中野寛成の発言 (予算委員会)
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○中野委員 いずれにせよ、事が起こってからでは既に被害者が出てしまうということになるわけであります。これらのことは、未然に有事を防ぐこと、そのことが何よりも肝要であると思います。日本も、積極的に国連の一員として大きな働きがなされるように強く要請をしておきたいと思います。
さて、質問の本論に入らせていただきたいと思いますが、私は、新しくできました統一会派改革を代表してお尋ねを申し上げますが、一部所属をいたします民社党や私自身の私見も含めながら、提案とともに質問をさせていただきたいと思います。
先日、お聞きいたしますと、総理は、母校の明治大学から名誉博士号を受けられたとお聞きをいたしました。おめでとうございました。そこで、村山名誉博士に幾らか歴史観を含めてお尋ねをしたい。なぜかというと、世界的な大変革のときを迎えている、お互いに使う言葉であります。ならば、その歴史観をお互いに共通のものとして持たなければ、今後の対策は論じることができないと思うからであります。
私は、話が少々大きくなりますが、今二十世紀の終わりを迎え、二十一世紀に向かおうとしている、よく使われる言葉であります。ただ、これは数字上の言葉だけではなくて、偶然ではあろうと思いますけれども、世界史で開拓時代が始まったのがちょうど紀元一〇〇〇年以降なのであります。実際、ヨーロッパでも、十世紀に民族大移動が終わり、十一世紀から十三世紀に、イングランド諸都市、それからライン川沿岸、南ドイツ、スイス、イタリアなどに都市の帯が形成をされております。ところが、大きなパラダイムシフトとも言える思想的な大転換がこの一〇〇〇年紀末に訪れているわけであります。
一昔前までは、環境保護派とか、エコロジストというと過激な政治集団に思われがちでありました。今は、だれでも何らかのエコロジストを自認していると思うのであります。開拓至上主義、人間が自然を支配するという価値観の見直しの時期に差しかかっていると言っても過言ではないと思います。西暦一〇〇〇年までは、人類が自然に屈服し、または自然が与えてくれる恵みの範囲の中で生活をした時代であったろうと思います。
しかし、後半の千年、すなわち現在までの千年は、人類が、産業革命にもあらわれておりますけれども、自然の恵みまたは自然がつくるその生産能力、地球の新しい資源をつくる能力を超えて消費をし始めた。簡単に言えば、人類が地球を食いつぶし始めた千年であったと言っても過言ではないと思います。これからは、人類と自然、人類と地球が、まさにお互いにお互いを守り育て合う友情の時期を迎えたと言っても過言ではないだろうと思うのであります。
よくリストラだとか規制緩和とかという言葉が使われます。これは、現在不景気だからリストラを進めている、案外リストライコール合理化と勘違いしている人もいますけれども、そうではなくて、この地球規模で歴史的に物事を考えたときに、我々はいやが応でもリストラをしなければいけないし、それを進める規制緩和をしなければいけない時代を迎えているんだ、こう思うんですね。
また、ちょっと長くなりますが、今は千年単位で申し上げました。百年単位で申し上げます。これは、社会党の綱領的文書と民社党の綱領とルーツが同じということもあるかもしれませんが、社会主義インターにともに加盟している政党として、実は数年前、社公民国民連合政権をつくろうと言ったときに、私は社会主義インターの資料を、諸決議をまとめて当時の社会党の政審会長にお渡しをしたことがあります。それまでは余り御存じなかったようでありますが、最近はだんだん共通用語がふえてまいりました。
その中で拝見をいたしますと、自由、公正、友愛という言葉を私どもは使いますが、社会党の文書を最近見ましたら、自由、公正、連帯などという言葉になっているんですね。自由をまず最初に持ってくるのには反対だといって随分社会党さん、当時抵抗された、公正を先にしようといって。近ごろは大分変わったようでございます。
そこで、私は、十九世紀は言うならば経済優先の自由の時代、それによって、しかし十九世紀から二十世紀の初頭にかけて世界大恐慌が起こった。やはり政治の仕組みを、政治が経済をコントロールしなければという考え方で共産主義や民主社会主義や修正資本主義が生まれたと思うのです。これも現在すべての思想が壁にぶち当たったと言っても過言ではない。言うならば、十九世紀は経済的自由放縦の時代であった。しかし、それをコントロール、政治がコントロールするために、二十世紀は政治の時代、公正の時代であったと思います。
しかし、これも窮屈さを生んでしまいました。そうすると、これからは何の時代だ。社会党であれば連帯の時代と言うのかもしれません。私どもは、連帯というよりももっと広い意味での友情、友愛の時代にしなければいけない、こう思っているわけであります。
友情の本質というのは、上下関係ではないと思います。人々に優しいと総理は演説でおっしゃるが、私は優しいという言葉はすばらしい言葉だと思います。しかし、政治家が安易に使うと、時にこれは傲慢な態度を示す言葉になります。上から下の人に優しくする、先進国が開発途上国に優しくしてあげる、そういう言葉になりかねません。むしろ人間の使命として、人類が本来持っている責任感としてさせていただくという姿勢の方がむしろ私は正しいのではないかと思います。
ならば、友情の本質というのは、上下関係ではありませんで、互いに成長するために努力をし合っているその姿を見て尊敬し合う、いたわり合う、補い合うという関係だろうと思うのであります。
これからの経済政策も、税制も、そして外交、防衛も、その視点がなければいけないと思うのであります。国と国との間の友情、大企業と中小企業の友情と助け合い、男と女の間の友情、過去と未来の友情、現在と未来社会の友情が大切なのだろうと思うのであります。
そこで、村山名誉博士の二十一世紀のビジョンと日本の役割について、まず基本的に、大変革の時代ですから、そして社会党は大胆に政策を転換された、これからどうなるかますますわからないというときですから、まず基本的なスタンスをきちっと総理にお伺いしておきたいと思います。