服部三男雄の発言 (宗教法人等に関する特別委員会)
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○服部三男雄君 洗先生のお話を伺っていますと、現行法の秩序の中にある宗教法人法の構成をやや立法論的に考えておられる部分が散見されるように思うのでありますが、それはともかくといたしまして、この宗教法人法が昭和二十六年にできたころの日本というのは、大変貧しい国であった、国民が飢える時代であった。そういう厳しい物的な満足が得られない場合、どうしても心の問題というのが大切な時期でありますから、いいのでありますけれども、その後、世界史にまれに見る高度成長を行った。そうするとお金がたくさん出てくる。宗教活動がそういう社会の大きな流れの影響をどうしても受けざるを得ない。これは避けられないことだと思うんですね。
先ほど北野先生がおっしゃったように、国民の間に税という意識が非常に強くなってきた。宗教法人に対する税の目の感覚が厳しくなってきているという大きな流れになってきた。また、宗教法人のお金の使途について、収支について国民の意識が厳しくなってきた。あるいは端的に申し上げれば、両先生もおっしゃいましたが、不信感を国民の多くの方が持つようになってきた。近時の代表的な日本の新聞社二社の調査では、実に国民の六五%が宗教法人のお金の収支、俗的な言い方をしております、収益事業の問題もあるでしょうし、それ以外の宗教活動としてのお金の出入りもありますけれども、国民はそこまで細かくは認識していないようでありますが、とにかく宗教団体そのもののお金の出入りについてどうも不信だという人が何と六五%もいる。
こういう社会の大きな変化を考えた場合に、今、先生のおっしゃっているような財務関係書類を備えるとか、あるいは所轄庁への提出、あるいは信徒、利害関係人が閲覧権を持つことは、宗教活動そのものあるいは宗教団体の事務の煩雑さとか無用な混乱を生ずるというのは、今国民の多くの方がこのテレビを見ておられますが、洗先生の御意向に対して、ちょっとそれは違うんじゃないかというふうに感ずるんではないかと思いますが、どうでございましょうか。