中山正暉の発言 (予算委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○中山(正)委員 ありがとうございました。
 私も今の課題であるとは思いません。先ほど申しましたように平和は情熱を殺しますから、憲法までいじって新たな政治的対決を生もうなんということは、その情熱を傾ける時期ではないと思いますが。
 これはマッカーサーが言ったから、いざというときはおれが何でもしてやるというので、日本の憲法というのは世界の憲法の中で珍しい例で、戒厳令規定がありません。これは、こんな不思議な憲法を持っている国というのは、これは日本にエリツィンを呼んできても、クーデター解決できなかったでしょうね。ですから、戒厳令規定のない憲法を持ってのうのうと閣議だ何だとやっていていいんでしょうかね。
 ですから、そういうことはやはり治にいて乱を忘れず、治にいて乱を忘れずで、考えておかなきゃいけませんし、私は、脳生理学の、これは中央教育審議会の委員をされた時実利彦先生という先生がある講演をなさるどころの控室で、非常に貴重な話を聞いたことがあるんです。中山さん、日本国憲法は前文から間違っていますよとおっしゃる、脳生理学的見地から見て。平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼をして、この憲法を制定するというけれども、人間が生まれたままの脳の中には殺しの本性しかありませんとおっしゃいました。人間だけが人間を殺す。オオカミはオオカミを殺さない、ライオンはライオンを殺さないけれども、人間だけが親が子を殺し、子が親を殺す。これは尊属殺人なんというのが、親殺し、子殺し、毎日一緒に寝ている夫婦が夫を殺したり妻を殺したりするんですね。この本性をちゃんと私は見ておかないといけないんじゃないか。
 これは総理と同じなんです。私も今どうのこうのということじゃありません。今ここで言っているのは、私が昭和十一年のことを知りたがるように、また何年か後に若い代議士が新しく当選されてこられて、PKOという初めて国際協調やったときには予算委員会でどんな議論があったのかな、速記録読んでいただきたいだけの楽しみでやっているみたいなものでございます。
 その意味では、この間お亡くなりになりました安倍先生、心から哀悼の意をこの機会に表したいと思いますが、安倍晋太郎先生のお供をして私はアメリカヘ安保三十周年記念に昨年党を代表して行かせていただきました。そのときに、五百億円基金、安倍基金というのができまして、今さらながら天に上られました安倍先生に本当に御苦労さまでございました、お体お悪いのにお医者さんまで連れていらしてアメリカヘ行っていただいた。本当に日米のために、外務大臣も長い間されましたが、貢献をされました安倍先生に、この場をかりて心から敬意を表したいと思います。
 そのアメリカとの関係で、私は、日本が務むべき役割というのは、ちょうど今情熱をかけてすることができたんじゃないかと思うのですが、それはちょうど広島から総理大臣が生まれられました。私は、この間平和協力法案のときにも海部総理と、兄貴が外務大臣をしておりましたが、その兄貴に提案をしたのでございますが、日本が軍縮機構を広島につくったらどうか、核軍縮、特に全体の軍縮ができないか、通常兵器まではちょっと無理かもわかりませんが、核軍縮の国連機構みたいなものを広島に置くべき機会が、広島から御出身の総理大臣が出たときには私はタイミングが非常にいいんじゃないかというような気がしてなりません。これは私、前の国会で言いましたら、広島からすぐ飛んできてくださいまして、何で大阪の代議士が広島のためにそんなことを言ってくれるんだみたいな話がありましたが、私は国会議員として、選挙区は大阪でも、沖縄から北海道までの、法律的に言えば委任代理関係ではなくて法定代理人だと思っていますから、私は全世界のためにそういう発言をしたのでございますと言って、広島の方はもう土地も全部用意して、そんなときがあったらそうしようということで準備している、こういう話がございましたのですが、総理大臣いかがでございましょうか。
 このちょうど真珠湾五十周年、日本に原爆が落ちて、日本がその惨禍の中からこれだけの立派な国をつくって、国連に協力するという形の国家をつくってきました。私は、広島が原水協とか原水禁とか、アメリカの核は怖いけれどもソ連の核は怖くないなんて言っていた人の仲間同士の争いの場所になっているというのは私は耐えられないのでございます。ソ連のシベリアに、私、自民党の青年局長として六十人ぐらい御一緒したときに、私はブラーツクというシベリアの市の市長と、私と同い年でございましたが、やり合ったことがあります。それはどういうことかというと、日本はアメリカに原爆を落とされて気の毒だとおっしゃったのです。冗談じゃないですよ、落としましょうか、どうしましょうかとスターリンに聞いたら、どうぞ落としなさいと言ったのはスターリンです。だから、ルーズベルト、ルーズベルトは四月の十二日に脳溢血で死んでいますが、トルーマンとスターリンとが一緒になって日本に原爆を落とした。その上に、チャーチルは、日本の戦争に参加できないから何とかしてくれと言ったので、それじゃ君のあだ名をつけた原爆を落としてやろうというので、広島に落ちたのはちょうど丸い形をしていましたから、チャーチルのあだ名をとってファットマンという名前がついています。長崎に落ちたのは、それじゃ長崎には何をつけようかといったら、チャーチルが乗っていた箱型の自動車、ボックスカーというあだ名がついています。ですから、スターリンとトルーマンとが一緒になってチャーチルを落としたと思ったらいいわけです。
 そんなことがあったものでございますから、あえて広島に何か、広島出身の、特に池田勇人先生という大変御立派な先生にもおつきになっていた、その池田総理が昭和三十五年から上を向いて歩こうの時代を築かれた、その師匠筋に当たられる池田総理も広島の出身であられたわけでございますが、そういうお考えはありませんでしょうか。

発言情報

speech_id: 112205261X00219911114_012

発言者: 中山正暉

speaker_id: 32328

日付: 1991-11-14

院: 衆議院

会議名: 予算委員会