環境委員会

1990-06-05 衆議院 全321発言

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会議録情報#0
平成二年六月五日(火曜日)
    午前十時開議
 出席委員
   委員長 戸塚 進也君
   理事 佐藤謙一郎君 理事 戸井田三郎君
   理事 持永 和見君 理事 斉藤 一雄君
   理事 竹内  猛君 理事 斉藤  節君
      青木 正久君    井出 正一君
      田辺 広雄君    福島 譲二君
      松浦  昭君    山本  拓君
     岩垂寿喜男君    宇都宮真由美君
      岡崎トミ子君    時崎 雄司君
      馬場  昇君    遠藤 和良君
      寺前  巖君    塚本 三郎君
      中井  洽君
 出席国務大臣
        国 務 大 臣
        (環境庁長官) 北川 石松君
 出席政府委員
        環境庁長官官房
        長       渡辺  修君
        環境庁企画調整
        局長      安原  正君
        環境庁企画調整
        局環境保健部長 三橋 昭男君
        環境庁水質保全
        局長      安橋 隆雄君
 委員外の出席者
        議     員 福島 譲二君
        国土庁地方振興
        局総務課長   岩崎 忠夫君
        厚生省保健医療
        局疾病対策課長 松澤 秀郎君
        厚生省生活衛生
        局乳肉衛生課長 難波  江君
        水産庁研究部漁
        場保全課長   吉崎  清君
        通商産業省基礎
        産業局基礎化学
        品課長     雨貝 二郎君
        環境委員会調査
        室長      高橋 昭伍君
    ─────────────
委員の異動
六月五日
 辞任         補欠選任
  野呂田芳成君     松浦  昭君
  簗瀬  進君     福島 譲二君
  長谷百合子君     馬場  昇君
  塚本 三郎君     中井  洽君
同日
 辞任         補欠選任
  福島 譲二君     簗瀬  進君
  松浦  昭君     野呂田芳成君
  馬場  昇君     長谷百合子君
  中井  洽君     塚本 三郎君
    ─────────────
本日の会議に付した案件
 水俣病の認定業務の促進に関する臨時措置法の一部を改正する法律案(福島譲二君外四名提出、衆法第八号)
     ────◇─────
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戸塚進也#1
○戸塚委員長 これより会議を開きます。
 福島譲二君外四名提出の水俣病の認定業務の促進に関する臨時措置法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 提出者より趣旨の説明を聴取いたします。福島謙二君。
    ─────────────
 水俣病の認定業務の促進に関する臨時措置法の一部を改正する法律案
    〔本号末尾に掲載〕
    ─────────────
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福島譲二#2
○福島議員 ただいま議題となりました水俣病の認定業務の促進に関する臨時措置法の一部を改正する法律案につきまして、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
 水俣病対策は、環境行政の重要課題の一つであり、水俣病患者の迅速かつ公正確実な救済のためには、まず、その認定業務を促進することが求められております。
 この認定業務は、基本的には、公害健康被害の補償等に関する法律、いわゆる補償法に基づき関係県知事等により行われておりますが、その促進のため、これまで熊本県において検診、審査体制の充実強化等の措置が講じられ、さらに昭和五十三年十月に本臨時措置法が制定され、翌昭和五十四年二月十四日から施行されました。その後、昭和五十九年及び昭和六十二年に認定の申請期限を延長する等の改正が行われ、現在に至っております。
 この法律においては、旧公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法、いわゆる旧救済法により県知事等に対し水俣病に係る認定の申請をしていた者及び補償法により昭和五十四年八月三十一日以前に同じく申請をしていた者で当該申請に関する処分を受けていないものは、平成二年九月三十日までの間に環境庁長官に対して認定の申請をすることができることとされております。
 本法施行を含む国及び県の認定業務促進に係る努力の結果、一時は六千人以上を数えた未処分者数は平成二年三月末現在で約三千三百人にまで減少してきております。しかしながら、なお相当数の未処分者を抱える現状にあることから、長期にわたる申請滞留者を速やかに解消することにより水俣病対策の推進に資するため、この法律案を提出した次第であります。
 以下、法律案の内容を御説明申し上げます。
 第一は、認定の申請期限の三年間の延長であります。
 旧救済法または補償法による水俣病に係る申請者でいまだ申請に関する処分を受けていないものは、平成五年九月三十日まで環境庁長官に対して認定の申請をすることができることといたしております。
 第二は、環境庁長官に対して認定の申請をすることができる者の範囲の拡大であります。
 補償法による水俣病に係る申請をした者で環境庁長官に対して認定の申請をすることができるものの範囲を、昭和五十七年八月三十一日以前に補償法による申請をしていた者でいまだ申請に関する処分を受けていないものまで拡大することといたしております。
 なお、この法律の施行期日は、平成二年十月一日といたしております。
 以上が、この法律案の提案理由及び内容の概要であります。
 何とぞ、慎重御審議の上、速やかに御賛同あらんことをお願い申し上げます。
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戸塚進也#3
○戸塚委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。
    ─────────────
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戸塚進也#4
○戸塚委員長 これより質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。馬場昇君。
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馬場昇#5
○馬場委員 大臣にまず質問をいたしたいと思います。
 水俣病はもう大臣十分御承知と思いますけれども、水俣病は世界最大の水汚染公害でありまして、その被害はまだ全貌が明らかになっていないのですけれども、私は、原爆被害に匹敵する、人類の経験した最も悲惨な被害だと思っております。
 まず大臣の水俣病行政に対するその基本認識について伺うのですが、その前に、大臣の先生でございます元総理大臣三木武夫先生が、田中内閣の副総理兼環境庁長官のときに水俣現地を視察をなさいました。私も同行したわけでございますけれども、この悲惨な状況を見て絶句されまして、言葉も最初ありませんでした。そして最初におっしゃった言葉が、こういうことを起こしたのは政治、行政に携わる者の責任だ、こういうことをおっしゃいました。
 大臣そこまで御存じか知りませんが、生ける人形という胎児性の患者がおられました。もうあらゆるものに出ておりますから名前を言いますけれども、松本久美子ちゃん、これは六歳のときに水俣病が発症しまして、そして、二十の成人を迎えたときに晴れ着を着て、その後亡くなられたわけですけれども、まさに生ける人形の姿でございました。二十というのに、見ますとまだ六、七歳の顔ですよ、姿ですよ、寝たきりですから。それから、生ける人形とともに植物人間という言葉が出ましたけれども、上村智子ちゃんという胎児性患者がおります。これはユージン・スミスさんの、おふろにお母さんが抱いて入っている写真で有名ですけれども、その上村智子ちゃん、ともかく胎児性患者というのは生まれながらにして目も見えない、口もきけない、耳も聞こえない、そしてお父さん、お母さんという言葉さえ言えないし、お父さん、お母さんもわからない、こういう状況です。植物人間という言葉が出たのは、食べ物も食べられないわけですから、ただ物理的に流動食を流し込んで、物理的に下の方に下げる。だから、茶飲み茶わん一杯ぐらいの重湯を食べさせるのに何時間もかかる、こういうような状況であったわけです。そういう松本久美子ちゃんとか上村智子ちゃんとかを三木さんはごらんになりました。
 そしてまた、別に大人でいいますと、私のような大きい漁民が一日のうち五十回も六十回も大けいれんを起こすのです。布団から落ちるようなけいれんを起こして塗炭の苦しみでした。そして、ひどいときには壁をかきむしり、コンクリートの壁をかきむしって、手なんか血だらけですよ。そういうようになる日々をずっと激症の人たちは送っておったわけでございまして、まさに生き地獄といってもいい状態でございました。そういうときに三木さんがとにかく絶句しながら、こういうことをしでかしたのは行政と政治家の責任だということをおっしゃった。石原環境庁長官がまた現地に行かれましたけれども、水俣病というのを完全に解決しなければ二十一世紀の文明というのは語れない、そういうことを石原さんは言われたわけでございます。
 私もこれはもう以前から、私も地元でございますから、見て知っておるわけでございますが、この世界の公害の原点という水俣病を正しく、しかも完全に解決しなければ、そういうエネルギーを今の国民が、今の政治家が、今の行政家が出さなければ、二十一世紀の新しい文化とか文明とかつくることはできない、私はそう思っているのです。こういう事実認識について、大臣はどういう認識を今水俣病について持っておられますか。
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北川石松#6
○北川国務大臣 馬場委員の水俣病に関しての、元環境庁長官である三木先生がその患者を見て慟哭され、また先生からいろいろの患者の姿を今聞きまして、胸のいっぱいになる悲しみを覚えております。特に、水俣病は公害問題としては初めての、日本においての原点といいますか、そういう公害問題であり、環境行政の重要な課題の一つであると認識いたしております。国といたしましても、この問題を解決するために最大限の努力をしていきたい、こういう思いでございます。
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馬場昇#7
○馬場委員 長官に今のお言葉を返すようですけれども、最大限の努力は全然しておりません。そのことをまず今の答弁について申し上げてから次に移りたいと思うのです。
 では、現状どうなっているか、こういうことですけれども、この第一の水俣病というのを解決をしなかったわけです。約十年たった後、新潟に第二の水俣病が起きた。第一の水俣病を完全に解決しておれば新潟の第二の水俣病は起こらなかった、そういう具体的な事実さえあります。そうして、今日本だけじゃありませんよ。世界の公害の原点の水俣病を日本が正しく解決をして、それでその治験を全世界でそういうぐあいにやろうということをやっておれば今日のような状況はなかったのでしょうけれども、もう人間は、有機水銀だけじゃございませんけれども、今全く新しい化学物質を発見して、毒性があるのかないのかわからない、あるいは毒性があるということもわかっておりながら、知っておりながら、文明の進展だという名においてこれを使っている事実が今世界じゅうにいっぱいあるわけでしょう。そして、そのことが地球環境を破壊して、そして人類を破滅させるのじゃないかという方向に現在進んでいるわけでしょう。こういう水俣病の教訓を生かさない今日の地球の現状、日本の現状、これについてどう考えておられますか。
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北川石松#8
○北川国務大臣 委員の重ねての環境問題で、特に水俣病に関しては委員はその地元にあっていろいろな中で患者と接せられ、そして環境をよくし、そういう公害をなくさなければいかないという重要性を強く認識され、今おっしゃっていただきましたように、熊本でその原点のときにこのことのはっきりした処置をとっておけば新潟がなかったのじゃないか、これはまことにそのとおりの御指摘だと思います。ということは、化学的にそういう形が出てきたときに、これはこういう工程、プロセスといいますか、そういう中でこういう患者が出たのだということをはっきりすれば、工場も会社もまた皆さんがそれに認識を深められて第二の新潟がなかっただろうということの御指摘は、私はごもっともだと思っております。
 そういう点をよく認識いたしますと、私は環境問題の解決こそが人類の最も大事な課題であるというような思いをいたしておる次第でございます。我が国で水俣病の発生を防ぎ得なかったことは、これはまことに遺憾でございまして、今後このようなことのないようにやはり努力をし、そして再びこのようなことのないようにすることが大事であろう、こう思っております。
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馬場昇#9
○馬場委員 再び起こらないためにどうすべきかということについては後で御質問申し上げますけれども、今、新聞等で報道されただけでも、いわゆる水俣病というのは、カナダにも中国にもベネズエラにもタイにもブラジルにもフィリピンにもニカラグアにもイラクにも起こっているわけです。発生しているわけですね。こういう事実を深刻な気持ちで認識してもらわなければ環境行政はできない、私はこういうぐあいに思います。
 さらに、少し具体的に申し上げますけれども、水俣病の公式発見というのは昭和三十一年と言われております。だから、もろもろの発言とか書籍に、ことしは公式発見から三十五年経過をしておる、こういうぐあいに出ておるわけですけれども、事実は三十一年発生ではないんですよね。その以前にもありまして、四十年と言ってもいいあるいは五十年と言ってもいいという事実があるわけでございます。これは日本だけではございません。例えば、新日本窒素がつくっておりました、アセトアルデヒド工場に発生した有機水銀の中毒を解明するという論文がもう既に昭和五年にスイスで出ております。昭和十二年にはドイツでアセトアルデヒドの工程、水俣の工程と同じですが、そういうところで有機水銀の中毒が発生したという報告も出ておるわけでございます。これは日本でもよく言うのですけれども、イギリスでハンター・ラッセルとボンフォードという人たちが、日本ではハンター・ラッセル症候群というのですけれども、こういう人たちが昭和十二年、一九三七年に、イギリスの工場労働者に有機水銀中毒が発生した、こういうことを発表しておるわけでご
ざいます。何と、発表されたのでも昭和五年です。水俣でも、三十一年に発症したと言っておりますけれども、昭和二十六年に実は水俣の漁民が、どうも水俣湾の魚がおかしい、魚介類がおかしい、来てこれを調べてくれないかということを熊本県の水産課にお願いした。その年は台風があったものだから、その翌年の昭和二十七年に熊本県の水産課の三好という技師が調査に行っているのです。そしてきちんとした報告書、復命書を出しております。「新日本窒素肥料株式会社水俣工場排水調査」という題で実は復命書を出しておるわけでございます。そして、どう言っておるかというと、現在、漁業の被害と考えられるものは、この百間港に排水される汚水の影響と百間港にある従前から堆積したヘドロと考えられる、こういうことをもう昭和二十七年にはっきり指摘しておるわけでございます。そして結論としては、この排水に対して、必要によって分析して成分を明確にする必要がある、チッソの排水についてですね、こういうことを言っておるわけでございます。これは昭和二十七年ですよ。
 それから、昭和三十一年公式発見ですが、その翌年の三十二年に、惨たんたる状況です。魚介類は死ぬわ、藻がなくなってしまうわ、とにかくもう烏も、カラスも水鳥も死ぬわ、豚も死ぬわ、こういう状況もございまして、水俣の漁協がまた熊本県に対して調査を依頼しているのです。内藤という水産課の技師が調査に行って、こんな報告を書いているのです。現在、この水俣湾一帯においては漁獲皆無で、漁民はこの付近で魚介類をとることに恐怖を感じている、奇病発生は今後も予想される。そのころは奇病と言っておった。水俣病と言っておりませんでしたからね。そして水俣湾一帯の死んだ魚とか死んだ貝の殻とか海藻の状況とか、詳細に報告をしておるわけでございます。漁民はそのころ、新日本窒素の排水を、浄化槽をつくれという要求をやっているのです。昭和三十二年ですよ。それをみんな熊本県は握りつぶしたのです。その報告書を公表もしていないのですよ。握りつぶして隠ぺいした。対策は全然立てなかったわけです。
 そういう事実をかつての大石環境庁長官は知って、十分に対策をとっておれば水俣病患者は十人の単位で済んだかもしれない、あるいは百人の単位で済んだかもしれない、それが千人になり、万単位に広がろうとしておる、これはもう国の行政、県の行政、行政がそのことを深くおわびしなければならぬ、こういうことを言っているのですが、大臣はこれについてどう思いますか。
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北川石松#10
○北川国務大臣 委員がこの水俣、水銀の被害ということについて、昭和十二年にイギリスで、昭和五年にスイスで、そのように引例をされまして、早くこういう原因がわかっておるのに対処しなかったのではないかというところの厳しい御指摘でございました。早く対応しておれば少数の被害で済んだのではないか、全くそのとおりだと思います。
 私は、こういう点を考えまして、政治の権力の上に立って県が握りつぶしたということも今お聞きいたしまして、まことに遺憾であると思っております。このような問題については私は、政治というものは生きとし生けるすべてのもののために行われなければならぬ、この観点に立って取り組んでまいりたい、こういう思いをいたしております。
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馬場昇#11
○馬場委員 後で具体的な問題について質問しますから、今のような観点でぜひ答弁をお願いしておきたいと思うのです。
 それで、今県のことを言いましたけれども、国はどうだったか。チッソはどうだったか。全く同罪、それ以上でございました。さっき言いましたように、県は三好報告書も握りつぶした、内藤報告書も握りつぶしたのでありますけれども、熊本大学が、昭和三十四年ですよ、発症してから三年目の三十四年に、熊本大学の研究班が水俣病の原因物質は有機水銀であると公表したわけです。国の機関の熊本大学の研究班が公表いたしました。ところがそのとき、国もチッソも、原因は農薬だとかあるいは戦争中水俣湾に投下された爆弾だ、爆弾説と言われておるのですけれども、農薬説とか爆弾説とかいって、排水の中の有機水銀、重金属とは認めなかったわけでございます。そして、政府が水俣病の原因が有機水銀であると認めたのは、公式発見から九年たった後です。九年間、その間何やかやと言って押しつぶす。東京から工業大学の先生が行って水俣湾を調査させて、排水ではないという論文を発表させたり、そんなことばかりしておったわけです。九年間、そういうことをやっておりました。そして、原因がやはり有機水銀だと認めたのが九年後ですよ。それから、政府が公害病と認めたのは何と昭和四十三年ですから、公式発見から十二年後ですよ。これが政府の態度です。
 それで、その間チッソはどうしたか。それを政府は、いわゆる石油化学の転換の時期でもあったものですから、アセトアルデヒドを生産する過程においてこれは排出されるわけですけれども、アセトアルデヒドの大増産をチッソにさせているのですよ。アセトアルデヒドを、公式に水俣病が発見された昭和三十一年には一万五千九百十九トン生産しておったのです。ところが、公式に発表された後どんどんどんどん生産をふやして、昭和三十五年とか三十六年には何と四万五千二百四十四トン、アセトアルデヒドの生産を物すごくふやしているわけです。これをふやすというか、どんどんどんどんその間水銀を流し続けたということになるわけでございます。まさに、公式発見後アセトアルデヒドの生産を水俣で中止したのは、昭和四十三年、十二年後ですよ。十二年間原因を隠ぺいしておきながら水銀を流し続けて、あのような世界の公害の原点、水俣病を拡大したわけです。これは国の態度ですよ。チッソとぐるになっておった態度です。これについてはどうですか。
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三橋昭男#12
○三橋政府委員 私から、私どもの知っております事実関係を御答弁申し上げます。
 水俣病の原因解明を踏まえまして、政府が水俣病に関する政府統一見解を発表いたしましたのは四十三年でございます。そのため、生産工程廃止までの間に法的な規制措置がとられなかったのは事実でございます。しかしながら、水俣湾内の漁業に対する自主規制の要請でございますとか排水のクローズド化に対する指導など、当時から可能な範囲内で、取り得るさまざまの措置が関係の行政機関によって行われていたこともまた事実でございます。
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馬場昇#13
○馬場委員 答弁をすると恥の上塗りのようになるばかりですよ、自主規制と言って。ちゃんと漁民はもう漁獲を禁止しなさいと、今の水産業の問題とか熊本の漁業規制の問題とか食品衛生法の問題とか、そして漁業はもう禁止ができるじゃないか、何回でもそれを陳情しているけれども、それをやらない。そうして自主規制、自主規制とやってきたということがあるので、今言われたのは、自主規制をやれと言ったのは事実ですけれども、漁民とか住民は、漁獲禁止をやれ、毒を食べないようにしろ、こういう要求をしておったわけですからね。
 そこで、これは今あなた方はそう言うけれども、大体自民党の出身の大臣の方々が、私が今言っているようなことをみんなおっしゃっているわけです。例えば、この水俣病を公害病と認定されたのは、まだ環境庁はございませんでしたから厚生省ですから、熊本出身の園田直厚生大臣ですよ。私は「水俣病三十年・国会からの証言」という本を書いております。これに園田さんが詳しく寄稿していただいておる園田さんの記述があります。その中で園田さんは、たくさん書いておられますけれども、こういうことを言っておられる。「厚生大臣になってわかったのは、水俣病が新日本窒素から排出された有機水銀であるとの結果が出ているにもかかわらず極秘にされていたことである。私の公害病認定は明治以来続いた工業優先の思想を根底から覆す決断だっただけに、さまざまな場面で体を張らざるを得なかった。人間の心が濁れば空気や水はあっという間に汚れてしまう。他人を犠牲にしてまで己れの利潤を追求する
心が環境を汚し、人の命を平気で犠牲にする。」こういうことを園田さんは書いておられます。そして、これを書かれて私の本に載せていただいてからしばらくして亡くなられたわけでございまして、まさに遺言ともいうべき証言ですよ。そして、二十一世紀に対する警鐘ですよ。
 こういうことを園田大臣は書いておられますけれども、この園田大臣の発言というのを今の北川大臣はどう受け取られ、どう継承されますか。
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北川石松#14
○北川国務大臣 委員のただいまの、園田元厚生大臣がこの水俣病に関して有機水銀が原因であるということでいろいろの反対を押し切って断を下されたことに対しましては、衷心より敬意を表します。また私は、利益を追求する余りに、人間と語り得ない生きとし生けるものがその公害によってみずからの命を絶っていくということは許されないことであろう、その点に対しましては、先人のこの決断に対しまして、深く敬意と感謝を表する次第でございます。
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馬場昇#15
○馬場委員 石原慎太郎環境庁長官は、カルチュラルラグ、これは難しい言葉ですが、あの人はこれを文化遅滞、こう呼んでおられまして文化遅滞の象徴、水俣病についてそういうタイトルで私のこの本に一文を寄せていただいております。どう書いておられるかといいますと、水俣病の原因の正確な分析と把握をおくらせたものは、まだいろいろありますけれども、この出来事を可能な限り隠ぺいという基本姿勢を決定した通産省に象徴される全国家的な目的意識の責任にある、こう言っておられる。大臣ですよ。そして、それを何よりも証するものは、まだ行方不明の、研究の途中でどこかに握りつぶされ葬られた水俣病原因に関する細川報告書である。これが厚生省に出ている、これを握りつぶして葬り去って、石原さんがどんなに捜そうとしてもないのだ、そういうことを本人は言っておられました。
 この細川報告書というのは、細川さんというのは、新日本窒素の水俣工場附属病院の院長さんでした細川一博士でございます。この人が昭和三十一年に、原因不明の中枢神経の患者が水俣で多発しておるということを当時の水俣の保健所に昭和三十一年五月一日に報告された。今このことを水俣病の公式発見の日としておるわけでございますけれども、細川博士はそれで仲間と一緒に研究論文をまとめて細川一報告書というものをつくっておられるわけです。それを熊本県を通じて厚生省に報告してあるわけです。これが水俣病に関する最初の報告だと言われておるのですけれども、これを行方不明にさせておる。そしてまた、その後は猫実験で、これは水俣の猫ではなくて関係のない人吉、球磨、あの山の方から猫を持ってくる、天草の向こうから猫を持ってくる、そして水俣湾でとれた魚をそれに食わせると直ちに水俣病に発症した、それに排水を飲ませると直ちに水俣病に発症した、そういう実験も報告してあるわけです。そういうことで、石原さんもそう言っているのです。こういうことが今日の悲惨な状況を引き起こしたということは明らかであるわけでございます。先ほど大臣言われましたけれども、やはりこの園田さんのように言わなくてもいいような、石原さんのように憤慨しなくてもいいような環境行政、水俣病行政を北川長官はぜひやっていただきたい、こういうことを申し上げておきたいと思います。
 私はなぜ今、少し時間をとり過ぎたかといいますと、私は原爆の被害に匹敵すると言いましたけれども、人類が、特に日本人が、ノーモア広島、ノーモア長崎とともに私はノーモア水俣ということを言わなければならぬ。それでないと人類の未来とか地球の未来は危ない。私はよく言うのですけれども、人間とか企業とか、こういう欲、その欲とくるんだ行政、政治、そういうもので地球が病気になって、がんになって、がんの腫瘍が吹き出したのが水俣病だ、だからがん細胞というのは完全に取ってしまわなければ地球にがんが転移してしまうわけですから、これをきちんと完全に解決することがさっき言いました地球を守り環境を守り二十一世紀を守ることだ、そういう気持ちでおるわけです。
    〔委員長退席、持永委員長代理着席〕
 ところが、最近幾つか、たくさんありますけれどもここで二つ言います。大臣、今これに反する、石原さんとか園田さんが反省したのと全然違うような動きがこの水俣病をめぐって起きております。それを心配するからこそ、少し長くなりましたけれども経過を言ったのですけれども、それは結論から言いますと、この水俣病をもうこの辺で幕引きをしようかというような動きが行政、政治の中にあるということを、私は四十年近くこの問題に携わってきて実質そう感じ、肌でも感ずるわけでございます。それは、もうあそこのヘドロ処理がこの三月に終わったのですよ、だからヘドロ処理が終わりました、海はきれいになりました、魚もとっていいですよ、それから、さっき福島先生言われましたが、物すごい認定申請の滞留者があったのですけれども、我々の方で言いますとどんどん切り捨てられておって、大体この一、二年で認定審査を終わるのではないか。終わりますということを細川知事も言っているのです。ヘドロ処理は終わった、そして認定審査も大方終わった、そしてそれを見計らって一九九二年に水俣で国際的なイベントをやろう、祭をやろうという計画があるわけです。そこで、そのときに水俣病の終結宣言、幕引きを政府がするんじゃないか、そういう危険性を私は今感じております。
 これは、私が感じるのは杞憂とおっしゃるかもしれませんが、絶対杞憂じゃないんだ。四十年もすれば、その節目節目でこういうことがあったのを私は皆経験しています。例えば昭和三十四年、水俣病が公式に発見されたのは三十一年ですから、それから三年後の三十四年に、当時寺本さんという人が熊本県知事でございました。これは今水俣病にタッチしている者はだれでも知っている悪名高い見舞い金協定というのを、この人のあっせんで患者とチッソが結びました。これは死んだ者の命の値段は三十万。そしてそのころはまだ原因を隠しておった。さっき言ったように知っている者は原因を知っていた、行政におる者は。ところがそれは表には隠してあった。そういう中で、「たとえチッソの排水に原因があったとわかったときにもこれ以上の要求はいたしません。」そういう一項がその見舞い金契約の中に入れてあるのですよ。そして、そのときどうだったか。ちょうど年の暮れで、みんながもち代もない、年が越せないと言っておる時期ですよ、その時期が。それと時を同じくして漁民、漁協と漁業補償の協定をやったのです。そして見舞い金協定を患者とやった。そういう中で政府は、私ども社会党の議員の質問書に対して、閣議で決めて水俣病は三十五年で終わったという宣言をしているのです。ところが、今このときとよく似ている。再び過ちを犯すのでないか、そういう感じがしているから経過をお話ししたわけでございます。
 そこで、絶対に北川長官はそういう幕引きはいたしませんとここではっきり答えてください。
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三橋昭男#16
○三橋政府委員 事務的に答えさせていただきます。
 私ども、今水俣問題の解決のために一生懸命認定促進の業務を行っているところでありまして、いつ幕引きができるとかできないとかいうことではなしに、今現在の認定促進を一生懸命やっている段階でございまして、いつどうのこうのという気持ちは私どもの事務方にはございません。
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北川石松#17
○北川国務大臣 国といたしまして、このような重要な問題に対して責任を逃れていくような措置はとってはならない、このように思っております。
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馬場昇#18
○馬場委員 大臣、責任を逃れるということもまあ答弁になるのですけれども、具体的に、昭和三十五年には水俣病が終結したと政府は宣言したわけですから、そういうようなことは今の状態の中であり得べきことでもないし、やってもいけないことだから、あなたはそういうことをやる気はないですか、やってはいけませんよ、あなたの決意はどうですかということを聞いているのです。
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北川石松#19
○北川国務大臣 委員の重ねての御指摘でござい
ますが、決して私はそのようなことはいたしません。
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馬場昇#20
○馬場委員 具体的な問題に入ります前に、私が心配しておることが幾つかあると言いました。まだありますが、いま一つは、この後から質問するのですけれども、IPCSのメチル水銀の環境基準の問題について聞いておきたいと思うのです。
 このIPCS、これは私が見る限りメチル水銀の環境基準を、毛髪水銀で従来五〇ppmであったものをより厳しくしようというIPCSの報告書も来ているわけでございます。こういうことに対して、世界の例が書いてあるわけです。これを読んでみて、私の経験から言うと、先ほど質問しました昭和二十七年の三好さんの復命書、それと同じような位置にあるなと思いましたよ。昭和三十二年、このときの内藤水産課技師の復命書、そして事実を書いているわけですから、ああ、これと同じだな。今度のIPCSの報告書にはイラクの例なんかいっぱい書いてある。それが、ちょうどイラクの例なんかが三好報告書、内藤報告書と全く同じような位置づけになるなというぐあいに私は感じて、これに対する取り組み、このIPCSの厳しくしようというのに対してあなた方はどう取り組むか。かつて三好報告書、内藤報告書を握りつぶしたように、このIPCSの報告書を今の環境庁は握りつぶしてしまうのではないか、そういう心配を私はしている。
 そういうことで、これは原則的にIPCSの報告書を握りつぶすようなことはしない、これにはきちんと検討して対策、対応を立てる、そういう格好で大臣おられますか。
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北川石松#21
○北川国務大臣 馬場委員のIPCSの報告書、今イラクだとかいろいろな国の例をとっておっしゃっていただきまして、それは大変大切なことだと思っておりますし、私は、科学技術者が報告するということはその政治生命というよりはその道に対しての御本人のなにをかけていらっしゃる、それはすばらしいものであり、自分の信念を持って、また自分の経験と報告に基づいて出していらっしゃる。それが今まで行政の中でおろそかにされたということは遺憾であります。環境庁といたしましては、そういうこれからの科学技術者その他の真摯な報告に対しては、やはりこのことをよく踏まえて、その報告がおろそかにならないようにしていかなくては環境は守れない、こんな気持ちを持っております。
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馬場昇#22
○馬場委員 実は、細川博士の報告書さえどこへ行ったかわからぬというような状況の心配もあるわけです。あなたを環境庁長官に任命されました海部さんも、当時文部大臣だったものですから、私のこの本に巻頭言を載せてくれているのですよ。私に対して、人間愛、人間尊重の精神に基づき水俣病問題を取り上げてやっているということで、その中にいろいろ書いてくれておるわけですが、人間が人間らしく生きるその前提というのはあくまでも環境なんだということをあなたを任命された海部さんも書いてくれております。ぜひそういう意思を守っていただきたいと思うのです。
 そこで、IPCS、国際化学物質安全性計画についてお尋ねをいたします。これは、一九八〇年に、UNEP、国連環境計画とWHO、世界保健機構、ILO、国際労働機関、この三者で構成されて、活動をずっと続けておることはもう御存じのとおりでございます。
 WHOがメチル水銀の環境保健クライテリア、評価基準を一九七六年、昭和五十一年に専門家会議を開いて毛髪水銀量は五〇ppmと定めて、評価基準を各国に通知をして、各国ともこの基準値に従って環境保健基準を今定めているわけですね。そして一九八〇年に、メチル水銀に係る、今大臣が言われました各国専門家の研究報告というのがどんどん出ておりまして、知見も明らかになってきておるわけでございます。例えばさっき言いましたイラクの問題などもあるわけでございますけれども、五〇ppm以下でも人体に深刻な影響が出始めておるというのがそういう研究論文にどんどん出てきておるわけでございますので、そういうデータをもとにして環境保健基準を再検討しようということをこのIPCSが決めておるわけですね。そうして一九八八年に、メチル水銀の環境保健基準をより厳しくするという方向で第一次改定草案を各国に送ってきて、日本国政府にも来たわけでございます。
 これはこの前予算委員会の分科会でも長官に質問しましたので、長官からお答えいただいておるわけですけれども、この報告、第一次草案が環境庁に来たわけです。そのときこれを、困ったものだ、つぶさなければいかぬというぐらいな動きが環境庁にありました。私はよく知っている、後でその文章を読みますけれども。そういう動きがあったものだから、私はけしからぬじゃないかと思いまして、社会党を代表して今の衆議院副議長の村山さんと、当時の環境庁長官の青木さんのところへ行って、抗議かたがた話し合いをいたしました。そのときに青木さんは、今はIPCSの第一次草案だから、結論が出たら、基準が一〇ppmであろうと二〇ppmであろうと、それに従う、それが環境庁の使命である、こういうことをはっきり言われました。この前、北川長官にも聞いたわけでございますが、北川長官はこのIPCSの最終報告が来たときに、環境庁の役目は生きとし生ける者の環境をよくすることであり、新しいことが出てくれば対応しなければならない、こういうことを記者発表されているわけですから、この青木さんの発言、北川さんの発言、こういうことに現在もいささかも変わりなく、いや真剣に、さらに熱心に、このIPCSの報告書には忠実に従ってやっていくという行政姿勢をお持ちですか。
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北川石松#23
○北川国務大臣 委員の御質問のIPCSの報告が参りましたときのことについては、先日の予算委員会分科会でも御答弁を申し上げましたように、青木元長官のお考えもあり、またみずからこのような重要な基準というものは御答弁申し上げた、同じ姿勢を持って今後もまいることを御報告いたします。
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馬場昇#24
○馬場委員 言わずもがなのことですけれども、環境庁設置法の第三条に環境庁の任務というのがきちんと書いてあるわけですからね、今言われたように。環境庁は、公害の防止、自然環境の保護を図り、国民の健康で文化的な生活の確保に寄与するための環境保全に関する行政を総合的に推進する。このIPCSの提案、報告をまじめに実行しますよ、それが環境庁の任務ですよときちんとここに書いてある、今答弁されたとおりでございます。公害基本法の国の責務というところにも、国は国民の健康を保護し、生活環境を保全する使命を有する、公害防止に関する施策を忠実に実施する責務を有すると書いてあるから、当然のことでございます。
 これから少し事務方にも聞くのですけれども、この第一次素案が来たときに、環境庁内にメチル水銀の環境保健クライテリアに係る調査研究という研究班を設置されております。この研究班といいますか、専門家会議といいますか、これは何の目的で設置をして、どういうメンバーがメンバーになって、予算はどのくらいこれにつぎ込んだのか、まず答えてください。
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三橋昭男#25
○三橋政府委員 お答えをいたします。
 IPCSが環境保健クライテリアの素案を関係いたします研究者あるいは各国政府に送ってまいりましたのは、約二年前でございました。そのときに私どもといたしましては、このIPCSにおける検討というものには大変強い関心を持っていたわけでございます。また、このIPCSの作成いたします環境保健クライテリアと申しますのは、いわば世界じゅうの科学的知見を集約しようというものでございまして、政府も求められれば知見の提供でございますとか、いろいろな研究の評価等について協力することが期待されているものでございます。そのようなことから、その当時、国内の専門家の協力を得ましてメチル水銀に関する既存の科学的知見の収集、整理を行いまして、今後の行政に資するということが一つ、また、必要に応じましてIPCSに知見の提供等の協力をするということを目的にいたしまして、先
生御指摘の調査研究班をスタートさせ、研究委託をしたものでございます。
 また、メンバーでございますが、メンバーの名前について申し述べさせていただくことはお許しをいただきたいと存じます。
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馬場昇#26
○馬場委員 メンバーの名前を言うことを、何と言ったんですか、御勘弁くださいと言ったんですか。何事ですか、それは。研究班のメンバーを発表するのを控えさせてくれ。発表してあるじゃないですか。みんな我々特っておりますよ。これを何で発表しないのですか。額は、どれぐらい金を使ったか言わなかったけれども、何でメンバーを公表しないか、理由を言いなさい。
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三橋昭男#27
○三橋政府委員 失礼いたしました。研究費の方は約六百万でございます。
 それから、メンバーを発表することを差し控えさせていただきたいと申しましたのは、この研究をやっていただくときに、このIPCSの素案段階での議論というものは専門家が科学的、技術的に御議論をいただくという趣旨から、自由な研究、自由なおまとめをしていただくという意味で、メンバーの公表はしないということを先生方に申し上げた上で研究をスタートしたといういきさつからでございます。
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馬場昇#28
○馬場委員 私は文教をやっておりますけれども、学問とか研究というのは、公開で自由にするのは当たり前の話でしょう。水俣病の研究とかクライテリアの研究をするのに名前を発表しない。後であなた方の発表しないのを全部言って、なぜ発表しないのかと聞きますけれども、もう想像できる。大臣、環境庁というのは、どこの省庁もそうかもしれませんが、省庁の中で一番国民に開かれておらなければ国民の生命や健康は守れませんよ。研究する学者の名前も発表しない。
 私は発表しない理由は知っているんです。なぜかというと、これは認定審査会の、切り捨てる審査会の患者さんたちから一番信頼されておらぬ学者でしょう。それからもう一つは、裁判のときにみんな国のことが正しいといって国の側の証人に立った学者でしょう。そういうやつばかりでつくってあるから発表しないのでしょう。
 それとともに、ここにこういう文書があります。大臣はこれは見たことないかもしれぬし、聞いたことはないかもしらぬが、よく聞いておいてください。
 これは、今六百万と言いましたけれども、五百四十二万四千円要求して、そして五百三十四万円大蔵省から認められておるわけでございます。これは、一九八八年度の後期分の環境庁保全総合調査研究促進調整費という中から出ておるわけです。額は五百三十四万円ですよ。そして、この五百三十四万円を大蔵省から予算を取るというときに、メチル水銀の環境保健クライテリアの調査研究の必要性という、大蔵省予算要求段階あるいはこの研究班を構成する段階等でそういう環境庁の見解というのを書いた文書がここにあります。
 これによりますと、一九七六年にWHOによってメチル水銀の環境保健クライテリアが決められ、我が国を初め各国の環境基準策定の基礎となった。そして、この十二年間、特に改定の動きは認められなかったが、――先にまだたくさんありますけれども、上述のように本年、一九八八年五月ごろからIPCSによる環境保健基準改定の動きがにわかに表面化してきた。またいろいろ書いて、――新クライテリア素案、第一次素案、送ってきた素案の最大の特徴は、これまで基準が毛髪水銀値五〇ppmを基礎に組み立てられていたのに対して、――またこういう言葉を使って書いてある。あいまいな幾つかの報告に依拠して、なんて書いてある。要らぬことも書いてある。そして、一〇ないし二〇ppm程度の毛髪水銀値を有する妊婦の子供に精神運動発達遅滞が生ずる可能性があるとして、より厳しい環境保健基準を志向する方向にこの第一次改定草案がなっている。
 そういうことになって、最後にこういうことを書いていますよ。このままでは我が国のメチル水銀の環境基準や水俣湾ヘドロ除去基準の見直し、さらに子供の精神運動遅滞を盾に新たな補償問題の発生、現行訴訟への影響など行政への甚大な影響が懸念される、そして、この動きに対して我が国の水俣病、水銀専門家を結集してその内容をより妥当な方向に導いていく体制を整えるのは焦眉の急である、こう書いてある。そして、IPCSの日程を勘案すればその対応はまさに遅滞を許されないことは極めて明瞭である、こう書いて、結局、IPCSがより厳しい基準にしようということが起これば、日本の水俣病の判断条件やヘドロ処理基準や魚介類の安全基準や、それから遅発性水俣病――メチル水銀を全然流さなくなってアセトアルデヒドの生産を中止したのが昭和四十三年で、四十三年以降は水俣病は発生しておらぬという見解をとっているのですけれども、それ以降にもどんどん水俣病が発生している。遅発性水俣病、こういうものも出てくる。そういうものに対する補償もしなければならぬ、現行裁判に対して五〇ppmで論拠を張っているのに、一〇ないし二〇ppmになったらその裁判に与える影響も甚大である、そういうことをさせないために日本の学者を集めてそれに対抗しなければならぬ、こういうために必要な研究班だ、こういうことを書いて回して、そしてこの研究班をつくっておるじゃないですか。こういう事実があるわけです。だからこそ今名前も言わない。
 これは委員長、すべて情報の公開は言うまでもなく、環境庁が物を研究したとき、例えばだれがどう言うた、かれがこう言うたと一言一句残さず出せという点については、学問、研究は自由ですから公開しなければならぬわけですけれども、出さなければいけませんけれども、まとめとかこういう方向になったとか、少なくともこういうことはやはり言わなければいかぬと思う。それについて、今こういう文書について大臣はどう思いますか。
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三橋昭男#29
○三橋政府委員 ただいま先生が御指摘になっている、また紹介されました文書につきましては、私存じておりません。私は、当時の研究が、WHOが決めましたクライテリアを改定するために必要な知見の提供を行うことということを目的にして、当時調整費の要求を行ったと聞いております。
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