対馬孝且の発言 (社会労働委員会)
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○対馬孝且君 しかし、考え方はわかりましたけれども、例えば第一次の収集のめどを大体いつごろにしているのかとか、そういう具体的なスケジュールが私必要だと思いますよ。
私も一九八六年にサハリン州に行っています。昔の敷香というところですが、本斗、あの付近にずっと行ってまいりました。確かにそういうことを現地に行ったときも報告されておりました。だからもう年数がたっているだけに、去年我が北海道は調査団を出しておりますので、その問題は後で触れますけれども、早くやらないと墓地がもうなくなってしまっているという大変な現状を深刻に受けとめていただいて対応してもらいたいと思います。
次に、サハリン州の遺骨、遺品の収集等の調査計画についてお伺いしたいと思います。
私は微力でありますけれども、社会党の北海道の委員長をやっておるのでありますが、昨年八月の十四日から二十三日までサハリン州の旧日本兵の遺骨収集調査団を出しました。これはソビエトのコムソモールサハリン州委員会の皆さんと我が北海道から十三名出しまして、かつて気屯というところと古屯という大激戦地になったところでありますが、幸いこのときの激戦に参加した生き残りの元歩兵一二五連隊陸軍少尉村上健介さんの御協力をいただきまして調査を成功させていただきました。
これは遺族の方々から一日も早くサハリン州の遺骨収集をしてもらいたい、遺品の収集をしてもらいたい、こういう要望が非常に高まりましたので、実は調査団を派遣いたしました。これは援護局長に出していますけれども、かつての村上少尉の報告書を私は本当に涙ながらに読ませていただきました。
あの大激戦の場に行ったときに想像に絶するものがあったというのはどういうことかといいますと、全部ツンドラ地帯でありまして、そしてタコつぼ作戦、私も軍隊へ一年八カ月行きまして、歩兵ですからよくわかるのでありますが、タコつぼ作戦というのは穴を掘って体を隠す、そして戦車が来た場合には破甲爆雷という爆雷を抱えて戦車にまともに突っ込んでいくという、私も訓練を半年やりましたが、そのことをそのまま実戦されたというのがサハリンにおける、地域は気屯、古屯という場所でございますけれども、これは敷香から約六十キロ近くのところでございます。
この状態で調査団が行きまして、タコつぼなどを調べ、調査団としてはえらい苦労したようであります。しかも不発弾があって地雷が残っている、今なお四十年たってもまだ火薬は生きているわけです。ただ手ぶらでは行けないということで、コムソモールの青年の協力もいただきまして、探知器を持ってずっとツンドラ地帯を探ったという報告が出ていますが、私も帰ってから報告を聞きました。結果的には四柱遺骨が収集されまして、当時の飯ごうであるとか食器であるとか、こういうものも発見をされました。帰ってきて慰霊を行い、援護局長に協力していただいて千鳥ガ淵の無名戦士の墓に納骨をさせていただきました。
こういう実態をちょっと考えてみますと、私はあえて聞きたいのは、厚生省もその後調査団を出していますけれども、何といってもサハリン州における遺骨の収集あるいは遺品の収集という発掘計画、これは政府として当面最大の課題として取り組むべきである。私はこの報告書を読みながら本当に涙ながらに決意を、何とかこたえてやるべきだなと意欲に燃えたのはこのことでありますが、そういう実施計画がありましたらお伺いをしたい、こう思います。