桜井新の発言 (予算委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○桜井委員 次に、安原治さん、富士住建の社長さんにお尋ねをしますが、あなたは創業当時は、私どもの創業当時と同じように人の下請を、これはもし誤りがあったらお許しください、私が得た情報の書類を見ますと、下請企業から始まっていろいろ勉強されて、最初は電気工事ですか、それから身を起こして住宅建築に身を入れて今日を築いてこられたそうです。それなりにあなたは苦労をされながら下積みの努力をして今日を築いたんだろうと思う。そういう姿勢は、今ここでごあいさつをするのを聞いておって、私はそれなりに、あなたは陳謝もし、自分もこれから体の続く限りは、生ある限りは努力するということを言われておるから、そのことはそれで了といたします。
 しかし、先ほどの説明の中に、口と心は別なんじゃないですか。私はさっきちょっと山本さんのことに触れたように、あなたは、自分の努力が足らなかった、そして事業を失敗して迷惑をかけた、それは悪い、しかし、言わせてもらえば、地価の暴騰、暴落、このはざまの中で自分の努力ではどうにもならぬことがあったというようなことを言いたかったのでしょう。そしてそれは、国土利用計画法の線引きの問題あるいは税の取り扱い、こういったことは余りにも全体を考えないでやったというような意味のことを言われたと思うのですが、行政は、この欲得の世界にどう線引きをするかということで、なくてはならぬからあるわけですよ。線を引けば必ず損をする人ともうかる人とあるに決まっているのですよ。どこにどう線を引くかということの妥当性ということはあるけれども、企業家は常にそのことを頭に置きながら商売をしなければならないんじゃないですか。
 私はそういう点で、今度の全体のを見せていただいて、先月の三十日からですか、ずっとここで審議を聞かせていただいて、総合的に余りにも人のせいにし過ぎることが多過ぎる。去年の震災でもそうでありました。
 私は、実は新潟の雪国です。川端康成さんの小説の、暗いトンネルを抜ければそこは雪国だったという湯沢町を初めとした雪国。ことしは特に十年ぶりの大雪で大変であります。しかし、十年ぶりの大雪だというが、今から十年、十五年前、私が県会のころからずっとこの制度を培ってきました。そして、雪の降らないところから来たらびっくりするほどきれいな除雪ができて、日常、どんな大雪の年でもほとんど生活に支障ないほどの交通確保ができたのです。しかし、どうでしょう。ことし私は、この予算委員会の途中で、余りの豪雪で地元へ帰ってみました。そうしたら、隣の町まで、ふだん十分か十五分で行くところを二時間もかかっても到達しない。全く除雪がなってない。機械設備も陣容も制度もお金も何の心配もないほどあったって、人の心がそこになければこんなことになってしまうのですよ。
 去年の震災だって同じだ。去年の震災だって、決して消防庁や警察庁や自衛隊が出動できない態勢にはなかった。得た情報を送らなくてもいいなんという仕組みではなかったはずです。全部やらなければならないはずだった。ところが、長いこと慢性化をしてしまって、南西沖地震、はるか沖地震が起きたときにそれほど大きな問題にならなかった、また今度もそうかなという気持ちがいささかでも心の中にあったんじゃないでしょうか。緊張感がないことがこうなったと思うのです。
 あの景気がだんだん上向いてきたときに、企業家群全体が、特に金融団はそうだ。きょうは農協の系統も来ておりますけれども、どこでも全体的に一般国民が汗を流して苦労しながら稼いで、そのわずかな中から預金をして積み上げて、いざというときに備えようとやった。それが戦後五十年積み重なって世界一の富を誇る国になった。いつの間にかしら、自分のお金も預かったお金も、商売のことも遊びのことも区別がつかないようなことになったことがこうなったのですよ。どんなことがあったって借りた金は返さなければならぬ。その反省がなくしてどうするんだ。人のせいになんかして、どうして国民の税金をこんなところへつぎ込むことができるのですか。
 もう一度あなたの気持ちを聞かせてください。

発言情報

speech_id: 113605261X01419960216_023

発言者: 桜井新

speaker_id: 28320

日付: 1996-02-16

院: 衆議院

会議名: 予算委員会