寄本勝美の発言 (地方分権及び規制緩和に関する特別委員会)
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○参考人(寄本勝美君) 明治の二十年代に入るや否やと言ったらいいんでしょうか、新しい近代的な地方制度がつくられたわけですけれども、その際に明治政府は、当時七万以上あったといわれております自然村を合併などで整理いたしまして一万七、八千の市町村に整えていったという経過があります。その後、何度かの改革がございまして、今三千二百余りの市町村と四十七都道府県になっているわけです。
池上参考人のおっしゃいましたように、今、市町村はかなり定着しているのは確かだというふうに思います。都道府県も同じようなことが言えるかもしれませんが、定着するまでにおよそ百年、あるいはそれ以上かかっているわけであります。これから受け皿づくりのためということで思い切った合併などが行われて、仮に数百くらいの市町村になったといたしましても、定着するためには百年とは言わないまでも数十年ぐらいかかるのかもしれません。数十年たった後は、あのときよくやった、現在のさまざまな条件から見れば三千二百余りよりも数百の基礎的な単位の方がマッチしている、また意識的にもかなり定着してきたといったようなことがあるいは言えるのかもしれません。
しかし、私の現在の選択は、そういった大きな見通しといいますか、非常に遠い遠い将来を考えた上での改革志向というものを持たないわけではありませんけれども、池上参考人がおっしゃいましたような、今を大事にする、今の制度改革を思い切った形にすることによって住民なり地域社会なりに大きな問題をもたらすというのはやはりどうかなというふうに思うわけでございます。
基本的には現在の二層制を軸にしながら、それぞれの地域の事情と自主性と独自性をまず尊重しながら、現代的な条件に少しでも合った形にしていく。そのために、広域的な仕組みも一応制度的には用意されているわけですからそれを利用してもらうとか、あるいは都道府県が山村地域など規模の小さな自治体に関してはもう少し積極的な役割を演じてよろしいわけでございまして、そういう形でカバーしていくということの方がより安定的ではないか、あるいはそれがいろいろな意味で望ましいのではないかというふうに考えております。ですから、この受け皿論に関しましてはそのようにおとらえをしていただければと思うわけです。
それともう一つ、受け皿論に関しまして先ほど少し指摘をさせていただきましたが、私は必ずしも政府間、地方自治体を含めての政府ですが、政府間の関係というのは、量でもってというのではなくて、やはり質でもって考えていくべきだと思うわけでございます。規模の小さな市町村の扱い得る事務事業の内容がやや限定されておりましても、その限定されている事務事業に関してはやはり基本的には自己完結型の、つまり政策自身を選択できて実施をもどういう実施方法にしていくかということをまず自分たちが決めることができるという、そういうふうな質をまず大事にしていくべきであります。したがって、量的にさらに多くのことをしょっていくということのための受け皿を必ずしも考える必要はないのではないかというふうに考えているわけでございまして、それは都道府県なりあるいは国なりが必要なものに関してはより積極的な役割を担っていただければいいのではないかというふうに考えているわけでございます。
そういう観点から見ますと、国は外交ですとか国際問題ですとか等々に主眼を置いた活動をもっと積極的にやっていくために国内の諸問題に関してはもう少し身軽になるべきだという説がございますけれども、私は今申し上げたような観点からすれば、必ずしも無条件に賛成できる御意見ではございません。国内の諸問題においてももっと国がさまざまな地域社会の、あるいは自治体そのものの要望にこたえるような行政をより積極的にやっていただいてもいいわけであります。
その点についてそれではどういうふうな事例があるのかという御指摘でございますけれども、私は、池上参考人のおっしゃったような現場という意味でいえば、主として環境問題なりリサイクル、ごみ問題で活動してまいりましたのでその領域しか必ずしも自信を持って言えないんですけれども、廃棄物の処理などはまさにそうでございまして、収集した後のものはどうしても処理せざるを得ない。焼却などは個別ないしは幾つかの市町村が協力して共同処理をするという仕組みで対応できるでしょうけれども、埋立処分地を探すといったような問題になってまいりますと、例えば二十三区で果たしてできるんでしょうかとか、あるいは三多摩の三十二の市町村が埋立処分地をそれぞれ持たなければならないとなりますと、本当はそれの方が望ましいのかもしれませんが、現実には非常に難しい問題があるわけであります。
そうなりますと、やはり都道府県がこれは市町村と十分に連携をとりながら広域的な処分地を確保する。しかし、広域行政には御案内のようなマイナス面もございますから、そういった面はできるだけ抑え込むような仕組みを十分に考えながら都道府県の役割の増大を期待せざるを得ない。
それから、集まったものをできるだけ再利用する。処分地がなくなってきているわけですから減量というものが大変大切になりますが、集めたものをどう利用するかとなりますと、これは例えばリサイクル型の経済の仕組みを考えていかなければなりません。
それから例えば個々の市町村からいたしますと、行政区域の外にある企業に対して、メーカーに対して、直接条例をつくってあれこれ規制をするというのは今のところできないわけであります。どうしてもその区域の外にある産業界に対する政策的な対応というのは都道府県なり国なりに期待せざるを得ない。しかし市町村は、従来どおり収集したものを処理するという面で努力をしながら、再利用なりリサイクルという面から見ますと全国的なレベルでそういったシステムをきちっと考えていただくことがどんなにか市町村にとって心強いことであるか。ごみを集めるあるいは分別収集をするというこの作業においてどんなに勇気づけられるものであるか。
今は、どんなに一生懸命分別収集をしましても時にはそれをメーカーは引き取ってくれない、ごみにせざるを得ない。分別の努力が生きないということでありまして、そういう観点からすると、そういったものを今度は全国的な視野からきちっと受けとめる、そして産業界に対してさまざまな協力をお願いする、こういう責務を国がきちっと果たしてくれれば、それは自治の減退ではなくてむしろ自治の拡大であります。
池上さんの言われたような意味でいえば、市町村の職員はどんなにか元気が出るかということになるわけでございまして、そういう観点からすると受け皿というものは、必ずしも広域的な仕組みを地方につくっていかなければならない、合併がそれであるというわけのものでもないような気がするわけでございます。こういったようなことは、リサイクルや環境問題に限らず、都市計画でも福祉でも多々言えるのではないかというふうに思っております。
それから御質問から少しずれるかもしれませんが、私この間、自分の町の自治体の職員とずっと町を見ておりましたら、その職員がこんなことを申されました。ここに公園があります。公園の中にごみ箱がある。ごみ箱を公園に置くのは一向に構わないんですが、ところがそのごみに関しまして、缶と瓶と分けて入れることができるようなごみ箱をつくろう、それはリサイクルにつながるということになるわけですね。その場合に、集まってくる缶とか瓶をごみにしないでリサイクルにする。リサイクルというのは、当然、集めてきたものをもう少し選別をし直して業者さんに引き取ってもらう。そのときに市場の価格がよければそれは自治体に多少の収入になるんですが、収入になるとその分別のためのボックスは公園に置けないんです。ごみ箱だったら置いてよろしい。要するにお金になるようなものの道具を置いてはならない、こうなるわけです。
リサイクルしないでごみにした方がいいといいますか、結果的にはそれを強いられてしまって、新しくクリーンボックスの仕組みを変えていこう、ごみを減らすように持っていこうという努力が生かされないわけです。
こういうことを考えますと、この収集作業とかごみの問題と公園の問題は決して無関係ではありません。限られた地域の中でどのようにごみ箱という受け皿を用意していくかとなれば、公園や廃棄物やその他のものを一緒に考えて全体的にいい仕組みを考えていくというのがまさに市町村レベルの総合行政なんですが、それができないわけです。
こういったことが地方分権という意味で非常に大きな意味を持つというふうに考えているわけでございまして、受け皿というのは必ずしも空間的な意味での受け皿というだけじゃなくて、法律を変える、仕組みを変える、これもまた別の意味での受け皿であります。こういうこともぜひともいろいろの機会のところでお考えになっていただければ大変ありがたいと思います。
石井先生の御質問に十分お答えできなかったのではないかと思うんですが、どうも失礼しました。