内橋克人の発言 (規制緩和に関する特別委員会)
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○内橋参考人 今、鹿児島からお見えになったということで、私どもは、鹿児島におきまして離島航空の航空運賃が、東京-大阪あるいは東京-札幌、幹線に比べて過去どのように値上げをされてきているかということについても詳しく調べて、これは報告、リポートをしております。著作の中に書いてあります。離島航空におきましては大体この間に二倍以上運賃が上がったわけです。しかし、幹線におきましては軒並みマイナス七%、過去十年ですね、そういう数字もございます。
今回、規制緩和によって幅運賃制度が導入されると、逆に運賃が上がったといって規制緩和万能という立場の人々はこれを非難して、なぜそうなるかといえば規制緩和が徹底していないからだ、こういう議論はアメリカにおいても常になされるわけです。規制緩和の結果何が起こったかということについて問われますと、例えば、これは失敗ではないかと言えば、いや、それは不徹底だからそうなるんだと。今回の規制緩和、幅運賃、そして運賃が上がったという現実についてそうした議論が起こっているというのは、私たちから見ればもう予定内、予想内のことであると思いますね。
これは一例なのですけれども、私が申し上げたいことは、今官と民の役割とおっしゃいましたが、その間にもう一つ、市民ということがあるわけです。市民社会というものを今回の議論の中で全く無視されている、除外されているということに大変な私は危惧の念を持つわけであります。先ほど申しました運賃の問題でもそうでありますね。私は、官から民への権限のシフト、移譲といいますか、それは当然のことだと思います、民主社会において。そのゆえに、いわゆる官僚独裁といいますか、裁量的秘密主義のまかり通る現在のような行政優位、絶対優位の社会というものは変えなきゃならないというのは私たちがこれまで言ってきたことです。
申し上げたいことは、官と民とおっしゃいますが、その民の中にも市民社会というものがもう一つある。民というものを皆さん方は経済界、企業ということにイコールにしているわけです。すべてイコールと考えておりますね。しかし、その民の中に利害の対立があるということですから、私たちは、もし官と民というのであれば、その間にもう一つ市民社会というものを置かなきゃならない。私は、官から民へという場合のその民のあり方ということに関して申しますと、市民社会的な規制、制御をいかに強めていくか、それをバックアップするのが、その大きな枠組みをつくるのが政治家の、あるいは政治のあり方だ、こういうふうに位置づけることができると思いますね。
じゃ、市民社会に権限を移す、コントロールのもとに置く、市民社会的制御のもとに企業行動を置くということはどういうことか。いろいろなケースがございますが、例えば、既に都市の成長管理、都市というものは一体どこまで膨張させるべきなのか。例えば一つの都市において、サンフランシスコならサンフランシスコにおいて、事務所のオフィスの容積、今年度の建築の容量というものはだれが決めるのかといえば、市民が決めているわけです。上限、例えば都市の現在の過密の状況とかあるいはオフィスと住宅とのインバランスとか、そういうものをどう解決していくかという場合に、市民がそれを決めていく、そういう制度がきちんと成り立っている。それが成長管理という思想でありまして、都市の膨張を、無限大の膨張ということをいかに抑えるのか。規制緩和によって、企業が今回バブル期に見られましたように、都市の許容量を超えた野方図な拡大ということを防いでいくのはだれかといえば、市民なのですね。
ですから、市民による市民社会的制御というものがきちんと組み込まれておりますような社会におきましては、そうした景気の変動によって膨大な空き室、そういうものがオフィスに起こるということはありません。そういう変動というものを逆に市民がチェックしているわけです。市民社会の意見をきちんと取り入れて、そして市民社会的制御のもとに置くということが逆に景気の変動による打撃というものを少なくしている、これも一例でございます。
要するに、市民社会的制御というものを私はいかにバックアップしていくかということが官のなすべきことである、あるいは行政の、あるいは政治のなすべきことである。
それから、民というものの中にだれが入っているかということについてよく考えていただきたい。例えば交通、運輸、トラックということについて自由化すればいいとおっしゃいますけれど
も、例の国道四十三号線における最高裁の判決、西淀川訴訟における大阪地裁判決、これをよくごらんいただければおわかりになると思います。例えば自由という場合に、その高速道路を走る車の自由ということは御主張なさるけれども、その高速道路のすぐそばに住んでいる住民はどうなるか、こういう問題は全く入っていないということであります。
例えば、規制緩和が徹底しないから航空運賃は上がるのだ、中途半端な規制緩和だからだめだ、こうおっしゃいますが、純粋競争などというものは現在の資本主義社会にあり得るはずがありません。空港一つとりましても、自由に参入できるというのがコンテスタブル・マーケットの理論でございますけれども、もし今日彼らの言うように航空機を自由に空港に発着させる、そうすると周辺住民はどうなるのか。空港の許容量ということもございますでしょう。あるいは深夜の騒音ということもあるでしょう。そういうものを規制しているからこそ、今日、住民とそうした運輸、交通、これは公共でありますけれども、その間にある種の折り合いがついているわけですね。それを全部撤廃して自由にすれば安くなるということでございましたら、では、その空港なり高速道路の周辺に住んでいる住民、市民というのはどうなるのだということであります。そういう議論が全く欠落したまま、官と民の役割分担、そして官から民へとおっしゃる、その民の中に、勤労者、市民あるいは消費者が入っていないではありませんか、こういうことを申し上げているわけであります。