海部俊樹の発言 (政治改革に関する特別委員会)

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○海部内閣総理大臣 今お述べになったことで、私も基本的な点だけ考えを率直に申し上げさしていただきますけれども、有権者の皆さんと個々の政治家がそれぞれ接触をして意見を吸い上げ、国会活動に反映させることは、これは極めて大切なことは御指摘のとおりであります。そして、小選挙区制の方が中選挙区よりもそういったことがすぐれるかどうかという点になりますと、やはり政党政治というものである以上は、御指摘のように政党ファッショになってもいけませんし、一極集中の政党になってもいけないということは最近の東欧の例が示すとおりでありますけれども、各選挙区ごとの政党の支部と今あります個人の後援会の事務所と、それの重なり合いなんかの実例をよく見てまいりますと、やはりいずれの政党でも、政権政党となろうとするときに、この中選挙区で複数以上の同じ政策を持った同じ党の候補者が相争うというところに、広報の宣伝の問題にしても、選挙の組織のつくり方にしても、日常の後援会との接触の仕方にしても、これは必要以上にお金がかかる面が出てくるということは、あえて一々申しませんが、私も一いろいろ御議論を調べてみますと、昭和三十七年のときの自由民主党の基本問題調査会の御議論や、あるいは四十五年、四十七年のころの選挙制度調査会の御議論や、いろいろその都度その都度先輩方の中に厳しい反省の声を上げて、だから小選挙区にして政党本位のことにしなければいけないということを指摘された例が随分たくさんございます。
 また、中選挙区制度というものがしかれましたときも、自由民主党の記録によると、大正十四年には、いわゆる護憲三派と言われた政友会、憲政会、国民党の連立内閣のもとにあったのでありますけれども、このときの選挙制度を決めるときのいろいろな主張を読んでみると、政友会は小選挙区制を主張された、憲政会は大選挙区制を都道府県単位で主張された、その三派のいろいろな話し合いの中で生まれたのがこの中選挙区制であったということが書かれておる。そして、そのころからずっと続いて、制度の中でよりよいものにしようとする努力を続けてきたわけであります。
 おっしゃるように、この中選挙区制度のもとで戦後の日本のこの成長、この発展、質の高さというものが確保されたことはそのとおりですが、率直に言って残念ながら世論の中には、正しい、正しくないは別にして、経済は一流、政治は三流というような言葉が時々活字になりました。それは政策を言うんじゃなくて、政治姿勢を問われた言葉であった。政治倫理の面から政治とお金の関係を厳しく問われたものであったと、私はそのように受けとめて歯を食いしばってきたことも事実でございます。ですから、その中で果たしてきた役割その他をもって、政策全体として間違いなかったから、平和を守り、経済を成長させ、国民生活を安定させた。そのとおりでありますから、私は、一面の、要するに陰の面として言われるような政治不信の問題を除くためには、ぜひ必要以上にお金がかからないような仕組み、制度をつくるとともに、法の規制もしていかなければならぬ、この両方から考えていくべきだと思っております。
 また、党内の問題については、これは党の問題ですからここでお答えするのはいかがかと思いますけれども、党の政治改革本部では、制度改革に伴う党の運営方針もあわせてこのように決定をして提案しておりまして、候補者の決め方とか集めた資金の分配方法とか、いろいろな問題についそは細心まで注意を払ってやっていくということをモデルに示しておりますし、最近のいろいろな党の機関の運営も、執行部に権力が集中するというような御批判をいただかないように常に心がけて対応しておるところでございます。

発言情報

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発言者: 海部俊樹

speaker_id: 5376

日付: 1991-09-27

院: 衆議院

会議名: 政治改革に関する特別委員会