島脩の発言 (政治改革に関する調査特別委員会)
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○島参考人 島でございます。
提案されております政治改革法案に関連して、政治改革論議についての私の考え方を申し述べたいと思います。
国政を預かる政党や政治家に課せられた重要な役割の一つは、利害調整機能であろうと思います。複雑に絡み合う国民各界各層の利害をどのように調整して大局的な立場から国益に沿った施策を展開するか。近年、特に国際政治経済の動向が国民生活に直結するようになり、その政治の利害調整機能は一層重要性を増しております。しかし、現実の政治はこれとは逆に、利害調整機能が著しく後退しているように見えます。国民の価値観が多様化して、調整が難しい政策課題がふえていることは確かでありますが、それに政治スキャンダルが加わって、政治改革、みずからの改革は遅々として進まない。こういったことに対する国民のいら立ちが募って、政治は危機的状況にあると言われるようになっておるわけであります。
政治改革というのは、政治が本来の利害調整機能を取り戻し、国政をリードしていくには、国権の最高機関である国会をどうやって再生すればいいのか。新しい時代認識のもとで、国会みずからが議論し、決定し、抜本的改革を断行することであると私は考えます。この機会を逃せば、単に政治改革の道が遠のくというだけではなく、日本の政治の後進性を改めて内外に印象づけ、日本という国への信頼性を大きく損なうことを覚悟しなければならないと思います。
これまで、政治スキャンダル発生のたびに、私たち政治記者も随分肩身の狭い思いをしてきました。今や政治の抜本改革ができるかできないかではなく、やらなければならない。今のような有権者が政治を冷笑しているような事態は一刻も放置すべきではないという焦燥感に駆り立てられている次第であります。この国会でぜひとも四法案を成立させていただきたい。危機感、切迫感を持って取り組んでもらいたいというのが私の第一の要望であります。
今度の政治改革の直接の発端は、リクルート事件から東京佐川急便事件、金丸問題に至る一連の不祥事でありますが、より本質的な問題は、やはり許認可権限、補助金支配の行政、それに伴う政治の行政化、それに選挙制度等のゆがみがもたらした政治そのものにかかわる構造的な問題であろうと思います。
現行の中選挙区制のもとで個人本位の選挙が長い間続いた結果、個別利益誘導型の政治が定着し、選挙地盤が私有財産化し、政党間の討論や政策論争は二の次になっています。後援会、派閥中心で選挙を争う限り、常に支持者や業界の利益を代弁する役割を宿命づけられることになります。これらの実態はここにいられる国会議員の方々が身をもって体験されていることであって、多弁を要さないと思います。もちろんこれには選挙民の側にも問題があります。ここをつかなければ、幾ら政治家のモラルを嘆き、政治資金の規制強化、選挙違反、腐敗防止に知恵を絞っても、なかなか効果を上げることは難しいだろうと思います。政治システム全体の転換が必要だと考えます。
私たちが、読売新聞の場合、特に四法案一括処理を当初から主張し続けてきているのも、腐敗や利権の絡む構造が国会議員の選出過程と不可分の関係にあるという認識に立ったからであります。
当委員会においても、これまでの論議を聞く限り、各党が一括処理の方向で足並みをそろえておられるように見えます。これも同様の理由からだろうと考えます。この立場を堅持して、選挙制度改革を含めて、ぜひ抜本改革をやり遂げてほしいと思います。
その選挙制度でありますが、単純小選挙区制の自民党案は民意の集約を目指すものであり、他方、社会、公明両党提案の小選挙区比例代表制は民意の公正な反映に重点が置かれております。考え方としては確かに水と油ほど違いますけれども、双方とも中選挙区制の弊害を認め、選挙制度の改革が必要であるという点では一致し、もはや中選挙区制の改革は公約になっていると断じてもいいと思います。もともと選挙制度は各国ともいろいろ違います。これなら絶対という制度はない以上、やはりお互い歩み寄って、接点を見出す努力が不可欠になるだろうと考えます。
ここで私の私見を申し上げれば、今回の選挙制度の改革は、どのような国家像を日本は志向しようとするのか、そのためにはどんな議会にすればいいのかといった問題を判断基準にすべきではないかと私は思っております。
国際情勢の激変、日本の置かれている立場を考えれば、これから二十一世紀に向けて日本はさまざまな国際責任、国際貢献を求められるようになります。そのたびごとに、これまでとは違った、大小さまざまな政治決断を迫られる局面が出てくることは間違いないでしょう。これまでのように、大国の舞台のそでに隠れて一国安泰主義を決め込むことはもはやできないし、そういったことは許されるはずもないでしょう。そういった世界からの課題に的確迅速に対処するには、やはり政権党が責任を持って決断する必要があるだろうと考えます。そのためには、民意を集約する小選挙区中心の選挙制度が望ましいと私は考えます。その政権党の選択が間違ったり失政があれば、次の総選挙で野に下り、政権交代となる可能性が高い。そういった問題を通じて政治に緊張感が生じ、有権者も政権を選ぶという立場から、そのときどきの政策課題、問題点を真剣に考えるようになるだろうと思います。有権者の意識改革というような面でも、私は小選挙区制中心の方が望ましいだろうと思います。
この点、比例代表の場合、多様な民意を正確に反映はしますが、政治が動かない、政治が機能しないおそれがありはしないか。政策決定にこぎつけることはできても、タイミングを逸しはしないか。あるいは多党化して小党がキャスチングボートを握るなど、政局不安定化を招くのではないか。さらにまた、公約に基づいて政策を実行し、その結果について責任を問うという議会政治の面では、責任の所在が不明確になるという面も私は心配するわけであります。
先ほど申し上げたように、国際化、高齢化の進行とともに、国民の間の利害が複雑に絡み合い、あちら立てればこちら立たずといった二律背反的な政策課題がふえております。また、世界と日本との調和という問題もあります。行財政改革に見られるように、民意、世論というものはとかく総論賛成、各論反対に陥りがちであります。特に犠牲や痛みを伴う問題を嫌うし、現状維持、既得権擁護に傾く傾向があります。政治もそれに迎合しがちであります。第二臨調の場合は、土光さんのカリスマ性で、国鉄、電電の民営化等々の改革を断行でさましたが、これは本来国会がやるべきことだっただろうと思います。そういったことが、比例代表制あるいは民意の公正な反映、価値観の多様化の縮図となったような国会の中でやれるのかどうなのかということに疑問を感ぜざるを得ないわけであります。
しかし、現実問題として、単純小選挙区制、自民党案が成立する可能性はほとんど絶無でございます。私は、せめて海部内閣時代の比例代表並立制で妥協が成立しないものかというふうに個人的には考えておりますけれども、これもどうも無理なようであります。とすれば、今民間政治臨調が出してきている小選挙区比例代表連用制は、妥協の誘い水にはなるではないか、この案に私は期待をかけざるを得ないのが現在の心境であります。
この民間臨調の連用制については、与野党の妥協を優先し過ぎたという点もあって、理念、哲学がないという批判があります。これはそのとおりだろうと思います。しかし、現実に歩み寄るには、これを軸に与野党が論議する以外にない。
この案は小選挙区の定数が三百になっておりますけれども、この三百ということになれば、選挙区の区割りも海部内閣時代に作成した案の手直し程度で、新たな区割り案作成の必要性はなくなり、次回選挙からの実行が可能となるというメリットがあります。また、勢力分野は現在の与野党の議席数に近いものになるという試算もありまして、こういったことを総合的に考えれば、連用制は現実的な案のように見えます。
ただ、比例代表名簿で複数政党が結合することと政策との関係はどうなるのか、あるいは第二票、小選挙区制のゆがみを是正する際の第二票の扱いについても種々問題があることは事実であります。
もう一点、民間臨調の案では、総理府の外局に政治資金委員会をつくって、政治資金収支報告書のデータベースをつくる、ここまではいいのですけれども、その後に違反事件の調査をするという項目がありますが、これが政党の活動に公権力が介入するという問題を生じないのかどうか、こういった点をもっと議論してみないとにわかに賛成できない面もあるわけであります。
いずれにせよ、連用制を軸に歩み寄りを図るほかはないというのが私の考えてあります。
政治資金制度については、企業・団体献金の廃止で与野党に違いがありますけれども、政党中心型への転換という意味では大きな差はありません。小さな相違点にこだわって、改革の実現そのものをおくらせることがあってはならないだろうと思います。したがって、この点も与野党の歩み寄りを十分図ってもらいたいと要望しておきます。
最近、もし与野党間で妥協が成立しなければ解散・総選挙という声があります。これらの人々は一体選挙で何を訴えるつもりなんでしょうか。政治改革、これだけ時間をかけて論議し、国民も注目している政治改革を途中でほうり出して選挙に持ち込む、その場合に政治改革なるものを一体どういうふうに選挙民に説明しようとするのでしょうか。この辺が私には理解できません。また、中選挙区制はだめだ、退路を焼き切る、こういうふうに言いながら、そのだめなものをもう一度選挙民に押しつけて選挙をやるということはどういうことなのか。この場合の政党としての責任はどうなるのか、これは問わなければならないだろうと考えます。特に政治指導者、宮澤首相を初めとする各党党首の力量と責任が問われている、これがこれから会期末にかけての大きな注目点だろうと思うわけであります。
私は党利党略というものをすべて否定するのは現実的ではないと思いますけれども、今ある政党のことを余り考えていては思い切った改革も実現できないし、妥協も成立しない。政治をすべて変えて新しいものをつくるという発想、それが政治改革であるという発想が必要だと思います。
いろいろ各党の案についてシミュレーションが行われていますが、これが果たして次の新しい選挙で当てはまるのかどうなのか。私はもっと違ったものになるのではないかという考えを持っております。それよりも、とにかく今、これまで中選挙区制のもとで政治行動を行ってきた政治家のイメージ、中選挙区制のもとで批判されてきた政治家の行動、そういった部分を削り取らなければ政治の再生は難しいだろう、この点をしっかり認識しておいてもらいたいと思います。
政治を志す有能な人たちが晴れて当選して中央政界へ登場しても、その翌日から選挙区の世話、金集めにエネルギーの大半を費やし、次の選挙で当選することばかりを考え、政治家として、国政を考え、国政に貢献する時間は少ない。恐らくそうした方々はこんなはずではなかったと思っていられるに違いないと思います。こんなことを繰り返していますと、政界に人材が集まらなくなる。公的補助もそういう意味では我々は賛成であります。本来ならもっと選挙民が身銭を切っても政治活動を助け、参加意識を持つということが必要なんでありますけれども、やはりこの際は政治改革をその突破口にしてもらいたいと思います。
戦後、既に半世紀近くたって、政治、経済、行政、社会制度、あらゆる面で制度疲労が生じております。そういった制度を時代に適合するように改めなければいけないんですけれども、政治改革はすべての改革の土台だろうと思います。しかし、その土台づくりが一番おくれているのが現実であります。個別利害、選挙区あるいは部分的な利益を優先する小政治を改めて、やはり国家的利益、世界的な平和と安定という立場からの政治が必要だろうと思います。歴史に対して責任を持つ大政治を展開するような、そういった日本の政治の仕組みをつくってもらいたいと私は思います。日本はそういった歴史に対する責任を持つだけの国力、資格を備えておると思います。あとは、それを背景に政治家がどのような心構えで取り組み、国際社会に貢献していくかということだろうと思います。もっと気力を持って、気迫に満ちた政治が展開できるような仕組みをつくってもらいたい、それが政治改革だろうと考えます。
政治は動機は正しくても結果が悪ければいけない、政治は結果責任であるというふうによく言われます。確かにそういう面はありますけれども、近年は、さきに述べたように、二律背反的な政策課題がふえている。国民に対して痛みと犠牲を説かなければならない。日本の進路についていろいろな議論をしなければいかぬ。国民にそういった厳しさを説き協力を求めるためには、政治家がみずから厳しく行動を律することが必要だろうと思います。その意味では、政治は結果責任ではあるけれども、その以前に、政治を実行する手段としての道徳の比重が非常に重要になってきているということを考えてもらいたいと思います。
政治制度を変えるだけではなしに、その政治制度の変革を通じて選ぶ側も選ばれる側ももう一度意識改革をする、そういった政治の改革、意識改革を通じて日本の政治というものを強固なものにしていく、それが今回課題になっている政治改革であるというふうに思うわけであります。
以上で私の発言を終わらしていただきます。(拍手)