滝上宗次郎の発言 (国民生活に関する調査会)
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○参考人(滝上宗次郎君) 若者中心の町づくりというのは本当にそのとおりでありまして、私も昔はわからなかったんでございますけれども、現在、有料老人ホームの経営者になりましてから、実に世の中は障害者といいますかお年寄りにとって住みにくいなということがよくわかります。
電車に乗るときも全部切符は自動で買わなきゃいけない。それから、銀行く行って振り込みをやるときも自分で、セルフで機械を動かさなきゃいけない。私、メカに弱いものですからなれるのにとても時間がかかる。果たして、ああいったものに高齢者がついていけるのかどうか。それから、山手線で一年ぐらい前からですか、ドアが六つあるのがございますね。あれは朝のラッシュ時に乗りおりを早くするようにというわけでドアが六つあって、そして朝のラッシュアワーのときにはいすが上がっているわけです。極めて効率的な概念なんですけれども、そこにはどこにも障害者の視点がない。一方で高齢化とか福祉だとかというものが語られていながら、現実はどんどんどんどん障害者を排斥する方向に町づくりが行われている。私自身悩んでおりますけれども、もっと大きな視点が必要なのではないかと思います。
私は、日本の福祉を考えるときに、なぜこんなに立ちおくれたのかと申しますと、日本の福祉には背景に人権という思想がないんではないかと思います。
一九八九年にベルリンの壁が崩れまして、西側と東側の対立が終わったわけでございますけれども、従来、資本主義国は東側の体制に対抗するために福祉というものを取り込んできたわけです。じゃ、現在の資本主義社会における福祉は何なのかといった問題も大きく提起されておるわけでございますけれども、やはりこれからは人権でありますとか高齢化とか豊かな社会とは何か、そういった真に福祉を追求するものでなければならないと思います。
日本の福祉がなぜ立ちおくれたかと申しますと、例えば、私ども町を歩いておりまして車いすの人をほとんど見ない。それから障害者をほとんど見ない。ですから、若い普通の人にとってみれば、そういった問題が大きな問題になっているというのは考えられないのではないかと思います。スウェーデンだとかデンマークヘ行きますと、町を歩けばもう二、三分に一回障害者に会うわけです。こういうことをとりましても、日本の福祉というものが背景に人権という思想を欠いているなということがあると思います。
さて、先生の学校教育の重要性なんでございますけれども、突然の御質問でちょっと私もどう答えていいかわからないんですが、実は私どものグリーン東京の隣に小学校があるんです。小学校の二年生と今毎月交流をやっています。
驚くべきことは何かと申しますと、子供たちがお年寄りを知らないんです。新興住宅地ですからお年寄りと住んでいないんです。お年寄りと住んでいないものですからいろんな質問が来るんですけれども、唖然とするんですね、年寄りになると困ることはありますかとか。それから、この間ヨモギだんごづくりというのをやったんです。うちのお年寄りのおばあちゃんたちが、おばあちゃんという言い方はうちではしていないんですけれども、女性の入居者が十人ぐらい小学校二年生にヨモギだんごづくりを教えに行ったんです。そうしましたら、どんな返事が子供から返ってきたかというと、お年寄りには男の人はいないんですかということなんです。何というんでしょうね、はるかもう議論以前の問題がそこにあるのかなと思います。
福祉の社会化というような大きなテーマを持っておりますけれども、やはり私は小学生とか中学生とか早い段階でそういったものを取り入れていただきたい。ただ、高校の入試なんかに中学校時代のボランティアを評価するとか、あれは私はちょっとボランティアの精神を踏みにじるのではないかなと思っております。
ですから、もっと早い段階で、特に今の子供たちは年寄りと住んでいませんから、特に都会の人たちは。その辺、学校教育で本当に小さいときからのお年寄りとの接し方、要するにお年寄りの弱さというんですかね、そういったものをありのままに見るということは重要かと思います。別に、お年寄りのいいところだけを見させる、例えばお年寄りはいろんな知識を持っているんだよとか、そういうきれいごとでなくていいと思っております。そういったところを学校教育で推進していただければなというふうに考えます。