正村公宏の発言 (規制緩和に関する特別委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○正村参考人 正村でございます。
 限られた時間でありますので、誤解のないように冒頭に申し上げますが、自分にラベルを余り張りたくないのですが、私はラジカルな規制緩和論者だというふうにまず思っていただきたい。急進的な規制緩和推進派であります。ただし、無条件ではない。その条件を申し上げます。
 規制緩和論はそれなりの背景があり、そこにいろいろな問題を含んでいることは事実であります。問題が含まれていることは事実でありますが、しかし、これまでの政府の民間の活動に対する過剰な関与は整理されなければならない、思い切って縮小されるべきである。端的に言えば、後発工業国型の過剰な政府関与は思い切って縮小しなければならない段階に来ているというふうに私は考えております。
 これは、日本の大きな流れ、近代化というふうに仮に呼んでおきますが、そういう大きな流れの中で、日本が新しい時期に来ているというふうに考えるわけであります。
 もちろん、日本経済の国際化が進み、国民生活の構造が大きく変動する中で、もっと違ったスタイルの暮らし方を見つけていかなければならない。その違った暮らし方の中には、国際的に通用する共通のルールを見つけていくという問題が含まれていると思います。もちろん、西洋化することが近代化ではありません。欧米化することが近代化することではありません。私たち自身の原理に従ってその新しい共通のルールを探していかなければなりませんし、国際社会でそのことを進んで発言するという気概を日本の政府は持つべきだというふうに思います。
 しかし、近年の規制緩和論にさまざまな問題があることも感じております。
 列挙いたしますが、まず、いわゆる規制だけが問題なのではないということですね。さまざまな分野でいろいろな助成が行われてきている、補助金が相当に、分厚い補助金便覧を一生懸命調べてみても、何をやっているのかわからないようなたくさんの補助金が使われている、そういう助成の整理を思い切ってやるべきだと思いますね。
 それから、法律では何も決まっていないのだけれども、行政指導の名のもとにいろいろな介入が行われてきた。その行き詰まりはいろいろな事件で既に明らかになっていると思うのです。いわゆる住専問題もその一つの典型だと思います。行政と民間の事業活動の間が余りにも密着しているために責任の所在が最後は明らかでなくなってしまう、こういうことが起こっているわけであります。
 いわゆる規制、例えば大店法とかその他よく例に挙げられますが、そういう種類の規制だけが問題なのではなくて、政府の個別的関与、民間事業に対する政府の個別的関与全体を見直す、そういう少し広げた視野に立つ必要があるというふうに思います。
 それから二番目は、規制緩和とかあるいは私の言う行政機関の個別関与を整理していくというこの大きな課題を追求していく過程といいましょうか、その先にどういう社会経済システムを目指すのかという展望がはっきりしない、そういうこと
であります。ある意味では、市場原理に対する過信がかなりあるということは否定できないような気がいたします。
 統制経済的なシステムをつくり上げようとした社会主義計画経済体制というものが完全に破綻したことは明らかであります。それは、私などは早くからあれはワークしないということを言ってきたわけでありますから、もう当然のことなのですけれども、しかしながら、市場万能に近い、市場経済のメカニズムを過信することも決していい結果をもたらさないということも歴史的には明らかでありまして、かつての自由放任経済に戻ることが我々の戦略ではあり得ない、混合的なシステムを目指す以外にない、維持する以外にないのであります。ただし、その混合の仕組みが変えられなければならない、何と何のどういう形の混合であるかということを見直さなければいけない。
 混合というのは中途半端に響くかもしれませんが、混合以外に人間と社会の現実に合ったシステムはないのですね。混合であるがゆえに我々は絶えず見直しをし、どういう原理で組み合わせたらいいかということを考え直すということが必要になるのですね。混合であるがゆえに知恵が要るし、経験に学ぶ慎重さが要ると思います。そういう姿勢で規制緩和論というのは考えないといけないのであって、神話の上に成り立っている、あるいはイデオロギーというお話がありましたが、市場神話というか、市場過信に戻ってしまってはおかしい。政府の失敗を強調する余り、市場の失敗を忘れてはいけないということであります。
 それから、三番目に申し上げたいのは、これはもうちょっと色あせていますからあえて言うまでもないことかもしれませんが、ひところ規制緩和を通じて景気回復という非常にナイーブな議論が横行いたしました。規制緩和をし、価格破壊を推進し、物価をどんどん下げていけば実質所得が高まって景気が回復するといったぐいの議論が行われましたが、これは経済学的に見てナンセンスな議論でありまして、価格破壊が余り急激に進めば雇用破壊が起こるし、賃金の下落も起こるわけでありますから、実質所得など上がるはずがないのであって、どうしてこんなナイーブな、素朴な議論が多くの人の心をとらえたのか。それを唱えた人に責任がありますけれども、それは非常にナンセンスな議論。何かはかにやる手がないので、規制緩和を通じて景気回復しようという、一番安上がりな方法でやろうというかのごとき議論のように響きましたけれども、これは社会に対して大変大きなコストを払わせることであって、そんな立場で規制緩和論を振り回されたのでは、規制緩和論そのものの意義が薄まってしまう、あるいは非常に誤解されてしまう。なぜならば、うまくいかないからであります。
 今そのことが明らかになりつつあって、規制緩和論が元気がなくなっていると思うのですが、私はそうではなくて、もう少し根底的かつ長期的な問題として、規制緩和を含めた政府の個別関与を思い切って縮小する、原則撤廃をするというぐらいの構えが必要であるというふうに思っております。ただし、規制緩和しさえずればいいのではないということを私は申し上げているわけでありまして、幾つかの条件を申し上げなければなりません。
 大胆に規制緩和をし、後発工業国型の個別関与、個別助成、あるいは行政指導のような、非常に密室で行われているさまざまな行政の民間に対する介入、こういうものを整理するためには、以下のようなことを十分に、思い切って強化することが必要だと思います。思いつくままに、幾つかの、何項目かを列挙させていただきます。
 時間が限られておりますので、ほとんど列挙するにとどまりますが、まず第一に申し上げたいのは、市場原理に基づいて社会を動かしていくということは、分権的に管理するということなんですね。それで、ちょっと申し上げますが、混合的なシステムというのは、プライベートイニシアチブとパブリックイニシアチブがそれぞれ機能するようにするということなんですね。
 市場メカニズムというと、価格理論を説明して、経済学者はすぐ需要と供給がどうとかこうとかと議論をするのですけれども、あれはイロハのイにもならないお話なんです。市場原理を見直すということの意味は、プライベートイニシアチブを尊重するということなんです。私的主体がそれぞれにイニシアチブをとって、新製品を開発したり、新しいサービスを供給したり、例えば福祉の分野でもありますけれども、民間の団体がいろいろな形でこういうことをやってみようとか、ああいうことをやってみようという、そういう余地が非常に広がるような形にしようというのが市場なんですね。しかし、それでは足らないから、パブリックイニシアチブも必要なんです。
 パブリックイニシアチブという言い方は、ちょっと別の意味に使われることもありますが、私が言っているのは、公共団体あるいは公共団体のガバメント、統治機関である地方政府や中央政府が、国民の意思を問いながら、あるいは住民の意思を問いながら、民間団体ではできないことを、公共部門を通してイニシアチブをとって、指導性を発揮して新しい事業を起こしていく、こういうことが必要なんですね。
 混合経済システムというのは、政府と市場の混合なのではなくて、パブリックイニシアチブとプライベートイニシアチブがそれぞれうまく生きるようにするということが混合システムの原理なんです。その混合システムの原理を考えたときに、市場をもっと有効に機能させようと考えるのならば社会的ルールを強化しなければいけない、これが第一の条件であります。法ということについての考え方を含めて、社会的ルールを強化することを通じて民間の活動を自由にする、ルールをきちんと守らせるということが前提になる。
 例示的に申し上げますと、私的独占の禁止と公正取引の確保に関するルール、それから公害の防除と環境保全に関するルール、あるいは労働基本権の保障、特に労働基準の遵守を保障するような労働時間の問題とか、労働にかかわる安全衛生の問題とか、そういうことについての社会的ルールをむしろ強化する。
 これだけ残業が野放しになっているような社会でもって競争を激化させたら、労働破壊が起こりますね。労働者の生活破壊が起こります。日曜日まで百貨店を開こうとかなんとかいうような圧力でもって、多くの家庭が壊れていくわけであります。そういうことを放置するのではなくて、労働の基準に関するルールを確立するということが大前提になるはずであります。そっちの方を強調しないで、ただ規制緩和、競争促進みたいなことばかりを言ったのではまずいと思います。
 それから、消費者、あるいはこの場合の消費者の中には金融機関の預金者を含めるべきだと思いますが、消費者の保護といいましょうか、安全保障をどうするか、そのことについてきちんと考えておかなければいけない。金融機関の競争を促進し、政府関与を排除していくとすれば、当然、倒産する金融機関も出てくる可能性があるわけですから、預金保険機構の強化というような消費者保護のルールはきちっとつくっていかなければいけませんね。そういうことが大前提になって、その上で徹底的な規制緩和といいましょうか、徹底的な個別関与の縮小、撤廃ということを進めるべきだというふうに私は考えているわけであります。
 第二に申し上げたいのは、情報公開のシステムを強化する必要があると思います。消費者、これも繰り返しになりますが、預金者を含むとお考えください、その消費者に対する情報の十分な開示を行うということが必要だと思います。そして、そのための社会的な監査の仕組みをつくり上げていくことが必要であります。これは、第一に申し上げた社会的ルールの問題と関連があります。
 長い間、日本の行政機構の中で冷や飯を食わされていました公正取引委員会のような行政委員会の仕組みを、私はもっと機能させるべきだと思います。預金保険機構、もしくは預金保険機構と関
連づけを考えながらの証券・金融に関する行政委員会のようなものを、大蔵省とは別に考えるべきだろうと私は思っております。
 それから、三番目は、今のことに全く関係がありますが、行政機構そのものを改革しないといけない。規制緩和ということのためには、あるいは規制だけではないということを繰り返し申し上げていますが、行政の過剰な個別関与を是正していくためには、農林省や通産省、通産省はもう余り権限がなくなっていますが、農林省とか建設省とか、その他、運輸省とかを含めて、行政機関が今までやってきたことの見直し、そしてその枠組みを見直し、既存の行政機関を大幅に縮小し簡素化すること、独立の行政委員会を強化し、または必要に応じて新設すること、そういうことが必要だと思います。公正取引委員会の強化、あるいは金融証券委員会のようなものを独立の組織として確立すること。それから、食品、薬品の安全についての規制は、これは規制という言葉を使いたくないのですが、ルールをつくり、そしてそれに基づいて監査する、社会的な監査をするということが必要ですね。
 それで、エイズ薬害問題も住専問題も、同根なんですね、根っこは同じなんですよ。どこで何がどういうふうに決められたのか、よくわからなくなっている。かかわっている人が、自分に責任があると思っていないのですよね。
 アメリカの例として、耳にしたり目にしたりしたことがあるのですけれども、かってサリドマイド児が生まれましたよね。その問題については、アメリカは被害が非常に少なかった。それは、たった一人の委員が、これは危険だということで頑張って、とめたのですね。
 そういうことを、つまり個人の役割というのは非常に重要なのでありまして、個人の責任、個人の意識ということが問われないようなあいまいな、何か集団で委員会をつくって、審議会あるいは研究会だとかとやっていて、だれが責任を負っているのかわからないような仕組みになっている。これは日本的な、ある意味で、成長の過程では役に立った機構かもしれないけれども、市民的な社会の基本的なルールを守っていくという、そういう仕組みをこれからつくっていく場合には、これではまずいのであって、だれとだれとだれが委員であって、その委員がどの段階でどういう意思決定をしたかということが見えるようにしておかなければいけませんね。そうすることで、エイズ薬害のときにあの委員会、あのときのこの委員会はこれだけの権限を持っていたのに、それを決めなかったということが問われますでしょう。食品の安全とか薬品の安全とかということについては、生命にかかわるわけでありますから、公害・環境問題と同様に、最優先の課題として機構の強化、それから意思決定の透明化ということが必要であります。
 ついでに言いますならば、日本は、日本銀行は独立性が非常に弱いと言われているわけでありまして、政策委員会が余り機能していない。やはり、通貨の安定を優先する中立の機関として、政府の監査は受けますけれども、政府から相対的に離れた、距離のある組織として、十分に機能するようにすることが必要であります。
 それから、四番目に申し上げたいのは、生活環境の改善にかかわる公共的な計画の機能を強化するということであります。
 私は、何よりも強調したいと思いますのは、都市計画の主体としての地方公共団体の役割が、日本は余りにも貧弱である。これはもう手おくれに近いのですけれども、地方公共団体がもっと公共用地を先行取得して、そして都市計画をきちんとやるということが重要なのですね。
 都市の商店街の繁栄とか、大規模店舗の進出と既存の商店街の利害調整をするというふうなことは、大規模店舗の進出に関する一般的な規制でもって、あるいは今までやってきました商調協のような利害関係者、特に商業をやっている人の側の圧力でもって大規模店舗の進出をとめるというような考え方ではなくて、どういう都市計画の中に大規模店舗を位置づけたら共存共栄ができるのか、消費者の利益も図られ、そこで働いている人たちの利益も図られるのかということを考えなければいけない。
 そういう意味では都市計画の機能が日本の場合は非常に貧弱でありまして、これは生活環境改善の問題にもかかわるわけでありまして、東京の例を見ましても、あるいは地方でも同じことでありますが、図面の上では都市計画があってここは計画道路が通ることになっていても、二十年たっても三十年たっても道路はできない。そのうちにそこへどんどん住宅が建ってしまってどうしようもなくなっていくわけですね。こんなことをやってきた。
 つまり、日本は政府が大き過ぎるとか、政府が強過ぎるとか、余計なことをやっているとかいうのですけれども、政府部門がやるべきことをやってこなかったのですよ、中央政府も地方政府もそうですけれども。やるべきことをやらないでおいて、ほかのところで余計に個別産業に介入するということをやっておられたわけで、そういう一般的な空間計画に関する公共団体の権限はもっと強化する必要があるし、財源の配分も考え直す必要があるでしょうし、地方公共団体の首長さんを初めとして、そういう責任の意識が余りないのですね、都市計画の責任の意識が。それで、都市計画の図面がいつまでもできなくてもだれも責任が問われない。東京都かにあります旧米軍跡地の利用も二十年、三十年ほったらかしにされているわけですよ。
 こういうことを、計画をきちんとやらなければいけないという責任の意識がないし、それをまた市民からも問われない、そういう構造を変えていかないとまずい。
 ですから、ある意味では、私は、小さな政府論とか弱い政府論を言っているのではなくて、大事なところをきちんとやるということを前提にして、余計なことから撤収する、そういう改革を問題にすべきだということを強調したいわけであります。
 最後に、第五番目になりますが、生活の安全保障を高めるための社会保障と社会福祉の整備拡充を急がなければならない。
 それで、年金、医療等さまざまな問題を抱えておりますが、高齢化が急速に進む中で、一番多くの人が不安感を持っているのは介護の問題でありますが、高齢者の介護に限定しないで、重いハンディキャップを負った人に対する一般的な共通の社会的支援の制度を確立していくことが必要である。安心感と公平感を強めるための施策を思い切って拡充するということを前提にして、過剰な個別産業ごとの関与を撤廃するということ、私はその分野では原則撤廃論なのですが、そういうふうに考えるべきだと思います。
 一つの例を申し上げます。
 スウェーデンに行きまして向こうの専門家といろいろ議論したことがあるのですが、スウェーデンはこういう考え方で今まで産業政策をやってきているのですね。
 それは、小さな国であるということがあるのですが、産業は保護しない、貿易はできるだけ自由化する、いや、原則全く自由化していくわけです。ドイツの製品の方が優秀であればドイツの製品を入れる。スウェーデンの産業がそれに太刀打ちできないならつぶれることをとめない。八百万かそこらの人口ですから、産業保護をやっていたら独占産業がいっぱいできてしまうわけですから、国際競争にさらすということなのですね。
 非常に大きな構造変動をスウェーデンはある時期経験したのですが、産業は保護しないけれども労働者は保護する。その産業がつぶれていくことはとめないけれども、そこで働いていた人たちが再就職できるように、失業保険の期間も長くやりますし、技能訓練をすることに対して政府はサポートをする。逆に、労働者を保護しているから安心して貿易自由化を促進できる、つまり市場原理を活用できるということをやっているわけですね。
 我々の社会の、生身の人間がかかわっているわけですから、この人間の生活の一番基盤のところは、社会的な共同の原理、公共的なシステムのもとで共同の原理で安全をきちっと保障する。
 農業は、保護しないけれども、農業の構造変動に伴って転業を迫られた若い人たちがもしいるとすればそれは転換を図る、高齢化した人たちに対しては老後保障をちゃんとしているということを前提にして、今やっているような過剰な農業保護をやめていく。
 ただし、つけ加えますが、農産物に関しては無関税完全自由化というのはあり得ないと私は思う。食糧の安全保障の問題がございますし、長期的に考えたときに、関税ゼロにしてアメリカの物が安ければ全部アメリカから買えばいいという発想では私はありません。しかしながら、関税化にまで反対するというのには私は反対なのであります。七〇〇%でもいいから関税をかけて、そして何割かの外国の米なら米と日本の米がそこで競り合うということは認めるべきである。
 それは、政府が管理するというのは、枠組みをつくってその枠組みの中では競争を、それは一律減反のような方法で競争をとめてしまうのではなくて、競争を働かせるのだけれどもその競争の働き方をちゃんとコントロールする。レコードのボリュームを調整するように、政府はちゃんと調整する。コントロール不可能な状態に野放しにするということが私の規制緩和論ではないので、そういう枠組みづくりをきちんとやることを前提にして、今までやってきた政府の個別的過剰介入を撤廃する、原則撤廃するということで見直すべきだというふうに私は思っております。
 限られた時間でありますので、とりあえずのことだけ申し上げました。どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)

発言情報

speech_id: 113604019X00819960522_004

発言者: 正村公宏

speaker_id: 10584

日付: 1996-05-22

院: 衆議院

会議名: 規制緩和に関する特別委員会