竹下登の発言 (予算委員会)

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○証人(竹下登君) まず、金丸さんの証言で出てきた中尾さん、青木さん、この二人についてでご
ざいますが、青木氏は昭和三十三年以来五十一年まで私の公設秘書または官房長官秘書官二回、建設大臣秘書官、そしてその後は竹下事務所の責任者という立場にありましたので、私自身の人生観とでも申しますか、これはみずから体の中にもうしみ込んでおったと思います。
 したがって、私がかねて学生時代聞いた言葉でございますけれども、体制側にある者は言論の自由に対していかなる批判にもこれに耐えていかなければならない、そして、報道とはという後段の方は別にいたしまして、したがって、人様に迷惑をかけてはいけない、大概のことは自分で耐え忍べばよろしいという私の生きざまは彼にしみ込んでおったと思います。
 しかし、事務所の責任者でありましただけに、いろいろな、やかましくて困るとかあるいは暴行傷害事件があったとか、そういうことのアドバイスなり忠告なり受ける立場にあったことは事実でございますが、いわゆる街頭宣伝活動を中止させるための方法等について私に相談したことは一回もございません。相談する心境にもなかったのであろう、確かめることもできない今でございますが、私はそのように思います。
 中尾さんは元衆議院議員であります。私は、元議員の方がおいでになりますと可能な限り時間を割いてお会いすることに努めておりますしかし、中尾さんの場合は東京にお住まいでございますから、自分で意識して努める時間をつくらないでも容易に会い得る、会うことのできる立場にあられたと思いますが、この中尾さんといわゆる皇民党運動についてのかかわり合いというのは、私は全く存じていないところであります。
 それから、十二月二十三日という日が石井さんと金丸さんとお会いになった日だというふうに衆議院で言われておりますが、私はその当時は、二十三日は本院で名誉ある内閣総理大臣兼大蔵大臣竹下登君を問責するという決議をいただいた日でございまして、私はその当時の政治情勢からいたしまして詳しくそのような事情を聞くことはなかったと。したがって、その後知ったというのが正しかろうというふうに申し上げておるところでございます。

発言情報

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発言者: 竹下登

speaker_id: 22013

日付: 1992-12-07

院: 参議院

会議名: 予算委員会