吉田正雄の発言 (文教委員会)

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○吉田(正)委員 すべての組織というものが人によって運営をされるわけですから、そういう点で特に教育の場合、教師というものが大きな役割を果たすという点ではどなたも御異論がないのじゃないかというふうに私は思います。
 先般たまたまテレビを見ておりましたらキュリー夫人の伝記が出てまいりまして、これも随分前に私は見たのですが、また感激を新たにして最後までずっと見たわけでありますけれども、あそこには本当に真理を追求していく研究者、学者、そして教師と生徒という関係がよく描かれておったわけでありまして、こうでなければいけないという感じを強く持ったわけです。
 日本でも湯川秀樹博士あるいは朝永振一郎博士等非常にすぐれた学者であり研究者であり、そしてまた教育者としても本当にすばらしい方がおいでになったわけでありますし、この両先生の門下生と言われる人たちがその後の日本の物理学を背負って立つすばらしい学者あるいは教育者として育っていったということはどなたもお認めになると思うのです。
 そこで私は、時間がありませんから、ひとつ具体的に現在の大学の実態等に触れながらお尋ねをしてまいりたいというふうに思っております。
 実は、四月の朝日新聞で筑波大学の教授人事をめぐってのごたごたが報道をされておったわけであります。筑波大学についての評価はいろいろあろうかと思うのですけれども、私も幾つかの大学の先生方にお会いして現在の高等教育の現状あるいは問題点等について話をいろいろお聞きもしました。また、筑波大学についても当該大学の先生あるいはほかの大学の先生の筑波大学観等もお聞きをいたしたわけです。
 筑波大学は新構想大学として国際A級をねらったというふうなことで、当初はすばらしい構想を持って出発したわけなのですけれども、しかし現状を見ると、これはすばらしいと評価をされる方もあると思いますが、また、筑波大学というのは失敗したのじゃないのか、特に他の大学の皆さんが外から見ておって、どうもあれは成功とは言いがたいのではないかというふうな評価をされている先生方が私の聞く限りでは何か多いような感じがいたすわけです。
 一体、何でそういうふうな批判なりが出てきたのかということなのですけれども、私が聞いている限りでは、筑波大学はいわゆる管理統制というものが強まったのじゃないか。大学の自治であるとかあるいは学問の自由、研究の自由、そういうものがだんだん薄れてきてしまっているのではないか。活気がなくなった。巧妙に管理され封じ込められたために、学生も若者らしい活気が失われつつある。陰気な大学になりつつあるのではないか。また、学問的にすぐれた教官あるいは良心的な教官が現在の大学の現状に嫌気が差して転出をしていくことが最近非常にふえておるということも聞いておるわけです。
 講座制を廃止された筑波大学、講座制がいいのか、あるいは学系とか学類、学群というふうな学制の方向に持っていくのがいいのか、いろいろ一長一短があると思うのですけれども、そういう点で、筑波大学の場合には講座制を廃止した大学であるわけです。
 その際、私が気をつけなければいけないと思いますのは、学類とか学系の規模が適正規模でない、余りにも小さい規模になると、俗に言うボス教授によってそれが支配されていくという危険性を持っているのではないか。今筑波大学はそれに直面をしておるのではないかというふうな感じがするのですけれども、この筑波大学の現状をどのようにとらえておいでになるのか。
 例えば一つの学系の教授の規模がどの程度であるのか、あるいは生徒数がどの程度であるのか、その辺、ちょっとお聞かせ願いたいと思うのです。

発言情報

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発言者: 吉田正雄

speaker_id: 30796

日付: 1990-05-30

院: 衆議院

会議名: 文教委員会