中山正暉の発言 (安全保障委員会)

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○中山(正)委員 自衛隊は、大変初動鮮やかに、連絡があるのを待ち受けてくださったと思いますが、官邸の中は大変混乱したようでございます。
 五時四十六分に地震があって、七時に総理大臣はテレビで地震のニュースを見られたと聞いております。私の娘は大阪におりまして、私は国会が始まるものですから十六日の夜にこちらへ来たのですが、今大地震があったといって娘から電話がかかってきたのは二分後でございました。何もかも、本棚も倒れた、人形棚から人形が落ちて割れた。私は大阪の東淀川区というところに住んでおりますものですから、家具は少々そういうことがありましたが、被害は大したことはなかったようでございます。
 八時に総理大臣は公邸を出発されておられます。ホテルオークラに行かれまして、ある大会社の会長さんと食事をされておられます。九時十九分に官邸に戻ってこられております。記者団と、非常対策本部をつくらなきゃいけないんじゃないかということを歩きながら話をされた。九時二十分に月例経済報告。何事もなかったように各閣僚が出ております。九時五十分、警視庁、初めて被害の具体的報告。そのときは、死亡二十二名、負傷二百二十二名という報告でございます。それから十時四分、定例閣議。このときも別に話が出ておらないようでございます。十時三十分、玉沢防衛庁長官、五十嵐官房長官、官邸入り、対応を協議された。これが十時三十分でございます。それから十一時五分、このときは二十一世紀地球環境懇話会。十二時七分、河野さんと武村さんと政府・与党首脳会議。秘書官から二百人を超えたと聞かされて、首相がそのとき、ええっとおっしゃったそうでございます。二時七分、執務室、武村、河野外務大臣、それから首相の首席内閣参事官、これは施政方針演説について話をされておられます。そのときには、まさか施政方針演説の冒頭に災害に対する話が出てくるとは思わなかったという話でございます。それから夕刊で、千人が死んだと。三時二十分に藤原国土庁事務次官が官邸に入られて、そして四時にやっと緊急記者会見。
 それから自民党の方二人が、何やっているんだということで電話をかけた。大先輩の後藤田先生もそのとき電話しておられたようでございますが、早く記者会見をした方がいいんじゃないかという電話が官邸にかかった。
 首相秘書官、警察庁から出ておられる秘書官が、お父上がお亡くなりになったために、福岡へ帰っておられた。携帯電話で電話したが、それのバックアップ体制がなっていなかった。秘書官がどこにおられても、電話をかければそれで動き出すという組織になっていればよかったのですが、それも動いていない。
 こういうことを葬式済んでの医者話と申しますが、もう今さらこんなこと繰り返してもしょうがないのかもわかりませんが、まあ一応、今の長官の自衛隊が六時から動き出したというのと、それから内閣がいかに遅かったかということの時間差を示すために、私は細かい話をしたわけでございます。
 こう考えてまいりますと、八十三条の二項、三項では、自衛隊は自分の判断で出かけられることになっていますが、一体何で自衛隊が出かけなかったのかということもちょっとお伺いしておきたいと思います。

発言情報

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発言者: 中山正暉

speaker_id: 32328

日付: 1995-02-07

院: 衆議院

会議名: 安全保障委員会