宗教法人等に関する特別委員会

1995-12-04 参議院 全210発言

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会議録情報#0
平成七年十二月四日(月曜日)
   午前十時開会
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   委員の異動
 十二月一日
    辞任         補欠選任
     釘宮  磐君     海野 義孝君
     伊藤 基隆君     大脇 雅子君
 十二月四日
    辞任         補欠選任
     真鍋 賢二君     岡部 三郎君
     平野 貞夫君     猪熊 重二君
     益田 洋介君     大森 礼子君
     筆坂 秀世君     橋本  敦君
    —————————————
  出席者は左のとおり。
    委員長         倉田 寛之君
    理 事
                上杉 光弘君
                関根 則之君
                松浦  功君
                白浜 一良君
                平井 卓志君
                渕上 貞雄君
                有働 正治君
    委 員
                尾辻 秀久君
                岡部 三郎君
                鎌田 要人君
                久世 公堯君
                小山 孝雄君
                下稲葉耕吉君
                坪井 一宇君
                中島 眞人君
                楢崎 泰昌君
                服部三男雄君
                保坂 三蔵君
                村上 正邦君
                荒木 清寛君
                猪熊 重二君
                魚住裕一郎君
                海野 義孝君
                大森 礼子君
                直嶋 正行君
                山下 栄一君
                和田 洋子君
                大脇 雅子君
                齋藤  勁君
                竹村 泰子君
                前川 忠夫君
                橋本  敦君
                本岡 昭次君
                国井 正幸君
   政府委員
       文化庁次長    小野 元之君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        青柳  徹君
   参考人
       神社本庁総長   岡本 健治君
       駒澤大学文学部
       教授       洗   建君
       日本大学法学部
       教授       北野 弘久君
       創価学会会長   秋谷栄之助君
       善隣教教主    力久 隆積君
       全国霊感商法対
       策弁護士連絡会
       事務局長     山口  廣君
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本日の会議に付した案件
○宗教法人法の一部を改正する法律案(内閣提出
 、衆議院送付)
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倉田寛之#1
○委員長(倉田寛之君) ただいまから宗教法人等に関する特別委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 去る一日、釘宮磐君及び伊藤基隆君が委員を辞任され、その補欠として海野義孝君及び大脇雅子君が選任されました。
 また、本日、真鍋賢二君及び筆坂秀世君が委員を辞任され、その補欠として岡部三郎君及び橋本敦君が選任さました。
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倉田寛之#2
○委員長(倉田寛之君) 宗教法人法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本日は、本案審査のため、六名の参考人の方々から意見を聴取することといたしております。
 午前中は三名の参考人の方々に御出席をいただいております。神社本庁総長岡本健治君、駒澤大学文学部教授洗建君、日本大学法学部教授北野弘久君、以上の方々でございます。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ本委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。参考人の皆様から忌憚のない御意見をいただきまして、本案の審査の参考にさせていただきたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
 それでは、議事の進め方について申し上げます。
 まず、岡本参考人、洗参考人及び北野参考人の順序でお一人十五分程度の御意見をお述べいただき、その後、各委員の質疑にお答え願いたいと存じます。
 それでは、まず岡本参考人にお願いいたします。岡本参考人。
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岡本健治#3
○参考人(岡本健治君) 神社本庁の総長といたしまして、今回の宗教法人法改正に伴います私どもの考え方、姿勢を御理解いただくために、まず現行の宗教法人法に対して私どもが考えております姿勢を、今までとってまいりました姿勢を御説明申し上げたいと思います。
 結論から申しますと、神社本庁は現行の宗教法人法につきましては基本的に反対であります。理由は、現在の宗教法人法が日本の宗教の実情につきましてしっかりと押さえないで、そして制定されたと、このように判断をいたしておりますので、この宗教法人法が制定されました昭和二十六年から、その制定当時から私どもとしては必ずしも好ましい法律ではないと、こういうように考えてまいりました。
 したがいまして、昭和三十二年に文部大臣から宗教法人法の改正についての諮問がありました場合も、神社本庁といたしましては、その点を抜本的な改正という点に立ちまして、そして全面的な改正についての意見を述べたわけでございます。そういう形で現在に至っております。
 現行の宗教法人法についてどこに私どもが不満を感じているか。幾つか挙げなくてはいけませんが、簡単に申しますと、例えば、たしか第二条におきまして宗教団体が備えるべき要件は次の三つであるという形で宗教法人法では示しております。
 その第一が教義を広めることであります。御存じかとも思いますが、私ども神社の信仰につきまして、教義というものは持っておりません。したがって、教義を言葉にし文字にした教典というものを持っていない。まずその点で、厳密に考えますならば神社が法人格を取得することは困難であります。早く言いますと、宗教法人になるためにはこれだけの要件が必要なんだ、おまえさんのところはその要件を満たしていないから宗教法人の法人格を取得することはだめだと。もしどうしても宗教法人の法人格を取得したいと思えば、おまえさんの方の信仰の内容を変えて出直してこいと、極端に言えばそういう事態が生じ得る問題を含んでおります。
 神社本庁ではそういう言葉を使いませんけれども、私の言葉をもって表現すれば、これは日本の宗教、殊に神社の実情を考えないでつくられた法律、そして宗教法人格を取得しようと思えば信仰の内容を変えなくちゃいけない、宗教信仰に対する迫害である、そういう表現さえしたくなります。
 さらに、神社というものは古い歴史を持っております。二百年、三百年、五百年、千年という古い歴史を持った神社が無数にあるわけでありますが、その神社を解散させますためには、これは神社によってそれぞれ数は違いますけれども、わずか数人の役員が解散を決議すれば神社は即日消滅をいたします。若干の手続、公告等の手続はありますが、基本的には、仮に千年の歴史を持った神社であっても五、六人の役員によって決議されれば消滅する。それに対して宗教法人法の中の手続は、長い歴史を持った、またそれぞれの地域において生活の精神的な中核になってきた、そういう役目を果たしてきた歴史的な事実というものを全く考えないで制定されたと、こういう判断をせざるを得ません。
 これは無理もないことなのでありまして、御存じのとおり、宗教法人法そのものが、昭和二十年にポツダム勅令によりまして急遽制定されました宗教法人令を土台といたしております。そして、まだ占領下におきまして昭和二十六年に法人法を制定されたと、こういう経過を持っておりますから、占領軍が考えたその考え方がどこまで影響をしておるかは、詳しい事実ははっきりいたしませんけれども、そういうような占領軍の考え方そのものが影響をしておるということも考えられます。したがいまして、無理のないことではありますけれども、私どもといたしましては、制定以来常に現行の宗教法人法について反対をしてまいりました。
 ただ、法律であります。基本的に反対しながら、その法律によって神社は法人格を得ております。したがって、その法律を守ることについては、これは私ども全国の八万の神社とともに、それに違反することのないように全力を挙げてまいりました。おかげさまで、現在まで神職を中心にしまして、その神社を取り巻く役員、総代、氏子、崇敬者などが力を合わせて、そしてその法人法に違反をしないようにそれぞれ努力をしてきたわけであります。数の多いことでございますし、法律というのは私ども余り親しみがありませんので、やはり違反をするというようなことも間々あったかもしれませんけれども、まず一〇〇%その法律を守るために努力をしてまいったと、こう申し上げても間違いはないと思います。
 以上のような宗教法人法そのものに対します私どもの基本的な姿勢というものはずっと変わらずに参りました。そして現在に至っておりますことは今申し上げたとおりでございますが、今回の宗教法人法の改正につきましても、今申し上げました基本的な姿勢はそのまましっかりと考えながらこの改正に対処をしてまいりました。
 やはり、この制定以来の四十年という間には宗教法人そのものも大きく変わった面がございます。さらにまた、それを取り巻く社会の環境も大変な速さで変わってきております。これも事実であります。そこへもってきて、オウム真理教といういわば凶悪な犯罪集団が宗教であるという名のもとに発生をしてまいりました。この社会の安定を乱す反社会的な行動もいたしております集団に対して、その凶悪な犯行を防ぐために、そういう集団の発生を防ぐためにもし現在の宗教法人法を改正することによって効果があるならば、これは一部の改正はやむを得まい、現在の宗教法人法の基本的な考え方に影響を及ぼさない範囲において行政上の手続として宗教法人法を改正して、そういう宗教の名のもとに凶悪な犯行を行う集団の存在を許さない、これは当然のことと私どもは考えました。
 私たちの毎日の神様に対しますお祈りは、国家の安定と国民の幸せとさらに皇室の御繁栄、これを祈るのが私どもの毎日の仕事でございます。したがって、国家の、社会の安定を乱す、これが、もし宗教法人法の改正によってその効果が一部でもあるならば、これは改正はやむを得ない、このように考えました。
 ただ、ただいま申しましたような極めて凶悪な社会不安の原因をつくっております集団は、これは全宗教法人の中のほんの一部にすぎない。私どもの神社の関係で申しますれば、先ほど申しましたように、八万の神社はこの法が制定されましてから四十年間、何ら社会不安を起こすような問題を起こさなかったということは、まあ一、二の例外は悲しいことですがございますけれども、全般を通じてこの四十年間に一体神社を初めとするほとんど大部分の宗教法人がそういう社会不安を起こす原因になったかどうか、これは少なくとも私ども神社関係としましてはまずなかったと、こう申し上げてよいと思います。
 ということは、少なくとも私ども八万の神社の中におきましては、基本的に宗教法人法に対して極めて不満を持ってはおりますけれども、それを忠実に守ってまいったということであります。この忠実に守ってまいりました者に、今回の改正によりまして、いろんな点でまじめにやってきた、四十年間真剣にやってきた神社に対してさらに負担を加えることがあるとしますれば、これは言葉重言いかえてみますと、おまえたちが今まで宗教法人法を真剣に守ってこなかったから今回こういうような改正をしなくちゃいけないんだということを宣言するのと全く同じことになります。少なくとも現在組織の長として仕事を仰せつかっております私としましては、これは承服ができません。
 非常に危険な社会不安を起こす一部の集団、これがあることは事実ですけれども、その反対の立場に多数の、ほかの御宗派のことは余り存じませんけれども、少なくとも私が現在長をいたしております組織、神社本庁の傘下にあります八万の神社は真剣にとにかくやってきた。それに対して、おまえたちの今までのやり方が悪いから、そういう悪いことが起こらないように法律を変えて、負担もふやすぞということは言えない。ですから、その点については、改正について十分留意をされたい。このことは強く主張をしてまいりました。
 なお、公開、報告等につきましても、これは大部分じゃございません。大部分じゃございません。我々神職は神社を自分の、私有のものだとは考えておりません。先祖から伝えられてそれをお預かりしている、そしてそれをまた永久に子供たちに、またそれを子孫に引き継いでいく、その責務を持っている。また、その地域の氏子なり崇敬者なりという人々からこの神社をお預かりしている、基本的にはお預かりをしているんだという考え方をいたしております。
 したがいまして、お預かりしております以上、先祖に対して具体的な報告はすることはできませんが、少なくとも同時に、神社をお守りをいただいている氏子、崇敬者については、これはもう神社の経費はほとんど全部ガラス張りに近いと、こう申し上げてもよろしいかと思います。ただ、神社の経済、これはもう大変貧乏であります。神社というのは大変お金がない。お金がありませんから公開するほどの経理の必要もないぐらいであります。
 そういう点から考えまして、今、仮に日本の社会全般から宗教法人は極めて不明朗であると、こういうおしかりを受けるとすれば、これはその部分がまだ残っておるとすれば、私たち神社もこれはもう徹底的にとにかく透明さを図ってまいりたい、このように考えております。ただ、時間はかかります。時間はかかりますが、それを目指して進んでまいりたい、このように考えておる次第であります。
 以上のような大変乱雑なお話で恐縮でございますけれども、そういうような私どもの考えに立ちまして、今回の宗教法人法の改正につきましては、望ましくはない。望ましくはありません。けれども、信教の自由を叫ぶためには、それに倍する厳しい、みずからを律することが前提になるということを考えながら一歩一歩進めてまいりたい、このように神社本庁としては現在考え、そして一応改正についての賛成の意思を表明した次第であります。
 申し上げたいことがまだまだ残っておりますけれども、大分時間を超過いたしまして申しわけございません。お許しをいただきたいと思います。
 では、以上で私の意見の開陳を終わらせていただきます。ありがとうございました。
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倉田寛之#4
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。
 次に、洗参考人にお願いいたします。洗参考人。
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洗建#5
○参考人(洗建君) 駒澤大学の洗でございます。
 結論から申し上げますと、今回の改正案というのは大変問題が多く、これは賛同いたしかねるというふうに考えております。
 現行の宗教法人法がしばしばざる法であるなどと言われるのでありますけれども、現行の宗教法人法は、その目的に記されているとおり、既に社会的に存在している宗教団体に法人格を付与するということを唯一の目的とする法律でありまして、宗教法人を管理するための法律ではありません。
 それは決して野放しということであるわけではありませんで、宗教法人の財務に関しては税法に基づいて税務当局が関与することができるわけでありますし、また法令に違反する行為があればそれぞれの法を所管する行政がこれを規制することができるわけでありまして、宗教法人はみずからの責任において自由に行動し、法に触れることがあれば一般の市民と全く同様に規制されるという状態になっているのが現行法の状態であると思われます。
 ところが、今回の改正案におきましては、この法の目的を大幅に逸脱してといいましょうか、所轄庁が宗教法人を管理する、恒常的に監視するというふうな体制を築こうとするものでありまして、これは憲法の政教分離の原則を危うくするものと考えられるわけであります。政教分離の原則のもとでは国家機関と宗教団体との関係は最小でなければならないのでありまして、宗教法人の活動一般に対して包括的な立場からこれに関与するような国家機関というものは置かれるべきではないと、私はそう考えます。
 今回の改正におきましては、所轄庁の移管、財務書類等の報告・質問権の付与などの改正が行われるようでございますが、所轄庁というのは、その権限が認証事務に限定されているのであれば、これはどこであっても同じことでありますから別にどうということはないようでありますけれども、しかしどこであってもよいということであれば別段法改正をして移管する必要もないわけであります。全国的に活動する宗教法人はこれは文部省の所管にすると言うといかにももっともらしく聞こえるのでありますけれども、今回の法改正によりましてはその改正の目的も達成されないのではないかというふうに思われます。
 他の都道府県に宗教施設を持つ宗教法人は文部大臣の所管になるということでありますが、例えば天台宗の総本山であります比叡山延暦寺は、これは京都府と滋賀県にまたがっておりますので、今回の改正によって文部大臣所管に移管することになるかと思いますが、このような法人を文部大臣が所管しなければならないという意味はほとんどないように思われますし、また逆に、霊視商法などというので社会的な問題になっているような本覚寺グループと言われるような宗教団体、これは各地に宗教法人を持って全国的な展開をしておりますが、これを包括する団体というふうなものが法人化しているわけではありませんものですから、これは文部大臣の所管にすることができないのであります。
 そもそも今回の改正の意図とでもいいましょうか、これは今回の改正案では達成されていない。むやみに所轄関係を複雑にするだけであり、また宗教法人に負担をかけることでもあります。従来なら規則変更などに県庁に行けば済んでいた法人がわざわざ文部省まで出てこなければならないというふうなことも起こるわけでありますが、そうした負担に見合うだけの意味のある改正かというと、これは無用な改正をし、やたらと事柄を複雑にしているだけ、全国的に活動する包括法人は文部大臣、個別の単位団体は都道府県知事という現行法の方がはるかにすっきりしているのではないか、私はこのように思います。
 また、財務関係の書類を中心に報告義務を課すということであります。これにつきまして、認証した所轄庁としての責任を果たすために最低限の書類を出してもらうのだという説明がなされておりますが、所轄庁の責任というのは一体何なんでしょうか。所轄庁は宗教法人の活動に対して責任を負うことができるのでしょうか。また、そんなことをすべきなのでしょうか。私は、所轄庁の責任というのは法に定められた認証を確実に行ったか否かということ以上の責任を負えるはずがないと思います。
 報告を出させる、実態を把握するということは、本来ならば実態を把握して何か不都合な点が見出されるならばこれを指導し是正するということとこれは論理的につながっていることなのでありまして、それを指導監督というようなことになりますとこれは憲法に真正面から衝突いたしますので、今回の改正案では報告だけ出させるという点で論理を途中で断ち切っているものでありますが、指導も監督もしないのに何のために報告を出させるのか、全く意味のないことなのではないかというふうに思います。
 十八万四千からある法人から毎年報告書が出るということになりますと、この分量は大変なものであります。その保管だけでも相当な経費がかかるでしょうし、整理のための人員も必要かと思いますが、そのようなところに国民の税金がつぎ込まれるということは国民にとってもほとんどメリットのないことではないか、このように思われるわけであります。
 報告はさせるけれども指導監督はしないという今回の改正案は、ある意味では極めて中途半端であるがゆえに宗教法人法をむしろ欠陥法にする、そういうおそれがあるのではないか、このように考えております。
 また、質問権のことでございますが、これは七十九条、八十条、八十一条、事業の停止命令、認証の取り消し、解散請求に関して限定的に質問権を認めるということでございますが、八十一条は法人格の消滅、剥奪に関する条文ですからもちろん必要なものでありますが、こうした処分に関してはきちんと司法手続を経て裁判所の公正な判断にゆだねるというのが現行法の基本的な考え方でありまして、それに対して行政判断で認証の取り消しができるとした八十条の規定はそれに対する明らかな例外規定であります。認証後一年以内という期間の限定があることもこれが例外規定であることを示しているものと思われますし、また七十九条は一見してわかりにくいのでありますけれども、これも私は例外規定であると考えております。
 六条二項の収益を当該宗教法人のために使わなかった場合というのは、一体具体的にどういう場合が考えられるのか。通常の宗教法人でありましたら収益は当然公益会計の方に算入されていくものでありまして、公益会計からの支出は特に使途に制限がないのでありますから、収益会計からそのまま別の使途に使うということは通常考えられないことであります。唯一考えられるのは、宗教法人令当時にしばしば見られたような商店ですとかあるいは飲食店のたぐいが宗教を装って法人格をとってしまった場合、そういう場合に法人会計をきちんとやらずに売り上げをそのまま生活費に使っちゃったというふうなケースは考えられるのでありますが、今日ではそういう極端な事例というのはほとんどないのであります。
 これは宗教法人令の状況、時代の状況に対抗するために七十九条、八十条というのは挿入されたものと思われますが、こうした例外規定、八十九条から成る法律の中でたった二カ条の例外規定をとらえまして所轄庁にも何か権限が現行法でも与えられているというふうな解釈をするのは、私はそれは正しくはないと思います。
 こうした極端な違反事項というのは、これは質問権というようなものはなくても、だれが見ても明らかだというふうなケースについて適用されるべき条文でありますから、質問権が必要だとは思いませんし、また八十一条に関しましても、これは解散請求ができるのは所轄庁だけではありません。検察も利害関係人もこれを行い得るのでありまして、事実今回のオウム事件に関してもちゃんと解散請求はできているのであります。
 また、消滅しかかった法人についての解散の事例、これも質問権というようなことがなくても十分運用できるのでありまして、現にそうした法人の解散は現在でも行われているわけであります。現行法においてそうした調査権のごときものを与えなかった、これは意図的に与えていないと私は思います。与えなかったというその精神を十分かみしめるべきではないか、このように私は思うのでありまして、質問権は限定されて宗教法人審議会のチェックを受けるんだから乱用されることはないと言いますけれども、しかし法律は一たん制定されましたらひとり歩きするというのは、これは歴史の示しているところであります。
 八十一条の中には「目的を著しく逸脱した行為」というような、法令違反とまでいかないものについてもかなりあいまいな規定も入っているのでありまして、これは解釈次第で拡大されないということはだれにも保証できないことではないかというふうに思います。どうしても必要というわけでもない質問権というふうなものをわざわざ導入するということ、こうしたことは全体としてやはり所轄庁が宗教法人を管理のもとに置こうという思想が持ち込まれているものと思われまして、これは政教分離の原則を著しく危うくするものとして危険な改正であろうかと思います。
 また、信者に帳簿等の閲覧権を認めるということ、これは宗教法人の運営の透明化に役立ち、民主化に役立つと言われております。しかし、もちろん宗教法人の運営が適正に行われるようにするということは大変重要なことでありますし、また今日、国民のかなりの人々が宗教法人の経理に対して不信感を持っているということも、これを何とかしなければならないのは当然のことであります。しかし、こうした問題は、宗教法人の現場を踏まえて改正を考えるのでなくては、お役所の机の上で考えただけでは決してうまくいくものとは思われません。
 実際、信者その他利害関係人という概念は一体どういうことになるのか、これは極めて不明確であります。各宗教法人が決めればよいと、こう言いますけれども、しかし、信者の側といいますかずっと私はおさい銭を上げていたんだという人が、宗教法人側からおまえは信者じゃないと言われて納得するものとも思えないのであります。そういたしますと、今回の改正は宗教法人に無用の混乱、トラブルを起こす、そういう危険がかなり高いと言うべきではなかろうか。
 そもそも献金をした信者であれば知る権利が当然あるというふうな言い方がなされておりますが、宗教団体というのは民主的であればよいというわけでは決してありません。カトリックの「教会法」という著書を書いたルネ・メッツによりますと、カトリック教会というのは決して民主主義ではないということを明言しているのであります。神から権限が授けられた教皇、そして司教という信仰上の組織、これは信仰の問題でありますし、また仏教におきましても、宗教団体への献金ということ、これは宗教的な意味を持っている。仏様の前で喜んで捨てる、喜捨ということであります。こうした喜捨の心を育てるというふうなことは宗教にとって大変重要な問題であります。
 それを世俗の法律が、信者には献金をしたのだから当然閲覧の権利があるというふうなことを世俗の法律が押しづけるとすれば、それは宗教上の事項への介入になりかねない、信教の自由の侵害になりかねないのでありまして、こういう問題は宗教の現場におろして、じっくりと時間をかけて討議される必要があるものと考えます。
 したがいまして、私は、今回の宗教法人法の改正案というのはいずれの点をとっても問題が非常に多い、一度白紙に戻して宗教の現場におろして検討のし直しをすべきではないかこのように考えております。
 以上でございます。
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倉田寛之#6
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。
 次に、北野参考人にお願いいたします。北野参考人。
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北野弘久#7
○参考人(北野弘久君) ただいま御紹介いただきました日本大学の北野です。
 大変微力でありますけれども、約四十年間、税法学及び憲法学を専攻してきました。そうした専門の学問の立場から若干の所見を述べさせていただきたいと思います。
 周知のように、かつての日本では国家が特定の宗教と一体となりまして日本社会を支配し、他の宗教、とりわけ当時の新興宗教を弾圧したという事実がございました。この歴史的な事実への深い反省に立ちまして、第二次世界大戦後の占領末期におきまして、一九五一年になりますが、現行宗教法人法が制定されました。この法律は、いわば宗教性善説に立ちまして宗教団体に法人格を与えるということだけを目的とした法律であります。あれから四十数年を経過した今日、この法律を悪用する宗教法人などがあらわれるようになりまして、日本社会を混乱に陥れるようになったのであります。
 私たちは、宗教法人の教義や宗教活動の本体そのものに介入することはできません。行政が宗教団体を宗教法人として認証しまして、その認証を受けました宗教法人が日本社会でさまざまな公的な保護を受けることになります。行政には、そのような認証をした以上は、俗の部分、最小限度金の流れの面からその所管する宗教法人を把握しておくべき公的な責任がございます。宗教法人としましても、課税その他の面で公的な保護を受ける以上は、みずから進んでその金の流れの透明度を納税者、国民にディスクロージャー、開示する義務を負うと言うべきであります。
 今回の宗教法人法の改正はその点では極めて不十分なものでありますが、私としましては一歩前進であるということで今回の改正は最小限度の法制的整備を目指すものである、こういうふうに認識いたしております。
 この点について若干のコメントを加えておきますと、例えば問題になりました質問権について申しますと、現行宗教法人法第七十九条などに違反する疑いのある場合に限って、しかも宗教法人審議会の了解を得まして所轄庁がその所管する宗教法人に対しまして報告を求め、質問できるというものにすぎないのであります。私は、今回の改正案はむしろ公権力の宗教への介入を未然に防止するための自衛措置と見ております。宗教法人が国民、納税者が納得するだけの財務の透明化を実践しておりますれば、そういうことでやれば公権力は宗教へ介入する口実を持ち得なくなるのであります。
 しかしながら、財務の流れの透明度を確保するものといいましても、今回の改正案では極めて不十分であります。
 例えば、収入金額が一定以上の法人につきましては、改正案では収支計算書の作成のみを義務づけております。しかし、簿記の義務づけ、帳面をつけるという義務づけですね、それから収支計算書と貸借対照表の双方二つの義務づけは不可欠であります。
 さらに、十数法人程度のものを頭に考えておりますが、巨大宗教法人につきましては公認会計士による財務監査を義務づけるべきであります。その前提としまして、公権力の介入を避けまして、人々の信教の自由、プライバシーを真に守るためにも、宗教問題専門家を含む第三者的な審議会におきまして宗教法人の会計基準、会計原則を策定することが目下の急務となります。
 このように、公認会計士による財務監査の対象になる法人はほんの一握りの巨大宗教法人でありまして、大部分のお寺さん、お宮さん、教会などについては全くこの対象にならないのでありまして、各法人の自浄作用にゆだねるべきであると考えております。
 以上のほかに、現行宗教法人法には多くの不備がございます。これらの不備につきましては今回の改正案では検討の対象になっておりません。現行法には宗教活動以外の活動については歯どめはございません。やはり、社会問題化した今日の段階では、宗教活動以外の活動はその法人の宗教活動に関連したものに限ることとしまして、それを超える活動を行う場合には別法人、別組織として行うこととすべきであります。このような規定を宗教法人法に盛り込むだけで国民は宗教法人に信頼を寄せるのであります。
 また、休眠法人などの法人格の売買などが現実に行われておりますが、そういう疑いのある場合においては、所轄庁として何らかの措置を講ずることができるような規定を整備すべきであると思います。また、認証の取り消し期間は現在は一年でありますけれども、これでは短いのでありまして、この一年を三年に延長すべきであると考えております。
 この機会に、今回の改正案の不十分さに関連しまして、日本国憲法で規定いたしますところの政治と宗教の分離、政教分離原則の法的な意義につきまして若干の説明をしておきたいと思います。
 政教分離原則については二つのものがございます。その一つは、皆さん御存じの政治の宗教への介入の禁止であります。この点につきましては日本では戦後五十年間厳格に守られてきました。その二つは、憲法二十条でも明文で規定しておりますところの宗教の政治への支配の禁止であります。
 もちろん、宗教法人も社会的な存在としまして憲法二十一条が規定する表現の自由を保障されておりまして、その政治に関するさまざまな提言などの、提言というのは意見という意味でありますが、提言などの実現を政治的に働きかけるという政治活動は許されます。また、その宗教法人の構成メンバーの個々人が一市民として選挙運動などの政治活動を行うことももちろん許されます。
 憲法二十条が政教分離原則との関係で禁止しておりますのは、そういう政治活動ではないのでありまして、その宗教法人が組織的に集票活動、選挙運動などの政治活動を行うことでありまして、アメリカなどの実際例に従いましてこういったことは禁止されておると、こういうふうに考えざるを得ないのであります。こうした政治活動は、憲法が禁ずる宗教の政治への支配につながるから許されないのであります。今私たちが日本で問題にすべき政教分離原則はこのレベルのものであります。
 従前の政府見解は、専ら戦前のあの忌まわしい政治の宗教への介入の歴史的な経緯を念頭に置きまして述べられてきた政府見解にすぎないと言わねばなりません。この段階で、日本の立憲民主主義の真実を守るためにも、この宗教の政治への支配の禁止という政教分離原則を我々は虚心に認識すべきであると考えます。
 このような観点から申しますと、その法人の実質、サブスタンスですね、その法人の実質が政治団体、営利団体などと認められるような場合には、宗教法人法におきまして認証の取り消し事由、解散命令の請求対象とされるべきであると言わねばなりません。
 以上は宗教法人法プロパーに関する当面の私の所見ですが、人々が納得するだけの金の透明化を図るためには、宗教法人税制の整備も不可欠であります。
 この点について巷間誤った議論が行われております。現行税制は、宗教法人に対する法人税の取り扱いを他の公益法人と一緒に規定しております。しかし、この規定の仕方は学問的には誤りでありまして、何が収益事業であるかは各公益法人等の性格、目的、規模ことによって異なってくるのでありまして、当面、宗教法人を他の公益法人と切り離しまして、早急に宗教法人税制のあり方を見直すべきであると考えております。
 そこで、まず幾つかのことだけを申し上げたいと思いますが、公権力の宗教への介入を避けまして、人々の信教の自由、宗教活動の自由を守るためにも、宗教法人活動の実態を踏まえまして、宗教法人にふさわしい収益事業の範囲を世俗の部分から画定する、そういうことは非常に大切でありまして、これは公益法人等一般とは切り離して行うということであります。
 このような観点から幾つかのことをさらに申し上げたいと思いますが、財テク的に運用されます一定の金融収益をも収益事業に組み込むべきであります。
 第二番目に、現行税制は金の入る面、インプットしかとらえておりませんが、お布施などの金のアウトプット、出の面をもとらえる必要があります。政治活動、営利活動などに用いた部分は税制上収益事業分とみなすべきである。こういうことであります。
 第三に、さきに指摘しました日本で問われておる政教分離原則の観点から、その宗教法人の実質が政治団体、営利団体と認められる場合には課税上は宗教法人としては扱わないこととすべきであります。
 私は、現行法のもとでも、このような法人に宗教法人非課税の規定を適用することは、アメリカでの例にかんがみまして憲法学上適用違憲、憲法違反にも二つありまして法令違憲と適用違憲がありますが、この場合、適用違憲を構成すると考えております。
 第四に、さきに指摘しました巨大宗教法人につきましては、公認会計士の財務監査を受けている場合に限りまして現行法の宗教法人非課税の原則を適用することとすべきであります。
 以上、若干のことを申し上げましたが、もう時間がそろそろなくなりつつありますが、第五に、収益事業所得に対する法人税率を現在は軽い税率にしておりますが、これを普通法人並みに引き上げるということが必要でありまして、これはマーケットの論理、市場原理からいきまして、アメリカでは全くこういうやり方でやっております。そして、現在の寄附金控除制度も廃止するということは不可欠であります。
 以上、時間の関係で大急ぎで若干のことを申し上げました。こういった点につきましてもぜひ今後国会におきまして、さらには政府におきまして十分に御検討いただきたいと思います。
 このような不十分な宗教法人法の改正案についてすら、私には理解できないことでありますけれども、反対をしておる巨大宗教法人があると新聞は報道いたしております。これは国民的な規模でその真実を我々は主権者として解明すべきであると考えております。私は、今回の改正案を一日も早く成立させまして、その上で、ただいま指摘しました諸項目につきまして第二次改正という形で主権者、国民に提案すべきであると考えております。
 それにつけましても、多年の懸案でありました宗教法人法の今回の改正案、非常に不十分でありますけれども、ともかく取りまとめられたことに対しまして、村山内閣に対して心から敬意を表したいと思います。日本の立憲民主主義にとって一歩前進となるからであります。
 御清聴いただき、ありがとうございました。
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倉田寛之#8
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。
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倉田寛之#9
○委員長(倉田寛之君) この際、委員の異動について御報告いたします。
 本日、平野貞夫君及び益田洋介君が委員を辞任され、その補欠として猪熊重二君及び大森礼子君が選任されました。
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倉田寛之#10
○委員長(倉田寛之君) これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
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服部三男雄#11
○服部三男雄君 自由民主党の服部でございます。参考人の先生方、御苦労さまでございます。
 ただいま約四十五分にわたりましてお三方から御意見をいただきました。洗先生と北野先生は、洗先生ははっきりと反対、北野先生は賛成だが生ぬるいという明確な御意向を賜りましたわけでありますが、岡本先生にちょっとお伺いします。
 四点今回の主な改正点がございます。所轄庁の問題、それから書類の備えつけの問題、報告の問題、それから質問権の問題等々ございますが、この四点の中でどの点について御賛成なのかあるいは反対されるのか、あるいはやむを得ないとお思いなのかそれをもう少し御明確にしていただければありがたいのですが。
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岡本健治#12
○参考人(岡本健治君) 先ほどは説明が足りませんで申しわけございませんでした。
 ただいま御質問の四点についてどういうふうに賛成するのか、反対するのかこういうお話でございますが、先ほども申し上げましたとおり、四点について、現行の法律以上の負担がかからないように、最低限必要な分にとどめておくということを条件にいたしまして、四件ともやむを得ない、こういうふうに考えております。賛成をいたしております。
 以上です。
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服部三男雄#13
○服部三男雄君 先ほどの岡本参考人の御説明を伺っておりますと、多分、事務所備えつけ書類の見直しと所轄庁への提出の問題で、日本の現在たくさんある八万の神社の中には、非常に小さいもの、あるいは宮司さんがかけ持ちで何カ所もお持ちのもの、あるいは形式的な信徒総代さんあるいは氏子さんがおられるだけで、実質上は森の鎮守府のようなものであって、そういう書類を作成したり報告する事務の煩雑さに耐えがたいというようなニュアンスにとっておるんですが、そういう御理解でよろしゅうございますか。
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岡本健治#14
○参考人(岡本健治君) 今の御質問のとおりであります。
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服部三男雄#15
○服部三男雄君 次に、洗先生にお伺いしたいと思うんです。
 確かに現行法の目的は認証が主たることだというのはおっしゃるとおりだろうと思うんですが、しかし、七十九条以下にありますように、解散請求ができますし、収益事業についての取り消しの問題もありますし、種々の問題があるわけで、必ずしも認証のみということに理解するのはやや誇張じゃないかと思うんですが、洗先生、いかがでございましょうか。
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洗建#16
○参考人(洗建君) 先ほども申し上げましたように、八十一条は宗教法人格の消滅もしくは剥奪に関する事柄でありまして、現行法の中に必要な条文であると、そう思います。七十九条、八十条というのは、これは非常に現在ではレアケースであるわけですが、この宗教法人法が制定された当時、つまり宗教法人令の時代には届け出制の自由設立てあったために、脱税をねらって飲食店等が宗教法人をつくってしまうというケースが非常にたくさんあったわけでございまして、そういうことも現行法制定への一つの動機になったという時代背景があると思います。
 そういう事態に対して一々裁判を起こしてというのは大変だというふうなことも多分あってだと思いますが、そういう事態に対抗するためのいわば緊急避難的な条文として七十九条、八十条というのは入れられたものであるというふうに私は理解しているのでありまして、そういう営利団体が宗教法人を装うというふうな事態に対抗するための措置といたしましては、所轄庁に権限を与えてこれを規制するというのは、私は本道ではないように思います。むしろ、営利団体が宗教法人になっても何もメリットが得られないようなそういう環境を整えること、営利事業のみを行うものは税制上の特典が得られないというふうな税法上の扱いがなされることの方が本筋であると思っておりまして、そのようなことができれば、私は七十九条、八十条というのは不要な条文ではないかというふうに考えております。
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服部三男雄#17
○服部三男雄君 洗先生のお話を伺っていますと、現行法の秩序の中にある宗教法人法の構成をやや立法論的に考えておられる部分が散見されるように思うのでありますが、それはともかくといたしまして、この宗教法人法が昭和二十六年にできたころの日本というのは、大変貧しい国であった、国民が飢える時代であった。そういう厳しい物的な満足が得られない場合、どうしても心の問題というのが大切な時期でありますから、いいのでありますけれども、その後、世界史にまれに見る高度成長を行った。そうするとお金がたくさん出てくる。宗教活動がそういう社会の大きな流れの影響をどうしても受けざるを得ない。これは避けられないことだと思うんですね。
 先ほど北野先生がおっしゃったように、国民の間に税という意識が非常に強くなってきた。宗教法人に対する税の目の感覚が厳しくなってきているという大きな流れになってきた。また、宗教法人のお金の使途について、収支について国民の意識が厳しくなってきた。あるいは端的に申し上げれば、両先生もおっしゃいましたが、不信感を国民の多くの方が持つようになってきた。近時の代表的な日本の新聞社二社の調査では、実に国民の六五%が宗教法人のお金の収支、俗的な言い方をしております、収益事業の問題もあるでしょうし、それ以外の宗教活動としてのお金の出入りもありますけれども、国民はそこまで細かくは認識していないようでありますが、とにかく宗教団体そのもののお金の出入りについてどうも不信だという人が何と六五%もいる。
 こういう社会の大きな変化を考えた場合に、今、先生のおっしゃっているような財務関係書類を備えるとか、あるいは所轄庁への提出、あるいは信徒、利害関係人が閲覧権を持つことは、宗教活動そのものあるいは宗教団体の事務の煩雑さとか無用な混乱を生ずるというのは、今国民の多くの方がこのテレビを見ておられますが、洗先生の御意向に対して、ちょっとそれは違うんじゃないかというふうに感ずるんではないかと思いますが、どうでございましょうか。
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洗建#18
○参考人(洗建君) 宗教法人の経理に対する不信感が大きくある、これはマスコミの報道等の姿勢の影響もかなりあるかなと思うのでありますが、現行法のもとでも宗教法人に対する税務査察というのは可能でありますし、現に行われているわけでございます。非常に数が多いわけですから、そのすべてに査察が入っているとも思えませんですけれども、しかし、私が身辺で見る限りでも相当の部分に税務査察は入っております。そして、この税務査察というのは、宗教法人経理の適正化に非常に、適正化のために入っているわけではないというふうに税務当局は言うかもしれませんが、事実の問題としては法人経理の適正化に非常に大きな貢献をしている面があるということを見過ごすべきではないだろうと思います。
 税務当局の調査というのは帳簿の隅から隅まで調べます。そして、極めて具体的にこれは脱税に当たるとか違法経理だというふうなことが指摘されます。そういう指摘を受けてもなおかつ脱税を試みるような宗教法人というのが多いとは私は全く思いません。大部分は、能力の問題や何かでその意図がなくて脱税等に当たるような経理をしていたというケースが大部分であろうかと思います。
 こうした税務査察の持つ利点というのは、同じ国家機関が宗教法人に入るのでありましてもその視点は非常に限定されているわけでありまして、これは課税の対象であるか否かという視点からしか経理を見ない。こういう活動の仕方が適正であるかとか、宗教法人としてふさわしいかというふうな見方はしないのであります。したがって、宗教活動への介入の度合いは最小限にとどまるものであろうというふうに思います。また、個別の査察の結果というのは守秘義務によって敵意を持つ第三者というふうなものに流されるというおそれも非常に少ないのであります。
 現にそういう税務査察が行われて、これは大規模法人であります創価学会とかあるいは立正佼成会にも既に査察が入ったということを私は聞いておりますし、その後、税務当局に毎年のように公益会計も含めて書類の提出が行われているということを聞いております。
 このようにして、宗教法人の経理で税務当局が宗教へのタブーを捨てたのは十数年前かと思いますが、そのころから税務当局が行っている税務査察によって実は宗教法人の経理というのはだんだんと適正化へ向かって動いているのではないか、私はそういう認識を持っております。
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服部三男雄#19
○服部三男雄君 洗先生、今私の質問した、国民が宗教団体の金の流れについて不信感を持っているという訴えに対して、税務調査のことばっかりお答えいただいたんですが、私は国民のそういう要望があるということ、しかも今回の改正案の事務所備えつけ書類の見直しとか所轄庁への提出というのは、それを極めて抑制的にしたにすぎない。むしろ北野先生はそれでは不十分だとさえおっしゃっているわけであります。
 それともう一つは、宗教団体の中の自主性を高めようということで、信者その他の利害関係人の自主的な内部監査的なことを盛り込んだこととはどうも論点が合わないわけでありまして、もう一度お答えいただきたい。
 税務調査あるいはたぐいまれな査察もあるようでありますが、それとは関係なく、国民の多くが要望している宗教団体をめぐるお金の流れというものを、その要望を受けて世論をバックに今回こういう改正をした、しかも極めて抑制的な改正をした、自主的な内部の透明性を高めようという改正についてどうして反対なさるのかをもっとポイントを絞ってお答えいただきたいと思います。
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洗建#20
○参考人(洗建君) 私は、最初にも申し上げましたように、宗教法人の財務という点に関して国家機関が関与するのは、これは税務当局による関与というのが本道であろうというふうに考えると言ったわけでございます。
 所轄庁というのはどうしても宗教法人全般にわたって物を見ようとするものでありますので、所轄庁に財務関係の報告を出すということは、これは所轄庁の視点というのは、そこにこのようなお金の使われ方が宗教法人として適正であるか否かというふうなそういう視点がどうしても加わってくることになりますので、所轄庁、現在では指導権などは与えられておりませんけれども、それは所轄庁による活動への介入の道を開くおそれが高いということでございます。
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服部三男雄#21
○服部三男雄君 先生が今おっしゃっている改正法の二十五条ですが、提出するだけであって介入する権限は全く持たせていないんですね。今の先生の御説明を聞くと国民はちょっと誤解をすると思うんです。全くそういう介入権限は持たせていない。指導、是正、命令権も持たせておりません。その点、今のお話はちょっと誤解を呼びやすいなと思うんです。
 ただ単に提出する、それがどうして介入の糸口になるんでしょうか。
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洗建#22
○参考人(洗建君) ただ単に提出をさせまして、そして何かこれはおかしいのではないかというふうに思っても、そこに指導も監督も介入もできない。そういう状況は、これはまたまた第二次の改正が必要だというふうな要望につながるのではないでしょうか。提出書類の中でおかしいと思われるというふうなことが国会などで取り上げられ議論されたときに、指導権もあるいは監督権もないからそのまま放置しておきましたということですと、そういうことでは不備ではないかという声が再び起こってくることは、これはもう論理の必然なのだと、私はそう思うのであります。
 第二次改正への道を開く、そういう意味合いを持っているということを申し上げているわけでございます。
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服部三男雄#23
○服部三男雄君 行政に対する不信感をお持ちならば、それはそういう独自のお立場で御心配いただいているんだろうと思いますが、そういったことは、今度の限定的な改正でありますし、そうたびたび宗教法人法を改正できるとは到底思えませんので、洗参考人の杞憂にすぎないと断言してはばかりません。私の意向でございます。
 次に、洗先生に再度お尋ねいたしますが、先ほど先生の御発言の中で非常に驚くべき御発言がございました。それは、宗教団体は民主的であればよいものではないという、恐らく今テレビを聞いておられる方々はびっくりなさっただろうと思います。
 宗教的行事とか祭祀をするとか教化活動をするとか、こういったこと、いわゆる宗教団体の聖なる活動部分について民主的でなければならないとかなくていいとか、これは国とか政治家とかあるいは行政当局がどうこう言うべきものではございません。文字どおりそれこそ政教分離の最も大事な部分であります。しかし、社会的存在として取引だとか、要するに法人格を持ち、しかも日本の場合は税制上いろんな措置を宗教法人に与えている、いわゆる公益性を持たしているところの俗なる部分、いわゆる聖と俗の俗なる部分の活動について、それを必ずしも民主的でなくていいと言われると、これは国民の多くの方はびっくりするだろうと思うんです。
 先生の意図を私が誤解しているかもしれません。もう少し御説明願えたらありがたいんですが。
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洗建#24
○参考人(洗建君) 聖と俗というふうにきっぱりとお分けになったわけでありますが、もちろん宗教法人がどこかの建築業者と取引の契約を結ぶというふうな行為が、これが世俗的な行為であるという、そこに法の規制もかかるという、それは当然のことでございます。しかし、宗教法人あるいは宗教団体の管理のための組織、あるいは宗教法人の財産をいかなる目的で取得しいかなることに使うのかというふうなこと、これは財産的側面であるからということで完全に世俗的であり宗教と関係ないことかといえば、そんなことはあり得ないのでありまして、宗教団体の組織やあるいは財産というのは宗教目的と不可分のものであります。
 その宗教団体をいかなる形で管理していくのかというその組織の問題につきましては、先ほどもちょっと例として挙げましたですけれども、カトリックなどでは神の真理とすべての権限は神から教皇に与えられているわけでありまして、教皇は立法、行政、司法の三権にわたる裁治権というものを独占しているのであります。もっとも、世界じゅうの教会を一人でやれるわけはありませんので、世界じゅうが司教区に分けられておりまして、そして各司教にそういう裁治権というのが教皇から与えられるという形になっております。そこには教会の運営等について信者の側から、平信徒の側から介入する権限というのは与えられていないのであります。
 したがって、そうしたカトリックの信仰を守るために、カトリック教会では司教さんのいる教会だけが法人教会になっているのでありまして、司教区内のほかの教会はいずれも非法人であります。それは、一般の教会がそれぞれ権限を持つことによって司教権を侵害することのないように、そのような配慮がなされているものと考えられるわけであります。
 そうした宗教団体の組織というのはやはり信仰の問題としっかり結びついているのでありまして、いかなる組織によっていかなる管理運営をしていくのかということは、一概に世俗の原理を持ち込んでよいというわけのものではないというふうに考えます。
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服部三男雄#25
○服部三男雄君 先ほどの論説と同じことを少し詳しくカトリック教会のことについて触れながら御説明いただいたので、どうも聞いている私どもとしてはよくわからないのでありますが、それも大命題として宗教団体は民主的であらねばならないというものではないというふうに言われますと、議論がかみ合わないことになりかねないんです。
 もう一度洗先生にお尋ねしたいんですが、宗教団体の金の流れというものについて六五%以上の国民の多くが不信感を持っているということに対して、やっぱり宗教団体の方も自主的にそういう国民の不信を払拭していこうとする努力をするべきだというふうに洗先生はお思いになりますか。
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洗建#26
○参考人(洗建君) それは当然のことでございます。宗教法人の管理が決して不正なことにならないように、各法人の理念に従って自主的に適正な運営をする、そして国民の信頼を獲得していくようにする、これはもう極めて大切なことでありまして、多くの宗教法人は実際自主的にそういうことをやっていこうということをおっしゃっているところでもあります。
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服部三男雄#27
○服部三男雄君 その一つの方法として、今回の信者その他の利害関係人による事務所備えつけ書類の閲覧権というものを認めることがいい方法かどうかについて、先生はどのようにお思いになりますか。
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洗建#28
○参考人(洗建君) 信者に帳簿閲覧権を認めるということは、これは余りいい方法になっていないというふうに思っているところであります。
 実際、多くの日本人というのは、長い仏教的な伝統の中で、神仏に差し上げたものということについて、その後までその金の行方を追及しないというそういう気持ちが結構強いのでありますが、実際、信者と称する者が帳簿の閲覧を請求するというふうな、そういう事態がどういう場合に起こるかということを考えますと、何かトラブったりしたような場合にそういう要求が多く出てくるのであろうということが予想されるのであります。
 そうした場合に、従来ですと、仮に見せろというようなことで訴訟に持っていったとしても、容易に訴訟に勝てるわけではありませんので、裁判ざたというふうなこともそうは多く起こっていないと思うのでありますが、そういう何か事態が起こったときに、これは大いに、今度は法律が保障しているということで訴訟事件に持っていくというふうな、そういう混乱した状態が宗教界に多発することになるのではないかという懸念が非常に大きいと私は思うのであります。
 もちろん宗教法人の自治能力を高めるという点、これは非常に大切なことでありますから、その点を法改正によって何とかできるということであれば、それはもう法改正することはもちろん反対するものではないのでありますが、ただ、そうした宗教の現場に即して問題を十分練り上げないとこういう問題についていい改正は不可能だと思うんですね。
 今回のこの改正案というのはその点では非常に拙速に過ぎて、宗教法人の透明化につながるよりもむしろ混乱を招く危険の方がずっと大きいと、そう判断するわけであります。
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服部三男雄#29
○服部三男雄君 洗先生も、宗教団体、宗教法人をめぐる金の出入りについて透明化を図るべきだ、国民の多くが要望するんだから透明化を図るべきだと思う、だから自主性が大切だということをおっしゃるわけですね。しかし、その透明化のための自主性を高めるために今度の利害関係人による閲覧権を認めたのはよくないと。
 じゃ先生、どういう方法で自主性、透明性を高めるんでしょうか。
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