飯室勝彦の発言 (法務委員会)
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○飯室参考人 飯室でございます。
私は、比較的長い間司法記者をやっておりましたけれども、法律専門家ではありませんので、ここでは、改正案にある表記について、新聞記者として見た具体的な意見を申し上げたいと思います。
まず結論を先に申し上げますと、今回の現代語化、平易化というのはむしろ遅きに失した感がありまして、基本的には大賛成です。内容も、私どもが予想していたよりもむしろ易しく向っていまして、ルビなんかも、もっとルビが多くてもいいと思うのですけれども、ルビを振ったなんというところもヒットじゃないかと思います。ただ、個々に見ていきますと、特に我々新聞記者の目で見ますと、もっと何とかなるのではないかなというところがあるわけです。
私、ここへ伺います前に若い記者、それも入社二、三年の若い記者に改正案を実は読ませてみました。そうしたら、いろいろな反応がありまして、腹が立ったという反応もありましたし、何でこんな難しい言葉を使うのですかという話がありました。
なぜかというと、私も含めて、新聞記者になるのは、法学部を出ても、最終的に法律が難し過ぎるからといって逃げた連中が多いものですから無理もないのですけれども、例えば私の個人的な経験から言いますと、今の刑法を読むためには翻訳書が必要なんですね。日本語なのに翻訳書が必要、しかも今生きている法律なのに翻訳書が必要ということで、私なんかよく「口語六法」という本のお世話になりました。今でも大分人気があるようですが、そういうものをみんな読んできている世代が改正案を見て、直してまだこれですかという意見が出てきたわけです。
例えば、幾つか具体例を挙げてみますと、まず総則からいきますと、五条に「更に処罰することを妨げない」という文章があるのですね。これなんか新聞記者の用語でいきますと、「さらに処罰することもできる」という用語ですんなり理解できるわけです。それから、十九条の「犯罪行為の用に供し、又は供しようとした物」という文章があるのですけれども、これなんかも私どもの感覚では、「犯罪に用いられた物、あるいは用いようとした物」というような文章でもわかるのではないか。それから、三十一条の「時効によりその執行の免除を得る」という文章なんかも、「時効により執行を免除される」となればむしろ簡単にわかる。もちろん、法律的にはいろいろ正確さという点で議論があるのでしょうけれども、これでもわかるのじゃないかと思うのですね。
それから、四十八条二項の「処断する」という言葉に若い記者がびっくりしたのですね、まだこんな言葉が残っているのですかということで。これなんかはこの文章を、ちょっと長いのですけれども読んでみますと、「罰金に処するときは、それぞれの罪について定めた罰金の多額の合計以下で処断する」と書いてあるわけですから、「罰金を科すときは」云々で「最高額の合計以下とする」とすれば、それでもわかるのじゃないかという意見でした。
〔斉藤(斗)委員長代理退席、委員長着席〕
こういった、今は総則の例を挙げましたけれども、やはりまだ、これは専門家の方たちがつくった、専門家の方たちがお考えになった平易化であり、現代語化であるのだなという感じがするわけです。
なぜこんなことを申し上げるかといいますと、文章を練るとか言葉を選ぶというときには、だれに読ませるかという見地が大事だろうと思うのですね。私ども新聞記者になるときには、まず真っ先に教え込まれるのは、新聞記事というのは小中学生に読まれなきゃだめなんだよ、小中学生に理解できなければだめなんだよと言われるわけです。社説を書くときも、小学生は無理ですけれども、できれば中学生、幾ら難しくても高校生にはわからなければいけないなということで、一生懸命かみ砕いて書きます。時にそのために厳密な正確さを欠くということもあるわけですけれども、法律の場合にもそういうことがあるのではないかという気がするのです。
具体的に刑法について考えてみますと、まず最初に取り上げた総則です。これは、僕自身としては多少難しくてもいいのかなという感じがします。これはある意味では手続法ですから、弁護士さん、裁判官、検察官、そういう法律の専門家が知っていれば、素人が完全に理解していなくても済む部分ではあろうと思います。ただしかし、第二編の罪を定めた部分はそれではいけないのだろうという気がします。
今回、資料集をいただきましたけれども、刑法の機能としてこういうことが書いてありました。「刑法は、どのような行為が犯罪となり、どのような刑罰が科せられるかを明らかにすることにより、国民が犯罪行為に及ぶことを思い止まらせる機能」があると書いてあります。
そうしますと、これは言ってみれば、国民にやってはいけないこと、あるいはどこまでなら許されるのかという限界を教えることだろうと思うのですね。そうすると、言葉や文章がわからないとそれは不可能です。それも、大人になってから突然文章を読んで知るのではなくて、年少のうちから規範意識を植えつけるという意味では、なるべく低年齢の人にもわかるような文章にすることが望ましいのじゃないのでしょうか。
そういうわけで、多少あら探しめきますが、新聞記者の目でまた各論の部分を少し拾ってみました。
例えば百五条の二というのに「面会を強請」という、強く請求するという言葉が残っています。これなんかも、正確かどうかわかりませんけれども、「強いて」あるいは「無理やり面会を求め」ということではいけないのでしょうか。それから同じ条文に、これは僕は全く素人だからわかりませんけれども、ゴウダンと読むのですか、強く断じて威迫するという言葉が残っているのですが、これなんかも「言葉や態度、動作などで強引に要求に応じさせようとする」というかみ砕いた言い方では伝わらないのでしょうか。もう一つありましたね。百七十八条には「抗拒不能」という理解不能な言葉があります。これなんかも「心理的あるいは物理的に、反抗できない」という表現では伝わらないのでしょうか。
実は、僕が今幾つか挙げた言葉は、私が勝手に言いかえた言葉ではなくて、刑法のコンメンタールを見たらこういう意味だと書いてありました。だから、必ずしも完全に正確ではないかもしれないけれども、専門家がこの文章をもう少し工夫していけば正確に伝わる方法があるのではないか、易しく正確に伝わる方法があるのではないかという気がします。
もっと簡単に言いかえられる言葉があります。百六条と百七条の騒乱罪のところにある「多衆」なんというのは、「大勢」とか「大勢の人」ではいけないのでしょうか。百二十条二項にある「自己の所有に係る」というのは、「自分の所有する」というものではいけないのでしょうか。百四十二条の「人の飲料に供する浄水」なんというのは、「人の飲料にするための浄水」で十分伝わるような気がします。これも同じ用法で、百六十一条の二には「事務処理の用に供する」という言葉がありますね。これなんかも「事務処理に使う」で十分伝わるような気がします。
まあ、あら探しめきましたけれども、事ほどさように法律の文章というのは、専門家の言葉というのは案外素人の言葉とは違って――案外じゃありませんね、随分違っているものだなという実例を幾つか挙げてみました。つまり、改正案は大変努力されていますし、私も歓迎はするのですけれども、まだまだ現代語化されていない部分、特に日常生活では使われていない用語が残っているという感じがします。
確かに、単語あるいは熟語をそのまま別の熟語、単語に言いかえるということはなかなかできないというケースはありますね。それは私も承知していますけれども、改正案を見ていると、必ずしもその単語、熟読をそのまま別の単語、熟語に置きかえるということにこだわってはいません。例えば、七十七条の「朝憲ヲ♯乱スル」なんという文章は、「憲法の定める統治の基本秩序を壊乱する」という言葉に言いかえていますね。この「壊乱」という言葉がまたこれ日常生活で使わない言葉だと思うのです。
それにしても、とにかく熟語を文章に置きかえるという努力をなさっているわけですから、ほかのところでもなかなか言いかえ言葉がわからない言葉を文章に直してわかりやすくするということはできるのではないかという気がします。裁判官とか検察官、もちろん弁護士さんも、こういう難しい言葉をストレートに右から左へぱっと判断して適用するのじゃないのだと思うのですね。頭の中で一回言葉を分解して、わかりやすい状態にして弁論なり判決なり論告なりに入っていくのだろうと思うのです。そうすると、その前の段階で条文をもっと易しくする努力というのもしてもいいのではないかという気がします。
もちろん、何でも簡単にしたり仮名書きにすればいいというものではありませんで、例えば言葉にはやはり歴史とか伝統とか文化というものを背負ったものがありますから、言いかえられないものもあります。それから逆に、難しいけれども、その言葉を理解しようと思って一生懸命努力することによって歴史なり文化を学んでいくということも大切だと思うのですね。だから、そこの言いかえられない言葉があるということは僕自身も否定しません。
例えば、百八十八条ですか、「神祠」という言葉が出てきます。神のほこらという言葉ですが、これは辞書を引いてみましたら、大型の辞書には載っていますけれども、我々が机の上で使うような小さい辞書には載っていませんね。その意味では難しい言葉なのかもしれませんけれども、しかしこれは神殿でもないし神社でもないし、やはり「神祠」なのかなという感じがしできます、イメージが伝わっできます。
それから、百八十六条の二項にある「博徒」、これは何か判断によると賭博を常習にする者というのだそうですけれども、賭博の常習者というと何かちょっとしっくりきませんで、やはり「博徒」という言葉だと歴史的な過程をしょったイメージが浮かんでくるのですけれども、そういうところは非常に大切にしなければいけないのですけれども、まだまだ素人、特に若い世代にわかりにくい言葉が多いなという気がします。
そろそろ時間ですから結論を申し上げますと、基本的には僕は現代語化、平易化、関係者は大変努力されておりまして、よくできておると思いますけれども、新聞記者、特に若い人の目で見るとまだまだ難しい。とはいっても、一遍に全部を直すというのもここまで来てなかなか大変でしょうから、むしろ今後もどんどん研究していって、論議を重ねて、もっと易しくした方がいいなという場面があったら随時これを直していくという柔軟性を持ってほしいと思います。
特に、全体としては確かに翻訳本は不要になりましたけれども、まだまだ手元から辞書は放せないなという感じがします。だからせめて、できれば中学生、最低限高校生は辞書が不要になるような文章、法文にしてほしいという期待を持っています。(拍手)