予算委員会

1991-11-14 衆議院 全309発言

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会議録情報#0
平成三年十一月十四日(木曜日)
    午前九時開議
出席委員
  委員長 山村新治郎君
   理事 中山 正暉君 理事 原田昇左右君
   理事 町村 信孝君 理事 村岡 兼造君
   理事 村上誠一郎君 理事 加藤 万吉君
   理事 野坂 浩賢君 理事 松浦 利尚君
   理事 草川 昭三君
      相沢 英之君    愛野興一郎君
      粟屋 敏信君    内海 英男君
      小澤  潔君    越智 伊平君
      越智 通雄君    唐沢俊二郎君
      倉成  正君    後藤田正晴君
      左藤  恵君    志賀  節君
      鈴木 宗男君    田邉 國男君
      戸井田三郎君    浜田 幸一君
      林  義郎君    真鍋 光広君
      増子 輝彦君    松永  光君
      松本 十郎君    村田敬次郎君
      村山 達雄君    柳沢 伯夫君
      五十嵐広三君    串原 義直君
      佐々木秀典君    佐藤 敬治君
      嶋崎  譲君    新村 勝雄君
      新盛 辰雄君    戸田 菊雄君
      鉢呂 吉雄君    藤田 高敏君
      山花 貞夫君    和田 静夫君
      石田 祝稔君    日笠 勝之君
      二見 伸明君    冬柴 鐵三君
      金子 満広君    児玉 健次君
      中野 寛成君    楢崎弥之助君
 出席国務大臣
       内閣総理大臣   宮澤 喜一君
       法 務 大 臣  田原  隆君
       外 務 大 臣  渡辺美智雄君
       大 蔵 大 臣  羽田  孜君
       文 部 大 臣  鳩山 邦夫君
       厚 生 大 臣  山下 徳夫君
       農林水産大臣   田名部匡省君
       運 輸 大 臣  奥田 敬和君
       郵 政 大 臣  渡辺 秀央君
       労 働 大 臣  近藤 鉄雄君
       建 設 大 臣  山崎  拓君
       自 治 大 臣
       国家公安委員会  塩川正十郎君
       委員長
       通商産業大臣臨
       時代理
       国 務 大 臣  加藤 紘一君
       (内閣官房長官)
       国 務 大 臣  岩崎 純三君
       (総務庁長官)
       国 務 大 臣
       (北海道開発庁  伊江 朝雄君
       長官)
       (沖縄開発庁長
       官)
       国 務 大 臣  宮下 創平君
       (防衛庁長官)
       国 務 大 臣
       (経済企画庁長  野田  毅君
       官)
       国 務 大 臣
       (科学技術庁長  谷川 寛三君
       官)
       国 務 大 臣  中村正三郎君
       (環境庁長官)
       国 務 大 臣  東家 嘉幸君
       (国土庁長官)
 出席政府委員
       内閣審議官
       兼内閣総理大臣  野村 一成君
       官房参事官
       内閣官房内閣内
       政審議室長    伊藤 博行君
       兼内閣総理大臣
       官房内政審議室
       長
       内閣官房内閣情  森田 雄二君
       報調査室長
       内閣法制局長官  工藤 敦夫君
       内閣法制局第一  大森 政輔君
       部長
       内閣総理大臣官  石倉 寛治君
       房管理室長
       総務庁長官官房  八木 俊道君
       長
       総務庁人事局長  山田 馨司君
       総務庁人事局次
       長        富田 駿介君
       兼内閣審議官
       総務庁行政管理  増島 俊之君
       局長
       防衛庁参事官   内田 勝久君
       防衛庁参事官   金森 仁作君
       防衛庁長官官房  村田 直昭君
       長
       防衛庁防衛局長  畠山  蕃君
       防衛庁教育訓練  小池 清彦君
       局長
       防衛庁人事局長  坪井 龍文君
       防衛庁経理局長  宝珠山 昇君
       防衛庁装備局長  関   收君
       防衛施設庁総務  竹下  昭君
       部長
       防衛施設庁建設  新井 弘文君
       部長
       経済企画庁調整  吉冨  勝君
       局長
       経済企画庁国民  加藤  雅君
       生活局長
       科学技術庁長官  林  昭彦君
       官房長
       科学技術庁原子  坂内富士男君
       力安全局長
       環境庁長官官房  森  仁美君
       長
       環境庁企画調整  八木橋惇夫君
       局長
       環境庁自然保護  伊藤 卓雄君
       局長
       国土庁長官官房  藤原 良一君
       長
       国土庁計画・調  田中 章介君
       整局長
       国土庁土地局長  鎭西 迪雄君
       法務省民事局長  清水  湛君
       法務省入国管理  高橋 雅二君
       局長
       公安調査庁次長  関場 大資君
       外務大臣官房長  佐藤 嘉恭君
       外務省アジア局  竹中 繁雄君
       長事務代理
       外務省北米局長  松浦晃一郎君
       外務省欧亜局長  兵藤 長雄君
       外務省経済局長  林  貞行君
       外務省経済協力  川上 隆朗君
       局長
       外務省条約局長  柳井 俊二君
       外務省国際連合  丹波  實君
       局長
       大蔵大臣官房総  日高 壮平君
       務審議官
       大蔵省主計局長  斎藤 次郎君
       大蔵省主税局長  濱本 英輔君
       大蔵省理財局長  寺村 信行君
       大蔵省証券局長  松野 允彦君
       大蔵省銀行局長  土田 正顕君
       大蔵省国際金融  江沢 雄一君
       局長
       国税庁次長    冨沢  宏君
       文部大臣官房長  野崎  弘君
       文部省初等中等  坂元 弘直君
       教育局長
       文部省教育助成  遠山 敦子君
       局長
       厚生大臣官房総  大西 孝夫君
       務審議官
       厚生大臣官房老  岡光 序治君
       人保健福祉部長
       厚生省健康政策  古市 圭治君
       局長
       農林水産大臣官  馬場久萬男君
       房長
       農林水産省食品  武智 敏夫君
       流通局長
       食糧庁長官    京谷 昭夫君
       水産庁長官    鶴岡 俊彦君
       通商産業省貿易  高島  章君
       局長
       通商産業省産業  山本 幸助君
       政策局長
       中小企業庁長官  南学 政明君
       運輸省運輸政策  大塚 秀夫君
       局長
       海上保安庁次長  小和田 統君
       郵政大臣官房長  木下 昌浩君
       郵政大臣官房経  山口 憲美君
       理部長
       郵政省放送行政  小野沢知之君
       局長
       労働大臣官房長  齋藤 邦彦君
       労働省職業安定  若林 之矩君
       局長
       建設大臣官房長  望月 薫雄君
       建設省建設経済  伴   襄君
       局長
       自治省行政局長  紀内 隆宏君
       自治省行政局公  秋本 敏文君
       務員部長
       自治省行政局選  吉田 弘正君
       挙部長
       自治省税務局長  杉原 正純君
       消防庁長官    浅野大三郎君
       消防庁次長    渡辺  明君
委員外の出席者
       参  考  人  三重野 康君
       (日本銀行総裁)
       予算委員会調査  堀口 一郎君
       室長
    ―――――――――――――
委員の異動
十一月十四日
 辞任         補欠選任
  越智 通雄君     増子 輝彦君
  浜田 幸一君     鈴木 宗男君
  林  義郎君     真鍋 光広君
  阿部未喜男君     山花 貞夫君
  辻  一彦君     佐々木秀典君
  石田 祝稔君     二見 伸明君
  不破 哲三君     金子 満広君
同日
 辞任         補欠選任
  鈴木 宗男君     浜田 幸一君
  真鍋 光広君     林  義郎君
  増子 輝彦君     越智 通雄君
  佐々木秀典君     鉢呂 吉雄君
  山花 貞夫君     阿部未喜男君
  二見 伸明君     石田 祝稔君
  金子 満広君     不破 哲三君
同日
 辞任         補欠選任
  鉢呂 吉雄君     辻  一彦君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 国政調査承認要求に関する件
 参考人出頭要求に関する件
 予算の実施状況に関する件
     ――――◇―――――
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山村新治郎#1
○山村委員長 これより会議を開きます。
 国政調査承認要求に関する件についてお諮りいたします。
 予算の実施状況に関する事項について、議長に対し、国政調査の承認を求めることとし、その手続につきましては委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
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山村新治郎#2
○山村委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
     ――――◇―――――
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山村新治郎#3
○山村委員長 予算の実施状況に関する件について調査を進めます。
 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。
 本件調査のため、本日、参考人として日本銀行総裁三重野康君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
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山村新治郎#4
○山村委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
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山村新治郎#5
○山村委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中山正暉君。
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中山正暉#6
○中山(正)委員 おはようございます。
 新しい内閣が誕生いたしまして初めての予算委員会でございますが、総理大臣に心からおめでとうございますと、改めてこの委員会として御就任に祝意を表したいと思いますし、宮澤内閣、第一次内閣にお入りになりました閣僚の皆さんにも、重大な責務を果たしていただくその栄光の座にお座りになった皆様方に、これまた改めておめでとうございますと、ひとつ御健聞いただきたいということをまず祝意とともに敬意を表したいと思います。
 宮澤総理は、まず終戦のころには津島寿一大蔵大臣の秘書官として焼け野が原の中で大変御苦労なすった長い長い歴史を持っておられると思います。御自身も衆議院議員を務められた御尊父様の跡を継がれたということもございましょうが、宮澤三兄弟それぞれに大活躍をしていらっしゃいます。特に、私も九段の宿舎に住まいをしておりますが、あのすぐそばにフルブライトの事務所が、古い建物が残っておりますが、あの苦しい中で、終戦の中から、長い間御努力をなすってフルブライト試験に合格をされて、大蔵省と外務省で取り合いになって大蔵省にお入りになったという宮澤総理でございます。
 まず、二十八年に参議院議員に御当選になりました。そのお若いころ、個人的なことで恐縮でございますが、私の参議院のおやじが緑風会におりまして、ちょうど議員会館の部屋が隣の部屋であった。大蔵省の分室なんか聞いたら、お若い宮澤総理が気軽にすっと入ってきて教えていただいたというようなことを本当にきのうのことのように思い起こすわけでございますが、総理大臣としてこの席にお座りになって、特に、難しいこれからの世界の中の日本、あのころ、終戦のころの日本とは全く立場が変わったわけでございますが、新総理として、これから世界に向かって日本がどんな務めを果たすか。特にこの国会は、三十六日間の会期の中に、PKOというものを主眼にして世界に貢献をする、日本がいかなる立場をこれからとるかということを審議する国会でございます。
 まず、宮澤総理に、御所信と申しますか御抱負と申しますか、いかなることを考えておられるのか承りたい、かように思います。
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宮澤喜一#7
○宮澤内閣総理大臣 御丁寧なお言葉をちょうだいいたしまして、恐れ入りました。どうぞよろしくお願いをいたします。
 今、世界は大きな激変のさなかにございます。これは恐らく何世紀に一度というような変化であろうと存ぜられますが、私は、これを冷戦後の時代と言われておりますことから、さらにいわば新しい世界の平和秩序がつくられる、そういう構築の始まりであるというふうにとらえたいと考えております。しかも、その際に、我が国は世界に起こりますほとんどあらゆることに大きな影響を与えるような地位に立つに至りました。このような新しい平和の構築について、我々の貢献に期待されているところは極めて多いと存じます。したがって、私は、そのような我々としての責任感、意識あるいは世界観を国民と御一緒に持って、この事態に前向きに我が国が対処をしていかなければならないという歴史的な時代が参ったと存じております。
 また、国内的にも、そのような体制に立たなければならないということを初めとして、緊急な問題でございます政治改革でございますとか、あるいはまた社会資本の整備でございますとか、社会における公正の実現でございますとか、そのような従来からさらに一歩を進めましたいわば品格の高い国家の国づくりをいたさなければならない、そのような意識を持ちまして、国民の御理解を得て、微力を尽くしてまいりたい、このように考えております。
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中山正暉#8
○中山(正)委員 ありがとうございました。
 特に、ことしはハワイ真珠湾の事件が起こりまして五十年の記念の年を迎えようといたしております。一番大事なのは日米関係であると思いますが、世界はブロック化に向かうといいますか、ヨーロッパはヨーロッパ、アジアの中で日本が大きな責任を果たす、それから世界のためにどうしても頑張っていただきたいアメリカ、この三つの大きなブロックが南をいかに、これから軍事費をどんどん削減して、そして今世界じゅうで使われている軍事費をもし文化面に使うとしたらアフリカ全土が大文化圏になるだろうと言われております。
 そんなときに、この間の総裁選挙では百二十票おとりになって、堂々たる副総理・外務大臣に御就任になりました、大変重みを加えておられます外務大臣も、早速韓国に行っていただきました。一衣帯水と申しますか、本当の一衣帯水、お隣の国は韓国であろうと思いますが、その韓国には三十六年間、日本が併合するということで大変御迷惑をおかけしたわけでございますが、APECの会合からお帰りになりましたその御感想も含めて、副総理として総理候補にスタンバイされたわけでございますので、渡辺副総理・外務大臣として、これまた総理を補佐してこれから党内一致結束、日本のために御努力をなさるという副総理の御所信も伺っておきたいと思っております。
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渡辺美智雄#9
○渡辺(美)国務大臣 ただいま訪韓の感想を述べよというお話でございます。
 国会の皆さん方の大変御理解をいただきまして、二日間韓国を訪問し、APEC、つまり環太平洋の外務大臣あるいは経済大臣会議に出席をしてまいりました。私は、非常にこういうような点でも世界は変わりつつあるなという気がしました。御承知のとおり、中国と香港とチャイニーズ・タイペイ、つまり台湾・澎湖諸島の地域、これが一緒に同じテーブルでそういうような会議に参加をする、現実的に経済の問題は一緒になってやろうと、画期的な私は会議であったと思います。
 本当に我々は戦後四十五年、戦争始まって以来五十年を迎えるわけでありますが、私は日本もここで大きく生まれ変わっていかなければならないんじゃないか。三百年の徳川の歴史が終わって、帝国憲法のもとで約八十年、日本は富国強兵のもとで大きくなったが、八十年弱で大日本帝国は壊滅したと言っても私は過言じゃないと思います。それから新憲法ができて四十五年たつわけでございます。
 大体何年ぐらい国の盛衰というものは、全部二百年とか百年とか、短いのは十数年とかありますが、日本の繁栄というものは一体どれぐらいこれからもつんだろうか、もたせるためにはどうしたらいいのか。かなり発想を変えていかなければ、日本という国も老化現象が全体として起きているんじゃないか。こういうような点につきましても、開かれた日本、新しい世界国家日本としてやはりある程度の発想の転換が必要だし、政治においてもそうだろう、地域においてもそうだ、そういうような印象を殊に深めて帰ったわけであります。
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中山正暉#10
○中山(正)委員 ありがとうございました。
 確かに、今繁栄をいたしております日本でございます。平和は情熱を殺し、不安は情熱を生むということわざもありまして、平和がかえって緊張感を欠く。この繁栄、経済繁栄の日本、今副総理がおっしゃったように、こういうときこそ私はよほど心を引き締めて世界のために対応する日本でなければならないと思いますし、ヘーゲルという人の言葉に、神は世界を統治する、その統治の内容、その計画の遂行、それが世界史であるという言葉があります。長い間、一九一七年に革命が起こりまして、神様は死んだと言われておりました、世界の大きな部分を占めます、日本の六十六倍もありますソビエト、ロシアに神様がよみがえったわけでございます。
 これからが大変日本はその対応が大きな責務を要求されると思うのでございますが、総理大臣がお座りになっているそのお席は、一人で何代もおやりになった総理の代を数えませんで数えますと、二十八人目でいらっしゃいます。昭和十一年の十一月七日、ちょうどその年には二・二六事件が起こりまして、この国会がまだ開設されておりませんときに、軍隊がこの中を通り過ぎていった。その後、天皇は近衛文麿に大命を降下なされますが、近衛文麿はこれを断ります。そして、これまた宮澤喜一総理とは大変御縁の深い吉田茂、広田弘毅さんと大変仲のよかった方でございますけれども、この方と近衛さんが、広田弘毅にぜひ引き受けてくれということをおっしゃるわけでございます。吉田茂さんはどう言ったかといいますと、軍服を着た者は困る、背広の似合う人がいい、こうおっしゃって、三月の七日に御要請を受けられて総理大臣に御就任なすったのが広田弘毅さん、そして初めてこの国会ができてお座りになったのがその席でございます。しかし、残念なことに、ついにA級戦犯で六人の将軍と一緒にたった一人の政治家として絞首刑になられました。
 昭和十一年あたり、特に二・二六事件というのは、自由主義政治家がみんな殺されたんです。高橋是清というような財政通の政治家がいました。この人は日露戦争のときにも、ロシア皇帝がユダヤ人をいじめるならば、日本がそれに対して戦ってくれるならば金を貸そうといって、クーンロエブとかシフとかいうような大財閥が協力しました。日露戦争の戦費は十八億円でございます。外債が六億円、国内債わずか四億でございます。そうして、世界的なお顔のあった高橋是清のような人が気の毒に昭和十一年の二月の二十六日に亡くなっていかれました。
 それから昭和十六年の十二月八日に至るわけでございますが、ちょっと外務省にお願いをして、今アメリカで出ている、これが全部は通るわけじゃございませんが、大体二十三本ぐらい日本関係の法案が出ております。その中に、ハワイ真珠湾での式典を盛大にやろうというパールハーバー追憶の日と定めるものというのが大変たくさん出ております。ハスタード決議案、これはハスタード下院議員、アメリカのイリノイ州、十二月七日をパールハーバーの追憶日と定めるもの、これが下院の郵政委員会、これは郵政委員会というのは切手を出すためで、記念切手が出る。まあ残念なことでございます。記念切手が出る。それから公務員委員会、五月の二十九日に下院を通過いたしまして、六月の二十六日上院を通過して、七月の九日に成立をいたしておりますが、まことに十二月七日、ハワイでの集会が気になります。ブッシュ大統領が日本にお越しいただいて、私は、多分日本で、きのうも大変いい演説をしてくださっています、日本にお越しになって、もうそういう日米の問題を改めてお互いが傷つけ合うようなことはやめたいというようないい御演説をなすっていただいて、それを日本でやられて、それからハワイヘ行かれて真珠湾で演説をされて、世界に日米の関係を強調していただくのだと私は思っておりましたが、お越しにならないことになってしまいました。
 私は、この日米開戦というのは、オタワ協定といいますか、四十五カ国で障壁をつくって日本を入れないということにしたために、第二次世界大戦の遠因はそこにあったと思います。ブロック化して経済をやると、それが日本が東南アジアの石油を押さえに行こうとか、有本も急速な経済発展をしているときでございましたからどうしてもエネルギーが要る。そこへ手を出したということが私は大変まずかったと思うのですが。
 しかし真珠湾、これは国会図書館で借りてまいりましたのですが、「滞日十年」というアメリカのグルー大使の回顧録の中に、何と一九四一年一月の二十七日「東京では日本が米国と断交する場合、大挙して真珠湾を奇襲攻撃する計画を立てているという意味のうわさが盛んに行われている。私が、これを米国政府に報告したことはもちろんである。」何と十二月八日の開戦を既に一月の二十七日、グルー大使の日記帳にもう書いてあるのです。
 これは、私が調べましたら、昭和十六年の一月の九日、新しく連合艦隊司令長官になりました山本五十六さんが、豊後水道にとまっていた戦艦長門が連合艦隊の旗艦でございましたが、その旗艦の艦長室で及川海軍大臣に対するハワイ真珠湾攻撃の上申書を書かれたようでございます。それはもうアメリカの諜報部は一月の二十日に入手していたそうです。真珠湾攻撃って本当に奇襲攻撃だったんだろうか。特に昭和七年にアメリカ大海軍がハワイの攻撃を想定した大演習をやっておりますが、若き山本五十六はそれを海軍武官として実地に視察しています。その計画のとおり真珠湾攻撃をやっています。一体どういうことだったんだろうか。実に残念でございますが。
 もう一つは、リヒャルト・ゾルゲ、これはドイツのフランクフルター・ツァイツングという新聞社の新聞記者で、それがドイツのナチス党の党員で右翼だと思われてました。ところが、それが上海時代に、尾崎秀実という総理大臣のかばんを持っていた人とスパイ行為をしたわけでございます。今のちょうど国会図書館のありますあたりがドイツ大使館でございました。オットー大使はそのリヒャルト・ゾルゲに満幅の信頼感を置きまして、秘密書類を広げたまま外へ出る。ゾルゲは、この間NHKがそれを二日間にわたって放映をいたしましたが、リヒャルト・ゾルゲが全部スターリンに知らしていた。戦後スターリンは、ソビエト革命以来最大の英雄であるというので、ゾルゲ通りという通りを、ゾルゲ通りへ行きますと、レーンコートの襟を立てていかにもスパイらしい銅像が立っております。さすがお墓へ行っても彫像だらけのソ連らしい、大変思い出のある銅像だと思って感慨深く眺めてまいりましたけれども、そのゾルゲもアメリカに全部通報をしておりました。
 また情けないことに、ドイツは六月二十二日にスターリンを、モスクワを攻撃を始めました。その後七月の六日に、日本の東条英機その他将軍連中はドイツ大使館に呼ばれまして、日独秘密協定があるので、ドイツがソ連を攻めたら日本はシベリアを攻撃してくれ、こういう約束になっているから攻撃してほしい、こう言ったのに対して、将軍連中はそっぽを向きました。それは、昭和十四年の五月の十二日、ノモンハン事件でございますが、このノモンハン事件の陸軍参謀本部の攻撃計画から目的、全部これは総理大臣のかばんの中からソ連に行っていたわけでございます。二万五千が二万人全滅いたしました。それに懲りていた将軍運中はそっぽを向きました。
 そのそっぽを向いたのを隅っこで見ていたリヒャルト・ゾルゲが、九月の十二日でしたか、ソ連に対して、日本軍シベリアを攻撃せずと、その通信を受けたスターリンは、ザバイカルの軍団、戦車師団三個師団と二個師団の狙撃師団が全部レニングラード攻防戦に移りました。そのためにドイツは、十二月六日に冬将軍に襲われてUターンを始めました。そのUターンを始めた二日後、それはドイツにいた大島大使、この人が、日本の大使なのにナチスの党員になっていたわけでございます。これが日本に、ドイツが負けているということを通報しなかった。ドイツが負け始めて、特にゾルゲと組んでいた尾崎秀実というのは、日本がシベリアを攻撃しなくてもドイツが勝ったらぬれ手でアワでシベリアが手に入るということを言って、内閣の閣員を説得したようでございます。その十二月六日にUターンを始めた二日後に真珠湾を攻撃しているのです。
 歴史というのは、後から悔いてもこれはどうしようもないものでございますが、非常に残念な歴史といいますか、日本の失敗の歴史、私がここで申し上げるのは、もう私でも六十でございます。私が小学校三年生のときに戦争が始まりまして、私が中学一年生のときに戦争が終わりました。爆撃の中を学校へ、飛行機が飛んでいったら空襲警報が出るというような私どもの子供の時代でございました。あっ、アメリカの飛行機飛んでいるからきょう学校休みだと言うと、その後ふうど空襲警報が出る、そこまでいっていました。
 そんなことでございますから、私は、お若い代議士さんもたくさんふえていらっしゃいますので、そういう日本の歴史も反省、歴史は、昔は吾妻鏡、増鏡、大鏡なんていって、鏡というのは机の下からときどき出して自分の顔を映してみるというので、歴史は繰り返すと言われますから、古きをたずね新しきを知る、これのために、せっかくこんな機会をお与えいただきましたので言っているわけでございます。
 そのアメリカとの関係というのは、日本にアメリカは憲法を押しつけました。それからソ連との関係でも、ヤルタの秘密協定というのがあります。それからもう一つは、今私どもがサンフランシスコ平和条約、宮澤喜一総理も随員として行かれましたサンフランシスコ平和条約のときの国連は五十一カ国、国連諸国五十一カ国でございましたが、それが今は百六十六にふえております。五十三条と百七条に敵国条項というのがまだ残っています。ですから、私はこの間アマコスト大使にお願いをして、この三つを何とか、これは十二月七日五十周年を記念して大統領に、何とかこの三つの問題をアメリカから物をおっしゃっていただけないだろうかと、日米議員の会合があったときに申し上げたのでございます。これは私は、憲法を今何とかしろということを言おうと思っているんじゃございませんが、一九一〇年にハーグ条約というのがありまして、陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約というのがあって、相手の国の陸上戦闘をやって占領をしても、その国に法律を押しつけちゃいかぬ。これは前の平和維持協力法案が昨年出ましたときにも、フランス憲法の話をいたしました。八十九条には、外国の軍隊が国土の一部または全部を占領している間に改正した法律は無効である。フランス憲法は、そのハーグ条約を全部憲法の中に入れています。
 そんな意味で私は、これはハーグ条約に違反をしたんだということを日本もちょっと、アメリカで五十周年で、日本がだまし討ちをしただまし討ちをしたと言われるときに、やはり日本もちゃんと主張すべきは主張するのが必要ではないか。ノーと言える日本なんていう言葉がありますが、ノーと言い続けている日本なんて、米の問題で言われています。全く逆の評価になっているわけでございますね。ですから私は、その三つの問題に総理大臣がどうお考えであろうか、それから外務大臣、どうお考えであろうか。
 それから私は、十二月八日に、社会党の田邊委員長からは国会決議をしようというお話があったのでございます、この間本会議で。ところが、国会が戦争したわけじゃありません、政府が戦争したのですから。ですから私は、国会で決議するというのは一体どういうことかなと実は思っております。
 実は国会は大政翼賛会というようなものになって、まあ恐縮でございますが、私のおやじはちょうど進行係をそのときいたしておりました。斎藤隆夫さんが東条英機に対する反軍演説をして、斎藤さんが除名になるというときに私のおやじは反対をしました。弁護士でございましたから、その死刑の判決がおりても執行までには間があるはずだ、それをすぐやめさせるというのは間違いだと言ったために、私のおやじも国会の廊下で東条英機に腕をつかまれたそうでございまして、ついに非推薦、昭和十七年の選挙で。十六年の選挙が十七年に戦時体制で延びて、その選挙で惨たんたるありさまで、大都会でございましたから、落選をいたしました。ですが、国会にはそういう議員もたくさんいたのでございます。
 ですから私は、国会が決議して謝るということは、戦争に反対した人たちに対して失礼であろうと思っております。ですから、今の人たちの感覚でその当時を、国会決議ということですべてを包含して、何か日本の国会が全部が一致してアメリカと戦争することに決めたみたいな決議案には私は反対でございます。――多数決とおっしゃる、いつも多数決の癖のついていない方が。日本の国会は政党多数決だと思っておる。私は、国会議員の多数で決めるならば、野党もちゃんと、数を国民からあずかっている自民党が主張したときにはちゃんとそれを解決してくださってこそ数じゃないですか、民主主義。今は政党の数で、政党多数決で、まあこれはNHKが放送しているのにNHKに言って悪いのですが、NHKの討論会を見ていると、私なんかもういらいらして切るときがあります。自民党が一人と政府から一人、あとは小さな政党、まあ小さな政党まで、だけれども院内では二十人以上ないと発言権がないということになっているのに、今まで自民党が配慮をして、十七人でも国会で演説をしてもらったりしてきました、長い間の歴史。だけれども、それは普通の政治問題では私は結構だろうと思っているのですが、戦争を五十年たって国会で決議するのは間違いで、私は、政府が声明を出していただけないだろうか、国会の意思も酌んで。
 ちょっと長くなってしまいましたが、さっきの三つの問題と、それから、総理がいろんな知恵を出して、私は、アメリカのハワイ真珠湾の日に日本の政府としておわびをすることはおわびをする、しかし、過去を振り返るのではなくて、新しい未来に向かって日米が歩こうというようなひとつ政府声明を出していただきたい、かように思っておるのでございますが、いかがお考えでございますか。
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宮澤喜一#11
○宮澤内閣総理大臣 ただいま二・二六事件以来の出来事を回顧されましていろいろお話がございました。御趣旨の意味は、同じ過ちを繰り返さないためにも、現実に過去に起こったことをよく一遍考えておく必要がある、こういう御趣旨であると、意義深い御発言であると承りました。
 で、考えてみますと、五十年という年月はまだまだ歴史として定着するのには短過ぎるのであろうと存じます。それらのことは、いずれ先の将来において学者が学者の立場から歴史として述べていかれることであろうと存じますが、現実に我々が今日このような国になって世界的にも大きな貢献をしつつあるということ、そういう現実とそれとを一応混同をすることなく、私はこれからの日本の歩みを考えていくべきであろうと思っております。
 真珠湾のお話がございました。まことに不幸な戦争であったわけでございますが、五十年たちまして、幸いにして日米は深い親善関係を結び、価値観を共同にし、また世界的な貢献を一緒にしようとしております。
 御指摘になりましたように、私も実は、ブッシュ大統領が来られまして、そしてその後に恐らく真珠湾に行かれるものと考えておりましたので、東京で、今中山委員の言われましたようなことを含めました東京宣言とでも申すべきものを両国でつくりたいと、実は野におりますときから考えておりまして、この仕事につきましてから、外務当局も米国の国務省当局も同様な気持ちがありまして作業が進んでおることを知りまして、さもありなんと思ったわけでございます。
 そこで、ブッシュ大統領の日程が訪日延期になりましたこととの関連で、この問題をどうすべきかということがまだ残っております。日程が延期後のことにつきましてまだ確定をいたしておりませんので、そういうことも考えながらどうするかを決めなければなりませんが、いずれにいたしましても、この五十年という機会はそういうことを申すべき機会であろうと、私は同感でございます。
 それから、国連の敵国条項につきましてもお話がございました。これは昭和四十五年ごろから我が国はその都度この条項について注意を喚起しておりますし、今年も外務大臣がそのことを言われたところでございます。したがって、この敵国条項というのがまことに時代錯誤であるということは万人の認めるところでございますけれども、国連憲章全体の改定ということは御承知のように大変に厄介な問題を含んでおります。加盟国の数もふえましたので、安保理事会というようなものはこれでいいんだろうかというようなことから始まりましてたくさんの問題がございますので、したがいまして、これはその一環として我が国は言い続けるということであろうと存じます。
 ただ、それはそれといたしまして、今日国連に対する我が国の貢献、また国連から期待されている我が国の責務というのは現実に極めて大きなものでございますし、また我々はそれを果たしつつございますので、そういう現実はやはり我々として誇りに思ってもいいし、また責任を感じていくべきではないかと考えております。
 それから、憲法の問題についても御指摘がございました。憲法のつくられました環境は御承知のようなことでございますけれども、しかしこの憲法が持っております自由、民主主義あるいは基本的人権、国際協調等々、それらは国民が広くこれを支持し、またその下に育ってまいったものでございますから、現実にこの改正が政治の具体的な日程になるとは考えておりません。
 したがいまして、今中山委員の言われましたことは、すべて大変に有意義なことでございます。やがては歴史家が歴史としてそれを書いていくことになるのであろうと存じますが、現実の我が国の事態というものは、それはそれとして極めて我々が誇りに感じてもいい、また世界から大きな期待を寄せられている今日の我が国ではないかと、このように考えております。
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中山正暉#12
○中山(正)委員 ありがとうございました。
 私も今の課題であるとは思いません。先ほど申しましたように平和は情熱を殺しますから、憲法までいじって新たな政治的対決を生もうなんということは、その情熱を傾ける時期ではないと思いますが。
 これはマッカーサーが言ったから、いざというときはおれが何でもしてやるというので、日本の憲法というのは世界の憲法の中で珍しい例で、戒厳令規定がありません。これは、こんな不思議な憲法を持っている国というのは、これは日本にエリツィンを呼んできても、クーデター解決できなかったでしょうね。ですから、戒厳令規定のない憲法を持ってのうのうと閣議だ何だとやっていていいんでしょうかね。
 ですから、そういうことはやはり治にいて乱を忘れず、治にいて乱を忘れずで、考えておかなきゃいけませんし、私は、脳生理学の、これは中央教育審議会の委員をされた時実利彦先生という先生がある講演をなさるどころの控室で、非常に貴重な話を聞いたことがあるんです。中山さん、日本国憲法は前文から間違っていますよとおっしゃる、脳生理学的見地から見て。平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼をして、この憲法を制定するというけれども、人間が生まれたままの脳の中には殺しの本性しかありませんとおっしゃいました。人間だけが人間を殺す。オオカミはオオカミを殺さない、ライオンはライオンを殺さないけれども、人間だけが親が子を殺し、子が親を殺す。これは尊属殺人なんというのが、親殺し、子殺し、毎日一緒に寝ている夫婦が夫を殺したり妻を殺したりするんですね。この本性をちゃんと私は見ておかないといけないんじゃないか。
 これは総理と同じなんです。私も今どうのこうのということじゃありません。今ここで言っているのは、私が昭和十一年のことを知りたがるように、また何年か後に若い代議士が新しく当選されてこられて、PKOという初めて国際協調やったときには予算委員会でどんな議論があったのかな、速記録読んでいただきたいだけの楽しみでやっているみたいなものでございます。
 その意味では、この間お亡くなりになりました安倍先生、心から哀悼の意をこの機会に表したいと思いますが、安倍晋太郎先生のお供をして私はアメリカヘ安保三十周年記念に昨年党を代表して行かせていただきました。そのときに、五百億円基金、安倍基金というのができまして、今さらながら天に上られました安倍先生に本当に御苦労さまでございました、お体お悪いのにお医者さんまで連れていらしてアメリカヘ行っていただいた。本当に日米のために、外務大臣も長い間されましたが、貢献をされました安倍先生に、この場をかりて心から敬意を表したいと思います。
 そのアメリカとの関係で、私は、日本が務むべき役割というのは、ちょうど今情熱をかけてすることができたんじゃないかと思うのですが、それはちょうど広島から総理大臣が生まれられました。私は、この間平和協力法案のときにも海部総理と、兄貴が外務大臣をしておりましたが、その兄貴に提案をしたのでございますが、日本が軍縮機構を広島につくったらどうか、核軍縮、特に全体の軍縮ができないか、通常兵器まではちょっと無理かもわかりませんが、核軍縮の国連機構みたいなものを広島に置くべき機会が、広島から御出身の総理大臣が出たときには私はタイミングが非常にいいんじゃないかというような気がしてなりません。これは私、前の国会で言いましたら、広島からすぐ飛んできてくださいまして、何で大阪の代議士が広島のためにそんなことを言ってくれるんだみたいな話がありましたが、私は国会議員として、選挙区は大阪でも、沖縄から北海道までの、法律的に言えば委任代理関係ではなくて法定代理人だと思っていますから、私は全世界のためにそういう発言をしたのでございますと言って、広島の方はもう土地も全部用意して、そんなときがあったらそうしようということで準備している、こういう話がございましたのですが、総理大臣いかがでございましょうか。
 このちょうど真珠湾五十周年、日本に原爆が落ちて、日本がその惨禍の中からこれだけの立派な国をつくって、国連に協力するという形の国家をつくってきました。私は、広島が原水協とか原水禁とか、アメリカの核は怖いけれどもソ連の核は怖くないなんて言っていた人の仲間同士の争いの場所になっているというのは私は耐えられないのでございます。ソ連のシベリアに、私、自民党の青年局長として六十人ぐらい御一緒したときに、私はブラーツクというシベリアの市の市長と、私と同い年でございましたが、やり合ったことがあります。それはどういうことかというと、日本はアメリカに原爆を落とされて気の毒だとおっしゃったのです。冗談じゃないですよ、落としましょうか、どうしましょうかとスターリンに聞いたら、どうぞ落としなさいと言ったのはスターリンです。だから、ルーズベルト、ルーズベルトは四月の十二日に脳溢血で死んでいますが、トルーマンとスターリンとが一緒になって日本に原爆を落とした。その上に、チャーチルは、日本の戦争に参加できないから何とかしてくれと言ったので、それじゃ君のあだ名をつけた原爆を落としてやろうというので、広島に落ちたのはちょうど丸い形をしていましたから、チャーチルのあだ名をとってファットマンという名前がついています。長崎に落ちたのは、それじゃ長崎には何をつけようかといったら、チャーチルが乗っていた箱型の自動車、ボックスカーというあだ名がついています。ですから、スターリンとトルーマンとが一緒になってチャーチルを落としたと思ったらいいわけです。
 そんなことがあったものでございますから、あえて広島に何か、広島出身の、特に池田勇人先生という大変御立派な先生にもおつきになっていた、その池田総理が昭和三十五年から上を向いて歩こうの時代を築かれた、その師匠筋に当たられる池田総理も広島の出身であられたわけでございますが、そういうお考えはありませんでしょうか。
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宮澤喜一#13
○宮澤内閣総理大臣 所信表明の際にも申し上げましたが、いわゆる東西の冷戦の終了によりまして核兵器についての軍縮の動きが非常に早まってまいっております。米ソお互いに戦術核をお互いの立場から大幅削減をしていこうというような動きが自発的に出てまいっております。それから、そのような動き、また他方で、国連が中心になりまして、我が国などが提唱して、いわゆる武器の輸出入についてこれをモニターをしようではないかという動きもございます。
 したがいまして、そのような動きがいわば本格的な動きになりまして、またそれが国連の行政上非常に大事だということになりますれば、我が国がそういう役割を引き受けることはもちろんやぶさかではございませんし、場合によりまして象徴的な意味で、広島が各国に対してそういう一種の説得力と申しますか、そういう力を持つ名前、歴史に残りました名前であろうかとも存じます。具体的な問題になっておるわけではございませんが、他方で、いわゆる原爆症等々の医療関係では、これは広島がかなり世界的な貢献をいたしております。そういうこともございますので、将来の問題としてそうなりましたらまた考えさせていただきたいと思います。
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中山正暉#14
○中山(正)委員 実は、私は、さっき言いました、外務大臣もおっしゃいましたが、将来の日本が心配だとおっしゃった。私は、このまま日本が平和憲法を持っていくならば、日本がつぶされないような国にしておかなきゃいかぬ、それには国連の機構を一つでもいいから日本に引っ張ったらどうだろう、これが本当のねらいでございます。まさか、日本に国連の機構があるのに日本を攻撃しようなんて言ったら、世界じゅうから非難をされる。私は、その知恵を出さなきゃいけないと思うのです。だから、核軍縮の機構が置いてある日本に原爆は落とせない、そんなこと考えておかないと、このちょっと精神の緩んできたといいますか、何となく日本は目標を失う。
 これは、山本七平先生がある会合でおもしろい話をされましたのは、昭和二十年から昭和三十五年まではわだつみの時代、戦争反省の時代。それから十五年は、今さっき言いました池田総理の経済繁栄の、上を向いて歩こうの時代。それから後の昭和六十五年まで、平成の二年までですね、これが、この十五年が歴史と伝統を見直す時代。確かに、何かお祭りが復活したり、何か琴や三味線とか民謡の大会がたくさん持たれたり、そういう三つのブロックが過ぎたら、日本は目標を失う。日本の目標って一体何だということになってくる。ですから、私は、次は何かと、つぶされない算段をしなきゃいかぬ。
 私はさっきちょっと爆撃の話をしましたが、これ、ちょっと写真で大きくしました、昔の十円でございます。十円札、これはイノシシ、有名なイノシシのマークがついています。大正七年ですかね、イノシシは、和気清麻呂という人が、例の弓削道鏡が孝謙天皇、女の天皇様でございましたが、二回天皇についておられますが、女の天皇様を天皇にしようとしたんですね、それを何とか阻止しようとして宇佐神宮へ行かれて御託宣を受ける。そのとき、暗殺、テロが来るのですが、そのテロをイノシシが救ったんですね。イノシシがそのテロに体当たりしたわけでございますね。そのために、イノシシをここに入れてあるわけであります。この十円、これは昭和十七年ですか、法律で金の兌換を停止したのが、大蔵省が停止したのが。昭和六年ごろに本当の兌換は停止されていますけれども、これ。
 それから、終戦になりましてからはいろいろな十円が出ました。もうそれはひどいもので、お金を見ればその国の勢いがわかるといいますけれども、本当に今のルーブル紙幣みたいですね。それから、これ見てください、十円札、いいときのは番号も全部組番号まで入っているのですが、さあ戦争が済むころになると番号もなくなってしまうのです。それで、証紙が張られた。これはソビエトでは貨幣の切り下げができなかったんですね。みんな床下貯金をやっていたんです。それを三日間でやりましたが、それでゴルバチョフも大変苦労をした。日本は進駐車の命令でございますから、「この場所にごみを捨てるな、マッカーサー」なんという、私子供のころに忘れられない言葉が書いてあるのを見たことがありますが、それで今度は十円札が出てきました。これは昭和二十一年、何とこれが今でも通用しているんですね、大蔵省さん。
 何書いてあるか、このお札は。これはこっち側は米と書いてある、こっちは鎖が張ってありまして、中に天皇の鳳凰を閉じ込めて、ここを二つに折りますと、進駐車がヘルメットをかぶって横顔、金網の中で天皇を閉じ込めたということになります。そして、この国会議事堂の前に植え込みがあるのは、これは戦艦大和が沈んでいくところをデザインしたそうです。それから、裏にぽちぽちがあります。四十八あります。そのときアメリカが四十八州だったんですね。何でこの米国と書いたお札が今でも大蔵省で通用しているんですかね、これもうぼつぼつやめたらどうですか。今でもこれ、コイン屋さんで買ったら千五百円です。きのう安いのを買って、これは千五百円ですね。上に値札が張ってあります、千五百円、十円札。
 アメリカは、なかなかお札にマークを入れるのが好きです。これは一ドル紙幣ですね。一ドル紙幣には、こっち側にピラミッド。これはアラブの代表がここに入っています。そして、神様の目玉というのが入っています。そこの上にラテン語でANNUITCOEPTISと書いてありますが、これは大蔵省で調べてもわからなかったのですけれども、国会図書館で一生懸命調べましたら、神は我が事業に好意を示すということだそうです。このピラミッドの下にNOVUSORDOSECLORUM、ニューワールドシステムだそうです。それから、ピラミッドの下にはMDCCLXXW、一七七六年、アメリカ建国の年。それが、ピラミッドが途中でとまっています。これはアメリカが未完成である。しかし、こっち側はイスラエルのマークが入っています。アメリカというのはアラブとイスラエルを踏んまえている国だと。キリスト教とユダヤ教とそしてイスラム教が仲よく住んでいたマドリッドでこの間中東和平会議をやった意味はそこにあるわけなんですが、そういういろいろなサインをつける。
 そして、こっちはワシがオリーブの葉っぱと矢を握っていますが、これは戦争でも平和でもアメリカはどっちでもできるという意味だそうです。そして、このワシがリボンをくわえています。片一方はUNUM、単一、それから片一方は複数という意味が書いてあります。神は複数にして単一なり。ローマ字でONEと書いてあるのは、これは一ドルだけなんです。ほかは皆アラビア文字で書いてあるのです。EPLURIBUSですね、複数。アメリカ大使館でも、記者会見するときに後ろに大きなワシの大統領のマークが出ますけれども、あのワシがくわえているリボンは、片一方は単一、片一方は複数。
 だけれども、私はアメリカとの関係は大事だというのは、これは珍しいお札でございます。これはアメリカが宣伝のために裏に宣伝文句を印刷して爆撃が終わった後にまいた十円でございます。これは竹下総理にも一対差し上げたことがあります。何と書いてありますかというと、「日本人諸君!銀行や債券に入れた金は何の役に立ちますか。今日の必用品、又は将来使用する様な物は今の中に買って置きなさい。残品は少くなりました。空爆の為こ空襲のためですね、「空爆の為、多くの店は閉ぢ、或ひは短時間しか開けられていない様になります。この困難なる時期を凌げる様、食物、着物、日常品等を買ひ給へ。お金は飢を癒やしたり、着物としては使用出来ません。債券で泣く幼児をなだめる事は出来ません。賢者であればこ賢い人であれば、「今金を貯めず、品物を買ふでせう。今はお金の時代ではありません。物の時代です。」と書いてあります。
 片一方、こっちは何と書いてあるかというと、「軍閥が」、そのころ使っていた言葉ですからお許しをいただいて、チャイナというのはいいのですが、隅っこの国という名前をつけてしまった、日本語で支那と呼んだのがいけなかったのですね。チャイナというのはいいのですが。支店の支と書いて国と書いたから中国の人が怒ったので、この支那と書いたのも日本人のおごりでございましたが、「軍閥が支那と戦争を未だ始めて居なかった昭和五年には十円で次の物が買へた。」と書いてあります。「上等米二斗五升 或ひは夏着物八着分の反物 或ひは、木炭四俵 支那事変勃発後の昭和十二年には十円で次の物が買へた。下等米二斗五升 或ひは夏着物五着分の反物 或ひは木炭二俵半 世界の最大強国を相手に三年間絶望的戦争を続けた今日、十円で次の物が買へる。暗取引にて上等米一升二合 木炭少額(買ひ得れば)木綿物なし以上が諸君の指導者の云ふ共栄圏の成行きである!」と書いてあります。これが空襲が済んだらぱらぱら、ぱらぱらと空から降ってきたんですね。
 これは、私どもマリアナ通信なんというのをよく見ました。マリアナ通信には、「大阪、神戸は灰の山、花の京都は後回し」なんて書いてありました。塩川先生じきりにうなずいておられますが、そのアメリカと今、米でもめているのですね。これは本当にどうしたらいいのか。
 この間も、農林水産大臣になられる前のときに、ちょうど掃海艇部隊が帰ってきました。掃海艇部隊のまた指揮官の落合さん、あの人が何と沖縄で最後の海軍こうの中で自殺をされた大田少将の御令息だそうでございますね。私はくしき因縁だな、後世沖縄に特別の配慮を。沖縄開発庁長官がこの間特別措置法がもう切れるので何とかしたい、これも今ついでのことに申し上げておきますが、この間テレビでお話を伺わせていただきました。その大田少将、六月の十六日に海軍こうの中で「大君の御旗のもとに死してこそ人と生まれしかいぞありける」という辞世の句を詠んで亡くなっておられます。
 田名部農林水産大臣、大変御苦労でございますが、本当にこれ総理大臣がお書きになったものを読んでみますと、もしウルグアイ・ラウンドで関税化するならば七〇〇%になると書いておられましたですね。私どもは、これは大都市から出ていますので、安い米を買えたらいいななんという人がたくさんいます。それからまた、これはアメリカのことを米国なんて名前をつけて、米を売りに来たって怒っているのもおかしいななんて言う人がいます。第二次世界大戦には、戦略物資というのは二十一あったんです。二十一あったうちで、アメリカは十七持っていました。それは戦争に勝つ国ですから、十七持っていました。日本は何を持っていたかというと、一つだけ持っていた。米です。米を持っていて戦争に勝てたかという話が聞こえてまいります。
 ですから、これ、いろいろと難しい問題。私どもがこれからアメリカとかヨーロッパと協調していかなければならないときに、食べる、食事というのは、食という字はこれは人によいものを、事という字はこれは占いの易学でぜい竹をぱっと決めて一本すっと抜くときの字が事という字でございますから、これは食事というのは、人によいものを占って決める。今回〇%が米を食べていまして、三六%はもう麦になってしまいました。
 昔は食管制度の中で、私は食管制度という自由主義経済の中で社会主義経済をやっていたら、それは国鉄と同じで、国鉄も国が金を失うと書いて国鉄と書いてありましたが、ついにJR。JRになると何となくジェニアールと聞こえるような気がするのですが、とにかく米の問題は、アメリカも米を入れてどうのこうのということは私はないと思うのです。これは象徴として扱われると思うのですね。ですから、その象徴として扱われるものに対して日本人が心意気を示さないと、いろいろなところでまたいろいろな反発が出てくるので、そういう言葉を聞きますが、私は党の方針に従って、党員でございますから進みますけれども、そういう話が聞こえてくるのに対して、田名部農林水産大臣、大変難しいときに農林水産大臣になられて本当に御同情を申し上げておりますが、これまた難儀があると書いてありがたいと言いますから、これを乗り越えられるとあなたはもう国際的な大政治家になられると期待をしておりますが、ちょっと御答弁をいただけますか。
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田名部匡省#15
○田名部国務大臣 お答えをさせていただきますが、いつも先生のこうしたお話を聞くのは大変楽しみでありまして、なかなかああいう日にちやいろいろなことを知っておられるというので、先生のお話はいつも楽しみにしておりますが、米の問題に関する限りは、日本の実情を申し上げますと、三〇%の減反を農家の皆さんにお願いをしておる、また世界で最大の農産物の純輸入国でありまして、世界の農産物の貿易の安定、拡大に大変な実は貢献をいたしておるわけであります。
 ちなみに申し上げますと、小麦で八五%輸入に依存しております。大麦で八六%、大豆で九八%、トウモロコシで九九%、もうほとんど外国のこうしたものに依存しておる。わずかに米だけは〇・五%ほど輸入いたしておりますけれども、これだけが輸入いたしておらない。これを今いろいろとウルグアイ・ラウンドの中でお話が出ているわけでありますが、カロリーベースで見ましても食糧の自給率が四八%、穀物の自給率で三〇%、こういうことから食糧の安保論というのが出てくるんだろうと思います。また、米については私ども国会で三回にわたる決議を。いただいておりまして、この趣旨を体して米は国内産で自給するということでありますので、今後ともそういう考え方で対処してまいりたい、こう思っております。
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中山正暉#16
○中山(正)委員 二、三日前に不思議な事件が起こりまして、三年以下の懲役、三百万円以下の罰金なのに、川崎さんとおっしゃいましたかね、食管法違反だということでみずから自首をして出られる。何か動きがあるのかなと疑ってみたくなるほどタイミングのいい話が出てきております。これは事件の経過、今自首されてきたところでしょうから、すぐにお話を伺うというわけにもいかぬでしょうから。
 ちょうど三重野日銀総裁も御出席を、十時のお約束ちょっと前にお越しいただいておりましたようでございますので、最初に財政問題をやるつもりでございましたが、ちょっと段取りを変えました。
 そこで、もう皆さん大変三重野総裁がここへ見えるのを待っておられたという感じがいたすわけでございますが、本当に、昨晩お帰りになったようで、国際的な中央銀行総裁の会合に出てこられて大変御苦労さまでございました。
 まず、これは経済企画庁でございますが、今緩やかに減退しながら引き続き拡大しているとの景気判断をしておられるんですね。だけれども、現実の国内景気というのは大変後退局面に来ていると思います。これは、企業収益というのは非常に急ピッチで下降しておりまして、全産業ベースで経常利益、これはある新聞社の調べでございますが、九〇年度下期にはマイナス二三・四%、前年同期比で、九一年度の上期はマイナス二八・三%。鉱工業生産の伸び率はもう急激に低下をしておりますね。それから、大企業が相次いで設備投資の大幅削減案を発表している。日立が二〇%削減、ソニーが三〇%削減、住友金属が三〇%削減、トヨタが一〇%削減、こんな雰囲気になってきておりますが、きょうもう朝八時半の記者会見をやられたそうでございますが、公定歩合いよいよ引き下げられるということで、ひとつ御報告なり、きょう記者会見でおっしゃったようなこと、国民の皆さん方がお知りになりたがっていると思いますし、中小企業、この経済繁栄の中から急に冷え込んでいくのは年末の冷え込とその歩調がそろっていくのに心寒い思いをしていらっしゃる方がたくさんいらっしゃると思いますので、ぜひひとつ三重野総裁から、お忙しゅうございましょうから、御答弁、お教えいただきたいと思います。
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三重野康#17
○三重野参考人 お答え申し上げます。
 今委員がおっしゃいましたように、けさ七時四十五分に公定歩合を〇・五%引き下げまして五%にいたしました。その背景をお話し申し上げることが御答弁になるかと思います。
 現在の日本経済はやはり緩やかな減速が続いているというふうに思います。この減速という意味を考えてみますと、過去四年間五%成長が続きましたので、その後の景気の成熟期に入った調整でございますと同時に、日本銀行がずっと金利を上げてまいりました利上げ効果、この二つが減速を導いているというふうに思います。もっとも私どもは、この減速は、今までのスピードはやや速過ぎるわけでございますから、そのスピードが落ちてきて、むしろインフレなき内需中心の持続的な成長の路線にうまくつなげれば、それはむしろ好ましいというふうに考えております。ただ注意しなければならないのは、その好ましい調整でも、行き過ぎた場合は非常に不測のことが起きるわけでございますので、その点を注意して金融政策は運営していかなければならないと考えていたわけでございます。
 金融政策は、ことしの七月一日に一度公定歩合を下げまして、その後一連の緩和策を講じております。と申しますのは、市場金利が下がるのを容認し、十月には預金準備率を下げる、こういうふうなきめ細かな金融政策を減速に対応してとってぎたわけであります。そして、その効果も含めてその後の情勢変化を注意深く見守ってきた次第であります。
 そこで、最近の情勢をごく簡略に申し上げますと、景気でございますが、引き続き緩やかに減速はしておりますが、一時に比べますといわゆる製品の需給関係が緩んでまいりまして、それと同時に企業心理が慎重さを加えてきたということが言えると思います。二番目に企業金融でございますが、なおゆとりは残しておりますが、マネーサプライの伸び率は御案内のとおりかなり下がってきております。三番目に為替でございますが、これは幸いにして百三十円前後で、どちらかというと円高方向で比較的落ちついた動きをいたしております。物価でございますが、消費者物価はいま一つやや高目ではございますけれども、国内の卸売物価は一段と低下して落ちついた傾向になっております用地価は、これはやや鎮静化して、一部都市においては値下がりもございますが、今までが非常に高こうございますので、ここで満足するわけにはいきませんけれども、鎮静化の傾向はようやく出てきたということが言えると思います。
 こういった情勢を踏まえまして、今までとった一連の緩和政策の一環あるいはその続きとして今回公定歩合を下げたわけでございまして、これによって、先ほども申し上げました息の長い成長を続ける、そういったものにうまくつながってほしいというのが私どもの希望でございます。
 ただ、先ほど物価は大体いいと申し上げましたけれども、労働需給は引き続きタイトでございますので、いわゆるサービス価格等に対する価格の上昇圧力はまだ強うございますので、今後も引き続き物価安定というものを中心に据えた慎重な政策は続けてまいりたい。土地の値段につきましても、今申し上げましたように鎮静化したという、これでとても満足できませんので、その動向には注意深い目を続けてまいりたい、かように考えております。
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中山正暉#18
○中山(正)委員 今お話を伺いまして、かつて私も、渡辺副総理に総裁選挙のさなかお供をして行きましたら、もっと早く公定歩合を引き下げろとおれは言ってたんだという話を何度か伺ったことがありました。今この時期にずれ込んだという印象で私ども見ているわけでございますが、やはり世界の動向として何か関連性があるのかなと。特に、東ドイツが西ドイツと一緒になったときに、これは大変な失業者、三百五十万とも言われておりますし、大変な大きな経済的な負担を、一兆二千億マルクですか、出さなきゃいけない。そうかといって東ドイツが喜んでいるかというと、東ドイツのよかったところが西ドイツのいいところとつながるんだと思っていたら、西ドイツのいいところが入ってこなくて東ドイツのいいどころがなくなってしまった。コール首相がバナナもらったので、バナナで釣られたということまで言う人がいました。東ドイツ、東とか面とか今言っちゃいけないそうでございますが、旧東ドイツはバナナ共和国になったなんという話を聞いたことがありました。
 その意味で、ドイツは公定歩合を引き上げる、日本は下げる、アメリカも十九年ぶりに五%を割り込みました。そういう世界的な連動というのは、何かお話を聞かして――バーゼルでの中央銀行総裁の会議は秘密会議だそうでございますから、中身はおっしゃれないのかもしれませんが、日本人三重野として、これからの日本にどんな情報をこの席で国民の皆さんにお伝えを願えるのか、私はこれは重要なことだと思います。一瞬にして世界のニュースが世界の隅々までいくときでございますので。
 日本人がこうして大変な預貯金持っておりますね。郵便貯金、それから銀行預金、それから金銭信託、生保、損保なんという、今すぐ取り崩せるようなものは、これは世界の預貯金の五〇%から六〇%ぐらい持っているんじゃないか。大変なこれは金持ち大国と形は見えておりますが、総理も御心配なすっておられるように、生活大国にしなけりゃいかぬ。何か日本は大きいけれども、何かおれたちは小さいな、そういう印象で、確かに企業は大きな経済力を持っていますが、個人にそれが行き渡ってないという、そんな不満感もあると思いますので、その辺のグローバルなお話を、お帰り早々でございますからホットなところでお聞かせいただけたらと思います。
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三重野康#19
○三重野参考人 お答えします。
 委員がおっしゃいましたように、BIS会議そのものは対外秘でございますが、会議の内外のところでグリーンスパン議長を初めとして多くの方とお話しする機会がございましたので、その印象を申し上げてみたいと思います。
 アメリカは、委員御承知のとおり、つい先日公定歩合を下げました。これは発表文にありますように、インフレ圧力がだんだん鈍ってくるもとでマネーサプライあるいは信用が伸び悩んでいることと市場金利が下がったことについて、この二つの理由を挙げておりますが、その裏にはやはり景気が非常に悪いということがあると思います。それで、向こうの人のいろいろの話を聞いておりますと、この後一、二・四半期はまだ低迷が続くけれども、来年の春からは上向くだろう、これは恐らく期待もこもっていると思いますが、そういう話でございました。
 ヨーロッパでございますが、これも既に委員が御指摘になりましたように、ドイツは、西ドイツがこれまでずっとブームでございましたが、やや景気が下がっている、旧東ドイツは大変なボトムにあった、これはようやく底を打った、そういう話でございましたが、ただ賃上げが非常にひどいので、ドイツは物価の先行きについて珍しく、ドイツというのは大体非常に物価がいいわけでございますけれども、ドイツだけは物価の先行きを心配しておりました。あと、イギリス、フランス、イタリアでございますが、イギリスはようやくリセッションが続いて底を打った。それからフランス、イタリアは緩やかに景気が上昇している、しかしその景気上昇のテンポはいま一つちょっと遅いという印象を受けました。ただ、ドイツを除いた各国は物価が非常に落ちつきつつありまして、この点は各国の総裁は自信を持ってきていたようでございます。
 そういうふうに世界の各国の情勢はややばらばらでございますが、これはG7の声明にもうたってございますが、各国の情勢はややばらばらであるけれども、それぞれの情勢に応じてインフレなき持続的成長を遂げるための適切な政策を講じていくべきだ、そういうG7の声明に沿って各国がそれぞれ政策をとっているという感じでございまして、その少なくとも物価がだんだん落ちついてきているということについて、ドイツを除いた各国の総裁は自信を持ってきているようだ、そういうふうに感じまして、日本についても物価安定、ますます、特に経済大国で経済のウエートが大きいわけでございますので、それが大事だというふうに感じて帰ってまいりました。
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中山正暉#20
○中山(正)委員 私は心配をしておりましたのは、ちょうど東ドイツと西ドイツが一緒になってヨーロッパの家がこれからできよう、ECというものができようとするときに、ドイツが混乱するとヨーロッパは混乱するのではないか。そのときに湾岸戦争が起こりました。これは大変だ、これで世界の経済がどんどんどんどんその戦費の方に引きずり込まれていくんじゃないかと心配をしておりました。これはむしろ何かからくりがあるんじゃないかなとさえ疑ってみたこともありました。しかし湾岸戦争、四日間でこれは終わりましたので、本当によかったなと。
 ソ連は、不思議な行動をとったのは、国連では決議には賛成したけれどもヤナーエフさんなんかが行って、さあこれから湾岸の解決をしようかと思ったら、ちょっと待てと言って、軍事顧問団八千人もイラクの中へ置いている。不思議な行動をとったなと思いましたが、これも四日間で解決をしたことは、私は、アメリカの功績は大変大きい、世界経済に果たしたアメリカの軍事力の役割というのは私は大きく評価をしたのでございますが、今のお話を聞かれて総理大臣はどういう御感想をお持ちでございましょうか。
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宮澤喜一#21
○宮澤内閣総理大臣 我が国の経済動向につきましては、本会議でもいろいろお尋ねがございまして、私から申し上げておりましたことは、景況の判断について私どもも金融当局もそんなに違った判断をしておらないように存じます。殊に、金融当局が従来から長短金利の低目誘導をずっと続けてこられたことからもそれはわかることでございますので、しばらくこの際の金融措置については金融当局の御判断に任せることがいいのではないかということを申し上げておりました。今朝、三重野総裁が先ほど御説明のような公定歩合引き下げをなされましたことは、まことに時宜に適したことであるというふうに存じております。
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中山正暉#22
○中山(正)委員 ありがとうございました。
 そこでお伺いをしたいのですが、現実的に今のお話のように、ちょっと急ピッチで、見通しは明るいというお話を伺ったのでございますが、景気に対する何か政府で、ちょっとしばらくの間は景気が後退するよというような、そういう忌謹言葉は使わない方がいいのかもわかりませんが、何か国民に対してアピールを、年末にかけて宣言みたいなものをなさる必要がないのかとか、それから景気対策としては、日本銀行は七月一日の公定歩合の引き下げが六%から五・五でございましたが、お話もありましたマネーサプライ、M2プラスCDというのですか、現金通貨それから預金通貨、そういうものに対する減速が激しいようでございますが、これから、マネーサプライは戦後でも最低の伸び率になってきているようでございますので、マネーサプライの不振に銀行の貸し渋りもありますし、それから、マネーサプライが超低空飛行の中で政策金利下げだけでも、短期金利は下がってきましたが長期の方はまだなかなか問題があるようでございますし、これで景気対策というのは十分なのか。その辺の景気浮揚につながるかどうかという問題をどんなふうに考えておられるのかを、これは大蔵大臣でございましょうか。
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羽田孜#23
○羽田国務大臣 ただいまの中山議員の方から御指摘のございました点でございますけれども、今総裁の方からあるいは総理の方からもお答え申し上げましたように、確かに一般的には景気というものは後退しているということが言われ、事実、住宅ですとかあるいは自動車の販売台数、こういったものを見ましたときにも、相当前年対比では減速しているというのが現状であろうというふうに思われております。しかし、一方では個人消費の伸びというのは、このところやはりいまだに堅調であるということがございます。それと同時に、特に公共事業の建設等も含めまして、建設関係におきましては人手が不足しておるというような現状で、逼迫しておるということも言えるのじゃなかろうかというふうに思ったときに、私どもといたしましては、やはり現状をとらまえるときに、まだ日本の経済あるいは景気というものは底がたいということが言えるのじゃなかろうかという認識に立っておるということであります。
 その意味で、確かに今御指摘のとおり、マネーサプライが確かに大変低いところに今落ち込んで、最近では最低のところへあれしているじゃないかという御指摘があったとおりでありますけれども、しかし一方では今申し上げたようなことがあるということで、私どもとしては今度の公定歩合の引き下げというものがどんな効果を及ぼしていくのか、そういったものを十分見詰めていくべきであろうというふうに認識しておることを申し上げたいと思います。
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中山正暉#24
○中山(正)委員 英国あたりでは、BIS規制というものですね、国際決済銀行の自己資本の確保といいますか、英国では十一月に入ってからバークレーズ銀行を中心に民間銀行がイングランド銀行にBIS規制見直しの要請を行い出しているということが報道なんかで言われているわけですが、国内でのマネーサプライ傾向的伸び悩みの原因として、BISの自己資本比率という規制が九三年の三月まで最低で八%の自己資本確保ということに指摘されているわけですが、これを見直すというようなお考えはお持ちでございましょうか。いかがでございますか。
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羽田孜#25
○羽田国務大臣 今、BIS規制につきましては、お話がございましたように、銀行の経営を健全化する、維持するために国際的な合意であるということでございまして、現在主要各国におきましても一応その実施の方向、これに向けて努力をしておるということであります。ただ、金融自由化が進展する中で、金融市場全体が自己資本比率を銀行の一つの重要な指標としてとらえるようになっております。また、邦銀におきましては、国内貸出業務を収益の柱として位置づけ、収益の向上に努めるとともに、劣後性の債務、これの取り入れを図るなどの自己資本充実策を計画的に実施しつつあることから、BIS規制が銀行の貸し出し行動を通じて国内資金需要に悪影響を与えるというふうには考えておりません。
 以上のことから、BIS規制の完全実施の時期を今延期する等の措置を講ずる必要があるとは考えられないということで申し上げておきたいと思います。
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中山正暉#26
○中山(正)委員 まあ現行のBIS規制、自己資本規制というのは、信用リスク、いわゆる貸出先の倒産リスクなどですけれども、これに対応したものでございますけれども、これに加えて市場変動リスクですね、銀行の保有有価証券の値下がり損のリスクなんかに対応した追加的な規制の導入が検討されているということを聞いております。マネーサプライの伸び率をさらに抑制して、結果として景気対策の金融政策の効果を減殺するのではないだろうか、いわゆる金融政策として何かお考えがその意味であるかどうか、お願いをいたします。
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土田正顕#27
○土田政府委員 いわゆるBIS規制につきましては先ほど大臣から御説明申し上げたとおりでございますが、ただいまお尋ねがございました市場変動リスクにつきまして御説明を申し上げます。
 このBIS規制はバーゼル委員会という場でいろいろと議論をされ、それから今後の見直しその他も検討されております。その一環といたしまして、市場変動リスクに対応した規制というテーマが一つの議論となっておりますことは事実でございます。
 ただ、これはなかなかいろいろな議論がございまして、BIS規制のマネーサプライの伸び率に与える影響自体そもそも明らかでないところがございますほか、このような、御指摘にもありましたような考え方自体がまだ十分具体的に具体化されたものになっておらない、さらにいわんや、その実施時期のめども今のところ立っておらないという状況でございますので、そのようないろいろな検討段階ではございますけれども、その規制後のマネーサプライの伸び率に対する影響について、今現在なお具体的に議論できる段階には至っておらない、そのように見ておりますところでございます。
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中山正暉#28
○中山(正)委員 バブルの再燃が気になるということで、日本銀行など景気対策として金融緩和策に慎重なようでございますけれども、総量規制をやった後で、これはぼつぼつ選択融資みたいなもので考えていただかないと、ノンバンクなんかの経営が非常に、緩和策が遅きに失するんじゃないかという、過剰引き締めということで、ファイナンス会社なんかのノンバンクに対する影響なんかはどう見ておられますでしょうか。
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土田正顕#29
○土田政府委員 総量規制のお尋ねでございます。
 この総量規制そのものは、昨年四月から導入いたしておりますが、不動産業向けの貸し出しの伸び率を貸し出し全体の伸び率以内に抑えるように自主的な金融機関の調整を求めるということでございまして、ノンバンク向けの貸し出しは、これはあわせて報告を求めるという位置づけでございます。そのようなことで、位置づけは不動産業向けの貸し出しとは差を設けておるところでございます。
 現在のところ、むしろ問題は総量規制の不動産取引なり地価に与える動向いかんというようなことでございますが、この辺は御案内のように、この九月に国土庁が発表いたしました都道府県地価調査結果というのがこれまでの一つのデータになっておりますが、そのときの段階では、なお引き続き地価動向について注視することが必要である、注意して見ることが必要であるというのが国土庁の総合的な判断でございました。私ども、なおこの総量規制の今後につきましては、経済全般の動向、金融経済情勢、それから金融機関の融資動向、さらに基本となります土地政策全般の推進状況など総合的に勘案して、適時適切に対処してまいりたいと考えておるところでございます。
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