馬場昇の発言 (環境委員会)
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○馬場委員 後で具体的な問題について質問しますから、今のような観点でぜひ答弁をお願いしておきたいと思うのです。
それで、今県のことを言いましたけれども、国はどうだったか。チッソはどうだったか。全く同罪、それ以上でございました。さっき言いましたように、県は三好報告書も握りつぶした、内藤報告書も握りつぶしたのでありますけれども、熊本大学が、昭和三十四年ですよ、発症してから三年目の三十四年に、熊本大学の研究班が水俣病の原因物質は有機水銀であると公表したわけです。国の機関の熊本大学の研究班が公表いたしました。ところがそのとき、国もチッソも、原因は農薬だとかあるいは戦争中水俣湾に投下された爆弾だ、爆弾説と言われておるのですけれども、農薬説とか爆弾説とかいって、排水の中の有機水銀、重金属とは認めなかったわけでございます。そして、政府が水俣病の原因が有機水銀であると認めたのは、公式発見から九年たった後です。九年間、その間何やかやと言って押しつぶす。東京から工業大学の先生が行って水俣湾を調査させて、排水ではないという論文を発表させたり、そんなことばかりしておったわけです。九年間、そういうことをやっておりました。そして、原因がやはり有機水銀だと認めたのが九年後ですよ。それから、政府が公害病と認めたのは何と昭和四十三年ですから、公式発見から十二年後ですよ。これが政府の態度です。
それで、その間チッソはどうしたか。それを政府は、いわゆる石油化学の転換の時期でもあったものですから、アセトアルデヒドを生産する過程においてこれは排出されるわけですけれども、アセトアルデヒドの大増産をチッソにさせているのですよ。アセトアルデヒドを、公式に水俣病が発見された昭和三十一年には一万五千九百十九トン生産しておったのです。ところが、公式に発表された後どんどんどんどん生産をふやして、昭和三十五年とか三十六年には何と四万五千二百四十四トン、アセトアルデヒドの生産を物すごくふやしているわけです。これをふやすというか、どんどんどんどんその間水銀を流し続けたということになるわけでございます。まさに、公式発見後アセトアルデヒドの生産を水俣で中止したのは、昭和四十三年、十二年後ですよ。十二年間原因を隠ぺいしておきながら水銀を流し続けて、あのような世界の公害の原点、水俣病を拡大したわけです。これは国の態度ですよ。チッソとぐるになっておった態度です。これについてはどうですか。