場からは、教員養成という立場から考えまして、やはり特に総合学習から学問的探求へ、あるいはその深さの追求へ、そういう流れの中で、特に教員といたしましては専門的な学問的教養を身につけておく、そういう教員の養成が必要になってくるのではないだろうかと思います。そのためには高等学校から学問的、人文科学的なあるいは社会科学的なよりどころを持つ教科の学習、これがなされておることによって将来の社会科教員、すなわち地理歴史教科の担当と公民科担当をそれぞれ分立をさせまして専門性を深めていく、こういう立場が必要になってくるのではないだろうか、こう思っておるのでございます。
 以上のようなよりどころから、免許状として二つの教科の免許状を取得できますように御推進をいただけば幸いだと思います。特に私の大学におきまして、教員養成上から考えまして、それぞれ今度の免許状改定に伴います、そういうものに対する大学の構えは一応できておるのでございます。それぞれの専門家の教員を抱えておりますし、そういうことから免許状が改正になりまして、そうして教養審、教育職員養成審議会の方でプロセスを認められ、あるいはどういうふうにやるかということが指示されるならば、直ちにそれに対応して、そして来年度から入学をする学生に対する対応もできる、こういうのが一般の教育系大学にも当てはまるのではないだろうか、こう思っておるわけでございます。
 以上のようなことから考えまして、私の職歴から、さらには研究歴から、さらには現在置かれております教員養成に従事しております立場から、冒頭で申し上げましたように地理歴史科教科、さらには公民科教科の分立が成立いたしますことを祈念をいたしまして、私の与えられました時間が参りましたので、一応終わらせていただきます。
この発言だけを見る →
鳩山邦夫#3
○鳩山委員長 ありがとうございました。
 次に、上田参考人にお願いいたします。
この発言だけを見る →
上田薫#4
○上田参考人 私は、高等学校の社会科を地理歴史及び公民に分化いたしますこの法案については、反対の立場で申し上げたいと思います。
 私、昭和二十一年に文部省に入りましてちょうど五年、この社会科というのができました当時、それに携わりました。それ以後ずっと大学での生活でございますが、社会科教育というのが私の専門分野の一つということになっております。そういうことをお含みいただきましてお聞きいただきたいと思います。
 率直に申しまして、今回のこの分化というものは、あるいは社会科解体というふうに一般には言われておりますけれども、このことはいろいろな意味において適当でない、また時宜に適さないということを申し上げたいと思います。
 五点ぐらいに絞って申し上げたいと思いますが、まず第一点として大事なことは、この改訂が一般の高等学校の教師あるいは教育界の広い意見の聴取が行われなくてやられているということであります。高等学校の先生たちは唖然としたというような経過でございます。
 これは、そのことの是非は第二といたしましても、私は、非常に望ましくない。これは、このことだけではなくて今度の教育課程の改訂について言えることでありまして、私が知る限り、これほど一般の意見を聞かないで行われた改訂はいまだかつてないというふうに私は考えております。このことが現在実は、御承知のように、中学校、高等学校、小あるいは大もそうでありますけれども、殊に中高というあたりで学校が荒れているという事実がございます。それは何とかしなければいけないことであって、みんなが考えていることでございますけれども、今回のこういう改訂はますます高等学校の教員の意欲を失わせると申しましょうか、真剣な取り組みを阻害する面を持っている、それは私は非常に重大なことだと思います。どうしてそういうことをお考えにならないか。まず今の学校教育がしっかり立ち直るということが前提であって、それなくしてはいよいよ混乱が増すということではないかと思います。そういうことから申しまして、非常に残念であります。
 特にまた、その審議の過程においても、今言ったような一般の意見の反映がないだけではなくて、どうも不明瞭なところが多かったように思います。そういうことを含めて、今こういう大事な時期に行われる教育改革としては用意が甚だ不十分であったということは否めないと思います。そのことが単なるテクニックの問題ではなくして、やはり今後の日本の教育に対して具体的に大きな影響を与える。余り強調いたすのはどうかと思いますけれども、日本の学校の今の状況は非常に心配であります。そのことを何よりもまず第一に考えていただきたい。そういう点で遺憾であったということであります。
 しかし、もちろん現在の高等学校の社会科の状況がもうベストであるというようなことはございません。いろいろ問題をはらんでおります。それを改善する必要は私も否定はいたしません。しかし、それには現在の社会科のままでいろいろやることがある、やれることがある、どうしてそういうふうにすることができないのか、どうして急いでこういうところに無理に持っていかなければいけないかということが理解できないのであります。
 現代社会というのがございまして、これは今度必修が外れたのでございますが、これは確かに教えにくい面があります。しかしながら、そういう教育こそ高等学校の先生が本当に取り組んでくれば非常に頻りになる子供が生まれてくる、大学ももっといい教育ができると私は思います。ところが、専門に入っていくということは何か高度になるようでございますけれども、実は教師からすればある意味では教えやすいのです。いわば生徒の持っている本当の必要というものを一応度外視して、系統的にと申しましょうか、与えるべきものをどんどん与えてしまうということができやすいですね。そういうやすぎを選んだということです。これも非常に大きな問題であると私は考えます。それが第二点でございます。
 第三点は、系統とか系統学習とか経験学習、これはちょっと教育のテクニカルタームでございまして、その説明は今は省きますけれども、社会科という枠の中で地理や歴史や公民と申しましょうか社会経済等のことが学ばれるということは、これは人間が民主的な社会において生きるための新しい系統を生み出すということでありまして、これが最初の社会科の考え方でございました。ですから、単に歴史の事柄は覚えればいいということじゃない。残念ながら今の入試においてはそれでも通用するというところが悲しいのですけれども、とにかくたくさん知る、たくさん覚える、そういうことは学問でもなければ教育でもない。やはり現実に即して物を考えることができる、世界史にしても日本史にしても、そこに出てくる事柄を自分に引きつけて生かすことができるということがなければ歴史教育の意味はないですね。
 そういうことをやろうとしたのが社会科でございまして、今まで四十年も続いてきたのですけれども、そんなに簡単にはかばかしくはまいりません。しかし、徐々に効果を上げてきて、私はこれで日本人が今後民主的社会を担う者として世界に立っていく可能性がだんだんふえてきたと思っておりました。ところが、それを逆に戻すという形でございまして、これは人間が知識を持つというときのあり方を非常に古いというかおくれた方へ持っていくのであって、学問性とか系統性とかいろいろありますけれども、それはその人間から離れてしまっている。アクセサリーのようなものを幾ら担いでもどうにもならないわけであります。
 そういう意味で、今度の分化が結果としても恐らく今の受験体制をますます強めることになろうかと思います。これはゆゆしき問題ではないか。そして物知り的知識が世の中にいよいよ蔓延していくということになれば、今若い人たちは一人前の思考力をなかなか持ってくれない。大学生も、その点、私としては甚だ申しわけない状態にあると言うほかないのですけれども、そういうことに拍車をかけるということでございます。何とかそれを食いとめなければいけない。
 社会科というものは、先ほども申しましたように、ただ今まであったいろいろな教科を一緒に合わせるとかそういう問題だけではございませんので、学問に対する人間のかかわり方、もっと言いかえれば、人間の学問観を変革する、変えるというのがその本来の趣旨でございます。今まで、とにかくたくさん難しそうなことを知っていれば尊敬されるというふうな行き方じゃなくて、余り難しいことはよくわからないようでいても、しっかり考えることができ、またその難しいことにみずから迫っていけるような人間をつくる、学問というものはそういうものであって、膨大な知識ではないのでございます。そういうことを教育の中で徹底するということでございました。
 私は、三十年、四十年たてばこれができると思ったのですけれども、やはり百年ぐらいかかるのかもしれません。しかし、それを続けていかなければ日本の国は非常に恐ろしい状態になるのじゃないかというのが私の見方でございます。それが、社会科が本来どういうものかという問題で、第三点でございます。
 それから第四点目といたしましては、国際化ということが言われまして、音は西洋史と申しましたが、今は世界史、今度の世界史必修というのは、実際、入試でも日本史の方が圧倒的でございまして、世界史をとる数が非常に少ないのです。私、前に立教大学におりましたが、そこでは社会の入試で、日本史はみんなやっているからということがあったのですが、世界史を必修にいたしました。ところが、受験者が激減するというようなことがございまして、大分持ちこたえておりましたけれども、ついに変更いたしました。とにかく世界史というのは受験では非常に難しいというかそういう感じがあるようでございます。そういうことも非常に大きいのでございまして、世界史をもっと子供たち、生徒が学習するためにはそういうところも考えなければ本当はうまくいかないです。ただ必修にすればいいということではないと私は思います。
 そういうことで、世界史をたくさん教えればいいという簡単な問題じゃないのですが、同時に今出ております国際化、国際性を高めるために世界史をというのは非常にわかりいい理屈でございますね。諸外国といろいろ交際していく、つながっていくわけですから、その国の歴史をよく知っているということは結構なことなんです。でも、本当に国際性を高める、国際化するということはそういうことなのか。
 会話がよくできる、その国について物知りである、もちろんこれはおつき合いには大変よろしいのでございますけれども、本当に日本人がこの国際社会の中で堂々と生きていく、また世界に貢献するということのためには、世界に現在存在するいろいろな難しい問題に対しても我々が責任を持ってかかわっていく、そういうことが真の国際化であって、残念ながら今の若者たち、若者だけを言うことはできませんけれども、そういう点での気迫は非常に少ないです。これは世界史を必修にしないから、系統的に教えられていないからということなのか。むしろ社会科がねらった現実に対するアプローチが非常に弱いということではないのか。学校でもそれを重視していないということではないのか。入試に傾斜しているということではないのかということでございます。
 そういう意味で、御承知のようにベルリンの壁は破れる、世界は動いている。しかし、高校生も大学生もさしたる反応というのか意識を余り持たないようです。だら、世界史をもっと教えれば事が済むのか。そうじゃないんじゃないでしょうか。世界史はもちろん必要です。私も非常に大事だと思いますが、そういうものを今の生きた現実につないで自分の問題として考えるということが足りないのです。それは社会科がねらっていることなんです。社会科を分化させましたためにそういう視点がなくなって、物知り的歴史になってしまったらこれはえらいことだと思います。
 私はあえて申しますと、今度のこういう改訂あるいはそれを指示なさった方々の視野は狭いのではないか。ある局所だけを考えて物を見ていらっしゃるのではないか。今、日本というものは、世界というものはそういう状態にないです。しかも、教育は二十一世紀、非常に困難を伴う二十一世紀に活動する人間をつくるのですから、今いろいろ古いところを系統的に覚えさせておけば何とかなる、そういう生易しいことではない。そういう見方こそ私は非常に危険だと思います。
 最後に第五点として、要するにこれからの世界に対して正面から迎え得る日本人を、子供たちをつくるためには、単なる歴史とか地理とか公民とかいうふうな、いわばだんだん難しいことを覚えましょうということではなくて、人間が正面からその難しい現実にぶつかってそれを打開していく、そういう視点を育てなければならない。それが社会科の目標でございますので、そういう意味からすると非常に心配な状態が起こりつつあると言わざるを得ない。まして高校教師が本当にそれに向かって自分をぶつけていくということがないとするとこれは非常に心配だ、ますます心配だということでございます。
この発言だけを見る →
鳩山邦夫#5
○鳩山委員長 ありがとうございました。
 次に、高橋参考人にお願いいたします。
この発言だけを見る →
高橋史朗#6
○高橋参考人 高橋でございます。
 私は、このたびの教育職員免許法の一部改正案に賛成の立場から意見を述べさせていただきます。
 この問題につきましては、占領下の社会科の誕生の経緯にさかのぼって考えてみる必要があると思います。私は、占領下の教育改革の歴史を専門的に研究いたしておりますが、戦後の社会科の導入の伏線になりましたのが、昭和二十年十二月三十一日にGHQが懲罰的見せしめのために出しました修身・日本歴史及び地理の授業停止に関する指令であります。お手元に今お配りするのだと思いますけれども、そのコピーの中に書いてございますが、アメリカのバージニア州のコース・オブ・スタディーを台本として昭和二十二年五月に学習指導要領社会科編I(試案)、これは小学校のものでありますが、その翌月の六月にミズーリ州などのコース・オブ・スタディーを台本といたしまして、中学、高校の学習指導要領社会科編II(試案)というのが発行されました。この学習指導要領が我が国で最初の学習指導要領でございます。その学習指導要領社会科編Iと一九四三年版のバージニア州のプランの一部を対照させましたものをコピーでお配りいたしておりますが、この両者を対照いたしますとほとんど一致していることがおわかりになると思います。九〇%はその翻訳したものであります。
 また、今お手元にお配りしました「現代のエスプリ」の六ページをお開きいただきたいと思いますが、この本は私が編集いたしまして昨年六月に出したものでございますが、六ページの冒頭に、昭和二十二年三月に発行されました学習指導要領一般編(試案)の社会科に関する部分を記載しておりますので、ごらんいただきたいと思います。一行目から読ませていただきます。六ページであります。
 「社会科は、従来の修身・公民・地理・歴史を、ただ一括して社会科という名をつけたというのではない。社会科は、今日のわが国民の生活から見て、社会生活についての良識と性格とを養うことが極めて必要であるので、そういうことを目的として、新たに設けられた」と書かれております。ここに、社会科を新設した目的が明示されております。
 また、学習指導要領社会科編I(試案)には次のように書かれております。先ほど読み上げました箇所から三行後のかぎ括弧から再び読ませていただきます。「社会科はいわゆる学問の系統によらず、青少年の現実生活の問題を中心として、青少年の社会的経験を広め、また深めようとするものである。したがって、それは従来の教科の寄せ集めや総合ではない。……歴史の事実はそれ自身として重要なのではない。それは、今日の世界におけるその意義という点において重要なのである。……歴史の教科の最も重要な目標の一つは、現在の生活を史的発展の結果として見る能力、及びその知識を結局現在の問題について用いることのできる能力を生徒に発展させることである。」と書かれております。
 私は、社会科が戦後の日本の民主化に貢献し、一定の啓蒙的役割を果たした点は積極的に評価いたしますが、そもそも戦後の出発点において、こういう歴史を軽視するアメリカのプラグマティズムに基づいて小学校から高校までの歴史や地理を社会科の枠の中に入れたこと自体に原理的な問題があったのではないかと考えております。
 この最初の学習指導要領(試案)によれば、「歴史の事実はそれ自身として重要なのではな」く、現在の生活に役立たせるための素材、手段として歴史教育の必要性をとらえているにすぎず、歴史に正当な位置を与えているとは言えません。
 本来、歴史は知的領域の中から追憶を喚起し、時代の特色と意義とを認識することによって初めて成り立つものであります。それゆえに、歴史はそれ自身として重要なのでありまして、歴史教育はかかる時代史理解のための教育でなければならず、現在の生活に役立てるための単なる手段であってはならないのであります。
 社会科という枠の中に置かれた歴史教育は、単に現代理解のための学習上の手段として扱われているにすぎませんが、歴史教育はそれ自身が目的を持ち、それ自身の構造を持つのが本来のあり方であります。
 歴史を社会科の枠の中に入れると、社会科学の側面が殊さら強調され、人文科学としての歴史の側面が軽視されることになり、さまざまな弊害が生まれます。現に我が国に社会科を輸出したアメリカでも、歴史や地理の教育が廃れ始め、歴史音痴や地理音痴の大学生が続出し出したのは、社会科というごった煮のような教科が流行したからであるとの反省が行われているとニューズウイークは報じております。
 このように、社会科の出発点となった学習指導要領そのものに根本的な問題があったために、既に昭和二十七年の岡野文相時代に社会科の改善などが教育課程審議会に諮問され、翌二十八年には「社会科の改善、特に道徳教育、地理、歴史教育について」の答申が出されております。このときの審議会の諮問理由説明には、地理や歴史を社会科から外して、独立した教科にした方がよいとの主張があったと述べており、既にこの時期から地歴独立論が表面化していた事実を物語っております。
 また、歴史学者の間でも、地歴独立論が早くから主張され、元東大教授の坂本太郎博士は、昭和四十一年に発表された論文の中で、これは「現代のエスプリ」の百三十一ページの下の段をごらんいただきたいと思いますが、この中で坂本博士は、「社会科歴史は唯物的な偏向をおかした」と批判しておられます。坂本博士はこのような主張を当時の中央教育審議会においても開陳されたようでありますが、多数意見となるには至りませんでした。
 その後、昭和五十八年十一月十五日の中教審の教育内容等小委員会審議経過報告、さらに、私自身も第一部会の専門委員としてかかわらせていただきました臨教審の第二次答申から最終答申に至る長い論議を踏まえて教育課程審議会の結論が出されたのでありまして、そういう意味からいえば、今回の地歴独立決定は決してマスコミが言うように拙速でも唐突でもないのであります。
 このように、地歴独立をめぐる論議は四十年前から続いているのでありまして、戦後四十年というパースペクティブの中で今回の教育課程審議会の論議と結論を明確に位置づける必要があると思います。今回の地歴独立に至る過程を唐突だと批判する人々には、占領下における社会科の特殊な成立事情と、それによって必然的にもたらされた弊害についての基本的な認識が欠落しているように思われます。
 在米占領文書の研究によって既に明らかにされているように、社会科の我が国への導入は、GHQの民間情報教育局教育科の指示によるものであり、当時の日高第四郎学校教育局長は、社会科導入に強く反対し、歴史は独立させるべきであると力説いたしました。また、教科課程改正委員会の野村武衛委員長もこの点を強く主張し、小学校、中学校段階において日本史は分離すべきことを力説し、歴史編集者もこの意見を支持しました。
 この日本側の根強い反対に対して、GHQの教育課は、歴史や地理などを別々に教える伝統的方法よりも社会科として教える統合的方法の立場がすぐれていると主張し、最終的な妥協の産物として、日本史は小学校五、六年の統合的社会科に含めるが、中学校二、三年においては独立教科目とし、高校の社会科は一科目を選択させることにしたのであります。
 さらに私が申し上げたいのは、今回の地歴独立は、マスコミが強調しているように社会科の解体を目指すものではないという点であります。社会科がなくなるから社会科の否定だというのは余りにも幼稚な見方であります。そのことは、新たに改訂された新高等学校学習指導要領の地理歴史料の「目標」を見れば明らかであります。すなわち次のように書かれております。「我が国及び世界の形成の歴史的過程と生活・文化の地域的特色についての理解と認識を深め、国際社会に主体的に生きる民主的、平和的な国家・社会の一員として必要な自覚と資質を養う。」ちなみに旧高等学校学習指導要領の社会科の「目標」は「広い視野に立って、社会と人間についての理解と認識を深め、民主的、平和的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民的資質を養う。」となっておりまして、民主的、平和的な国家・社会を担う資質を養うという高校社会科の根本目標は地理歴史科に確実に受け継がれているのであります。
 社会科の「目標」にあった「公民的資質」という言葉がなくなったのは、国際化の進展に対応して国際的資質を養うことが新しい時代的要請になったためであり、地理歴史科は従来の社会科のプラス面を正当に評価し継承しつつマイナス面を補おうとしているのでありまして、決して社会科の解体を目指すものではありません。
 社会科にも功罪両面があり、これを見直したり改革すること自体を危険視したりタブー視することはかえって危険であります。一部の知識人やマスコミは、地歴科の独立イコール戦前の亡霊、皇国史観の復活、憲法への挑戦、民主主義教育の危機などというおどろおどろしい批判をしておられますが、私たちはもうそろそろそのような単純な二分法論理に立った愚かなパターン思考から卒業してもよいのではないでしょうか。
 今、私たちに求められているのは、社会科を全面的に肯定するか否定するかの二者択一的な選択ではなく、社会科のプラス面を生かしながら、不足していた歴史、地理教育の専門性、系統性をいかに補い、両者をいかに調和、共存させていくかということではないでしょうか。今回の地理歴史科の独立はその第一歩と言えます。
 私は、この二月に、ゼミの学生を連れて韓国に卒業旅行に行ってまいりました。そのとき、韓国の大学生から、日本は経済大国ですけれども文化怠国だ、「たい」は怠けるの「怠」でありますが、そういうふうに言われまして返す言葉がありませんでした。また、三年間アメリカに留学をしておりましたが、そのときに、日本の歴史や文化を余りにも知らない日本人留学生をアメリカ人学生が、在日日本人と嘲笑する光景を見かけました。また、マレーシアからの留学生と交流した際、自分は日本の大学生とはお酒を飲まないことにしている、なぜならば、自分はマレーシアのことをしゃべりたいのだけれども、だれも関心を持たない、自分は日本人の学生から日本のことを知りたいけれども、日本のことを話そうとしないと言うのであります。
 二十一世紀には、日本は十万人の留学生を受け入れる計画であります。しかし、自国の歴史も外国の歴史も十分に知らない現状のままでは、日本にやってくる留学生は対日不信を募らせるばかりでありましょう。臨教審第二次答申は、国際社会の中に生きるよき日本人の教育、「そのためには、まず日本人が日本自体のことを知り、その上で世界にはいかに異なる生活、習慣、価値観が存在しているかを具体的に学ぶことが必要である。」と指摘した上で、二十一世紀の教育の目標の一つに「世界の中の日本人」を掲げ、「多様な異なる文化の優れた個性をも深く理解」しつつ、「国際社会において日本の歴史、伝統、文化、社会等について説得力ある自己主張のできる広く深い日本認識」を持ち、地球的視野に立った日本人を育てることの大切さを強調しました。
 かつて、アメリカの雑誌「タイム」が、「世界の人々から賞讃されるが愛されない日本人」あるいは「世界の人々は日本人を一つのレンズで眺め、日本人は別のレンズで自分を眺めている」と評しました。日本人は一生懸命働くけれども、自分の経済的利益のことしか考えていないので愛されないというわけであります。これからは、このエコノミックアニマルとしての日本人の限界を乗り越え、世界のために日本がいかに貢献するかが大切な課題と言えます。そのためにも、未来の日本と世界を担う若者たちに日本史と世界史をしっかり学ばせる必要があると思います。
 もう一点申し上げたいことがあります。それは従来の社会科歴史と地理歴史科の中の歴史とは一体どこが違うのか、現場教師にはよくわからないのではないかという点であります。地理歴史科の目標と具体的内容についての議論をもっと深め、地理歴史科の中身、質をいかにつくり上げていくかを煮詰める必要があります。さもなければ仏つくって魂入れずになりかねません。
 最後に、私は、現在大学で社会科の教員養成に携わる者といたしまして、従来の高校の社会を地理歴史及び公民の免許状に改めることは、より専門的に研究した教員によって地歴並びに公民教育を充実させるために必要不可欠な措置であると考えますので、この改正案に賛同いたしますことを申し添えまして、私の意見陳述を終わらせていただきます。
この発言だけを見る →
鳩山邦夫#7
○鳩山委員長 ありがとうございました。
 次に、土屋参考人にお願いいたします。
この発言だけを見る →
土屋基規#8
○土屋参考人 土屋でございます。
 私は、教育制度・行政を主な研究領域としておりますが、教師の養成・免許制度についてずっと関心を持ち続けてまいりまして、一九七八年、昭和五十三年に成文堂という出版社から教育職員免許法のコンメンタールを出したことがあります。また現在、全国教員養成問題連絡会の世話人の一人として教師養成の諸問題に取り組んでおります。
 きょうは教師の養成・免許制度をどう考えたらよいかという観点を中心にいたしまして、教育職員免許法の一部を改正する法律案について私の意見を申し述べさせていただきますが、次に述べます三つの理由から、この法律案に反対の態度表明をせざるを得ません。
 第一に、学習指導要領に示された中学校または高等学校の教科と教育職員免許法に定める免許教科の関係はほぼ同様ではありますが、必ずしも一致しておりません。資料として「高等学校の教科名と免許教科の変遷一覧」を作成いたしましたので、ごらんいただけたら幸いです。高等学校の学習指導要領の改訂によって社会科を地理歴史と公民に再編したことを免許教科の改正に自動的に連動させることについては検討を必要とすると考えます。
 この点について、教育職員免許法が施行されたとき文部省がどのような考え方をしていたのかを承知しておきますことは、今日なお必要なことだと思います。文部省の初代教職員課長であった玖村敏雄氏が一九四九年、昭和二十四年に学芸図書という出版社から「教育職員免許法、同法施行法解説」という本を出しております。そこで述べられていることを参考にすることができると思います。
 すなわち、学習指導要領に示す中学校または高等学校の教科と教育職員免許法に定める免許教科が必ずしも一致しないのはなぜかという点につきまして、「免許状の教科は、教員の資格の区別という立場から、学校における教科の分け方とは別個の見地から考慮さるべき問題であるからである」と説明しております。そしてその具体例として保健、職業指導、職業実習、農業実習、工業実習、商業実習、水産実習、そして書道を挙げています。
 このうち、例えば保健について見ますと、次のように述べております。
 保健体育の免許状を有する者は、同時に保健の免許を有するものとされるのであるが、この他に保健のみの免許状が認められるわけである。それは、保健教育は、体育料担当の教員のみでなく、これと特に密接な関連のある社会、理科、家庭等の各教科の担任教員が併せて保健教育を行うことが望ましいのであるが、このことが適確に行われるようにするためには、保健のみの教科の免許状を設けることが適当とされたのである。
というわけです。
 そしてさらに、社会、理科、家庭などの教科についても説明しておりまして、これらを細分化しないで包括的な教科とした理由として挙げていることは、次のようなことであります。
 これらの教科は、更に細分することが可能であり、且つ便利なこともあるのであるが、新教育における綜合的教育課程の方針よりすれば、これらの教科については、一人の教員が教授を担当することが適当であるとされたからである。
こう述べております。
 高等学校の学習指導要領の改訂によって社会科が地理歴史と公民に再編されたわけですから、それを免許教科に連動させようとするのは当然のことのように考えられがちなのでありますけれども、以上のような教育職員免許法が制定されましたときの趣旨を尊重する見地に立って今回の法改正を考えてみますと、戦後四十年余の実績を持つ総合的な教科としての社会科の性格を大きく変えるものでありますし、また免許法に定める社会、理科などのように広い領域を持つ包括的な教科についての教員資格の定め方を変えることにつながると考えられます。
 第二に、今回の法改正の前提である高等学校社会科の地理歴史と公民への再編そのものが教育関係諸団体を初めとして十分な国民的合意を得て行われたものとは考えられないからです。
 教育課程審議会の審議の経過を見てみますと、なるほど地理歴史と公民への再編という考え方が出ておりました。一九八六年七月二十一日の中間まとめで示された方向では、小中高等学校を通じて学習内容の精選を図るということと、「身近な社会生活についての具体的な活動や体験を通した総合的な学習から、次第に歴史、地理、公民へと分化して、系統的な学習ができるように内容を構成し、各学校段階の特色を明確にする。」ということが示されておりました。
 問題はその後にあるわけです。教育課程審議会の教科別委員会で審議されることになったわけですけれども、社会についての教科委員会での審議の結果をまとめた改善方針を見てみますと、高等学校の歴史については、社会科の枠から外して独立の教科にすべきであるという意見と、社会科は社会諸科学の成果に基づく総合的な教科だから独立の教科にすべきではないという意見が両論併記されておりました。
 決着は教育課程審議会高校分科会に持ち越されたわけですが、そこでは、先ほど来お話がありましたような世界史必修という主張が強く打ち出されたなど、かなり激論が交わされたと伝えられておりますが、結論が出されました直後に社会科の再編に反対した委員が、たった二回の審議で決めてしまったのは禍根を残すというふうに述べておりましたし、また答申に至る過程で社会科学習指導要領作成協力者会議の主査を務めた委員と全国社会科教育学会の会長を務める委員が辞任するというかつてない事態が生じました。
 こうした事態の進行に各方面からの関心が高まりまして、新聞報道もこの高等学校社会科の再編に対して、例えば沖縄タイムス、一九八七年十一月二十六日は「唐突な社会科”解体“」、また東京新聞の同年十一月二十八日は「強引すぎた”総決算“」などというふうに問題にいたしました。この審議の経過と結論に対して関係諸学会や教育現場から強い批判が相次ぐ中で社会科の再編が進められたという事実を見逃すことはできません。
 高等学校社会科の再編問題は、小学校低学年での社会、理科の廃止、そしてこれにかわる生活科の新設、小学校上級学年での歴史学習の人物主義への傾斜など、全体として社会科を解体する方向に沿った具体的な措置であると考えられますし、戦後教育の総決算を象徴する一つの事柄だと言ってもいいと思います。戦後四十年余の実績を持ち、完全に定着している社会科をどう評価するのか、今後どのように創造的に発展させるべきなのか、こういう問題について教育関係者はもとより国民的な教育論議を尽くすべきであって、学習指導要領の改訂があったから直ちに免許教科の改訂に連動させるべきだというふうには考えない方がいいと思うわけです。
 第三に、免許教科が地理歴史と公民にかわりますと、事は大学にも当然波及するわけであります。大学での教師養成の教育がこれに対応するのには現状では困難な問題がありますし、今回の法改正が行われたとしても、そのことによって必ずしも教師の資質の向上に結びつくとは考えられないからであります。
 高等学校社会科が地理歴史と公民に再編されますと、その教科教育法はどうなるのかという疑問と不安が大学側にあります。これまで中学校及び高等学校の社会科の免許状を取得するのには、教職専門科目としての社会科教育法が必修であり、今後も教科教育法は必修なわけですけれども、これまでは中等教育のそれとして社会科教育法という名称で同一でありましたけれども、今回の再編に当たって、この高等学校の地理歴史、公民の教科教育法がどうなるのかということまで含めて十分に検討して結論を出したのかどうか、疑問が残るということであります。
 高等学校社会科につきましては、教員養成系の大学以外のいわゆる一般大学で免許状の授与が多いと思いますけれども、これまでに社会科教育法を含む教職専門科目については問題が指摘されておりまして、マスプロ授業が多いとか非常勤講師に依存する比重が高いとかということが課題となっておりました。例えば国立大学協会教員養成特別委員会が一九八〇年に、「大学における教員養成」という調査報告を出しておりますけれども、ここでも社会科教育法の非常勤講師への依存率は大変高いわけであります。教育学部を持つ大学では一三・四%ですけれども、教育学部を持たないいわゆる一般大学では五〇%、教育学関係の博士課程の大学院を持ついわゆる旧帝国大学系では六三・一%にもなっております。こうした現状を克服することが大学側の重要な課題であるわけですけれども、今回の法改正によってこれを解決する条件が整うというふうには考えられませんし、地理歴史と公民になりまして、その教科教育法がどうなるのか必ずしも明らかではありません。
 先般行われました免許法改定に伴う再課程認定に当たっても、この点では社会科教育法ということで高等学校課程の再認定は申請されているはずであります。
 この地理歴史と公民の教科教育法がどうなるにせよ、その結果、資格要件を充足するだけの形式的な履修に陥ってしまうような事態が生じますと、到底そのことは教職の専門性の向上を図るということにはつながらないように思います。教員養成系の大学・学部には社会科教育法担当の専任教員が配置されてはおるのですけれども、この方方は小学校、中学校の社会科教育法を担当いたしますので、これに加えて新たに地理歴史教育法、公民教育法というような教科教育法ができるのかどうかわかりませんが、これに対応するような教科教育法を設けるということになりますと、残念ながら現状では、これを担当する人的条件も学問的基礎も整っていないと言わざるを得ないと思います。
 以上の三点の理由から、私は、今回の法改正には賛成しがたいという意見を持つものであります。
 以上で終わります。
この発言だけを見る →
鳩山邦夫#9
○鳩山委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人からの御意見の開陳は終わりました。
    ─────────────
この発言だけを見る →
鳩山邦夫#10
○鳩山委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。鴻池祥肇君。
この発言だけを見る →
鴻池祥肇#11
○鴻池委員 土屋先生、私は神戸大学教育学部の附属住吉小学校、中学校の出身でございます。六甲山のふもとの赤塚山で少年時代を送った懐かしさを持ってまず御質問を申し上げるわけでございます。
 反対をされる論旨につきましては上田先生の方からも承りました。ただ私は、この免許法の改正というのは、今回は地理歴史科及び公民科の担当教員の資質が高まっていく、その意味でも極めて重要な改正ではないかというふうに自分では思っているわけでございますが、先生はどうしても現在の社会科の再編成に反対して、この枠を残していかなければならない、このような御主張でございます。
 四十年の歴史云々のお話もございましたけれども、もう一度、なぜこの枠が必要なのか、ひとつ明快に簡単にお教えをちょうだいしたいと思います。
この発言だけを見る →
土屋基規#12
○土屋参考人 私は必ずしも社会科教育法の専門研究者ではございませんので、的確にお答えできるかどうかわかりませんけれども、ただいまの御質問につきましては、社会科が創設されましたときの総合的な教科としての性格というものを大切にしたいというふうに思っている筋がございます。
 一つの資料をお示しいたしますが、新教育の花形として創設された社会科が戦後初期にどんなふうに受けとめられていたかという一つのあかしでございますけれども、一九四九年に平凡社という出版社から「新教育事典」というのが出ました。ここに社会科教育ということについての解説がございまして、この担当は勝田守一東大教授でありますが、勝田先生は社会科が始まる前から、一九四五年十月にできました公民教育刷新委員会のメンバーとして戦後文部省の中で社会科創設に力を尽くしたお一人でございますけれども、その先生が解説されているところにこの社会科というものの教科の性格が幾つか述べられていることを参考にしたいと思っているわけであります。
 この社会科は社会を研究する教科でございますけれども、それは客観的、実証的な社会科学の発展に伴って社会諸科学を媒介とする市民形成の教育として初めて真の意味を持つという趣旨のことが述べられております。そしてまた、社会科学という観点につきまして、これは社会現象について実証的、科学的研究というものがすべて社会科学の領域に含まれるわけであって、その点でいえば、その領域は経済学、政治学、社会学、歴史学、地理学、人類学、民俗学、社会心理学等種々の分野にわたっているということを問題にしております。この点で申しますと、歴史学や地理学という社会諸科学の領域が含まれているわけでありますが、このような出発をいたしました社会科が単に社会諸科学の学問的系統性というものに立脚しながらそれのみに終わらないで、学校における教科として体系的に社会的な認識を育てると同時に、それが現代社会のよき市民を育成するという目標があって、そのことがこの社会科の出発に大変重要な意味を持っているということを説いてございます。
 そして、この論文の最後を見てみますと、この中には、今問題になっておりますように、教育課程を編成する上で融合的な課程とするか分離的な課程とするかということが当時から論争になっていたということを説いております。そして、特に歴史を分離課程とするという主張については、教育課程を融合する形で編成をすることによって人間生活の発展の総合的な理解、時代的意識の発展が望めないという批判が見える、こういうふうなことも説いております。これに反して、融合課程の主張については、歴史の分離課程というものはややもすれば児童生徒の経験と無関係な教授が行われがちであるということ及び歴史自身が既に経済、政治、文化の諸領域を融合している以上は児童生徒の経験と興味とを考慮すれば、融合課程を要求するという意見があらわれている。
 このように論争的な問題になっておりまして、出発のときに総合的な教科としての性格を持っている、それをさらに現状に合わせて創造的に発展させていくという内容の発展ということで考えればいいのではないかというふうに考えますものですから、あえてそれを分化するということは要らないのではないかというふうに思っているわけでございます。
この発言だけを見る →
鴻池祥肇#13
○鴻池委員 私は、歴史というのは社会科学的思考というよりも人文科学的思考になじむものである、このように思います。学問的な詳しいことはわかりませんが、歴史学というのは、社会科学ではなくて人文科学に分類されているものではなかろうかとも思いますので、あえて申し上げたいと思います。
 そして、現在テレビや出版界では歴史物に随分人気がございますけれども、子供たちは余り興味を示していない。それは、今の歴史教育の中で社会科学的は教え方に偏り過ぎているのではないか、人間的な歴史、こういったもののとらえ方というものが軽視されているのではないか、私はこのように思います。そういう意味でも地歴料の独立は必要ではないかと思うのでございますけれども、上田先生、時間が余りございませんので、大変恐縮でございますが、簡潔にお答えをちょうだいしたいと思います。
この発言だけを見る →
上田薫#14
○上田参考人 社会科では人文科学的な認識、思考が育たないというふうにおっしゃられているわけなんでありますが、そういう意見、ございます。しかし、社会科というのは、名前は社会科なんですけれども、社会科学的認識だけに閉鎖しているものではございませんので、むしろ問題は、社会科学的な物の考え方と人文科学的な物の見方というものがインテグレートする、融合するということが大事なんであります。それを分離して、こちらでは社会科学、こちらでは人文科学というふうにやってきたから人間を統一させなかったということなんです。そこのところでどうも、社会科学、ある意味でイデオロギー的に偏っている人たちがうんと戦後そういう方向に引っ張ったということはございます。しかし、それは本来の社会科が目指したことではないし、先ほどありましたけれども、最初の学習指導要領等をごらんになればわかることなんです。ですから、それは融合統一されるべきものを分けるということにおいてまずいということでございますので、人文科学的認識が要らないとか重要でないということでは全くございません。社会科でそういうことはできるということでございます。
この発言だけを見る →
鴻池祥肇#15
○鴻池委員 あと四、五分になりましたので、高橋先生にお教えをいただきたいと思います。
 先ほど明快な論旨でもって大いに共感を覚えたわけでございますけれども、お触れになりましたように、今回の再編成の問題につきましては、民主教育の否定であるとか憲法への挑戦であるとかという極めて厳しい表現、意見があるようでございます。そういったことは私どもにとっては非常に不可解でございますが、具体的にそういったことに当たるのかどうか、こういうところをひとつお教えをいただきたい。
 もう一点、歴史を独立させても従来の受験準備のための暗記専門の歴史では独立の意味がないのではないか、このように思います。それを改革、改善するためにどうしたらいいのでしょうか。
 あわせて、日本史の必修は必要ではなかろうかと私は個人的に思うわけでございます。こう言うと、戦前の国史の復活だと言う人がおられるようでございますけれども、やはり戦後四十年、国際化時代を迎えてもっと素直に日本の正しい教育のあり方というものを求めていく時期であると私は思います。この三点につきまして、ひとつお答えをちょうだいしたいと思います。
この発言だけを見る →
高橋史朗#16
○高橋参考人 第一点目につきましては、先ほど申し述べましたように、地理歴史科の「目標」の中に「民主的、平和的な国家・社会の一員として必要な自覚と資質を養う。」というふうに民主主義教育を継承しておりまして、これは明らかに憲法の精神というものを踏まえているというふうに言えると思います。そういう意味で、あるいはまた別の観点からいいますと、民主主義という制度がどういうふうにでき上がったかということを知るためには歴史を学ぶことが必要でありますし、また、民主主義をより発展させていくためには歴史的な視点でとらえるということが必要でありまして、そういう意味で歴史を学ぶことが民主主義教育の危機であるとかあるいは憲法への挑戦と言うのは私は観念論ではないかと思っております。
 といいますのは、先ほど「目標」について申し上げましたけれども、具体的に例えば地理歴史科のどの内容が憲法に挑戦するのか、あるいはどの内容が民主主義教育の危機につながるのか、そういう具体的な批判というものはまだ私はお目にかかったことがありません。あくまで枠としてのレッテル張りで言っているだけでございまして、それはいわば短絡的な感情論ではないかというのが私の考えでございます。
 それから二点目でございますが、教科書が大変細切れの知識の切り売りになっているということでございますが、これはまさにそのとおりであります。先ほど上田先生のお話にもあったのですが、私は別の観点でこの問題をとらえております。というのは、逆に社会科という枠の中に歴史を置いているために、例えば人間生活あるいは人間の人物、そういうものをありありと描くことができない。そのために単に何年何月にだれがどうしたという暗記中心の授業になってしまっているのではないか。ですから、問題は教科書のあり方あるいは入試のあり方、これは臨教審でもいろいろと議論したわけでございますが、教科書そのもののあり方、入試のあり方そのものを変えていかないとどうも根本的には解決がつかない問題ではないかというふうに考えております。
 それから日本史の問題でございますが、これは必修ということを先ほどおっしゃったわけでございますが、私は基本的にはこのように考えております。今度の教育課程の改善で「中学校教育を中等教育の前期としてとらえ直す視点をこれまで以上に重視する」、こういうふうに書いてございまして、こういう観点から見ますと、本来高校の地理歴史科あるいは公民料に呼応して中学校においても将来的には独立させることが望ましいというのが私の考えでございます。
 それからもう一点は、国際的資質を養成するためには自国認識と他国認識の両方が必要でございまして、日本史学習において世界との関連に留意するのみならず世界史学習において日本との関係に十分留意して考える必要がある。それから特に、世界史を見ますと、近代以前の日本については余り出てこないのでございますが、日本史も世界史と同様に重視する必要があるのではないかというのが私の考えでございます。
この発言だけを見る →
鴻池祥肇#17
○鴻池委員 ありがとうございました。終わります。
この発言だけを見る →
鳩山邦夫#18
○鳩山委員長 次に、中西績介君。
この発言だけを見る →
中西績介#19
○中西(績)委員 時間の関係がございまして大変短うございますから十分な質問はできないかと思いますけれども、まず第一は、今回の社会科を分離をするというこのことに当たって、歴史的なものを重視をするというこうした中から、教育現場における論議だとかあるいはいろいろな教育学会における論議だとか、こういうことが無視されたような傾向があると私はいろいろな資料を見まして理解をいたしておるところです。
 そこで、どのような理由からこのように急速に分離していったのか、この点がどうしても納得できないわけであります。このまま推移されるといたしますと、現場における教師などというものの主張などは全く不在になるし、あるいは父母の、あるいは研究者の十分な合意なしにやられてしまうということになりますので、この点どのようにこれが分離されるに当たっての過程を理解をされておられるのか。先ほど高橋先生あるいは上田先生指摘されておりましたけれども、もう一度四人の先生方にお聞きをしたいと思います。
この発言だけを見る →
上寺久雄#20
○上寺参考人 先ほどから話がございますように分離あるいは独立、こういう論につきましては、社会科が編成をされたときから四十年の歴史を持っておるわけでございます。これは教育課程審議会とかいろいろなところで論議もされる、それのもっと地盤にそういうものがある、こういうことも私たちは理解をしてきておるわけでございます。特に直前においても慎重な論議をされて、回数こそ少ないけれども、密度の高い論議をされたことも私自身は体験をしておるわけでございます。同時に、そういうことが起こりました問題につきましては、先ほどもお話が出ましたけれども、社会科が統合的な総合的な学習をし社会科学に裏づけられている、これについては私も先ほど申し上げましたとおり、中学校までは十分それを徹底していただきたいと思います。しかし、教育の継続性あるいは系統性、そういうものから考えて高等学校においてはこれは発展的分立をするのだ、こう考えていただく、こういうことが一つでございます。
 もう一つつけ加えさせていただきますと、社会科という枠の網をかぶせておきますこと自体が中での発展といいますか、地理歴史あるいは公民、こういうものの学問的発展というものに対して一種の神話的なものになっておるわけでございまして、非常にルーズになる、こういうことが一つ言えるのではないか。私たちは児童生徒の発展ということから考えて、学問の厳しさなりあるいは発展、そういうものに即した教育課程の厳しさというものから逃げてはいけない、こう思っておるのでございます。真っ向から取っ組むためには発展的分立を祈念しておる、そのプロセスにおいては十分審議されたと私は思っております。
この発言だけを見る →
上田薫#21
○上田参考人 先ほども申し上げましたが、学問の系統性とかある場合には発達段階ということ、これはかつての文部大臣も強調されましたけれども、そういうことで結論づけられて、こういう改変と申しますか、改訂が行われるわけでございますが、しかし、それが多くの人たちの中で論議され、今御質問ありましたようにそれに関する専門家の意見も慎重に聴取するという過程を経れば私は文句がないと思うのですけれども、それができていない。できないにもかかわらず急がれるということは何であるか。既に社会科が発足いたしました四十何年前から歴史独立ということはございました。あっても当たり前なのでございます、全員が一致することではございませんので。その後、長い経過を現在まで経てまいりましたけれども、歴史は独立しないままでまいりました。
 それは社会科の中で満たされたということがあったということでございますけれども、もう一つここで特に申し上げたいのは、御承知かと思いますけれども、昭和三十三年に学習指導要領の第三回の改訂がございました。社会科については三十年に少しやっておりますが、三十年と三十三年は同じ内容でございます。このときに、内藤誉三郎さんがリーダーシップをとっていらっしゃったのですけれども、ここで日本的なというか、後に戻るというのは私の表現になりますけれども、戦後いわゆる日本の伝統を復活するというかけ声でやられたものでございます。その前後、いろいろな教育問題がございました。これは今は省きますけれども、その中で出てまいりましたこの社会科というのは最初の社会科の考え方とは相当に違っております。
 したがって、その後ちょうど三十年やってまいりましたけれども、私から申しますれば、その社会科は非常に不完全でございました。不完全というのは、子供が主体的に考えるということが非常に小さくなりまして、いわば教えられる、覚えるというところに傾斜してしまったわけであります。ですから、昭和二十年代では教師も子供も社会科が好きでございました。ところが、三十年以降は嫌いになりました。教師の方も、教育二法が出まして以来やりづらくなったということがあるのですけれども、とにかくそういう意味で非常に低調になりまして、低調な三十年を続けてきたわけであります。その低調は何ゆえかと申しますと、今、地歴独立だけではございませんけれども、そういう子供の主体性を余り、育てないと言うと語弊がございますけれども、強調しないという方向に動いていったということでございまして、それが道徳教育の面でもかかわりがございますけれども、現在の日本の教育状況をつくったと私は思います。
 ですから、ここでもう一度、主体的な責任ある行動ができる人間をつくらなければならない、それは社会科を分化する方向であるはずはないと私は考えておりまして、そういう意味で先ほど憲法云々という言葉が出てまいりましたけれども、憲法ということは申しませんけれども、やはり民主的な社会で本当にしっかり生きることができる人間をつくるためには、高等学校においてもただアカデミズムと申しましょうか、そういうものに寄っかかっていくということでは困るのであります。そういうことでは日本がこれから本当に責任を持って世界で役割を果たしていくということはできない、日本の国内においてもいろいろな問題が生じてくるということでございまして、現在の教育荒廃というふうに言われるものと非常にかかわりがある。もし社会科がもっと健在であれば、現在の荒廃は今のような形には決してなっていないというふうに考えております。そういう意味で、社会科はずっと続いてまいりましたけれども、昭和三十年以降のものは本来の社会科からは外れてしまったと私は認識しております。
この発言だけを見る →
高橋史朗#22
○高橋参考人 このたびの地歴独立に至る経過についてどういう認識をしているかというお尋ねでございますが、私は二点申し上げたいと思います。
 その第一点は、教育課程審議会の審議という尺度だけで見ますと、確かに時間不足であったし、拙速の感は否めないという印象を持っております。しかし、お配りした本の二百六ページから資料を掲げておりますように、既に中教審、臨教審の議論を踏まえて今度の教育課程審議会の議論が行われている。あるいは冒頭の私の意見陳述の中でも申し上げましたように、四十年間というプロセスの中でこの問題は総括をする必要があるといいうことが私の申し上げたい点でございます。
 それで、中教審あるいは臨教審においてこの問題がどういうふうに書かれているかというのは、二百六ページから二百十五ページでございましょうかの資料をごらんいただければつぶさに抜粋しておりますが、例えば両論併記の形で臨教審の第二次答申は出ておりますし、第三次答申では、二百八ページの上段でございますが、「このような国際社会の中に生きる者として必要な知識については、比較文化的視点を重視し、地理教育とあわせつつ日本および世界の歴史教育の中に織り込んでいくことが必要である。」あるいは最終答申の中では、中等教育段階における社会科の構成のあり方を検討するということを述べておりますし、こういう経緯を踏まえて議論が行われているということを申し上げておきたいと思うわけであります。
 第二点目は、これは余り注目されていないわけでありますが、今度の場合は、社会科擁護あるいは地歴独立の意見が闘わされたわけでございますが、その議論の質に目を向ける必要があると思うわけでございます。それは私の論文の中、百三十五ページにそのことに言及しておりますが、私は、このたびの地歴独立問題のポイントは十一月四日に行われた高等学校社会科教育懇談会にあったのではないかと考えております。
 そこで、「なぜ社会科を地歴科と公民料に分離してはいけないのか。」という根拠を示してほしいということに対して、十分に分離独立してはならないという根拠が示されなかった。実は、この「懇談会は「相当の抵抗が予想されたため、当初は日程を二日間とった」」ようでありますが、実際には「一日で決着」をいたしました。つまり、この懇談会が、地歴独立を決定づけた最大のクライマックスといいますかポイントのところであったと私は思うのでありますが、数ではなくて議論の質において、なぜ社会科の枠が必要なのかという相当の抵抗がなかったと考えております。そういう意味で、今度の問題は決して力ずくのものではないと私は考えております。
この発言だけを見る →
土屋基規#23
○土屋参考人 社会科が再編された過程につきましては、先ほどの私の意見の第二点目にその概略を示したとおりでありますけれども、やはりかなり唐突な再編という感じが否めないというのが審議の経過を見てのことだと思います。教育課程審議会の議事録は公開されておりませんので、いつ、いかなる事実が重ねられてということを正確に掌握することは難しいわけですけれども、この間報道されたさまざまのことから見ましても、先ほど言いましたように、辞任した委員が、たった二回の審議で決めてしまったのは禍根を残すというふうに述べておりますので、実際に委員会に出ておられた方ですから、この二回の審議会ということは間違いはないのではなかろうかというふうに思います。
 また、先ほども強調いたしましたように、社会科教育学会の会長を務めているような方もこの点について辞任をするという、かつてないような事態が生じたわけでありますから、そういう点から申しますと、やはり大変に慎重を期して、社会科教育学会やあるいは日本教育学会や、そういう関係学会などの意見聴取を十分にするというプロセスが必要だったのではなかろうかというふうに思います。
 私は先ほど、こういう改訂の問題を、全体としては社会科を解体する方向での一つのあらわれだというふうに申しました。先ほど、小学校の低学年で理科と社会科がなくなって新たに生活科というのができるというお話が出たわけでありますが、これも教育課程審議会の答申の中間過程ですと、新しい生活科で社会的認識と自然認識の芽を育てるということがこの教科のねらいとして書かれておりましたけれども、最終答申になりますと、この社会認識や自然認識の芽を育てるということは削られてしまって、生活の基本的習慣と技能を身につけるというふうになってしまいましたので、小学校一、二年の低学年のときには、自分の身の回りの社会を見つめ、そしてその社会の中で自分がどんなふうに生きていったらいいかというようなことを学習する教科がなくなったわけであります。そんな形から見ますと、小学校、中学校、高等学校全体を通じまして、系統的に社会を科学的に認識するという力を育てるということについては今後大変な困難が生ずるのではないかというふうに思う筋がありますので、全体として社会科を解体する方向での、つまり科学的社会認識を育てるという方向での一つの措置というものが高等学校段階での再編ということになったんだろうというふうに考えております。
 あるいは、高等学校の社会科担当教師たちの賛否両論で結構なわけですけれども、学会関係の意見聴取が十分に行われたという形跡を発見できないのを大変残念に思っている次第です。
この発言だけを見る →
中西績介#24
○中西(績)委員 それぞれ諸先生のお考えなり認識につきましては理解できましたが、私はもう一つだけ問題提起をいたしましてお聞きをしたいと思うのですが、それは何と申しましても、先ほども高橋先生ちょっと触れられましたけれども、教課審における論議なりあるいは説得等が十分ではなかったという御認識もあるようでありますけれども、いずれにいたしましても、私が感じますのは、この問題について、例えば十月の下旬であったと思うのですけれども、文部省初中局長の方に申し入れをいたしまして、いろいろ意見陳述をということでありました日本社会科教育学会の皆さんあるいは歴史教育者協議会の皆さん等のそうした要求等に対して全部これを排除しておるわけですね。話をしようと言ってもなかなかそれを受け付けないという状況。そうしたものの中で流れがございまして、今流布されているような、政治が介入した、こうした言い方が流されておるわけでありますけれども、もしこれが本当であったとすると、後世に大変な批判あるいは誤りを残すことになるのではないかと私は思うのです。
 十月二日の日に二回にわたって高石元事務次官と当時の中曽根総理大臣が会った。それで、日本史、世界史、地理の教育を小中高校を通じてしっかりやってほしいという要請をいたしたようであります。それで、御存じのようにこの高石というのは、私、福岡ですけれども、中曽根派で福岡から立候補するということで次官の当時から選挙運動をやっておった人ですから、これは当然聞き入れる人です。したがって、文部省内におけるそうしたまとめの段階における大変重要な役割を果たしたのではないか、こう私は思っています。
 時間がもう四十二分までしかありませんので、お二方、上寺先生と上田先生に、このような政治が介入するということになったとき、私たちは大変な危惧を持っておるわけでありますけれども、この点についてどのようにお考えか、お答えいただきたいと思います。
この発言だけを見る →
上寺久雄#25
○上寺参考人 教育はあくまで中立でなければならない、これが基本的な原則でございます。しかし、果たしてそれがどういうふうに介在をされたかということについては私たちもよくわかりませんけれども、先ほど高橋参考人から話が出ました十一月四日のこの会議には私も登場しておるわけでございます。これは新聞報道、いろいろなことで言われておりますけれども、そこで総決算をやる、こういうことで、それぞれの分野の専門、主任の方々が出ておられたのでございます。そこで社会科教育とそれから道徳の問題も出ましたけれども、地理、歴史、そういうものについていかに分立をするのかあるいは従来どおりでいくのか、こういう両論併記をどういうふうにまとめるか、こういう論が出たのでございます。
 そのときに私も登場しておりまして、社会科を存続することに対するいろんな疑問点なり、こういうものを私自身が述べたのでございます。それに対して、それぞれ専門の方々六、七名おられましたけれども、残念ながら明快な御回答はいただけなかったのでございます。
 先ほど上田参考人がお話しになっておりましたけれども、現在の学校教育を乱しておるのは、あるいはそういう政治的介在があるのか何があるのかは別問題といたしまして、私は教育の不徹底だろうと思っております。世に知育偏重という言葉をよく言われますけれども、知育偏重ではなくて、知育が本当に不徹底である。知育がもし正しく行われるならば、知識を、さらにはそれを支える能力を、さらにはそれを支える意欲、関心、態度、ここまで貫いていかなければならない。それを言っていないのが、現在の知育がやまいだれのついた痴育になっていないか、こういうところに私は非常に疑問を感じております。徳育は損得ばかり教える得の得育になっていないか。体育に至っては怠惰な子供を育てる怠育、怠の字になってはいないか、こういうことが現実に教育の現場にあるわけですから、それを踏まえていかに教育課程を改訂するか、こういうことが起こってきたと私は信じておるのでございます。さらには、四十年の歴史があってさまよい歩きながらやってきたというところから、その集約が十一月四日にあった、こう思っております。
この発言だけを見る →
上田薫#26
○上田参考人 私は、先ほど申しましたように昭和二十一年から教育の問題にタッチしてまいりまして、社会科ばかりでございませんが、文部省ともいろいろかかわり、あるいはほかの進歩的団体ともかかわってまいりました。しかし、私自身の立場は、先ほど申しましたように、昭和三十年以降は文部省とはほとんど対立的な考え、意見を持っておりまして、そういうことに終始してまいりました。しかし一方、具体的に言えば日教組のような立場とも私は同調はいたしませんで、それは、要するに教育はやはり中立でなければいけない。中立というのは日和見ではございませんので、教育を守るためには政治が直接それに介入されてはいけない、そういうことを考え続けてまいりました。
 結論として言えば、戦後の教育の歴史は、はっきり言って不当なる政治支配に屈し続けてきたということだと私は思います。したがって、今必要なのは、そういうことから脱却して、政治も教育も改まっていくということであって、今回のことも、私は今言ったような政治との関係でしか実際理解することはできません。もっとゆったりと堂堂と、この問題を国民に開いて考えることがどうしてできないのか。何か結論が先取されたようなプロセスが非常に見え見えであるのでございますけれども、これはそのこと自体よりは、やはり教育と政治のかかわり方が非常に深刻に心配されることであると言わなければならないと思います。
 そういう意味で、これから教育と政治のかかわりが何とかいい形に変わるということをぜひお願いしたい。今回のこともそれが確保された上であれば、これはいろいろ意見の違いでございますから、従うべきものは従うべきだと私は思うのですけれども、そういう過程でないです。これは教科書の問題、検定の問題をお考えになっても一目瞭然でございます。世界から見るとおかしいようなことがどうして日本の教育の中枢において行われているのか。これはやはり政治的な、あえて言えば、党利党略とまでは申しませんけれども、とにかくそういうものによって教育がもみくしゃにされてきたということではないかと思います。それを何とかやめていただきたい。
 こういうことは法制上難しいし、しかられるかもしれませんけれども、文部省も内閣に直結するのじゃなくて、何か一線を画していかれることはできないのか。それがないから、過去にありましたような文部省対日教組というふうな対立関係がどうしようもないところへいってしまうわけであります。国民がみんなが協力し合って教育を大事にしていく、そういうことをつくるのが文部省あるいは内閣の責任であると私は思うのですね。ところが、そういう方向へ行っていないのじゃないか。むしろそれより逆の方向に行っているのじゃないか。
 今教師は、こういうことを言うとどこかへ飛ばされるとか痛い目に遭うとか、逆にこういうふうにやれば何かちょっとぐあいよく出世できるとかいうふうなことに振り回されております。それは教師が情けないには違いないですけれども、そういう状態に落とし込んでは、これは子供はまともに育たない。教育荒廃からは立ち直ることができませんよ。ですから、一教科というとあれですが、一つの教科をどうするかという問題だけではなくて、教育の問題はもっと多くの人たちがかかわって動かすことができるようにしていただきたい。
 もちろん数が多ければいいということじゃないと私は思います。確かに、勉強をしない、親の立場に立つとそうなんですが、自分の子供本位に考えたりいたしますので、それだけに動かされるということは困る。残念ながら教師も自分の都合に合わせていろいろ希望したり、主張したりする面がございます。しかし、それを何とか乗り越えて本当にいい形をつくるということのためには、やはり教育の中枢にある者がもっと謙虚に多くの意見を生かしていくということが必要なのではないか。何かもう幾ら言っても結局はだめだというところにもし追い込まれているとすれば、これは本当に——今確かに中学生あたりもいろいろ難しいわけですよ。本当に皆さん御想像以上に荒れている学校もあるわけで、これはもう捨てておけないのです。それを何とかするということは、我々総ぐるみになってやらなければいけないのだ。
 それは、例えば今出ましたように、高等学校の社会科を一応解体、同時に生活課程というものを低学年につくる、そのうち小学校の高学年でも歴史を独立させたいとかいろいろな意見があるようでございますけれども、それが一体何を本当に目指しているのか。これからを担ってくれる子供たち自体が、ゆがむというよりは何か本当に生気をなくしている、何かそれてしまっているということをそのままにしておいて、こういう学問系統をもうちょっとこうしたらいいとか、それはそれで議論するのは結構ですけれども、そういうことで事を考えていったのでは、これから十年たちますと、もう幾ら悔いても悔い足りないというふうに私は思います。
 私は、五十年近くやってまいりましてもう大分年もとりましたので、もうこれ以上どこまでやれるかと思っているのでございますけれども、そういうことを考えますと、これからの教育というのは非常に心配をする、明るいどころではないです。今最初に申しましたように、世界は動いている。いろいろな今までのタブーが破れ、新しいものがどんどん認められていくような世界の中で、どうして日本の教育は、政治は今までのようなところで縮こまって本当の意味で開き合って考えることができないのか。このままでは本当にどうかなってしまうということだと思います。これが老人の繰り言でなければ幸いだと思うのでございますけれども、ぜひ皆さんにお考えいただきたい。これは分化がいい、悪いというふうな問題を超えて、私は皆さん方に訴えたい、国民にも訴えたいことでございます。今のままでは非常に恐しいことになっていく。
 今、校内暴力がなくなったように言っていますけれども、そうじゃないです。それがまたほかのいじめとか自殺とかいろいろなことに転化し、登校拒否がふえている。こういう状態というのはある意味では病的なんですから、それを何とかしていくという前提の上にカリキュラムも教科もすべて考えていただきたい。それぐらいせっぱ詰まっているということを私は申し上げて、終わりたいと思います。
この発言だけを見る →
中西績介#27
○中西(績)委員 ありがとうございました。
この発言だけを見る →
鳩山邦夫#28
○鳩山委員長 次に、鍛冶清君。
この発言だけを見る →
鍛冶清#29
○鍛冶委員 鍛冶清でございます。公明党を代表して御質問を申し上げたいと思います。
 きょうは、参考人の皆さんには本当にありがとうございました。私は、時間が限られておりますので、各参考人の諸先生に最初にもう質問をずっと私の方から端的に申し上げますので、お答えの方も時間をにらみながら、配分をしながらひとつ端的にお答えをいただければ、こういうふうに思いますので、よろしくお願いをいたします。
 最初に上寺先生にお尋ねをいたしますが、先生には、教育大学で教えていらっしゃるという立場で、また総まとめをしていらっしゃるという立場でのお尋ねです。
 社会科の免許を取るまでに、各免許を取ることを志しておる学生の皆さんはいろいろな単位を取りながら積み重ねていくわけですが、その単位の取り方というのは各人まちまちかもしれませんけれども、そういう単位を積み重ねて免許を取った人が社会科の教員として高等学校に行って教えるという際に、こういうところが具体的に心配だというようなことがございましたら、ひとつお話しをいただければと思います。
 次に、上田参考人に二つお尋ねをいたします。
 上田先生はお話の中で、伺っておりましたら社会科は現在はベストとも思われないというふうにおっしゃいました。改善すべき点はあるということは否定はしない、こういうお話もございました。先ほど答弁の中でも若干お触れになってはいたようでございますが、その改善すべき点というのはどういう点を具体的にはお考えなのか、またそれを改善するにはどういうふうな形でやればできるとお考えなのか、これはひとつ端的にお願いをいたしたいと思います。
 それからまた、先ほど最初のお話の中で、社会科が今度は分離したということで再編成になっておりますが、これはもとへ戻すというような表現でお話がございました。大変失礼な申し上げ方かもわかりませんが、歴史を見ますと、歴史というのはいろいろな経験を経ながら、もとに戻るというのではなくて前へ前へ進んでよりよい方向に実際には進んでいっているというように私は思っておりまして、これは分かれていくということがもとへ戻る、それがすぐ戦前に戻るというような考え方に使われておることが多いわけですが、私はそうではないのだろうということは思います。
 一つのことを、仮に同じ結論に達しても、最初はこれはだめだと思っても、議論を重ね、いろいろなことを試行錯誤する中で結局もとへ戻ってみたらそれの方がよかったという場合もあるということも、私も体験の上から、これは教育の方面じゃありませんがいろいろございます。そういった点で、もとへ戻すということの表現をなさっておったのですが、そういう表現というのはどうなのかなという疑問を私は持っておりまして、これに対してお答えいただきたいと思います。
 高橋参考人に二点お願いいたします。
 社会科はいい面、悪い面がある、それはいい面は生かしながら悪い面を直しながらというようなことでおっしゃいました。私も同感でございますが、このいい面、悪い面というものについて、ひとつ端的に具体的にお答えをいただきたい。悪い面はどうしたらいいのか、これもひとつお答えをいただければと思っております。
 それから、歴史的に見てのお話を伺って大変参考にさしていただいたわけでございますが、社会科四十年の歴史の中でいろいろ議論がされてきた。そういう中で、教科改訂に伴っての確かに免許改定という流れのような形に今なってはおりますが、その間にいろいろなことはあったとは思いますけれども、今回の改定は私どもは賛成という立場で、よりよい改定になっているなというふうには思っておるのですが、先生のお立場から見て、いろいろ議論がある中で、こういう議論がある中で、もう一遍指導要領を改訂するまで、各先生のお話を聞いていても社会科の中でもかえられるんだというようなお話もあったりする議論もございましたが、タイミングとして今回の指導要領改訂で分離したということは適当な時期であったのかどうか、それについて何かはっきりとしたお考えがあればお伺いしたいと思います。十年先に改定をしてもいいのじゃないかという方もいらっしゃるかもわかりませんので、そういう点の御意見があればお聞きをしたいと思います。
 それから土屋参考人に二点お願いをいたしたいのです。
 先生のお話、最初にお伺いした中で、今回こういうふうな改定になるわけですが、その中で学問的に見ても人的に見てもですか、何かそういうのがそろってないから無理であろうというような趣旨のお話があったと思います。私はやはりよりよいものをするためには、いないからこそ、ないからこそやるべき問題がある、やらなきゃいかぬという場合もあるのではないか、それがいろいろな物事を前進さしていく。今までそろっているものの中で、新しいものがあってもやれないからだめだというふうな形での議論というものはかえって創造性とか進歩的に前進していく、改善していくという考え方をそぐのではないかなというふうに思うのですが、その点、いかがでございましょうか。
 それからもう一つは、実際にはこの前も免許法の議論の中で、文部省とのやりとりの中で言われておったのですが、高校に行きますと、実際的には社会ということでくくられてはおりますが、実際には各分野に具体的に分かれて担当がついておやりになっているというふうなお話も私は伺いました。そういう現実を見ると、四十年の歴史の中でそういうふうな形に高校はあるのが一番ベターであろうという中でやっておるのであろうというふうにも思いますし、そういう面から見れば、今回のような形で一歩前進して専門的にも進化し、また総合的にも考えていくという形をとっていくということは必ずしも悪いのではないのではないか、こういうふうに思いますが、その点、いかがでございましょうか。
 以上、私の質問はまとめて最初に申し上げました。各先生方よりよろしくお願いいたします。
この発言だけを見る →
← 戻る