田中士郎の発言 (厚生委員会)
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○田中士郎君 まず初めに、本日この場所で意見を開陳する機会に恵まれましたことを大変にうれしく思っております。並びに、関係者の皆様に深く感謝いたします。
それでは、時間もございませんので早速本題に入りますが、お聞きのとおり、私は若干言語障害がございますので、お聞き取りにくい点は、お手元に配布しましたプリントをご覧いただければ大変にうれしく思います。
では最初に、私が発病して無年金となった経過について申し述べたいと思います。
私が発病したのは、昭和五十一年、二十四歳時、当時北海道大学大学院二年在学中でした。病名は多発性硬化症、略称でMSと呼ばれる病気です。
当時、学生の国民年金加入は任意でありまして、その制度がどのようなものであり、また任意加入ということがどんな結果を引き起こす可能性があるかということは、当人はもとより、保護者に対してさえほとんど知らされていませんでした。さらに、当時大学卒の初任給が大体十万ちょっと切るぐらいだと思っておりますけれども、その当時の国民年金の保険料は、私の感覚ではかなり割高だったように記憶しています。実は、この九千円という数字はあいまいでありまして、当時千四百円というふうに聞きましたが、果たしてこのようなものかなと、今でも何かキツネにつままれたような思いがしております。そういうわけで、保護者にとっても国民年金の保険料はかなり割高だったような感覚があったと思っております。ですから、当時の学生はほとんど国民年金には加入していませんでした。
御存じのとおり、今の年金制度では、未加入の状態で障害者になった場合は障害年金の支給対象にはなりません。私の場合も、発病から十九年間無年金の状態が続いています。
次に、現在までの職業と経済状態について申し述べたいと思います。
発病後、入院生活が五年、重度身体障害者更生援護施設が三年という経過を経て、私は昭和六十年三月に砂川市にある北海道身体障害者職業訓練校を修了しました。当時の身体障害者に開かれた職域というのは、クリーニングや印刷等の極めて狭い範囲でしかありませんでした。それは、私のように体幹に障害を持つ者にとって大変につらい状況でした。結局、職業訓練の一年間は公費によりある程度生活の保障は得られたのですが、訓練期間を終えてしまえば、後は経済的な保障は全くありませんでした。もっとも、福祉手当が一万円弱はあったのですが……。
そのようなわけで、家族に頼る生活を送っていましたが、その時期にパーソナルコンピューターの勉強を始め、昭和六十二年の秋に第二種情報処理技術者の資格を取得、六十三年から身障者仲間と小規模授産所を始めました。ただし、この時期の収入は、働いているとはいっても、一月置きに二万円とかそれぐらいでしたから、依然として経済的には家族に頼る状況は変わりませんでした。それでも平成二年ごろになると月に五万円ぐらいの収入にはなるようになりましたから、幾らかはよくなってきたと言えます。
そうこうしているうちに、平成三年春に、TSD株式会社、これはソフトハウスですが、そこで身体障害者の募集があり、私もそれに応募して、五月に採用されました。初任給は十七万円でした。それからの二年間は、私にとって唯一経済的に安定した時期でした。それも結局、不況によるリストラで解雇され、TSDはその二カ月後に倒産しているわけですが、現在は北海道難病連で会計伝票のコンピューター入力のアルバイトをして若干の収入を得ています。ただし、定期的に仕事があるわけではなく、収入とはいっても月に七万円程度ですから、食べていくのがやっとといったところです。さらに、父が脳梗塞で入院していますし、母ももうすぐ七十歳になります。現在は弟と同居していますが、弟が独立してしまえば、定期的に得られる収入は、父の障害年金と母の老齢年金だけになります。はっきり言って、今後に明るい状況はありません。
次に、社会保障ということについて私の個人的な意見を若干述べたいと思います。
現在の年金額は果たして憲法の言う「文化的な最低限度の生活」を保障しているものなのだろうかというと、もちろんそうじゃない、低過ぎると思っていますが、だからといって無年金障害者の問題を放置しておくことは、私を含めて、そういう人たちには社会的な保障は必要ないんだということなんでしょうか。いや、現在の状況を見れば、老齢年金の六十五歳支給開始問題を見ても、それによって困窮する人が発生するのはわかっているのに、財源難を理由にいわゆる弱者は切り捨てられる方向に確実に向かっているように思われます。
それでは、社会保障というのは何のためにあるのでしょうか。本来社会的な保障が必要ない人たちには、こんな話をしてもわからないかと思います。例えば、障害者が働くといっても、働く機会がまれであるのはもちろんのこと、賃金一つとっても健常者とは大変な格差があるのです。さっき私の初任給の話をしましたが、十七万円という金額が一般的に高いか安いかは別です。私のいた会社では、三十歳で三十万取る人というのは珍しくなかったのです。それに対して、障害者の中には手取りで十万円を切ってしまう人だって多かったのです。そんな中で、最低限度の生活を保障していくのが社会保障ではないでしょうか。言いかえれば、いろいろな意味で社会的な弱者をつくり出さないようにするのが社会保障の精神なのではないでしょうか。
最後に、無年金障害者の問題について若干述べたいと思います。
今までいろいろなことを申し述べましたが、無年金障害者の問題に関する限り、その対象というのは大体同じ世代に集中しています。ということは、年を重ねるごとに老齢化していくのです。まさかこの問題が老齢年金の問題と一体化してしまうことをねらっているわけではないのでしょうが、私たちにとってこの問題は一刻も早く解決していただきたい問題なのです。この問題はあくまで法体系の不備から生まれたものであると私は思っています。また、それを是正することもそれほど困難ではないと思っております。どうかこの問題に一日も早い解決が訪れますように、関係各位の御理解と実行をお願いします。
以上です。