串原義直の発言 (予算委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○串原委員 初めに、一言発言させていただきます。
 昨日の本委員会における鴻池委員の質疑中、我が党の東京都本部幹部であった今正一君に関する記事についての発言がありました。その記事には、同氏が同記事を否定した記事も掲載されていることを、鴻池理事を初め、理事会において確認いたしました。
 では、質疑に入ってまいりたいと思います。
 初めに、PKO問題について伺ってまいります。
 国際貢献の名のもとに、自衛隊の部隊を中心とする本格的な要員派遣はカンボジアであります。カンボジアPKOにおいては、既に日本人関係者の犠牲者が出ました。文民警察官高田晴行さんが亡くなり、文民警察官四名の方々が負傷、国連ボランティア中田厚仁さんが死亡されました。犠牲になられた方々に心より哀悼の誠をささげ、家族の皆様方にお悔やみ申し上げたいと存じます。そして、負傷された皆さんの一刻も早い全快を祈っております。同時に、PKO法を審議した国会議員の一人として、心よりおわびを申し上げたい気持ちでいっぱいであります。
 なお、我が国の派遣要員が現地の住民を交通事故で死亡させるという事態も起こっており、カンボジアPKOへの参加について疑念が強まっているのであります。また、和平協定の弱さも明らかになって、この際、カンボジア問題とは何なのか日本のカンボジアPKOへの参加とは何を意味するのかなとを明らかにする必要があると私は思うのであります。
 まず、カンボジア問題に対して我が国はどのような対応をしてきたのか、振り返って確認をしておきたい。
 十九世紀後半にカンボジアはフランスの保護領となっていましたけれども、第二次大戦中、本国がドイツ占領により弱体化していたフランス支配の間隙を縫って、一九四〇年に日本軍が当時のフランス領インドシナに進駐して、私は大変な迷惑と犠牲を強いたものと考えているのであります。一九五三年、フランスから独立をから取った後も、カンボジアはベトナム戦争などをめぐって国際政治のはざまで厳しい対応を迫られてきた。一九七〇年には、アメリカのバックアップでロン・ノルのクーデターが成功し、シアヌーク殿下は中国に亡命をいたしました。この時期を前後に、四、五年にわたるアメリカ軍、南ベトナム軍のカンボジア進攻、爆撃で国土は荒廃し、約百万人の死傷者が出たと言われているのであります。
 こうしたアメリカや当時の南ベトナムのカンボジア侵略に対して、日本政府はどのような態度をとったのか。当時、支持をしていたのではありませんか。お答えを願います。

発言情報

speech_id: 112605261X02319930521_004

発言者: 串原義直

speaker_id: 2475

日付: 1993-05-21

院: 衆議院

会議名: 予算委員会