馬場昇の発言 (環境委員会)
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○馬場委員 再び起こらないためにどうすべきかということについては後で御質問申し上げますけれども、今、新聞等で報道されただけでも、いわゆる水俣病というのは、カナダにも中国にもベネズエラにもタイにもブラジルにもフィリピンにもニカラグアにもイラクにも起こっているわけです。発生しているわけですね。こういう事実を深刻な気持ちで認識してもらわなければ環境行政はできない、私はこういうぐあいに思います。
さらに、少し具体的に申し上げますけれども、水俣病の公式発見というのは昭和三十一年と言われております。だから、もろもろの発言とか書籍に、ことしは公式発見から三十五年経過をしておる、こういうぐあいに出ておるわけですけれども、事実は三十一年発生ではないんですよね。その以前にもありまして、四十年と言ってもいいあるいは五十年と言ってもいいという事実があるわけでございます。これは日本だけではございません。例えば、新日本窒素がつくっておりました、アセトアルデヒド工場に発生した有機水銀の中毒を解明するという論文がもう既に昭和五年にスイスで出ております。昭和十二年にはドイツでアセトアルデヒドの工程、水俣の工程と同じですが、そういうところで有機水銀の中毒が発生したという報告も出ておるわけでございます。これは日本でもよく言うのですけれども、イギリスでハンター・ラッセルとボンフォードという人たちが、日本ではハンター・ラッセル症候群というのですけれども、こういう人たちが昭和十二年、一九三七年に、イギリスの工場労働者に有機水銀中毒が発生した、こういうことを発表しておるわけでご
ざいます。何と、発表されたのでも昭和五年です。水俣でも、三十一年に発症したと言っておりますけれども、昭和二十六年に実は水俣の漁民が、どうも水俣湾の魚がおかしい、魚介類がおかしい、来てこれを調べてくれないかということを熊本県の水産課にお願いした。その年は台風があったものだから、その翌年の昭和二十七年に熊本県の水産課の三好という技師が調査に行っているのです。そしてきちんとした報告書、復命書を出しております。「新日本窒素肥料株式会社水俣工場排水調査」という題で実は復命書を出しておるわけでございます。そして、どう言っておるかというと、現在、漁業の被害と考えられるものは、この百間港に排水される汚水の影響と百間港にある従前から堆積したヘドロと考えられる、こういうことをもう昭和二十七年にはっきり指摘しておるわけでございます。そして結論としては、この排水に対して、必要によって分析して成分を明確にする必要がある、チッソの排水についてですね、こういうことを言っておるわけでございます。これは昭和二十七年ですよ。
それから、昭和三十一年公式発見ですが、その翌年の三十二年に、惨たんたる状況です。魚介類は死ぬわ、藻がなくなってしまうわ、とにかくもう烏も、カラスも水鳥も死ぬわ、豚も死ぬわ、こういう状況もございまして、水俣の漁協がまた熊本県に対して調査を依頼しているのです。内藤という水産課の技師が調査に行って、こんな報告を書いているのです。現在、この水俣湾一帯においては漁獲皆無で、漁民はこの付近で魚介類をとることに恐怖を感じている、奇病発生は今後も予想される。そのころは奇病と言っておった。水俣病と言っておりませんでしたからね。そして水俣湾一帯の死んだ魚とか死んだ貝の殻とか海藻の状況とか、詳細に報告をしておるわけでございます。漁民はそのころ、新日本窒素の排水を、浄化槽をつくれという要求をやっているのです。昭和三十二年ですよ。それをみんな熊本県は握りつぶしたのです。その報告書を公表もしていないのですよ。握りつぶして隠ぺいした。対策は全然立てなかったわけです。
そういう事実をかつての大石環境庁長官は知って、十分に対策をとっておれば水俣病患者は十人の単位で済んだかもしれない、あるいは百人の単位で済んだかもしれない、それが千人になり、万単位に広がろうとしておる、これはもう国の行政、県の行政、行政がそのことを深くおわびしなければならぬ、こういうことを言っているのですが、大臣はこれについてどう思いますか。