滝上宗次郎の発言 (国民生活に関する調査会)
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○参考人(滝上宗次郎君) 先生の御指摘は高齢化対策に対してどう認識するかということでございまして、それは言葉をかえればどんな青写真をつくるのかというようなことではないかと思います。それに対して厚生省さんが、いや、既にいいレベルにきているという認識をなされたということ、これは私はかなりおかしいと思います。
例えば、私どものグリーン東京の入居者について申し上げますと、本当を言いますと金持ちばかりではありません。公的な福祉がなくて入れないんで、泣く泣く来て、わらをもすがる思いで有料老人ホームを選んでいる、こういう方々が多くいらっしゃいます。極めて公的福祉が小さいものですから、ちょっとでもお金があったり資産があったりするともうはじかれるわけですね。
それで、よく東京都では特別養護老人ホームに入るのに四年待ちだとありますけれども、多くの人たちは窓ではじかれますから、はじかれない人たちだけが残って四年も待っているということは、これはそら恐ろしいことだな、四年どころか本当に物すごい数の人たちが待っているんではないかなと私は思います。
それから、例えば厚生省の資料を見ていると、ちょっとロジックのすりかえがあるんではないかと思いますね。例えば、こういうふうに載るわけです。日本の医療水準、福祉水準がいいと言うときに、例えばこういうことを出すんです。人口十万人当たりの医師の数はもう昔と違って日本は欧米先進国と遜色がないんだ、かなり近いところまできているんだと、こういうような資料を出して日本の医療水準は高いところまできていると、こう言うんですよね。しかし、庶民感覚からいえば、やはり三時間待って三分診療なんです。
じゃ、一体医者はどこにいるのかということですね。医者はどこにいるのかといえば、文部省が一人三億円も四億円もかけて教育した医者が大学病院に残ってしまっているわけです。なぜ大学病院なりに残ってしまっているかといえば、どんどんどんどん診療報酬点数が圧縮されていきますから、病院の方は医者を雇うことができないわけです。ですから、せっかく超優秀な学生に対して大変なお金をかけて教育したものの、その後の人の使い方、医者の配分の仕方が間違っている、こういうことが一つ言えますね。
それから、看護婦さんもそうですよね。先ほど私は、日本の病院では一ベッド当たり看護婦さんが二分の一から三分の一しかいないんだと、ですから医療と介護を両方担えないんだと、かなりいびつになっているんだと言いましたけれども、厚生省の資料を見ますと、そこでは人口十万人当たりの看護婦の数は十分に多いと、こういうことですね。要するに、常に都合のいい数字を加工して持ってくる。そこの数字はそんなに間違っていないんですね。
なぜかといったら、看護婦さんがたくさんいるのになぜ病院には少ないのかといいますと、これは簡単でございまして、老人病院というものをたくさんつくって、海外に比べて日本のベッド数というのは人口比率で二倍以上あるわけです。ですから、福祉施設みたいなところにたくさん看護婦が行ってしまっている。ですから、本来の治療する、機能するところに看護婦さんがいない。それから、余りにも労働条件がひどい。ですから、看護婦さんはたくさんいるんですけれども職場への復帰ができない。やはりそういったことをきちんきちんと詰めていかなければいけないのではないかと思います。
それから、介護問題に対する先生の御質問の中で、理念的でもいいから大局的に何か答えろということでございますけれども、まず一つは、私はこの業界の中ではちょっと異端児でございまして、経済学部で学び、そして三菱銀行で調査部に入っておりまして、父がちょっと体力がなくなったもので突然この世界に入ってきたんです。ですから、一般産業の社会からこちらに入ったものですから、両方の世界を見ています。そこでわかるのは何かといいますと、二つあります。
一つは、私の場合、経済とか金融をバックボーンにしていますから、財界とかふだん福祉関係者が立ち寄らないところで講演する機会が多いんです。そこで驚くべきことに、こういうところでやっていますと、財界の人たちが、例えば看護婦と保健婦の違いさえわからないんです。社会保障というものが何も理解されていないんです。それから、ああいう偉い方々というのは、自分の奥さんは無職なんです。無職ですからうちの女房が家族介護をするのは当たり前じゃないかと、要するに共働きの苦労を知りませんね。
それからまた、そういうところではどうなのかというと、皆さん大体七十歳前後なんですけれども、自分は老人だと思い込んでいるんですけれども、老人ではないんですね。年齢だけ老人かもしれませんけれども、お金はあるわ、元気だわ、社会的地位はあるわ、そういうことであって、老人とはとても呼べないんです。ですから、そこで老人問題を議論されても全然答えは出てこない、こういうようなことが言えると思います。
ですから、私は、社会保障の必要性というものは、先ほども人権思想が背景にないから、なかなか町に障害者などが出てこないので一般の目に触れないから国民全体の問題になっていない、要するに臓器移植みたいなところばかりマスコミに載るんだと。ああいうような根本的なところから直していかないと、本当に国民が連帯してこの分野にお金を使って、介護保険みたいなものに負担して、そして高齢化社会を迎えるんだというようなことにならないと思います。
例えば、年金財政について言われるとき出てくる言葉が、世代間闘争という言葉が出てくるんです。年金を払う側と払わない側の闘争、要するに税金を払う人と受け取る人の闘争、働いている人と働いていない人の闘争。なぜ闘争という言葉を使うんでしょう、むしろ世代間の連帯という言葉を使えないのかなと。やはりそこにまだ日本の国民の悲しさというか、低さというものがあるように思います。
あとは介護問題について申し上げますと、私、職場を持っていて感じることは、例えばボランティア、社会的に高名な方がボランティアを普及させようとするわけですよ。私は経営者としてとても困ります。
というのは、これからどんどんどんどん要介護者はふえるんだと、要介護者がふえるから、そこはみんなでボランティアでやってやろうじゃないかと、こういうことを言うんです。これほど私どもの職員をばかにした言葉はないと思います。私どもの職員は、二年間の専門教育を受けて、そして職場で大変な苦労して、そして三年、四年で一人前になっているんです。そういった人たちに対してボランティアでかわってあげようと、これはおかしいですね。例えば、今検事の仕事が忙しいから国民みんなが検事の仕事をボランティアでやってあげましょうかと言ったら、やはり検事の人は怒ると思うんですよね。
もうちょっと人の仕事の重要性というか尊厳というものを認めていただきたい。だれだってできる仕事なんだというようなボランティアの普及の活動、それは私はちょっとおかしいと思いますね。