中山正暉の発言 (予算委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○中山(正)委員 自民党の筆頭理事でございます中山正暉でございます。
 御不自由な拘禁の状態にあられるところに、証言法一条の二で場所を特定するということで、本日はお邪魔をして、日本の今政界を揺るがし、いろいろな意味で問題を醸し出しておりますことで、赤松補佐人の御協力も得まして、できる限りの御協力を願いたいものと、ここにまずお願いを申し上げながら、この拘置所とそして裁判所関係、司法機関の御理解で日本で初めてのこの特定場所による私どもの証人尋問ができますことに、いろんなお世話になりました方々にまず感謝を申し上げたいと思います。
 検事調書の中で、竹下内閣が成立することに関しての御意見が述べられております。
 平成四年六月二十日付の調書要旨に、「竹下内閣成立問題は、私の一生で一番大きな出来事です。私の力を日本の将来に示すことができた大きな出来事だった。確かにこの問題が解決されなくても竹下内閣は成立したかもしれないが、昭和六二年十月五日〜六日にかけて竹下先生の困り切った様子や、金丸先生の説得の態度や、小沢先生の狼狽ぶりをみると皇民党問題が解決しなければ成立はあり得ないという雰囲気だった。このような大問題を私の力で解決できたのだから竹下内閣成立について、民間人での第一の功労者は私だという自負心を持っていました。」とおっしゃっておられます。
 実はけさ十時から竹下元総理大臣が証人として国会に出られまして、私はこの同じ文書を竹下元総理大臣にお読みをいたしました。
 そして昨日、私、中曽根元総理大臣にもお目にかかってまいりました。
 御承知のように、あのときは総裁選挙ではございませんで、中曽根総理大臣が宮澤、安倍、竹下の三人の総裁候補を、自民党の総裁指名権を委嘱を受けた形での指名選挙でございまして、一般党員の投票ということではございませんでしたので、七カ月、百四十回、十八都道府県にわたる皇民党の運動は、私どもの耳にも入るような形で、また現実に、花の日というのがありますが、その花を配る日に銀座のソニービルの前で幹事長の竹下登先生、そして私が国民運動本部長でございましたが、そのときに前を「竹下さん早く総理大臣になってください」という、いわゆる褒め殺しで宣伝車が回ったのを私どもは鮮烈に記憶をいたしておりますのですが、実際にはそういうわけで、指名でなられたものでございますので、中曽根総理、指名権のあられた元総理大臣の中曽根康弘先生も右翼の運動には全く関心がなかった、自分は厳正、公平な指名権を行使したんだということをおっしゃっておられるわけでございます。
 そこで、渡邉さんが皇民党に働きかけたそのきっかけ、そしてそうしなきゃならないという、自分が一番の功績者だと思われるような雰囲気になりましたその原因ときっかけ、依頼を受けられてのことなのか、その辺の御事情をお聞かせくださればまことにありがたいと思います。

発言情報

speech_id: 112505261X00519921127_024

発言者: 中山正暉

speaker_id: 32328

日付: 1992-11-27

院: 衆議院

会議名: 予算委員会