斎藤文夫の発言 (地方分権及び規制緩和に関する特別委員会)
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○斎藤文夫君 今、総理もお触れになりましたけれども、地方分権を進めてまいりますと、どうしても権限、財源、そしてまたそれに伴う人間、俗に三ゲンと言われておりますけれども、国から都道府県へ、都道府県から市町村へ移管をされていくことは当然でございます。
そこで、時間の関係で一括してちょっとお話を申し上げ、お尋ねを申し上げますが、まず第一の権限の移譲は、これはもう国と地方の役割分担を明確化することが分権のまず第一義的な要素でございます。どこまで中央の集権を地方へ分権するか。
実は総理御出身の大分県中津、私の大学の塾祖でもございますが、福沢諭吉先生が明治十年に「分権論」というものをお書きになった。私は大分から帰りまして「分権論」を一生懸命読みました。まさにあの封建社会、しかも中央集権発足間もない時期に福沢諭吉先生が地方分権をとうとうとうたいとげておるのに今さらのように頭の下がる思いがいたしました。その中で、中央の政権をガバメント、地方の治権をアドミニストレーション、こういう置き方で、国の政権は法律、軍事、税金、外交、通貨、国を一様ならしめる問題については国が引き受けましょう。ところが、地方の治権というのは警察、あとは道路、橋梁、堤防、学校、寺社、衛生、いわゆる住民に密着したものを地方の行政の権限としよう、こういうことを明確にうたいとげておるところでございます。
私はこの「分権論」を見て、もう明治のあの時代にこういう提唱がなされたとすれば、訂二十年たった今日、当然このくらい思い切った分権を実現していかなきゃいけない、それが今に生きる政治家我々の後世に対する責任なのかな、このように考えておるところでございます。したがって、思い切ったスリム化を図り得るのかどうか、国と地方の職務の明分化をすべきである、その意味で総理はこの「分権論」を含めてどうお考えになっておられるか。
時間がありませんので、あと当然それを裏づける財源の裏打ちがなければ地方分権の成功はありません。今のような三割自治と言われる中では、どうしても地方財源というものを充実してくれなければ、五割、六割、地方の自主性を高める行政というものは行われない。したがって、今の国が税金を集めて、そしてそれを補助金、交付金、あるいは起債という形で地方に配分する、このシステムを根本的に改めていかなければ本当の意味の地方自治の自主性、独自性は保てない、このように考えておりますが、いかがでございましょうか。
もう時間がございませんので、最後に一つ。
やはりそれには人間がついていかなければなりません。地方事務官の身分の問題とかいろいろあると思いますけれども、ただ国がスリム化しただけでこれでいいというわけにはまいりません。都道府県もあるいは市町村も全部が行革の中でスリム化を図り、そして効率を高めながら行政サービスに徹していく、そういう機能的な政治、行政というものをつくり上げていかなければならないわけでございます。この中で地方も人材を確保する、行政を高める、こういう努力をすべきでございます。
以上、こういう観点を申し上げまして、思い切った分権こそ地方がそれを受け入れて勉強していく。受け皿が弱いよという論ではなくて、思い切って分権をし苦労させていくところに地方の発展があると思いますが、いかがでございましょうか。一言で御答弁をお願いします。