小渕恵三の発言 (本会議)
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○小渕恵三君 冒頭、去る五日前、カンボジアにおいて献身的にUNTACの奉仕活動を続けておられた中田厚仁さんが、無念にも無法集団によって殉職を余儀なくされました。日本青年の純粋な無償の行為を思うと、何としてもこの怒りを抑えることはできません。
御家族の御悲嘆を思うにつけ、「私たちも覚悟していた。国際貢献という強い希望が全うできて、本人も思い残すことはないでしょう」という父親武仁さんのお言葉を伺い、深く感銘いだすとともに、悲しみを新たにいたしております。
このとうとい青年の死を無にすることなく、総選挙が無事に行われることを祈りつつ、謹んで哀悼の意を奏させていただきます。(拍手)
さて、私は、本国会に日本社会党・護憲民主連合及び公明党・国民会議より上程された政治改革関連法案に対しまして、自由民主党を代表し、選挙制度を主に質問を行うものであります。
諸点につき質問の前に、私は率直に、今この胸に去来しておりますことを申し上げさせていただきたいと思います。それは、私が何ゆえにこの壇上に立っているか、その理由にも当たることであります。
今を去る五年前、私は官房長官の職員にあり、当時、リクルート事件をきっかけに怒濤のごとく押し寄せる政治不信の真っただ中で痛恨の日々を送っておりました。
昭和六十三年暮れ、竹下総裁は、後藤田正晴氏を長とする政治改革委員会をみずからの直属の機関として設置する一方、その一月後には民間有識者から提言をいただくため、総理のもとに政治改革有識者会議を発足させました。私は、その意を体して、これらの準備、円滑な滑り出しに最大限の努力を傾けたところであります。
数カ月後には、有識者会議からは「政治倫理の確立は、政治家全体の行動原理に帰着する問題ではあるが、制度面からの改革も不可欠である。」とする結論をちょうだいし、後藤田委員会からは、現行中選挙区制度を抜本的に改革することが政治改革の核心課題であるとの答申を受けました。すなわち、すべての改革課題に処方せんを示した政治改革大綱であります。
その後、我が党は、この大綱の方針にのっとり、さらに二年余にわたる議論を交えて法案化作業を進め、平成三年夏、政治改革三法案を海部内閣より国会に提出したのであります。そのとき、私は自由民主党の幹事長でありました。前回は、残念ながら審議日数が足りずに審議未了となりました。その緊急事態を受け、政治改革与野党協議会の設置に奔走したことなども克明に思い起こされるのであります。
さらに、私は今、いわゆる派閥と言われる議員集団における会長の立場を継承した身にあります。現下の政治不信を一層増幅した直近の出来事には、これまで政治改革の発進地点からかかわってきた身であるだけに、深い責任をだれよりも感じているつもりでありますし、この機に、なお一層のこと、身を挺して、政治改革を実りある着地点に導かなければならないと強く決意を新たにいたしておるところであります。(拍手)
この思いを胸に、本日は質問に立たせていただいた次第であります。
さて、我が党が提出している四法案のうち、中心をなすものは衆議院議員の選挙制度の改革であります。本来であれば、参議院並びに地方の制度改革もともに国政選挙に問うて、その望ましい姿に改革していくべきところでありますが、現今の政治に対する国民の強い批判にかんがみ、いち早く衆議院の改革を先行させたことをまず御理解いただきたいと思います。
ここで一言、私は、政治改革の課題は、単に一つの内閣に責任を負わせて済むような問題ではないことを申し上げたいと思います。もちろん、宮澤総理の気構えのほどは、我が党四百名になんなんとする両院議員総会の席上、明確に「もし、この機を逃せば抜本的政治改革の実現は再び遠のく」と不退転の決意を語られたことからも明らかであります。
しかし、私は、政治改革の問題は、内閣や政権の問題であるよりも、それこそ憲法第四十一条に規定される国権の最高機関たるこの国会自身が決すべき問題であると申し上げたいのであります。なぜなれば、議会制民主主義を支えるものは紛れもなく選挙であり、その制度を改革することは、現行中選挙区制が大正十四年に起こったように、今後半世紀ないし一世紀にわたって我が国民主政治を牽引していくものでありますから、この決断を下すのは、ほかでもない、国会自身でなければならないと思うからであります。(拍手)
我々自由民主党がこのたび提案した衆議院の選挙制度改革案は、一選挙区一議員制、すなわち小選挙区制であります。
我が国二院制のもとにおける衆議院の最大の役割は、憲法第六十七条の内閣総理大臣の指名における優越性に象徴されるように、あるいは六年間議席が保証される参議院とは異なり、即解散があるように、選挙を通じて直近の国民の意思を吸収した政権を打ち立てることにほかなりません。そして、政権とは、公約や政策の実行と、それに伴う責任を負うことをもって真価をなすものであります。
その政策の是非や可否は、主権在民の近代国家では、当然のことながら選挙を通じて国民が審判を下すものであります。これが議院内閣政治、政党政治の本旨でありますのであるにもかかわらず、残念ながら今日の中選挙区制は、時代の移ろいとともに、政党政治の意義を発揮するには、ほころびが随所に目立つところまで疲労を来してしまいました。
根本の原因と言えば、全国百三十選挙区で衆議院議員の過半数である二百五十七議席を制し、政権を目指そうとする政党は、どうしても一つの選挙区に複数の候補者を擁立しなければならない点にあります。いわゆる同士打ちの宿命であります。我が身、我が地元をもって深く痛感いたしておるところであります。(拍手)その生き残りのために発生する弊害は、政策不在の選挙戦、金の問題、政治倫理の逸脱、派閥の公然化等々、近年非常にあらわであり、それぞれに国民の政治不信を買っているところであります。
しかし、これらに増して何よりも国民にとって不幸なことは、この選挙制度のもとで与野党勢力が固定化し、政治に、国会に緊張感が失われてしまったことであります。今や野党で、二百五十七人の候補者を出している党はどこにもありません。そのことが、今日、政治全般に綱紀の緩みを生んで、国全体にはかり知れない損失をもたらしているのであります。
水はとばしる川がいつも清例であるように、政党政治は、緊張感に満ちた政権交代があってこそ健全に機能します。張り詰めた感覚の中に自浄能力が生まれるのであって、決して罰則の強化に頼ることが万能なのではありません。
そして、政権交代の可能性が高い選挙制度としては、小選挙区制がその第一であることは疑いを入れません。よく、小選挙区制肯定論としてのイギリスのジェームス・スミスの三乗比の法則、すなわち、獲得した得票率よりも議席占有率の方が上回るとの説を逆用し、この制度に反対する向きがあります。しかし、仮に民意を鏡のごとく議席に反映するとした御提案のような比例制にした場合、今日、野党各党は政権を獲得するチャンスが得られるのでありましょうか、お尋ねいたしたいところであります。むしろ得票差を増幅して議席差に変換する三乗比の法則を秘めた小選挙区制の方において、失政批判などを通じ、野党の政権獲得のポテンシャルは一挙に高まると思われますが、いかがお考えでありますか、お答えを願いたいのであります。
現に、マスコミの試算によれば、平成元年の参議院選の数値を定数五百の単純小選挙区制に当てはめた場合、実に野党第一党の社会党は四百二十三議席を獲得できるという結果が出ているのであります。
このように、政権交代を可能とする一選挙区一議員の小選挙区制は、国民にとっても政治に対する関与の意識をいやが応でも高めざるを得ないこととなるでありましょう。自分の持つ一票を国政に反映させるためには、各党えりすぐりのどの候補者を選べばいいか。有権者はおのずと気持ちが張り詰めるとともに、候補者が政権を託すにふさわしい政策と見識を持ち合わせているかどうか、自然と投票を吟味し、その行為からは、国家の意思の形成に参画したとの意識が育つでありましょう。
今、日本は、内外政とも大きな転換期に直面しております。激動の時代に足を踏み入れた今日、政治は指導力を発揮し、国民意思の集約を的確に図り、機敏に政策を立案し、実行していかなければなりません。こうした現下の政治を取り巻く状況に深く真剣に思いをいたすならば、国民の意思を総括的かつ明確に集約した形で反映し、安定した政策遂行力と不断の緊張感を政権に与える小選挙区制が最も今の我が国に求められている制度であると判断するものであります。(拍手)
繰り返して申し上げますが、単純小選挙区制は、野党各党にとりましても、どんどん国民への浸透を図れば、政権の獲得を十分に可能にする制度でありますのでありながら、何ゆえにこの制度を採用しようとしないのでしょうか。政権を握られる意思ありやとの疑問に端的にお答えをいただきたいのであります。(拍手)マックス・ウェーバーも指摘するように、まさに、政治とは政権に近づくことでありましょう。
かりそめにも政権獲得の目標、すなわち第一党たらんとする意欲を放てきしているとしたら、それこそ支持者に対する背信以外の何物でもないと申し上げたいのであります。我々自由民主党は、明確に「政権交代可能な政界再編成をも視野に入れこという文言を党内外に宣明し、第一党の座にこだわらぬ捨て身の覚悟で、単純小選挙区制を打ち出しているのであります。保さて、今般、両党は小選挙区比例代表併用制案を提案されたところでありますが、もちろん、現行中選挙区制に対して完全なる決別を告げたという点では、我々自由民主党と同じく、大いに評価するものでありますけれども、なぜ、連立政権が不可避の他者依存型の政権を構想しようとするのか、疑問に思うものであります。(拍手)
このことは、政党の自律性、国民に対する責任のとり方に深くかかわる重大な問題だと思えてなりません。すなわち、比例代表制が基本である社会党、公明党案では、連立政権の場合、第一に、政権を担当する政党がどこなのか、選挙を通じて国民が直接に選択することができません。選挙結果を見渡した各党が、自分の利害得失を第一に置いた交渉で決めてしまうのであります。これでは選挙民は安心して投票できません。事実、交渉が難航し、これと同様の比例制度をとる国では、組閣が一カ月以上かかることも珍しくないのであります。
また、恐らくこの制度下でも我が党は、比較であれ、第一党であり得ましょう。我が党を軸に連立政権を形成するというのでは、野党の皆さんは何を目的にこの制度を導入しようというのでありましょうか。(拍手)
このたび、社会、公明両党は法案を共同で提案されました。しかし、例えばPKO法一つとっても、両党の政策は大きな隔たりを見せております。国の基本政策について認識を異にする両党が、政治の根本である選挙制度についてのみ共同歩調をとっていることには野合との批判も出ております。そこでお尋ねしたいことは、併用制実現の暁には、両党で連立・連合政権をつくる覚悟がおありかどうかということであります。この点も明確にお答えいただきたいのであります。
第二には、政権樹立に際し、政策の妥協が行われることになりますが、では選挙で国民に問うた公約との整合性はどうなるのか。それは政策を貫徹するという強い意思の退化にほかならないのではないか。すなわち、だれの意思でもないから責任の所在が不明確になり、腰が定まらない政権のために国民が被害を受けることになるのではないか、こうした疑問がわきます。
第三は、比例代表制は、制度の本質において、総合政策体系を持たない小党の分立を促し、政権の統治機能を骨抜きにしてしまうのではないかという懸念があります。
第一次大戦後、ドイツで、ワイマール理想憲法下、比例代表制を採用し、結局小党分立の果てに政権は責任能力を欠き、ヒトラーの登場を許しました。イタリアでは、十年前、得票率わずか四%でキャスチングボートを握った第七党の党首が、他の上位六党に条件をのませて首相になりました。フランスでは、戦後間もなくから十二年間続いた第四共和制の問、何と組閣が三十六回試みられ、そのうち十四回は断念されたのであります。この反省の上に立って、続くドゴール第五共和制では、小選挙区二回投票制に移行したことは、御承知のとおりであります。
また、最近のイタリアでは、長い間の連立のなれ合いが巨大汚職を生んだ原因と言われ、ニューヨーク・タイムズ紙が伝えるところによれば、交代する二党による政治のような仕組みを求める声が国民の間に大きくわき起こり、近々、制度改革に向けた国民投票が行われる予定であるとのことであります。
以上、比例代表制がその基本である社会党、公明党案の小選挙区比例代表併用制について、制度の本質に関する疑問を数点申し上げました。
私は、いよいよ混迷を深める時代状況において、不向きであるばかりか、危険すら感じる制度であると思うのでありますが、どのような認識をお持ちか、改めてお答えをいただきたいのであります。
最後に一言申し上げたいことがあります。
私は、不肖の身ながら、この三十年間、本院に議席をいただいてまいりました。その経験から申し上げまして、本日このように、政治に強く責任を感ずる各党が、ただし現行中選挙区制に固執する守旧派一党を除いてではありますが、現下、現実の事態を踏まえ、これを変えようとする大法案を議員提案として出し合ったことは、かつて例がありませんでした。(拍手)
今、国会は、全国民に、耳目を凝らしてこの国権の最高機関のありさまを注視していただかなければなりません。画期的なことに、委員会審議では、答弁者が質問者に逆に疑問をただすことが可能となりました。議員同士の活発な討論ができるのであります。ぜひ、これが国会だ、ジス・イズ・ザ・国会と胸を張れるような、そして目の覚めるような質疑を最後まで尽くしたいものであります。
このたびの政治改革法案では、今ここにいる我々が、これから半世紀あるいは一世紀先までの制度を決めることになるのであります。我々が全員引退した後まで、議会制民主政治の基本が担保されるのでありますから、ぜひとも一人一人の議員が政治家としての良心において、この問題に対し、見解を表明し、堂々意見を申し述べるべきであります。政治改革特別委員会の委員だけの職員だと考えるべきでないことは、申し上げるまでもありません。
政治について、一部やゆすることをもって評論となす風潮の中、過日、テレビで実に建設的な提言を視聴しました。「再び国会議員の皆様へ」と題して、会期末まで十分時間がある、一日六時間の審議であれば優に二百七十時間ある、せめて審議を尽くす意味で衆参各百時間以上の審議を行ってはどうか等との趣旨でありましたが、全く同感であります。
さて、幕末の我が国には四隻の黒船が渡来し、二百六十年の鎖国を打ち破りました。これにより我が国は、近代国家への道を歩み始めたのであります。
今、現代日本には大きな二隻の黒船が押し寄せております。一隻は、冷戦構造の崩壊という黒船であります。米ソ二大超大国の対立の中、アメリカの庇護のもとで我が国は経済成長を続けてまいりました。政治も効率を求めていればそれで済むという時代が続いてきました。しかし、今や日本がどのような国際貢献を果たし、どのような国家像を志向するのか……