ロバート・リケットの発言 (法務委員会)
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○リケット参考人 皆様こんにちは。私は四十七歳のアメリカ人です。アメリカ人ですが、私の意思でいかなる国家、政府に忠誠を誓った覚えはありません。三十二万人の永住権を持たない在日外国人の立場から、法務省の外国人登録法の一部改正案について意見を述べさせていただきたいと思います。
一九六六年を初めとして、それ以来私は三回、日本に来て、合わせて十六年間日本に滞在していますが、外国人登録法に従って三回ほど指紋をしっかり押しています。大学院研究生として来日した一九八〇年の押捺のときは特に記憶に残っています。日本に来て二週間後、市役所の外国人登録の窓口に出頭し、左手の人さし指の指先に黒いインクがべったり塗られて、指紋がとられました。終わった後、とった方もとられた方も気まずい雰囲気が続き、白けてしまい、市役所を後にしました。
そのときは、手が汚れただけではなく、自分の人格も奇妙に汚されたという、まるで恥ずかしいことをやったような気がしました。なぜ日本政府が日本に留学する人々を敵視しなければならないのかと思いました。
この数年間、アジアを初めとする諸外国から多くの人々が日本に来ています。勉強したり働いたりあるいは日本人と結婚したりして、この地を生活の場とするようになりました。そして、毎年来日する一年以上の在留資格を持つ外国人の多くにとっては、指紋押捺という強制は、自分たちが歓迎されない異質な存在であるという異様な第一印象を与えるのではないかと思われます。国際化時代と広く言われている今日、日本で犯罪の被疑者以外に適用されない指紋制度を外国人に押しつけることは、先進国にとって果たしてふさわしいのでしょうか。
この十年間、日本の指紋制度は人権侵害であると国内外の批判が高まってきましたが、その批判を背景に、今回の政府案は前進と断定できるかどうかという問題があります。
この案によると、旧植民地出身の人々など永住資格を持つ約六十四万人の在日外国人は指紋押捺から一応解放されるようになるとされていますが、三十二万人の非永住者には指紋制度が存続されることになります。歴史的背景や基本的人権の配慮からいえば、在日韓国・朝鮮人、台湾・中国人を指紋の強制から解放されるのはごくごく当たり前のことであると思われます。しかし、指紋を押さない外国人と指紋を押す外国人を区別することは、結果的に制度上の新しい差別を持ち込むのではないかと思います。
また、永住者と非永住者との分け方は、外国人の立場からいえば複雑でわかりにくく、また恣意的に見えます。例えば同じ家族の中でも永住者と非永住者両方が存在するので、指紋を押す家族と押さない家族、両方があるという極めて変則な場合も出てくるでしょう。
そして、非永住者の多くは留学、文化活動、ビジネスなどの関係で一年から三年の間に、比較的に短期間に滞在します。しかし、五年、十年、二十年、あえて骨を埋めるつもりで長期間日本に暮らし、この地に子供を産み育て、日常生活の中で日本人と対等につき合っている外国人も少なくないと思います。
時々、非永住者は永住者よりも日本に長く滞在し、日本社会に深くかかわっています。例えば、知り合いの一人なのですが、日本人と結婚して配偶者資格を得て、ただ三年間滞在しただけで永住権をすぐ取られたのですが、それに対して、もう一人の友達がいるのですけれども、その人は大学の出版会に引き続き十五年間勤めているのですが、その人は一年の在留資格しか認められなく、毎年更新の手続をしなければならなかったのです。子供二人がいますが、お二人とも日本で生まれ育ち、日本の学校に通っています。ことしやっと初めて子供とともにその友達は定住外国人として認められましたが、三年の在留資格が出ました。
しかし、来年十六歳となる長女は永住権を持たないために指紋押捺が強要されます。その長女の同級生の中に永住外国人もいるわけですが、今回の政府案によって彼らは指紋押捺義務がなくなります。結局、その少女だけが指紋を押さなければならないのです。
友達の長女のような外国人は少なくないのです。彼らの指紋をなぜとらなければなりませんか。私たちは、子供になぜ押さなければならないかと聞かれたときに、どういうふうに答えればいいのでしょうか。法務省の方々は、その未成年たちあるいは彼らの親に、十分納得できるような御説明があれば教えていただきたいと思います。
在日外国人が指紋をどう思うかはともかくとして、押捺にこだわっている警察庁、法務省、外務省などにとって指紋はどういう意味を持つのでしょうかということを考えなければなりません。しかし、残念ながら関係省庁の説明を聞きますと余りにもわかりにくいものです。
例えば、国連規約人権委員会の一九八八年七月二十日の会合で、政府が日本の人権状況について取りまとめた第二回の報告書がほかの国からさまざまな問いを引き起こしましたけれでも、その中で指紋・常時携帯制度も批判の対象となりました。そのときに外務省人権難民課の国枝代表が、在日韓国・朝鮮人の指紋押捺などを弁解するために、指紋制度は十六歳以上もしくは一年以上に在留する外国人に平等的に適用されているから差別ではありませんと昂然と答えました。
しかし、今回の政府案では旧植民地出身者を中心に一部の外国人が指紋押捺という法的規定から除外されます。今まで法務省、外務省からいただいた御説明と今回の法案の内容をどう整理し、理解すればいいのでしょうか。
また、外国人登録法は、本来、すべての在留外国人の公正な管理を目的とするものとされていますが、関係省庁のお役人の方々は時々違うような解釈をします。例えば法令研究会編「出入国管理令・外国人登録法の違反態様と捜査要点」というマニュアルの中ですが、これは一九七九年四訂版八十九ページですが、引用しますと「わが国における外国人の管理対象は、朝鮮人であると言っても過言ではあるまい」という指摘があります。
さらに、法務省も似たような説明をしたこともあります。一九八六年十月二十四日、当時の入国管理局長小林俊二氏は東京の外国人記者クラブで記者会見を英語で行いました。質疑応答のときにドイツの新聞デル・シュピーゲル紙のテラザーニ記者に、あなたは、指紋押捺について話をしていると韓国・朝鮮人について話してはかりだ、韓国・朝鮮人にだけ指紋押捺をさせればいいのではないか、なぜスイス人が指紋押捺をしなければならないのですかと聞かれました。小林入国管理局長は次のように答えました。日本において韓国・朝鮮人だけをそのほかの外国人と区別するわけにはいかないのです。外国籍の人はみんな同様に扱わなければなりません。さもなければ、そこには何らのもっともな理由が提示されないわけですから、区別ではなく差別になってしまいます。法的に、事実として言えば、不法入国者が来ているのは朝鮮半島からだけです。それは、その観点からいえば日本に住む韓国・朝鮮人だけから指紋をとれば十分でしょうが、しかしそれは実行可能でもないし、合理的でもないし、適当でもないと思います。日本国籍所有者とそうでない人に差をつけるのは可能ですが、国籍によって外国籍の人々の間に差をつけるのはできません。不可能だと思います。
また、「世界」の三月号の吉田類さんの記事によりますと、警察庁が、指紋はいわゆる不法残留者のために必要だと説明しているそうです。しかし、いわゆる不法残留者は短期滞在者なのですから指紋を押すことはありません。このような指紋押捺がだれにとってなぜ必要なのか、私たち外国人はさっぱりわかりません。私たちがこの数年間指紋などについていただいた御説明はそれぞれですが、かいつまんで言えば矛盾だらけと考えざるを得ません。
ほかの国では指紋がどうかという質問は三月二十七日のこの委員会の審議で出ました。法務省の回答によりますと、先進国の中では日本以外に外国人の指紋をとっている国はスペインとポルトガルと米国だけだそうです。しかし、田中先生がさきにおっしゃったように、スペインとポルトガル両国は、日本と違って自国民の指紋をもとっていますから、内外人平等の原則を犯しているわけではありません。
では、米国の場合はいかがでしょうか。確かに米国は一九四〇年にナチスや共産主義者を排除するために戦時立法として外国人登録法を設定し、それ以来は外国人の指紋を強制しています。現在米国は、永住権つまりグリーンカードを得る外国人だけから十指の指紋をとりますが、それはそれなりの屈辱的な取り扱いだと思いますけれども、少なくとも見返りがあるわけです。日本と違うところですが、米国で永住権をもらえば一般のアメリカ人とほぼ同じ権利を保障されます。つまり、外国人は公立学校に教えられますし、地方公務員にもなれます。また、米国公民権立法というのがありますが、国籍を問わずにすべての住民を各種の差別から守っています。
田中先生がさきに指摘されたように、その上に米国の国籍原理は出生地主義ですから、つまり米国で生まれる子供たちは親の国籍はどうであれアメリカ人になります。血統主義にこだわる日本では、外国人である以上何世代がたってもあくまで指紋がとられるし、外国人登録証を常時携帯しなければならないし、常に警察の管理下に暮らさなければなりません。そして、日本人と同じような権利があるかといえば、保障されていません。
今まで述べたことは必ずしも私一人の意見ではありません。この一カ月間、私と数人の友達、知り合いは、永住者を中心に国際レベルで商売または文化活動を行っている人々から今回の政府案についてコメントを求めました。まだ最終的結果が出ていませんが、四月六日現在、外国人百八十八人、日本人百五十二人、合わせて三百四十人の人々は指紋の全廃を要求しています。指紋制度の一部を残すことは仕方がないと考えている人は三十六人だけです。その三十六人のうちに、外国人の指紋をとっても仕方がないけれども日本人の指紋をもとってほしいという強い調子のコメントがあります。
すべてのコメントを述べる時間はありませんが、幾つかの代表的な意見をお知らせしたいと思います。
それに入る前に、一九八七年一月号の「外人登録」という雑誌ですが、小林俊二元入国管理局長は、指紋押捺に対して次のように言っています。感情的反発を示し心理的困難を感じるのは在日韓国・朝鮮人だけですというふうに断言しましたが、私たちの手元に集まってきたコメントは、植民地支配という悲しい歴史を背負わない外国人のかなりの数も指紋押捺の精神的負担が大きいことを伝えています。
例えば引用しますと、私も夫も子供二人も外国籍ですから一日も早く指紋制度が廃止されるよう願っていますと、文筆業に従事している外国人は書きました。ある大学教員は、こう言いました。ことし日本で生まれた娘が十六歳になり指紋押捺の時期になっており、自分の意思で日本永住を選んだ私とはまた別な立場で押捺を強要されることは納得いかない。また、外国人を一般社会から追放された者もしくは犯罪者として取り扱うのは御免ですと、ある研究所の所長は書きました。そして、一人の外国人宣教師は、私は一九八七年に来日したときに指紋をとられました、この不快、無意味なやり方は屈辱的だと思いますという厳しい批判もありました。
それだけではない。多くの外国人が、問題は指紋だけではありませんと返事しました。一人の法律家は、常時携帯義務は指紋以上に屈辱的な強制ですと書きました。また、ある会社の社長ですが、日本に滞在する権利を持つ外国人がなぜ日本に自由に出入りすることができないのでしょうかと、再入国許可問題を指摘しました。
日本人側に、それぞれありましたけれども、代表的な意見としては、私は外国に長期滞在したことがありますが、指紋を求められたことは一度もありません、私は大学で教えており、職業柄外国から学者を長期に招聘することが多くありますが、このことが、このことというのは指紋押捺が一番頭が痛い問題です、以前来日を取りやめた場合もあります、一日も早く撤廃を望みます、まことに恥ずかしい制度です。
一九八一年、カリフォルニア大学の教授ジョージ・デボスとイ・チャンソ教授が共編した「在日朝鮮人」という本の序文に、保守流政治学者ロバート・スカリピノ教授は、在日韓国・朝鮮人をめぐる諸法律はアパルトヘイト的だと言及しました。先ほど田中先生も触れましたけれども、ことしの三月十日、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙では在日韓国・朝鮮人の処遇、法的地位などを問題にし「日本 静かなアパルトヘイトの国」という記事も出ました。
日本の外国人に対する取り扱いを南アフリカのアパルトヘイト制度に例えるのは極端で、そぐわないと反論する人たちが多いと思います。確かに両制度の間に大きな違いがあるわけです。しかし、いずれの場合にも有権者と無権利者との間に法制度的な障壁を設け、後者を異質なものとして隔離するという機能上の共通点があるように思われるのも無理もないでしょう。極めて残念なことですが、政府の高官がアジア人労働者、アメリカの少数民族までをけなす、中傷するような発言を繰り返してきた意識がこのような制度を支えているのではないでしょうか。
この数年間、指紋押捺は日本の排他性の象徴となりました。しかし、人権を守る立場にある法務省は、法でもって差別をなくするのではなく、指紋の一部存続によってあえて新しい差別を生み出そうとしているのではないでしょうか。
私たち外国人は、日本社会に害を及ぼそうとして来日したわけではありません。日本の学校、企業、工事現場、さまざまな分野でさまざまな役割を果たしています。そして、その役割、日本が国際社会で一定の貢献をするためあるいは日本社会の繁栄のため今まで役立ってきたと思いますし、これからも役に立つと思っています。日本の中で外国人と出会い、さまざまな文化と知り合うことは日本人にとってよいことではありませんか。また、逆に、海外から来る人々も日本人から学ぶことが多いと思います。短期・長期滞在、在留資格、民族、国籍、皮膚の色を問わずに、外国人は多くの日本人の友人を持ち、日本社会とのかかわりを深めています。今や、政府は、多くの日本人が望む国際化を妨げるような政策をとるべきではないと私は思います。
国籍が違ったり、民族が違ったり、在留資格が違うということで、指紋押捺、常時携帯、重い刑事罰という人間の尊厳にまで傷をつけるような管理体制は、どれほど日本社会に生きていこうとしている一人一人の外国人の日常生活を脅かしているかということを考えなければならないと思います。政府は、在日外国人が差別的な制度を適用されてもよいのだと考えている限り、日本社会に根をおろしている差別はなくなりません。今回の政府案は、国内外で日本の内なる国際化の鏡としてとらえられるでしょう。そのために十分な時間をかけて議論を尽くしていただきたいと思います。
最後に、人さし指の自由という表現がありますが、それはともに自由に生きる社会への道を指しているのではないかと私は思います。
以上です。(拍手)