林義郎の発言 (商工委員会)
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○林(義)委員 この質問をやりたいのですが、同僚議員がやるという話でもありますし、私はこの問題はおいておきまして、一般論を少しやらせていただきたい、こう思います。
製造物責任は、欠陥を要件とする無過失責任とされているが、無過失責任の問題というのは民法学におきまして古くから議論されておったところであります。長い歴史を持った議論でありまして、民法の制定のときの梅謙次郎先生の中にもちょっと話が出ておる。また、大正五年に、岡松参太郎さんという先生がおられまして、大変難しい御勉強をしておられる。こんな厚い本がありまして、「無過失損害賠償責任論」というのがあります。その後、民法学者の中でもこの問題は非常にいろいろな角度から取り上げてきておられるところでありますし、先ほど提案理由の説明がありましたように、いろいろな問題があるということは事実であります。
そもそも、不法行為制度は、他人の行為や設備で損害を受けた場合に、その他人に帰責根拠があるときにその損害を償わせるものである。しかしながら、基本的にいいますと、近代法においては、これはローマ法以来の大原則であるところの「過失なければ責任なし」という言葉に示されておりますように、過失責任を原則としておるのが今までの体系であります。行為者は十分な注意を払う限り不法行為責任を負わされることなく、個人の自由な活動が保障される、これは近代社会の大原則だろうと私は思うのです。
しかし、同時に、一方で企業社会が進展し、また、科学技術が進歩するのに伴いまして、法律の指導原理も個人の自由な保障から社会共回生活全体の発展にシフトし、過失責任の原則も修正されるようになってきたというところでございます。企業の社会的責任ということもありまして、いろいろな問題がある。企業の社会的責任の中で、大企業の中におきますところの企業内部の問題、従業員の問題であるとかいろいろな社内におけるところの問題、それと同時に企業の対外的責任の問題、消費者等一般社会との関係というものが見直されるようになってきたというふうに私は思っておるところであります。前者の問題は、社会保障制度であるとか健康保険制度であるとかあるいは労働災害の問題であるとか、いろいろな問題があると私は思いますが、やはり対外的な問題というのはこの無過失賠償責任の問題が上がってくるのではないか、こう思っております。
そこで、それでは過失責任というものを全部やめてしまう、すべての分野で無過失責任としたり、結果が発生すればすべて加害者の責任というわけにはなかなかいかないと思います。個人の意思や活動の自由、それによって我々の生活の利便性は一方では増しておるが、この個人の意思や活動の自由と、社会に起こってくるところの損失をだれがどういうふうに負担するのが社会としていかなる形をとれば公平であるか、妥当であるかという二つの要請の兼ね合いについてどう考えるかという政策的な、むしろ政治家が判断しなければならないような問題であるというふうに私は考えておりますし、製造物責任につきましても、このような流れの中でとらえるべき問題であるというふうに思います。
昭和五十年の九月には、民法学の泰斗でありました我妻先生を中心にして、いわゆる要綱試案が発表されました。また、国民生活審議会におきましても、昭和五十年、五十一年、五十六年と三度にわたりまして報告を取りまとめ、平成三年の第十三次国民生活審議会、さらには通産省の産業構造審議会と、関係各省で本格的な検討が始まったものだというふうに承知しております。
こうして、言うところの製造物責任制度問題の本質についての認識、この問題につきましてまずどういうふうに考えているのか、若干法律論でありますから、法務省の方から御見解を賜りたい、こう思います。